◍ 接触を試みる者たちのあの手この手
自分はとんでもない〝化け者〟を生み出してしまった……。
月嬌の紗雲――
音は聞こえるが喋れないという唖者でありながら、今や旧瓔珞院の常連まで夢中にさせている。彼らが俗人に揉まれるのを厭わず観覧するなど異常だ。
すべては紗雲の
もとい、皐月の素質が想像以上に開花してしまったせい。椿油を塗って寝ぐせを整え、紅を差した彼は美し過ぎた。黙っていれば女にしか見えない。
*――神様のアホが嗚呼ああぁぁぁ…っ!!!
仕上がりを初見した時、嘉壱はその場に泣き崩れ、床を殴打しまくった。こいつが女体を授からなかったのは、天地に起きた立派な悲劇だと思った。
それから三日が経ち、紗雲の芸達者ぶりは、想像以上の人気を集めている……。
「あらま、嘉壱さんじゃない」
振り返ると、中年太りにもほどがある体系の酌婦が笑っていた。腹回りはもちろん、髪を団子にしている頭の先まで、積み重なった大福のように見える。
これでも立派な宵瑯閣の稼ぎ頭。笑い上戸の元、蔓垂八艶。
「なんだ、妙馥さんか」
「妙季でいいって言ったろ? この間は悪かったね。大したこと教えてやれなくて」
妙季は結局、宵瑯閣に通っていたという康狐仙の知り合いについては、よく知らなかった。代わりに、紗雲が男であるとバレないよう便宜を図りつつ、宵瑯閣の一角で面倒を看てくれという嘉壱からの頼みを快諾した。
従業員用の部屋を完備しているここは、元来酒楼ではなく、〝客桟〟だったのだ。※【客桟:旅人の休憩所。宿泊せず、飲食のためだけに訪れても良い。役人を宿泊させる国営からはじまり、その後、身分問わず利用できる民営も栄えた】
「皐――、じゃない紗雲ちゃん! 見立て通り、あっという間に珞街一稼ぐのも夢じゃない女になったねぇ!」
「……いや、それが、そう浮かれていられる状況でもなくってだな」
「やっぱり? なんか、今朝は調子が悪そうだったんだよ。呼んでもなかなか部屋から出てこなくてさ、昨日のまかないに食中り起こすようなものでも入ってたのかと心配で…」
嘉壱はそんなことよりも、目の前の現状が気が気ではない。
蠱惑的な妓女や、はしたない真似もする酌婦らと違って、紗雲は白粉と髪飾りの生花から、侵しがたい神聖な香りを発している。少なくとも、大衆向けの翠天平にいるはずのない上玉――、にしか見えていない各権力を誇る兵たちが、残酷な真実を知る由もなく、今日も紗雲争奪戦の火蓋が切られる瞬間のため、腕まくりをして身構えている。
紗雲に命じていいのは酒、囲碁、将棋の相手と、舞、曲芸、奇術などの座興のみ。それだけでは物足りないのだろう。いかにも家妓を欲していそうな官僚風の男が、ついに越権行為に踏み切ろうとしている様子。宝飾商らしい福耳男も、家人になにやら耳語され、したり顔でニヤついている。裏で女将に金を積んだのかもしれない。
マズいマズいマズい…っ。嘉壱は舞台上に視線を戻し、護衛としての責務を果たす覚悟を決めた。作戦中止だ。こうなったら俺が、横からあいつを掻っ攫うしかねぇ…ッ!!!
舞い終わった紗雲が恭しくお辞儀する後ろを通り、女将が舞台袖から運んできたあるものをドン! と置いた。花台の上に乗った花鳥柄の壺だ。
待ってましたとばかり、酔いしれていた男たちの目に闘志の炎が宿る。
「本当のお楽しみはこれから、これから。さてッ! もうすっかりお馴染みとなりました、〝宵瑯閣式投壺〟のお時間です!」
投壺とは元来、金属製の壺に矢を投げ入れる遊戯で、矢の入り方、入った本数の合計点を競い、負けた者が罰杯を飲まされるという決まりだ。宴会の余興として知らない者はいないが、〝宵瑯閣式〟というのが気を付けなければならない点。
「いざッ、陣上に勝負!!」
女将の合図で、総立ちとなった男たちが、一斉に五千金瑦分の銭を詰めた袋を投げ始めた。
「ぅぉぉおおおお!! 今宵こそおおお……ッっっ!!!」
雄たけびまで上がっている。どんなに霊験あらたかな神の賽銭箱にも、ここまでこぞって金品が投げ込まれることはない、ある意味恐ろしい光景……。
壺の中に、自分の名を書いた銭袋を一番多く投げ入れることができた人物が、紗雲を侍らせる今宵の王様なのだ。ちなみに外れた分も含め、返金はされない。
しばらくして、この遊びを考えた金の亡者、女将が壺の中身を数え始める。
「崔弁様、十二――」
頬かむりをした嘉壱が、人攫いになる準備を整えた時だった。
「――武溪様」
最後に呼ばれた男が、隣でおもむろに手を挙げた。
「二十」
誰。
…………振り向いた嘉壱は絶句し、金にものを言わせて小細工をしたはずの福耳男、崔弁もあごを外した。
壺の中には、崔弁が事前に仕込ませた銭袋を上回る数のそれが入っていたのだ。
「あははは。やー、練習した甲斐があったな~」
武溪と言うらしい男は、右肩をぐるぐる回して、あくまで正当に投げ銭した結果を装っている。
黒塗りの丸い眼鏡、緑の上等な絹衣、ドジョウひげ……。という、いかにも胡散臭い様相のオッサンだが、宝飾商で財を築いた崔弁を軽く蹴落とすとは……
「むふふふ!」
正体を知っているらしい女将が、狐顔でほくほくと笑っている。舞台上の紗雲は、その背に呆れの眼差しを注ぎながら舌打ちしていた。
罠を張ったはいいが、彼女という網に綻びがあったせいで、どうやら〝変なの〟が掛かってしまったようだ……。
◍【 桃の木が語る南壽星巉 】
珠簾に彩られた二人きりの空間で、静かに酒を注ぐ音が繰り返される。
壁の一辺が円く抜かれた亭のような一室。時おり吹き込む穏やかな夜の風に、羅帳が揺れる。
屋上に設けらえた観月台だ。女将の取り計らいで貸し切りにされた。
「……天外宮所蔵。『南巉壽星神典』曰く――」
昔々、海上に育った奇桃の下に、神荼と郁塁という兄弟神が住んでいた。
桃の実には長寿を得る力が宿っており、木の上には金の鶏がいて、太陽が出ると鳴ないた。
幹は曲がりくねって三千里。鬼たちは、北東に枝垂れていたその枝を潜り抜けなければ、人間界と霊界とを行き来することができないため、二神の検閲を受けざるを得なかった。
ここを〝鬼門〟と称した。
神荼は左側にいて銀の甲冑姿、手に戦戟を持ち威風堂々と構え、郁塁は黒い陣羽織を羽織り、手には何も持っていないが、右側にいて泰然自若。巨大な白虎を従えていたという。
悪鬼を捜し、捕らえることに長けていた二神は、鬼が民百姓を虐げたと知ると虎を使ってこらしめた。
この伝説にちなみ、華瓊楽では春になると、人家の門扉にも桃の木板で二人を象った魔除けの護符を貼る。
鬼怪が嫌う花木の数ある中で、桃は〝鬼怖木〟の代表格と言っていい一級の霊木なのである――。
武溪は微笑を浮かべた口に杯を運んでは、語り部を続ける。
「壽星台閣の神官たちによれば、南巉の世界樹は桃の木以外、あり得ないとされてきた」
それは、この世界の地盤が四大巉の中でもとりわけ濃い瘴気と時化霊に蓋をしているからだ。その上に築かれた人の世だから、ここを〝琉蓋界人原〟と称す。
〝琉〟は邪気を払う七宝の一つ。この蓋に根差した壽星桃と一対で、地下の不浄を抑え、崩壊を来す老朽化を防いでいた。
「だが、今は違う――」
これを聞き、筆を手にした紗雲は、質問を紙に書く。
〝何が違う――?〟 と
お酌をしてきた大人しい顔を豹変させ、不敵に笑って見せた。




