◍ 紅桃港の門神
「これはこれは、珍しいこともあるもんだ――」
柱に羅帳が寄せられ、天井から簾が下りている大空間で、鬼神が振り返った。赤紫の髪を結い上げ、上級武官の格好をしている。吊り灯篭の明かりに、薄く笑うその美顔が照らし出された。
「お前が来るということは、おおよそ世界樹か、鬼怖木の件だろう。飛蓮彪将――」
絨毯上に、白虎が伏せている。大人しいそいつを繰り返しなでながら、左にいるもう一柱の鬼神が言った。
当代、神荼と郁塁の名は、破軍星神府において役職名になっている。そして、その務めを担う二神は肉親でない場合も義兄弟の盃を交わしており、息ぴったりの良い仕事をする。まさに掛け替えのない相棒だ。
ここは紅桃港にある役所・中央検罪庁の奥深く。
切り石が敷き並べられた大神殿の赤い柱ごとに、大きな枝垂れ桃の鉢植えが飾られている。
神仙の周囲に季節の移ろいはない。
彼ら自身が春夏秋冬、それぞれにちなんだ風情を纏い、留まる所、行く先々にその余波を齎す。二神は見上げ切れないほど高い扇門※【観音扉の門】の両脇にて、この日も花見をしていた。頭上の闇にそびえたつその扉には、桃の木で作られた閂が掛かっている。
不法入界移民を強制送還する界口である。ちなみに、命の保証ができない過酷な帰路となるらしい。刑罰を兼ねて。
白虎とじゃれている神荼――、黒鬚を生やした緑功が続ける。
「各地の鬼怖木を痛めつけて歩く不届き者がいるのだろう――? 初めて知らされてから二か月が経った。悪い方に進展していることは、地中の天網を介して、按主らも皆、察している。そろそろ決定的な情報が欲しいと思っていたところだ」
黒同舟が関係しているのか否か――。
訪れた飛蓮は執務机の手前で立ち止まり、答えた。
「まだ調査中だが、目星はついている。下手人がそいつで間違いないなら、黒同舟に与している可能性は否めない」
共に進み出てきた唯だが、到底聞き捨てならないことを、今、さらりと聞かされた。
まったく想像していなかったわけではないため、やはりこうなったか、と荒々しく舌打ちする。
後手後手の鼬ごっこを何度繰り返してきたことか。
まただ、とうんざりされているように思いつつ、飛蓮は嫌な顔をしなかった。落ち込む様子を見せるでもなく、それだけで傍目には、両者の間柄が相変わらずであると分かる。
唯には蓮尉やづさと内通している疑いの他にも、飛蓮をいけ好かなく思う個人的な感情と、信用出来ない事情があるのだ。
郁塁――蘇温はため息をついた。
「ちなみに、星は誰だって言うんだ? 妙な粉を使うと聞いているが…」
「髑髏の宋愷」
「そうがい?」
唯が細い眉の片方をつり上げる。――はて、誰であったか。その男の名を記憶の引き出しから見つけ出すのは、そう難しくなかった。唯はガバリと飛蓮を見上げた。
「お前ッ、そいつはもしや…っ」
「とんでもない裏がありそうな気がしてきたな」
緑功も宋愷が何者か思い出すと同時に、舌打ち顔をした。
「だから、まだ何も断定はできない。〝鬼怖木枯らしを一番の目的にするような奴じゃない〟からだ」
宋愷の手法を借りて、もしく真似ることで、誰か別の人物が引き起こしているか、あるいは、宋愷自身が余興や撹乱のために繰り返しているか。
「黒同舟とはまったく関係のない案件か――」
いずれにしても、警戒すると同時に情報集めを急ぐよう、各地の神木の守護者たちに呼びかけてくれ。
「承知した。港以外の場所での荷物検めも、今以上に徹底させよう。唯、頼んだぞ」
「は」
緑功の命には、別人のように畏まる唯である。
巷で起きる事件事故の調査は、艮・巽・乾・坤旗営がその他各番営を統括し、中でも艮坤の権限は広域に及ぶ。都を二区域に分けた際の北部が艮、南部が坤の管轄で、裁判・監察・検察組織を抱える邏衛軍の実働部隊を占めている。関所や城門など、通行の要所を守るのも邏衛武官だ。
これ以外に情報収集を得意としている組織といえば、台閣の権力者たちが養っている〝匕仙房〟――。
だが、その構成員らは主人と首領の命令が第一。
何より、やづさとの諸々が明らかになって以降は、やはり、飛蓮たち対黒同舟花連を、歓迎できた傭兵ではないと見なしてきた。唯をはじめとする邏衛武官らの感情的な敵対視と違い、こちらは本気で真実を見抜こうとする眼差しを注いでくるから、余計に面倒くさい。
「匕仙房の上には〝遊神〟がいる。最近の連中の動きはどうだ」※【 昼遊神・夜遊神:それぞれの時間帯に人間の善悪を見て回り、悪事を犯した者に対しては凶神となる 】
「さて。私たちは往来を管理する門神。あれらの動向が知りたければ司憲府を訪ねるか、その辺で諜報活動中の珠聯追に聞いてくれ」
「……仕方ない。なら、そっちにもあとで顔を出すとしよう」
「そのきれいなツラが汚れるものを、投げつけられないよう気をつけな」
澄まし顔で嫌なことを言うのは唯だ。
飛蓮はぐっと堪え、半眼でにらみ下ろす。
「あんたたちほど子供じゃないから、大丈夫だろ」
「喧嘩を売り返してくるなんて、立場を弁えないところはさすがと言うべきか。華瓊楽にも萼にも、半ば死んで詫びるしかないくせに」
「そのセリフ、近い将来、後悔することになるぞ。俺は恥じるようなことなど何もしてないし、一度仕留めると決めた奴は必ず…」
「よくもまぁ、いけしゃあしゃあと…」
「口喧嘩や皮肉で俺に参ったと言わせたいなら、顔を洗って出直してもらおう。〝もっと強烈にやり返してくる奴〟を知ってる――。そいつと張り合ってきた末に、受け流す柔軟性を得た俺の理性、舐めるなよ」
「そんなのは、負け犬が身に着ける才能だ」
「……。その辺にしておけ、唯。それ以上言うと、花人自体の侮辱になる」
「確かに〝萼の白い激昂〟なんてあだ名がついてるにしては忍耐強いよな、お前。哀れなくらいだ」
「~~……。」
蘇温は美顔だが童顔で、ちょいちょい小馬鹿にしてくるからムカつく。弟というのは、何処もこういうものだろうか。
飛蓮は思い出した。
「――ああ、そうだ。ついでに言っておくが、俺とよく似た男が、しばらく巷をうろつくかもしれん」
「は? なんだそりゃ。新手の詐欺師か何かか」
唯は飛蓮の口から出ることすべてが信じられないのか、笑って、まともに取り合わない。冗談みたいな本当の話なので、飛蓮は続ける。
「俺に成りすまして不届きな真似をしていたら、遠慮なく取っ捕まえていい。ただし、拷問は効かないから、そういう無駄なことはしてくれるな。まあ、明らかに年下に見えるだろうから、実際には一瞬、化かされた気になるだけだと思う。あと、どこかの現場で偶然かち合ったりしたらすまん。鼻が利くが、畑の境目がわからない盲人だから、あらかじめ謝っておく」
誰の畑だろうが、屋敷だろうが、構わず土足で踏み入る奴など、おおそよ盗人か、あるいは――、鉄槌神の類しかあるまい。
緑功はそう検討付けるや、想像したその姿を頭の中から打ち消し、話題を変えることにした。
「そういえば、邏衛にも気がかりな近況報告があるだろう。最近、妙な鬼の目撃情報が上がっていると聞いたぞ? 唯」
「畑荒らしの〝片目野鬼〟のことですか」
以前から地方で噂にはなっていたが、一月ほど前、はじめてその姿を間近で見た者が現れた。
李彌殷を囲む穀倉地帯である四補領の一つ、東の台求郡にて、芋畑を管理していた農夫だ。
岩場だらけの島育ちである彼は、八年前の大旱魃を機に、故郷で冬場の保存食にしていた芋の収穫を増やそうと、畑を広げていたのだが、乱髪で半顔を隠した鬼人が、畝を踏みしだいているのを目撃。その背丈はおおよそ十尺で、遠目ながら腰を抜かした。だが、前日にも被害を受けており、害獣の仕業と思って村の男衆と見回り中のことであったため、皆して果敢に立ち向かったそうだ。なんとか、森へ追い払うことはできたらしい。
「その他にも、最近顕著な樹木の急激かつ異様な変貌や、野生動物の凶暴化などについてだが――、今いくつ把握している?」
唯に横目で見られた飛蓮は、あごに手を添え、考え事をしながら答えた。
「今月で二件追加。計八件」
「なら、もう一件追加だ。非常に手間だが、あとで資料を送ってやる」
「……。」
「ついでに、地方の山岳地帯でのこと。関連があるとしても確かめに行くのが面倒だから、この調査権は花連に譲ってやろう。ありがたく思え――」
「…………。」
唯は緑功と蘇温にきちっと一礼し、さっさと神殿から出て行った。
蘇温が歩み寄って、飛蓮の肩をポンと叩いた。
「無理するなー。人間なんかに成りすましてないで、嫌になったらいつでも神典に籍を戻せ」
「――……」
後ろで見ている緑功には、飛蓮の沈黙の意味が分かっていた。
そう簡単に言ってやるな、と蘇温を窘めたかったが、あくまで飛蓮が黙っているので、なんにせよ無闇に口出しすべきではないだろうと自制した。
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