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◍ 渡師と結び巫女の交渉


 北紫薇ほくしびの暦だと今は春なのか、桃色の花木に彩られた谷を、時おり、鶯のような鳥が渡る。

 頭上のあちこちに綱が張られ、籠に詰められた野菜や花が送り合われている。

 どちらの側にいても、苦労がなくて羨ましい――……。





―― * * * ――



 真澹しんたんというところは、渓谷に沿って築かれた細長い集落だった。蛇行する川沿いの低いところや、山肌などに間隔をあけて古民家が建っている。

 看板を出している家が多く、外観は実に個性豊か。家主はどこも、何かしらの商売を営んでいるらしい。庭に酒甕を積み上げている家、染め物を干している家、盆栽であふれかえっている家々が、旅姿の客を迎え入れたり、送り出したりしている。


 渓谷をさかのぼった山際までくると、そこに北紫薇と西閻浮せいえんぶの建築が合わさっているという館があった。

 他の家より高台の奥まったところにあるせいか、人気がなく、少々怪しげ。

 母屋と思われる平屋の右側に、八角形の塔のような別棟が建っている。屋上に緑廊 ※【蔓植物を育てる棚】が見え、弁柄色の外壁一面ごとにある縦長の窓には、柳色の暗幕が垂らされている。金の房飾り付きで、確かに東扶桑ひがしふそうの庶民の家では見ない設えである様子。



「あなたが〝しゅうさん〟……、ですか?」


 奉里まつりが一応尋ねたのは、違う気がしながらも、そうである可能性が捨てきれないからだ。遠路はるばる目指してきた皐月の手足しゅそく――蒐の家は、ここで間違いない。と思う……。※【手足:直属の部下】

 だが、玄関の引き戸を開け、応対してくれた相手は、白っぽい金髪をまとめ上げた十七、八の女だった。

 目が少し吊り上がっていて、女は奉里に付き添ってきた青年を睨んでいる。

 わけが分からず、奉里はとりあえず思いついたことを口にする。


「わ、わ私っ、東扶桑ひがしふそう八曽木里やそぎざとというところから来ましたっ、奉里と申しますッ。ええーと~、ききっ、きれいな髪色ですねッ!」


「染め直したばかりなので」


「へ? あっ、ああ! なるほど! そそっ、そうなんですか~」


 踏み台回りの履物をそろえ、奉里を招じ入れる準備をしながら、女は大きなため息をついた。 


「どーゆーことですかー? 蒐先生~」


 奉里は固まった。


「蒐先生? ぇええっ…!?」


 どういうことだ。女が蒐と呼んだのは、ここまで案内、兼、護衛を買って出てくれた通りすがりの命の恩人――もとい、恩鬼人。


「あらためまして、はじめまして」


 変な挨拶をしながら、自称〝蒐の友人〟だった青年が背後から進み出てきた。


「鬼は鬼でも一応人間に溶け込んでいるつもりでいます、花人の蒐です。今はうてなの特別な許可を得て、絵師を本職にさせてもらってます。そいつは使用人の仁華ジンファ。以後お見知りおきを、奉里嬢――」


「〝嬢〟……?」


「はい。あなたは大國だいごくさんの養女になってます。勝手に」


「ナゼ…っッ!?」



 *――や~、家事洗濯、料理、年寄り、子ども好きの世話焼きなんて、

    若がお嫁にしなくても、例え仮でも、

    自分の娘にしたくなっちゃうだろぉ~

    うちの娘は〝娘〟ってか、半ば反抗期の息子だし~



 おのれ大國……。は、さておき。もっと早く気づくべきだったのかもしれない。奉里は蒐の様相をあらためて観察し、徐々に合点した。

 色白で美青年だとは思っていたが、容姿端麗なのは花人の特徴の一つだ。

 頭に撫でつけた黒髪を首の後ろで適当に結び、ほずれた一房が右頬に掛かっている。これで煙管片手に着崩していたら、花街を歩きなれた色男にしか見えない。

 瞳は熟す手前の葡萄の色。赤紫だ。金の耳輪をつけていて、肩に画材のようなものがはみ出した背負い籠を掛けていた。


「いや、すみませんね。射曾猿いぞましら一族経由だって時点で信用はしていたんですけど、何せほら、〝その髪〟――」


 結び巫女の印だから。


「関わって大丈夫か、ちょっと様子見させてもらってたんですよ」


「ああ」


 奉里は思い出して納得の声をもらした。


「縁結びの異能を持つ人間なんているんですね――……。びっくりです。まさか、自分がその一人だなんて」


 奉里は外套の頭巾を取りつつ、その場しのぎで簪にしていた木の枝を抜き取る。


 仁華は瞳を揺らすほど目を瞠った。

 奉里が肩に垂らした髪は見事な朝焼け色で、うねりが強く、膝に届きそうなほど長かった。美しいという一言では圧倒的に足りない、独特の存在感を放っている。人間ではないような――……。


 ふと視線を注がれていることに気づいた奉里は、仁華に向き直って苦笑を浮かべた。


「こっちの世界に来る前までは、もっと短くて栗色っぽかったんですけど……、さすがに奇抜すぎます…、よね」


「……――いえ、そんなことないですよ」


 仁華は目をそらすと、今となっては笑い話の思い出を語る顔をした。


「私も本当は黒髪なんです。でも、前髪の一部だけ生まれつき金色だったので、表を出歩くときは人目を避けていました。〝余種〟だとバレたくなくて…」


「よしゅ……?」


「蒐先生が、挙動不審なほうが目立つと言うんで、それもそうかと――……」


 初めは落ち着かなかったが、むしろ派手な髪色で堂々としているほうが怪しまれないと分かった。少なくとも、避けて通られることはなくなった。


「お前は乞食を通り越して、ドブから生まれた疫神みたいな格好してたからな。拾ってやって、風呂に入れて、それなりにかわいくしてやった先生に感謝したまえ」


「少し黙ってて下さい」


 ぴしゃりと蒐を突き放した仁華は、またため息をつく。


「奉里さま……で、よろしいですか」


「えっ? ああっ、呼び捨てでいいです全然!」


「あたなの場合は気にしなければ済む問題じゃないなら、染めるの手伝いますよ、髪。この〝ろくでな絵師〟を訪ねてくる人は皆訳ありです。立ち話もなんですから、まぁ、どうぞ」


「どーぞ、どーぞ」


 さっさと廊下を歩いていく仁華に続き、蒐も真顔で勧めてくる。どっちが主で使用人か分からない……。

 蒐は飄々としていて、ちょっと皐月に似ている気がした。

 ここにたどり着くまでの間に、自分の素性は明かしたが、案内してくれた彼が蒐本人と知らなかった奉里は、蒐という絵師に会う必要があることのみ訴え、会ってどうするのかまでは話さなかった。

 大國を知っているということは、ある程度、皐月の事情も把握している花人ということになるだろうが、それでも、皐月が東扶桑の秘境と言っていい山奥に暮らしてきた経緯は複雑だ。

 なんとなくしか理解できていない奉里は、腹心であってもごく一部の者しか知らないらしい件につて、どう尋ねていいか、逆に尋ねられたら、何をどこまで素直に答えていいか、まったく分かっていないのである。

 その問題にいよいよ直面した今、再び不安がこみあげてきた。こんなことではいけない。

 懐から蚕姫さんひめの文と、八重菱揚羽の鱗粉を包んだ手巾を取り出し、奉里は決意を新たにする。

 皐月が華瓊楽カヌラで何をしているのか――、そもそも何を背負ってきたのか。

 今までなんとなく遠目に見てきたような現実を、いつかはちゃんと目の当たりにするべきだと思っていたのだ。


 皐月の〝本当の姿〟を、この目で、確かめたい――。






   ×     ×     ×



「無理ですね」


「ぇえ…っ!?」


「無理です」


 しゅうは身を乗り出され、手元のお茶をひっくり返されかけても平然と断言を重ねる。


「目ぇ潰されて終わりっす」


 怖。

 お茶を出し終えた仁華ジンファは、二人が向き合っているしょうの小上がりから少し離れたところにある丸椅子に腰かけた。

 ここは八角柱型の別棟にある蒐の作業部屋、兼、客と取引をするための応接間だ。とにかく物であふれかえっている。掛け軸の素材や、札を付けて筒状に丸めた画などが、壺に突っ込めるだけ突っ込まれ、棕櫚竹しゅろちくなどの鉢植えと一緒に集め置かれている。

 小さな座卓を置き、衝立や棚で囲った小上がりは、とりわけ大きな窓際にあって、外の景色を風景画のように眺められる。

 蒐の故郷である萼の家――というより、籍がある〝奥庭〟というところに似た内装なのだそうだ。

 そこには天壇なる中庭に大樹が祀られており、〝奥王〟という主が君臨している。

 通称〝筆頭〟として蒐が敬い恐れているこの人物と、奉里が〝皐月〟と呼称している人物は、話を聞くに同一人物であるらしい。

 だが、仁華は一つ引っかかっている。自分が知る限り、〝筆頭さま〟は蒐と同世代か、少し年嵩の青年。あくまでそういう印象を抱いた、というだけで、素顔を見たわけではないが、彼が行方知れずとなる以前に何度か会った印象では間違いない。

 筆頭さまは間抜けなところがあって、蒐が呆れながら世話を焼いていた様子からすると子供っぽい人に思えたが、二人で話し出すと蒐の方が明らかに甘えていた。ちょっと驚いた記憶があるのだ。

 対して、奉里が不安を混じえながら一生懸命に語る〝皐月〟は、方向音痴で三才児並みに手先が不器用。出不精。どんくさい十代半ばの少年。

 にわかに信じられない。筆頭さまはおそらくだが、蒐よりよっぽどいい男だと思ってきた。

 いつも花草文が彫刻された黒い仮面を付けていて、右手の人差し指であご先部分を少し押し上げ、音一つさせず茶を口にしていた。

 のぞき見えたその薄い唇、女のように白い肌、すらりと長い指だけでも、思わず見惚れてしまうほど人形のように端正な造作だった。

 苦笑されて我に返った仁華が小首を傾げると、筆頭さまの仮面が優しい声を発した。



 *――仁華、そんなに心配しなくても、お前が出すお茶は不味くないよ――……



 まだ蒐に使用人として雇われたばかりで、確かに、お茶をふるまうのもやっとだったが、仁華が見つめていたのは、茶の味に不安があったからではない。恥ずかしくなった。

 頬が熱くなってうつむくと、筆頭さまは、それをまた薄く笑った。 



 *――あの――……



 仁華は、自分などが蒐と暮らしていていいのか、野守のもりの花人に関わっていいのか、心のうちに抱えてきたモヤモヤを吐露した。

 〝奥座衆〟や〝野守〟は、普通の花人とは違うのだろうと。



 *――そうだな。まぁ、でも――……



 筆頭さまが返してくれた答えと、この現状は矛盾している。

 奉里には、当てはまらないということなのか――?







「いやいや。だって。奉里嬢」


 必死に食い下がる奉里に対し、蒐も必死になっていた。


「それは俺に死ねって言ってるのと同義ですから。ようするに偵察したいわけでしょ? あの人の指示に背く片棒を俺に担げって話でしょ。死にますよ俺殺されますよ。あの人ああ見えて普通に鬼ですからる時は殺る。東扶桑ひがしふそうに隠れ住んでるって知らされた時、めちゃくちゃ念押されたのに、約束破って無暗に首突っ込んだらどうなるかー…」


「大丈夫ですッ! いざとなったら、私が体を張って蒐さんをかばいますからッ!」


「いやいやいや。確かにそれなら俺が拳骨食らわされて頭蓋骨陥没の重傷を負う可能性は減りますけど、あの人の攻撃力は物理的な範囲にとどまらないんですよ。本気で叱られたことあります? ないでしょ。一か月くらい涙止まらなくなりますからね。色々な意味で」


 怖。

 どんな絞られ方をしたらそうなるのか、想像がつかないその様子を想像すると怖い……。半眼の仁華が黙って見守る中、蒐は呆れ交じりに、ふと真剣な顔をした。


「今に分かりますよ、奉里嬢。あなたが知っているのは、あの人のほんの一面に過ぎない」


 そもそもなぜ、大人しく待っていられないのだ。すぐに帰ってくると言われたのだろう――?


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