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◍ 雷獣と竜巻


 射曾猿いぞましらの棲み処からさらに上を目指すと、頭上に渦巻く雲が鉛色になってきて、宇堯ウギョウは破魔矢を放っては雲霧を晴らし、奉里を抱え、岩場から岩場、蔓から蔓へ渡してくれた――。






   *   *   *


 

「この暗雲も、あちらの世界が私を拒んでる印なんでしょうか」

 

「いや、北紫薇ほくしびは〝臺霆界だいじょうかい〟とも言う。高殿にまとわる雷雲の世界」


「それって……? どういう世界ですか」


 確かに。宇堯は抱えている奉里の子どものような眼に、言葉を詰まらせた。


「俺もよく知らんが……。神代のその昔、とある場所に雷神が巣食っていた高殿があったそうだ。そこに似ているということだろう。周辺にはこんなふうに花が咲き乱れ、美しかった半面、恐ろしいほど黒い雲が垂れ込めていたらしい」


 宇堯がよくしなる紫薇の花枝につかまり、次の花枝に飛び移ると、花弁が爆ぜるように散る。

 揺すられるたび、赤紫から白っぽく花色が変わる不思議な紫薇花サルスベリに、奉里はしかし、見惚れていられる心境ではなかった。


「雷神って、さっき飛び掛かってきた獣のこと……?」


 思い出して、不安げに声をすぼめる。

 宇堯がすかさず射殺し、そいつらは独特のけたたましい断末魔を上げながら雲の下へ落下していった。

 青と黒の斑模様でいたちの体躯。人間の指より長い爪を持ち、撹乱するよう左右にすばしっこく飛び跳ね、少数だが群れで襲ってきた。


雷霊イカヅチまとう獣はあれだけと限らないし、毛蟲けむしとも限らない。やはり、青莱鳥せいらいちょうの卵殻は持ち歩かないほうが良いのではないか?」


 宇堯は奉里の懐を見つめる。

 実は、袁勝は真っ二つに割ったその一方を奉里に返していた。半分貰えれば充分だと言って。


「それは悪鬼邪神までも魅了する代物だ。退魔とは真逆の効力があると言ってもいいかもしれん」


「でも、ちょっとした万能薬になるんですよね。交渉事の役に立つかもしれないですし。八重菱揚羽ヤエビシアゲハの鱗粉を差し出すだけで、しゅうさんが私に協力してくれるか分からないんで……」


 宇堯はフンと鼻を鳴らした。


「〝皐月〟と言ったか。そもそも何故、すぐに帰ってくると言ったそいつのもとに、わざわざ命がけで向かう必要がある」


 うーん。


「なんででしょうね――……」


 奉里は首をすくめ、苦笑気味に笑った。この時、宇堯にしばらく見つめられたのだが、奉里は気づかず、下界の様子をあらためて観察する。

 鏡のような干潟に囲まれた西閻浮巉せいえんぶざん。その大陸を抱えている翡翠色の葉と、あけの花が鮮やかな閻浮世界樹。

 対するは、羽蟲はねむしと無数の滝に守れている霊峰、東扶桑巉ひがしふそうざん仏桑花ぶっそうげに似た白花びゃっかが枝垂れる扶桑世界樹。

 そして、現視点では、紅紫こうし白紫はくしに変化する花雲の中に、根蔓を垂らしていることしか分からない雲上の北紫薇巉ほくしびざん。紫薇世界樹。


 海上――、南壽星巉みなみじゅせいざんの世界樹は、どこに……?



「到着したぞ」


「えっ?」


射曾猿いぞましら山の天辺に着いた。しばしここで待て」


 宇堯は残りの岩場を登ったり下りたりし、平岩が棚田状となっている場所にたどりつくと、腰に携えてきた瓢箪ひょうたんの栓を抜いた。神酒らしいものを振りまく。

 奉里はその頭上へと視線を上げていき、思わず息を呑んだ。雲霧がのったりと流れているのだが、見えるのは青空でない。波打つ根を張り巡らせた、逆さまの大地に覆われている。神殿の柱を思わせる何本もの太い枝が、根や蔓とは別にぶら下がっていた。

 金とも銀ともつかない、雲母の淡い輝きを発する不思議な岩盤は、つい、時が経つのも忘れて見入ってしまうほど美しい。


常盤ときわ……?」


 これが現世界で最も不純物が少ないという、再構築された盤臺峰ばんだいほうの塊――?

 表面のきめ細かい物質が、星のように瞬いて見える。

 それにしても物凄い威圧感。迫って来るように見える反面、奉里は引き寄せられるような感覚を覚えた。

 天に浮いている巨大な岩盤には、ぽっかりと大きな穴が空いていたのだ。


《 ギャワワッ!! 》


 奉里はビクッと体をちじ込めて振り返った。

 一匹だけ生き残っていたらしい先ほどの雷獣が、新たに仲間を呼び寄せ、こっそり後を追ってきていた。






◍【 危機 】


「ぅう…っッ、宇堯さぁあああああーーんっッ!!?」


 目を剥くや、奉里は猛然と岩場を上り下りし、宇堯のもとへ急ぐ。

 ヒン、と飛んできた鳥の羽が頬をかすった。矢羽根だ。

 背後で雷獣の悲鳴が上がる。雷が轟く。

 怖い。だが急げ。ガクガク言う膝を叱咤して、宇堯が伸ばした腕になんとか飛びついた。

 

 放電しながら食い掛ってくる雷獣をかわし、宇堯は奉里を背にかばって矢を番える。


「行け。穹海山原きゅうかいさんげん守蟲しゅちゅうとして、俺が助けてやれるのはここまで」


「宇堯さん…っ!」


「ほらッ、竜巻が来る! 北紫薇巉の割れ目に生じる龍の息吹だ! 行けッ!」


 奉里の体は、意に反して浮き上がった。水溜まりのように広がっていた足元の神酒から、青白い光の粒が立ち上り始める。酒気が可視化していくそこに、若草が芽吹き、木の枝が躍り上がって――。


 行かせるか、と言うように一匹の雷獣が跳躍してきたが


「食らえ」


 宇堯の呟きが微かに聞こえた瞬間、蒼い爆風が巻き起こった。

 奉里を一瞬で追い抜くほど、雷獣はその一矢をもろに食らった。奉里も凄まじい余波を受けて、一気に吹っ飛ばされた。


「ぎゃああああ…ッて、コラあああああーーー~~~っっッ……!!!」


 人をなんだと思っているのか。

 最後に見た宇堯の姿は、右手を目の庇にして、打ち上がった花火を楽しむ観覧者と変わらなかった……。


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