◍ 芸事と招財の才
本当に火が付くと思わなかった。
いや、付けてやるとは言ったけど……。
―― 九月二十六日・酉の中刻 ――
皐月の護衛をするようになって数日後。これは、嘉壱の心の声である。
幻想的な弦楽器の音色に浸る酒席前の舞台で、〝月嬌〟とあだ名された天女が舞っている。それを微妙な気持ちで眺めていた。
薄紗の被帛を腕に絡め、緩慢な動作をする時はそれで半顔を隠す。伏し目がちで愛想がいいわけではないが、まるで雲間から顔をのぞかせる月のようだというわけで……。
周囲の男どもは、彼女に熱い視線を送っている。なんだったら、酌婦たちまで楼閣の吹き抜けから身を乗り出し、見惚れているという状況。
琵琶や琴をつま弾いている楽師たちも、半ば上の空と見える。
嘉壱も立ち見客の一人であったが、
「紗雲ちゃん~」
上等な装いをしている周囲のオヤジたちが、酒気混じりの甘い溜息をついているのをチラ見して、だんだんヤバいと思い始めていた。
自分が天下の大罪を犯した気がしてきたのだ。
紗雲の正体を伏せたまま人気に
いや――、お偉いさん方の張愛妬にまで火をつけてしまった、大放火犯としての罪である……。
◍【 狐探し、の前に寝床探し 】
―― 九月二十三日 ――
話は、皐月が来訪したその日の晩に遡る。
飛叉弥と酒を飲み交わした後、皐月は、例の宵瑯閣に行くと言い出した。
目当ての妙馥という酌婦はほぼ連夜出勤するらしいことから、飛叉弥も嘉壱も今日は休むよう勧めたが、皐月は萌神荘に自分の居場所などないと――
「どこに寝ろってんだよ」
「部屋はもちろん寝台も沢山ある。一時は療養所の役割を果たしていた邸だと言っただろう。床座で過ごしたいなら、板の間に布団だって…」
「ヤダ。適度に広くて狭くて、ごちゃごちゃしてて、明るいけど薄暗い、ひっそりした離れの個室じゃないと安眠できない俺の面倒くさい性質忘れたの」
「~~……、自分で面倒がっていれば世話ないな。急に来るから今日中には用意できなかったが、明日には…」
「いいよ無理に設えなくて。朝まで帰れないつもりで来いって言われたし、どうせだから宵瑯閣で過ごさせてもらう」
「おいコラッ」
飛叉弥の呼び止めも聞こえないふりで、皐月は萌神荘を出た。
*――あの男には気に入られないよう、気をつけなさい……
夕食前、薫子にそう忠告されたわけだが、嘉壱は結局その男――皐月に再び付いて歩くことになった。
好かれないよう気をつけろとは……
どういう意味だ?? という低次元で思考がぐるぐるしている。薫子はなんにしても上から目線だから困る。自分は華冑王家の花園に植え替えられただけの野中出身なのだから、禁園絡みで何か事情があるなら、もう少し噛み砕いでくれないと分からない。
まさか――、いや……まさかな。と視線をさ迷わせた末、嘉壱は上目遣いにもう一度、前を行く線の細い背を見つめた。
「もしかしてお前ぇ……、男を好きになる系のおと…」
「は」
「なんでもないです……」
怖い。怖くて聞けそうにない。
「あのさぁ…」
昼間と違い、嘉壱が微妙な距離を取っていることに皐月は気づいていた。
「俺の護衛とか不本意ならいいよ? 別に」
「え? あいや、そうは行くかよッ。飛叉弥の命令だ」
「じゃあ、任を解かれさえすれば、今すぐ屋敷に帰って寝るわけ?」
「……。」
嘉壱はそう言われて気づいた。ヤバい。こいつに気に入られる以前に俺が気に入っている気がする。皐月のほうが、俺に気に入られないよう警戒している気がする。
「ッて、違う違う待て待て誤解するなっッ、おおおおっ、俺はそういう趣味の男じゃ…」
「は?」
「お、俺はただっ、お前が危なっかしいから…」
「…たく、どいつもこいつも、どんだけ世話焼き? 今に巻き込まれないでいいことにまで巻き込まれて、後悔する羽目になっても知らないぞ」
この際、はっきり言おう。
「俺は、どこに行っても歓迎されない」
「……?」
「疫病神みたいなもんだ。飛叉弥が何も言わなくても、あの屋敷の連中は皆、なんとなく感じ取ってる。お前は距離感を間違えないよう言われた。違うか」
「す、すっげぇ洞察力してんのな、お前……」
あっさり認めた嘉壱を肩越しに半眼で見て、皐月は嘆息をついた。
「単なる経験則だ。慣れてるんだよ。だから別になんとも思わない。お前は自分の気持ちに素直に動けばいい」
言葉に責任なんて持たなくていいし、態度を一貫しようと意地張ったり、飛叉弥の言いつけに固執する必要もない。よく分からないときは、周りに同調しておけ。
「じゃないと、立場が悪くなることくらい分かるだろ……」
最後にそう呟いた背中に、ふと、十二年前の飛叉弥が重なって見えた。
嘉壱らは未だ、彼が投獄された経緯のすべてを知っているわけではないのだが、立場云々に捉われていたら、やらかせないことをやらかして見せたのだということは想像に難くない。
飛叉弥はおそらく、自分たちの誰も知らないほど大昔からそういう男で、
皐月はどうやら、飛叉弥のような根性を具えた奴が苦手らしい――……。
嘉壱は急に複雑な気持ちになった。
「一所に長居する気がないからって、これから毎晩、酒楼や妓館を渡り歩くつもりか? 未成年」
「俺、万年不眠症だから、別に苦じゃない。あと、実は未成年じゃない――」
嘉壱は狸野郎がチラ見せした尻尾を鼻で笑った。
「だろうと思ったぜ。なんで年齢詐称してんのか知らねぇけど、いい大人が、右も左も分からねぇ方向音痴で? その上疫病神だってんなら、なおさら一人でふら付かせるわけにいかねぇだろ。ここは俺が一肌脱いでやるよ」
「脱がなくていいし頼んでないし」
「遠慮すんなってぇ~」
昼間、旧瓔珞院の紅閣群から、青洞中珞街まで戻る坂道を下りながら、嘉壱はつまらないと感じた。華瓊楽に派遣されてから八年間、一度も会ったことがない康狐仙とのご対面を、存外、期待していた自分に気づいたのだ。
いや――
正確には、皐月の正体が分かることを期待していたのかもしれない。なぜ会う必要があるのか。会って何を話すのか。
「そうだ! この際、宵瑯閣を寝床にしちまえばいいんじゃね!?」
「何言ってんのお前」
「女将は俺が口説き落としてやる。上手く火が付けば、疫病神も爆発的人気を誇る招財神になれるってことだよ~!」
かつての自分以上に評判を集める新参者が現れたと知れば、かの仙女も興味を示し、自ら姿を現すに違いない。
「つーわけで!」




