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払雲花伝《花咲かす鬼王、連理の枝を成すまで》  作者: 讀翁久乃
✥ 第二鐘 ――――――――――――――――――――――
43/53

◍ 紫の花に訪れる客 謎のオッサンに見初められる


 数十分前――。



「おぉ! ようやく参ったか」


 手を挙げた武溪ぶけいの第一声は飛び抜けて明るく、知り合いを見つけたような調子だった。


 さも、当然のように出迎えられ、紗雲シャユンは眉をひそめた。宵瑯閣しょうろうかくの構造は吹き抜けで、各階は大広間の宴会場となっているが、どれだけ偉い人物だというのか……。どんちゃん騒ぎとは完全に距離を置き、武溪はぽつんと一人、しょうの上に胡坐して待っていた。

 

「どうした? 早くこっちへ来い」


「紗雲ちゃん、大丈夫よ。この方はお酒を飲むがてら、あんたとお話がしたいだけなんだと」


 芸は売っても身は売らない。女将は嘉壱と交わした契約条件について懸念していると思ったようだが、紗雲が半眼で躊躇っている理由は別にあった。


「では、武溪様。ごゆるりと」


 下がる女将に「おう」と軽く返事をし、武溪が一方的に話し始めた。


「紗雲ちゃんかー。すっかり気に入られているようだなぁ」


 なんと返せばいいのやら……。紗雲が黙っていると、武溪は何やら思い出した顔をして、傍らに用意していた硯箱(すずりばこ)を引き寄せた。


「ほれ。これに返事を書いてよこせ」


 とりあえず歩み寄って腰を下ろした紗雲は、非常に微妙な面持ちで、その半紙と筆を受け取った。



  *   *   *





 〝何が違う――?〟 と



 書いて見せられた武溪は、話題を変えることにした。

 挨拶代わりに、一昔前までこの王都が誇っていた花天月地の様子を語ってやったのだが、失われたその景色に思いを馳せ、つい肩を落としてしまった。今は違うと。


 何が違うかを挙げだせば、きりがなくなる。相手には文句のように聞こえるだろう。

 あれもこれも、先代とは違う。先代は――……、などと。そんな話に花を咲かせたくて来たわけじゃない。

 一つ大きく息を吐いて、武溪は声色を陽気にした。


「――いや、それにしても〝月嬌の紗雲シャユン〟とは、なかなか優美な珞名らくなだな。まさに花天月地に舞う天女だ。だが、まるで風にそよぐ優美な藤の宴でもてなされているかのような――……、お前には、そんな濃密で軽やかな趣も感じる」


 どうやら武溪には、紗雲が挿している簪が藤の花房に見えているらしい。言われてみれば、女将が用意してくれた天女のような衣装は淡い紫。領布ひれはまさに藤色。

 だからなんだと、紗雲は黙って受け流す。


華瓊楽カヌラの珞街で遊ぶ男たちは、気に入った娘に、こぞってより相応しい愛称をつけたがるものでな。花案で優勝となれば、自分の審美眼が本物だと誇れるし、他に差をつけて、いっそう顔が利くようにもなる。もしお前が妓女と肩を並べることがあれば、その時は〝紫蕤賓シ・スイヒン〟と名乗るのが良いだろう」


 蕤賓は華瓊楽カヌラの雅楽などに用いられている十二律でいう、七番目の音名だ。〝すい〟は草木の花や葉が、しなやかに垂れさがる様を表している字。〝賓〟は客を接待する賓礼の〝賓〟――。


  武溪は杯を持つ手の指を、紗雲の簪から横髪に滑らせた。顔の輪郭をなぞるような触れ方をされても、紗雲が冷たい表情のままなのは、武溪が言わんとしているのが、自分の正体に迫ることだからだ。


「ついでに〝蕤賓すいひん〟とは、この国における五月の異名でもある。知ってるか――? 紫系の花は、総じて、植物のくせに恐ろしいほど頭が良い……」


 花弁が壺型で、誘い込むように模様が入っている場合が多く、それを読み解き、蜜を吸いに潜り込める虫を、これまた頭の良い蜂などに限定している。

 蜂は後ろ向きに這い出ることができる上、色形の好みによらず、確実に同じしゅの花へと花粉を運んでくれる。

 花からすれば、受粉を確実に成功させるために必要不可欠な上客。紫の花は、客を選別しているということだ。


「一流の妓女のようだろう? 遊ぶ相手にも、それ相応の教養を求めるところが……」 


 紗雲は再び筆を滑らせようとしたが、



「返事はいらない。面倒なら、いい加減、口で話したらどうだ? 〝狸小増〟――」



 沈黙が訪れた。だが、武溪の目には果たして、紗雲が驚いているようには見えなかった。

 案の定、妖艶だった紅唇が、下卑(げび)た笑みにつりあがった。


「……気づいてたなら、早く言ってよね」


「お前だって気づいてたんだろ――? 俺が〝男〟だと知っていると。ああ、ついでに言っておくが、俺は野郎に興味があるわけじゃない」


「分かってるよ。正確には男だってこと以上に見破ってるよね。あんた……〝皐月(おれ)〟になんの用?」


「正直に話せば、その妙な薬を盛られずに済むのか――?」


 皐月は、自分の右袖に視線を落とし、何食わぬ顔でそれを懐に納めなおした。


「同僚から貰ったんだよ。仕事柄、色んな危険が付きまとうもんでね……」


 万が一ということもあると、嘉壱に持たされた通りの意味合いで言えば、武溪には確かに不要な代物かもしれない。女の紗雲にも、男の紗雲にも興味がないのだから。

 それでも、警戒心を解かない理由は一つ――。皐月は、あからさまに声を低くした。


「まぁ、あくまでこれが必要ないって言うなら……、大方、壽星台閣上層の梟者きょうじゃ※【刺客・諜報活動を生業にする者】か何かだろ。俺がどういうつもりで華瓊楽カヌラを訪れたか、探りに来た?」


「当たらずしも遠からずだな」


「今更とぼけるなよ? ワザとらしく()()()とか()()のうんちく並べといて、人の正体あばきにきただけです、なんてあり得ないだろ。あんた誰――? 敵じゃないなら、なに企んでんの……」


 研ぎ澄まされていく眼光を横目に、武尊はふっと笑みをこぼした。


「企んでなどいない。ただ一度、じっくり見てみたかっただけだ」


「見てみたかった?」


「ああ、噂の舞姫殿をな――?」

 

 もっと早く気付くべきだった……と、皐月は後に舌打ちすることになる。

 酒をあおり「美味い!」と、今日一番、満足げに言って笑った武尊は少年のように無邪気で、


 ある “人相” に当てはまる顔をしていた――。 


 だが、この時は単に、鼻筋が通った面長の男。切れ長の目をしているが、話しぶりは和やかで、

 豪商の気質というよりは豪傑肌――、としか、思わなかったのである。


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