◍ 蟲の知らせ
―― * * * ――
燃えている。
いつもは何も見えないはずの真っ暗闇の果て。そこに篝火のようなものがある。
だんだん近づいてくる。
自分は一歩も動いているつもりはないが、不思議なもので、はっきりと見えてくるだけでなく、この視力は距離をものともしない。むしろ、遠ければ遠いほど延びていくのだ。
だからこそ、目を開けているのに何も見えない時は、これが世の末なのではと不安になる。自分が齎す、常闇の未来ではないかと――。
《 ……つき……っ! 》
誰かに呼ばれた。
《 皐月…ッ! 》
ハッと息を吸うと、目の前に大量の火の粉を巻き上げる森が広がっていた。
凄まじい熱風を受け、皐月は長い黒髪を絹布のように靡かせて呆然としていた。
星の形をした葉が、燃え尽きながら降り注いでくる。必死で打ち鳴らされている警鐘が恐ろしい。
つと、化け物の咆哮が炎の海の中から迸った。腹の底に響くそれは鯨に似ているが、鶏の鳴き声のように長い。
何がどうなっている――?
ずしん、ずしんという地響きと共に視界に入ってきたのは、自分が豆粒大になったのかと錯覚するほど、大きな人の背中。
山賊のような格好で、見覚えがある動物の骨らしき首飾りと、赤瑪瑙に似た耳飾りをつけている巨鬼だ。
まさか――――
皐月の目の前で、そいつは火柱を吹いた。
油を注がれたように煉獄の森の火力が増し、姿の見えない化け物が再び咆哮を上げた。
頬の皮が引き連れそうなほど熱い。宵闇の中で黒い瞳に業火を映したまま、皐月はしばらく呼吸を忘れていた。
何処かの城壁上にいる。さらに上の望楼には、炎の海を悠然と見下ろしている男の姿があった。黒い軍服の長い裾、長い黒髪を、自分と同じようになびかせて
「っ…!?」
最後にまったく別の光景が視界を潰した。
狂喜していた誰かが、沢山の蛇を垂れ下げているような頭を振り向け、こちらに、にぃ――、と笑いかけてきたのだ。
皐月は――、跳ね起きた自分に気づいた。
「さっちゃん……?」
中年女性が扉の向こうから心配そうな声をかけてくる。なんの変哲もない、散らかった部屋の中にいた。
標高の高い山間の盆地に築かれた李彌殷は、十月に入れば本格的に紅葉の季節を迎える。肌寒い早朝だというのに、あご先から滴るほどの汗をかいていた。
窓からの朝日がまぶしく、皐月は目元を手で覆いながら、うなだれずにはいられなかった。一瞬前まで見ていたすべてが、悪い夢だとしたら
近いうちに、現実となるだろう出来事だからだ――。
―― 九月二十六日・辰の上刻 ――




