◍ いざ、華瓊楽へ
「…………。で?」
蒐は準備万端といった様子の女子二人を前に、片眉をつり上げた。
絵を描きに出かける時の自分の格好は、いつもこんな感じ。
溶き皿や筆などの小物を入れた箱、折り畳み式の画架を網籠に収めて背負う。奉里と出会った時とそう変わらないわけだが、服装を少し変えている。
黒い褲に紺の短衣、ではなく、丈の長い濃紺の衣。革製の軍靴。その所々に暗器を隠していた。
萼の中堅花人がまとう軍服に近いが、何かが足りない印象だ。奥座衆のそれとも違うので、ようするに所属不明。
「それでも一応、普段よりは多少、花人っぽく見えるんですよね。そういう格好すると」
「当たり前だろ。問題はお前だ、仁華」
なぜ髪を切ったッ?
平然としている仁華の横で、奉里は苦笑を浮かべていた。取りなしたいところだが、奉里にも仁華の衝動的散髪の意図は謎……。
結局、肝心の奉里自身は長すぎる髪を切ることも、赤すぎる毛色を染めることもせず、草木ではない、ちゃんとした髪留めを使って身だしなみを整え、泥だらけの服が小ぎれいに変わっただけである。
結び巫女の散髪はなんとなく縁起が悪く、染髪は少々手間がかかるため、今日中に出立したい状況では、あきらめるしかなかった。
その点、仁華はなんの躊躇いもなく、鷲づかんだ部分から、一回の鋏入れでおかっぱ頭になって見せたのだ。
「先生長いの気に入ってたんだぞッ」
「知ってます」
蒐はちょいちょい、仁華をかわいがってきたことを伺わせる発言をする。
対して、仁華はそれを切って捨てるような態度しか取らない。
「そもそもッ、なんでお前まで付いてくる気満々なんだ」
「遠くの景色を描きに行く時は、見聞を広めるがてら、いつも助手として同行するじゃないですか」
「その、機動性を意識したような格好はなんだッ。生足まで出してッ」
「ちょっと便乗させてもらおうかと思いまして」
「~~……。それで散髪、かッ?」
奉里には疑問符しか浮かべられないが、蒐はすべてを理解したらしい。荒々しく舌打ちした。
「す、……すみません。なんか、よく分からないですけど、えーと…」
どうやらこの蒐と仁華の間にも以前から上手く噛み合わない箇所があり、その歯車になっている部分を、自分が動かしてしまったと見える。
奉里は恐る恐る、謝罪を口にする。
「いやッ、いいんすけどね別に。全部筆頭が悪いってことで、あの人に責任取ってもらいますから。結び巫女が、人間関係に影響を及ぼすのは必然です。不可抗力なことも分かってますんで、奉里嬢はとにかく、旅が終わるまでは、俺たちから離れないことだけ気を付けて下さい」
蒐は言いながら、ズカズカと部屋の一角に歩みだした。
彼がひらりと落としたものを拾い上げ、奉里は小首をかしげる。
ここは蒐が風景画を保管している塔の地下室だ。周囲一面書架で埋め尽くされているが、入って中央の壁には、観音扉を備えた木製の祠堂のような彫刻物がはめ込まれている。人丈ほどあるその中に、一幅飾る準備をはじめた蒐の背に奉里は歩み寄った。
「蒐さん、これ、落としましたよ?」
「え? あ…、やべ」
「薬草の栞……、ですか?」
ほのかに防虫効果がありそうな匂いがするそれは、葉が切り絵のように繊細なわりに固く、細かい毛に覆われている。
「芸香草。筆頭から貰ったんですよ。お守りだって」
蔵書の高殿や書斎を〝芸閣〟と称するのは、これが必須とされてきたことに由来する。牝闌ではこの芳香が魔除けになると言われており、悪しき者を見抜いたり、寄せ付けないようにする効果が謳われていて、女に持たせれば、狼に変貌するような悪い男の虫がつかない。というわけで――
「うちにはほら、仁華がいるじゃないですか。あいつも一応女だし、今回は筆頭の女を連れて歩くわけだし…」
「女ですけど、そういう女じゃないです私」
「ずっと本に挟んで栞にしてたんですけどね、念のため持って行こうと思って。俺がそういう虫にならないように」
「そっちのお守りかいっッ」
「まぁ、奉里嬢にも手が出る心配はなくなりましたけどね、話してるうちに」
「どういう意味だコラあっッ!」
「実際、眼病予防になる効能もあるんで、彫刻家や画家なんかが服用もするんですよ。でも、これが欠かせない一番の理由は、やっぱり筆頭がいなくなったからで――……」
目的の掛け軸を飾り付けた蒐は、一歩二歩下がり、感慨深げに俯瞰する。
なだらかな棚田の黄金色が、風に波打っている。背景には、天辺や側面に紅葉を生やした石柱群がそびえ、豊穣を祝うように赤みを増してきているのが見て取れる。
この越境画の題名は、『生き残った台求城下』――。
「俺、奥座衆の中でも、生粋の花人とは胸を張れないわけありの部類なんでね」
表庭の夜覇王樹壺になんか、もちろん居場所なくて、本当だったら奥座衆に居座ってる資格もないかもしれない、半端者なのだ。
「だから、筆頭からの〝特命〟ってことで、普通の任務から外してもらって、真澹に暮らしてきたんです」
仁華は、蒐が引っ掻き回した書架の中を整えながら、いつになくしんみりしている声を黙って聞いている。
奉里もなんとなく、蒐に暗い過去があることを察した。
「特命……、それが世界各地の風景画を描き集めること?」
「ええ、まぁ。〝人捜し〟を兼ねてね。どっちがついでか、今となってはよく分からないですけど」
埃がついた手をパンパンとはたき、蒐は淀みかけていた気分を変える。
「奉里嬢は? 華瓊楽に行って、具体的にはどうしようとお考えで?」
「そ……、それはですねぇ。……」
とりあえず観光?
「なんで」
「どうしたらいいと思いますかぁああ…っっ!?」
「いや知らないです。下手したら殺されるんで、俺はあくまでも風景画を描きに来たってことで、仲裁とかもしませんよ? 物陰で見物はさせてもらいますけど」
「なんでッ!?」
「いや面白いでしょ。普通に」
「面白がってる方が殺されると思いますよ普通にっッ!!」
色々と難題だらけで先が思いやられる会話だったが、奉里は蒐と仁華という頼もしい協力者を得て、この時は少し、希望が持てた気がしていた。
これまでの日常が崩れていく。
だが、きっと悪いことばかりではないはず。
そんな不安と期待が入り混じった新鮮な感情は、越境後、一変する――。
× × ×
「なに……、これ」
一体、何がどうなっている状況なのだ。
奉里だけではない。蒐も仁華も、眼下に広がったその光景には絶句した。
皐月がいるだろう李彌殷を目指した旅の末。
待ち受けていたのは残酷にも、
奉里の不安が的中した――、という外ない、警鐘が鳴り響く火の海と化した都なのである。
―― 華瓊楽暦・一六三四年 十月●日 ――
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