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払雲花伝《花咲かす鬼王、連理の枝を成すまで》  作者: 讀翁久乃
✥ 第二鐘 ――――――――――――――――――――――
40/53

◍ 蟲の知らせ

―― * * * ――


 燃えている。

 いつもは何も見えないはずの真っ暗闇の果て。そこに篝火のようなものがある。

 だんだん近づいてくる。

 自分は一歩も動いているつもりはないが、不思議なもので、はっきりと見えてくるだけでなく、この視力は距離をものともしない。むしろ、遠ければ遠いほど延びていくのだ。

 だからこそ、目を開けているのに何も見えない時は、これが世の末なのではと不安になる。自分がもたらす、常闇の未来ではないかと――。


 《 ……つき……っ! 》


 誰かに呼ばれた。


 《 皐月…ッ! 》


 ハッと息を吸うと、目の前に大量の火の粉を巻き上げる森が広がっていた。

 凄まじい熱風を受け、皐月は長い黒髪を絹布のように靡かせて呆然としていた。

 星の形をした葉が、燃え尽きながら降り注いでくる。必死で打ち鳴らされている警鐘が恐ろしい。

 つと、化け物の咆哮ほうこうが炎の海の中から迸った。腹の底に響くそれはくじらに似ているが、鶏の鳴き声のように長い。

 何がどうなっている――?

 ずしん、ずしんという地響きと共に視界に入ってきたのは、自分が豆粒大になったのかと錯覚するほど、大きな人の背中。

 山賊のような格好で、見覚えがある動物の骨らしき首飾りと、赤瑪瑙あかめのうに似た耳飾りをつけている巨鬼だ。


 まさか――――


 皐月の目の前で、そいつは火柱を吹いた。

 油を注がれたように煉獄の森の火力が増し、姿の見えない化け物が再び咆哮を上げた。

 頬の皮が引き連れそうなほど熱い。宵闇の中で黒い瞳に業火を映したまま、皐月はしばらく呼吸を忘れていた。

 何処かの城壁上にいる。さらに上の望楼には、炎の海を悠然と見下ろしている男の姿があった。黒い軍服の長い裾、長い黒髪を、自分と同じようになびかせて


「っ…!?」


 最後にまったく別の光景が視界を潰した。

 狂喜していた誰かが、沢山の蛇を垂れ下げているような頭を振り向け、こちらに、にぃ――、と笑いかけてきたのだ。






 皐月は――、跳ね起きた自分に気づいた。


「さっちゃん……?」


 中年女性が扉の向こうから心配そうな声をかけてくる。なんの変哲もない、散らかった部屋の中にいた。

 標高の高い山間の盆地に築かれた李彌殷リビアンは、十月に入れば本格的に紅葉の季節を迎える。肌寒い早朝だというのに、あご先から滴るほどの汗をかいていた。

 窓からの朝日がまぶしく、皐月は目元を手で覆いながら、うなだれずにはいられなかった。一瞬前まで見ていたすべてが、悪い夢だとしたら



 近いうちに、現実となるだろう出来事だからだ――。



                 ―― 九月二十六日・辰の上刻(七時四十分) ――



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