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◍ 出立準備 いろいろ便利道具


 (しゅうが旅に出る準備をするため、一時的に部屋を離れている間、奉里も華瓊楽カヌラへ渡るにあたって、必要なものを貸してもらうことにした。

 まずは、秋だというあちらの気候に合った衣服。


「私ので大丈夫そうですか?」


「うん! ありがとうね仁華ジンファちゃん!」


 試着してみた空色の衣の袖を見ながら衝立の陰から現れた奉里は、満面の笑みを仁華に返した。


 こんな無邪気な笑顔を他人に向けるなど、仁華にはできない。なんだろう……。すごく……、照れる。

 なんとなく腕が痒い気がして摩る仁華の横で、奉里は自分を鼓舞する。燦々と降り注ぐ陽光の如く、あくまでも前向きに。

 

「でも、こんなに素敵な簪まで――、本当にいいの?」


「気にしないで下さい。北紫薇ほくしびを離れれば、髪の長さが戻るとは限りませんし。川の向こう岸にある知り合いの骨董屋さんから頂いたものなんですが、どうも私には似合わない気がして、しまいっぱなしにしていたので……」

 

 仁華は奉里を小上がりに腰掛けさせると、少しずれているそれを、挿しなおして整えた。棚引く暁雲のような赤髪に、彫金のこれはよく映える。秋空色の衣は自分も気に入っていて、あまり着飾るのはどうかと思いながらついつい手を加えたくなってしまう。

 遊びに行くのではないと分かっていても、仁華は初めて同じ年頃の娘と出かける支度をしていることに、柄にもなく気分が弾んでいた。傍目には大して分からないだろうが。


「あと、これを――」


 仁華は拳二つ分ほどの長さの巻物を渡した。


「護身用の懐剣はすでにお持ちと聞いたので、防御用の〝越境画〟です。広げてみてください」


 言われた通り、奉里が小上がりの座卓上に広げてみると、どこまで広げても同じ景色――広大な砂漠が描かれていた。


丹原タンバラという西閻浮原せいえんぶげんの土地です。何もないように見えますが、地中に鬼魅が潜んでいるので、人はここを通りません。蒐先生が私を拾ってくれたのは、この砂漠の絵を描きに丹原へ旅をしに来た時でした」


「越境画――……」


 奉里はここ数時間で教わった蒐の特殊任務について思い出しながら、作業場を兼ねているという部屋の天井を仰いだ。

 通された時から気になってはいたが、山水画などの掛け軸が数点ぶら下がっている。風もないのにゆっくりと回っているそこには、翠黛の山々や、春霞を染める桃林、なびく白馬の尾のような滝、紅錦を成した湿原などが描かれていた。時おり鳥が横切り、絵の中のものが動いているのが分かる。


「すべて蒐先生が実際に赴いた場所の景色です。真澹しんたんの村人はおおよそが特殊な物品の蒐集家であったり、芸術家を名乗っています」


 蒐は絵師、兼、風景の蒐集家というわけだ。


「〝畵僊がせん〟……でしたっけ」


「ええ。呪力を宿す書画の作者は、そう呼ばれるようです」


「あの絵の中に踏み入れば、界境を無視して、一瞬で現地に越境できるって聞きましたけど」


「はい。ですから、物を転送することもできます。もし、何かしらの攻撃を受けそうになったら、すぐにこの巻物の題名を叫んで下さい。盾として勝手に広がり、槍でも砲弾でも、なんでもこの砂漠に吹っ飛びます」


 被害を受けるのは、ここにいる魔物だけだ。


「……。」


「今回の場合は、王都の李彌殷リヴィアンを描いたものがあれば良かったんでしょうけど、残念ながら南巉なんざんの景色の手持ちは少なく、一番近くても、台求郡という東の農村地帯の絵しかないそうです」


 八年前の国土不毛化とともに広がった魔窟同然の弱肉強食の世界は、現在、皐月の兄・彪将飛叉弥ひゅうじょうひさや率いる花連部隊の健闘があって、一時的に退けられている。だが、鍵を握る重要人物(キーパーソン)である皐月が動き出したことで、休戦状態から俄かに決戦の火蓋が切られる可能性が高まった。


「蒐先生の話では、あと二年――。その間に、敵か、こちら側の大将が倒れることになると考えて良い状況のようですね」


「そ……、そんな」


 仁華は今気づいた。奉里は本当に何も知らされていないらしい。そして、戦場を経験したことがないようだ。

 自分が生まれた西閻浮原の地方都市では、市街で銃撃は日常茶飯事だった。

 人原じんばらに仁政を敷く強国が少なく、単に治安が悪いせいだが、好戦的というだけなら右に出る者はいないだろう花人と肩を並べる世界三大鬼族・塵洞修羅じんずうしゅらが攻め込んできている影響もある――。


「すみません。言い方を間違えました」


 仁華は生活が殺伐としていた経験上、無神経なところがある自分を素直に反省し、青ざめている奉里の背に、ぎこちなくもそっと触れた。

 あと二年以内に決着がつく。だが、片を付けるのは〝こっち〟だ。


「あなたが、今から会いに行く人ですよ。きっと――……。今回の旅が終わる頃には、あの人がどれだけ強いか、奉里さまは安心と確信を得ることができるでしょう」


「――……、ありがとう」


 奉里は確かに太陽である。雲行きが怪しくなれば、たちまち周囲まで暗くする。だが、雲間ができれば、その表情はきらきらとして美しく、むしろ眩しい。仁華はその微苦笑に少しだけ自分のそれを返して、旅支度を再開する。


「野良ちゃーん?」


「仁華ちゃーん」


 表から来客の声が聞こえてきた。仁華が窓から庭を見ると、黒地の衣を着た妖艶な雰囲気の女と、丸眼鏡をかけた青年が手を振っていた。

 蒐が今回の旅に足りないものを、近所に住む彼らに要求したのだ。


綾羅りょうらさんと要朗ようろうさんが来ました。行きましょう、奉里さま」


「え? だ、誰っ?」


「古着屋と、骨董屋の店主です」


 と、いうことは……?

 新たに得た知識がさっそく予測を可能にする。

 蒐と同様、ただの商売人ではない――。

 






     ×     ×     ×




「へぇ~? この子が例の――?」


「そのようだねぇ。いやー、なんていうかなー……、想像してたよりかわいい感じだね、君。小鹿みたいだ」


 両目を糸のように細め、要朗という粗末な半褲はんこを履いた職人風の青年が、なぜか満足げに頷いた。


 意味が分からない奉里は、どことなく怪しい男女二人を前に、笑っていていいのかどうか分からない、中途半端な愛想を維持している。

 

 綾羅という女は口紅がどす黒く、上着も黒い。だが、内側には、あえて継ぎ接ぎにしたような奇抜な衣をまとっていた。

 これが彼女の〝新作〟であることを知っている仁華が、挨拶代わりに一応触れる。


「今日も見事なほど、おどろおどろしいお召し物ですね、綾羅さん」


「あら、そ? これでも、しっかり祓い落とした方なんだけど、まだ何か見える?」


 古物には情念が籠り、曰くつきとなるものが少なくない。その一種である白人依しらとのいに言わせても、綾羅の着物は相当ヤバいのだろう。

 いや、祓除おはらいができるらしい綾羅のニッコリ顔を怖がっているのか……。奉里の足元でガタガタ震えている白人依を、さらに、骨董屋店主・要朗という天敵が追い詰める。


「まさか、蒐でも容易には入手できない〝畵僊がせん由来の鏡竹紙かがみちくし〟が、こんな形で現存していようとは。いや、つくづくお目にかかれて光栄です。奉里嬢」


 と、言いつつ要朗が握手を求めたのは白人依だ。

 白人依は要朗の人差し指に、逡巡しながら短い腕を伸ばして応えた。


 鏡竹紙――。またしても初耳というか、蚕姫から聞いた覚えのない情報が平然と口にされた。

 そういえば、知識を分け与えてくれるこの百科事典的な蚕姫の使役――、白人依は自分自身に関しては、そうとしか語ったことがない。

 奉里は実感した。皐月以外の花人や、その周辺人物と関わるということは、不可視の壁に塗り固められてきたこれまでの日常が、徐々に崩れ行くのを良しとすることなのだと――……。


「お二人とも、見世物小屋に来たんじゃないんですから…」


 仁華に半眼で制された綾羅が、しなやかな手をくたくたと振る。


「はいはい、これでしょ? はぐれ糸――」


「僕は小型の吸いがめ呑仙瓢とんぜんぴょうもあったから、一応両方持ってきたよ」


 礼を言う仁華が、要朗から順に受け取ったものは、どうやらただの骨董ではなく呪物らしい。

 そちらに気を取られている奉里に、綾羅が歩み寄った。

 逸れ糸とやらを通した針で、奉里の袖口を軽く縫い、玉止めをする。


「――?」


 普通の刺繍糸と変わらないようだが……。

 奉里は一寸ほど垂れた赤いそれについて問おうと、目の前の綾羅に視線を移した。


 微笑まれていた。

 

「結び巫女の脈持みゃくじなんだって――?」


 化粧はキツイが、綾羅が注いでくる眼差しは、どこか優しい。


「あ、いや…」


「頑張ってね」


 戸惑いと、妙な気分にふわふわしてしまった奉里が頷けないでいるうちに、二人の不思議な商売人は、手を振って帰って行った。



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