◍ 吉兆?
*――誰かに気に入られるのが、
どうして〝災い〟ってことになるんですか……?
奉里は射曾猿の長・袁勝との話を思い出しつつ、背伸びをして、一生懸命に蔓を引き寄せようとしていた。
しかし、袁勝らの棲み処に幾筋も垂れていた蔓とは違う。
そう。無事、北紫薇に越境を果たしたのである。
なかなか奇抜な越境であった。
四体の世界樹に抱えられて成り立っている各世界の全貌は、特殊な条件がそろわない限り、そのどれか一つの視点からでは拝めない。
ただし、界境に入れば、場所によっては垣間見れる。玄雲圏と言うだけあって、北紫薇への越境途中、必然的にどの世界よりも高い視点に立った奉里は、その神秘的な光景の一部を目にした。
世界は元来、一つの大きな岩山だった。
そのことがなんとなく分かる四つの神州に、それぞれ違う化け物のような巨樹が根を回していると蚕姫から聞いていた通りであったが、そうではない部分もあることを知った。
もっとも低位置の漆黒下海に浮かぶ南壽星巉にだけ、世界樹らしい影も形も見当たらなかったのである。それは、皐月が養い手を担っていると小耳にはさんでいた奉里にとって、不可思議でならないことだった。
代わりに、黄土色の草一つない大地と思われる面が、ところどころに――……
*――到着したぞ
*――えっ?
袁勝に命じられて越境を手引きしてくれたのは、射曾猿の若武者、宇堯だった。北紫薇にとって災いとなる存在ではないかと、奉里に対し、あからさまな警戒心を抱いていた猿人だ。
*――穹海山原の守蟲として、俺が助けてやれるのはここまで
宇堯が示した〝ここ〟とは、ある状態で頭上に現れた縦穴だった。
正確には北巉を成している岩と岩の隙間だそうで、一種の竜巻が起きると言われた。
実際、それに襲われるまでは分からなかったが、奉里は唐突に縦穴へと吸い上げられ、気が付くと見知らぬ山中に倒れていた――。
◍【 なんの印? 】
なぜ、北紫薇巉と思われる地に越境を果たした今も、蔦など引っ張っているかというと――
「あっ! 取れた!」
奉里はパッと笑顔になって、手繰り寄せたそれを長い赤髪に絡ませる。
もともと背の中ほどに達する長さだったが、目が覚めて驚いた。倍以上の長さに伸びていた。
しかも、ただでさえ目立つ明るめの栗色だったのが、金色交じりの銅色のような、鉄錆色のような……。とにかく、異様な赤茶色に変色していたのだ。
鬼でもなければ、あり得ない色と言っていいかもしれない。
さっさと人里へ下りたいところだが、誰かに見られて面倒なことになる前に、この髪をどうにかしなければ。
「ねぇ? 白人依」
作業しながら話しかけると、袖の中から蛇腹織りの紙人形が転がり出てきた。
「町へ出たら、ここが北紫薇のどのへんか分かりそう?」
白人依が「任せなさい!」というように立ち上がり、胸を張った。経本ほどの小さい体だが、頼もしいことだ。
それにしても――。気になるのは袁勝との会話である。
*――越境者には、ごく稀に、見た目の変化が起きることがある……
袁勝は旅立つ奉里に言い添えた。
*――時化霊や産霊に受ける影響と似ているようだが、
正確には異なる現象じゃ。
腕のいい渡しを介した身ならば、
いずれにしろ些細と言える程度で済むのだが、
お主はどうも、これを受け付け易い気がする
いたずらだと気にしない者もいれば、〝歓迎の印〟だと言う者もおる。だが、心得ておきなさい。この世界を成り立たせているものに好かれるというのは、一介の人間にとっては喜ばしいことと言えん。
*――災いと見なせるほどに……ですか?
*――人知の及ばぬ世界に翻弄され、厄介事を招き寄せるだろう。
今に分かる。まぁ、何事にも善し悪しがあるからの。
どう解釈するかは、そやつ次第じゃが――……
奉里は少し距離を取っていた〝あるもの〟がふと気になって、そちらに足を向けた。
大きな犬ほどの獣が黒焦げとなり、矢に射抜かれて四肢をぐったりさせた姿で岩に磔となっていた。矢羽の風圧が成した業と考えてよいのか、手前の木々が数本、薙ぎ倒されたままとなっている。
「すごい威力……」
もう獲物は死んでいるというのに、矢はまだ些細な事に刺激を受けては、時おりバチバチと、火の粉が爆ぜるような音を出す。この音で目が覚めたのだ。
越境を果たす直前、奉里はこの獣に襲われそうになった。




