◍ 結び巫女
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「――おお、帰ったか宇堯。ご苦労」
同じ頃、射曾猿の棲み処に戻った宇堯は、袁勝に労われていたが、黙殺してしまうほど、あることが気になっていた。
「己の一族の長老神をシカトするとは……。やれやれ、お主も相変わらずじゃの。そんなにあの娘の越境守蟲にされたのが気に食わんかったか」
宇堯はただ、考え事をしているだけだ。愛用の弓と矢筒を置いて、〝越境守蟲〟という言葉を合わせ、もう少しで引き出せそうな記憶の糸口を探る。
穹海山原の各狭間で架け橋となるそれらは、いずれも魄解に逆らう異能を有している。産霊の本質である結ぶ力。結霊使いだ。〝遣い〟と書くほうが正確かもしれない。神代崩壊以前は大別して雲上雲下の二世界しかなく、この務めを担っていたのは龍族のみであった。
現在、均天と呼ばれる四大巉の中央域には、細々と諸島郡が散らばっている。守蟲はそこに生息している生き物や、それを使役にしている島の按主たちである場合が多い。
「――忘れたか。我らも罪人同然なのだ。破軍星神府が、龍の他にも結霊遣いを必要としたのは、神代崩壊以降、世界が細分化し、界境が増えたからという理由だけではない」
「龍王に加担し、同じものを得ようとした報いとして。でしょう――? 四千年費やしても道半ば、されど半ばまで背負い通してきた荷を、そう容易く下ろせないことは俺だって分かってますよ」
袁勝はある巨木が枝分かれした部分に腰かけていた。
赤茶色で滑らかな樹皮が特徴。肩たたきに使えそうなコブが、ところどころにできている。
この地の合体木――、〝連理木〟である。
射曾猿山は、紫薇世界樹に取りこぼされた離れ小島のようなものだ。実はここにも小天地ならではの小世界樹があり、北巉への天梯とするため、紫薇世界樹の根蔓と結合されている。
まだ完全には結べていないが、奉里はこれを登って行ったのだ。
*――なんででしょうね……
宇堯は彼女が見せた微苦笑を思い出した。
なぜか妙に大人びて見えた。
「別に気に食わないわけじゃない。ただあの娘――……、誰かに似ているような気が…」
「なんじゃ、今頃気づいたんか」
袁勝は雲一つない、空のような色の卵の片割れを懐から取り出す。太陽の色とされている黄蘆染の衣をまとった身で、これを弄んでいるだけでも、今日という日は特別に思えてくるのだが
「わしや蚕姫が、ただの曖昧な予感だけで奉里を北紫薇へ渡そうとするわけがなかろう。あれはおそらく、結び巫女の血筋じゃ……」
「結び巫女――?」
宇堯はそう言われただけではピンと来なかったが、鬘の冠をつけた赤髪の巫女の背が思い浮かんだ瞬間、ようやく途切れていた記憶の糸を結びつけることができた。
「そうか〝谷散姫〟…っ、紅肅と同じ脈持か…!」
宇堯は珍しく大声を出し、その余韻の中で呆然となった。
なんということだ。皐月という男が花人なら、知らずに生活を共にしてきたわけがない。
奉里が結び巫女の血筋なら、〝皐月〟がただ萼から足抜きした根性なしの雑兵であるわけもない。
「〝天柱地維の誰か〟じゃないでしょうねッ」
世界規模の変動が起こる気しかしないではないか。
この世で最強を誇るのは、神羅万象を引き寄せ、固く結んで、しかも解く力――魄解まで制御できる紫眼の持ち主たち、創造神の末裔である。しかし、破滅と再生を体現する存在として恐れられてきたのは、天を支え、地を繋ぎとめているという、そいつらの縁者だけではない。
〝良縁、悪縁、すべての因果を無意識に招き寄せ、結び付ける異能者――〟
単体でもたらす影響力はたかが知れているが、これが戦や政治を司るものと関わると、いや増して吉凶が分からなくなる。とんでもない星々の乱れを引き起こすのだ。
「縁結びを生業にしとる神はよく知られているが、人間にも、我らと同じように〝引きが強い者〟がおる。解く力はない。ゆえに、その一生は、おおよそが吉凶に満ちた波乱万丈……」
軍神にとっては、時として、かの媚落阿以上に重要と言える貴重な存在だが、勝利の女神となるか、災厄を呼び込む疫病神となるかは誰にも分からない。本人にも制御不能なのだから。
袁勝のしわがれ声が低くなり、不穏な空気を漂わす。
「お主も知っている通り、紅肅は千年大戦で、龍神と共に果てたと言い伝えられている巫女だ。萼国夜叉と共闘していた…」
「長ッ」
白い毛と顔のしわに食い込んだ眼帯の下で、袁勝の左目はここではない、遠い昔の景色を見ている。
「腹をくくれ宇堯。避けられぬ時代がいよいよそこまで来ておるのだろう。いや、四千年の時を経て、再度巡ってこようとしているのかもしれない。ならば、応えねばなるまいよ。役者が徐々に揃い始めている。奉里の場合はまだ単に、運が悪いとか――」
くじ運が良いという程度にしか、思っていないだろうがな――。
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