◍ 今更な話
「お前が〝以前の記憶と姿〟を完全に失わずに済んだのは、持ち前の生命力のお陰だけじゃないだろ。一体どんな手を使って、時化霊の影響から魂魄を守った? 俺が仕込んだ〝蓮珠一族の繭掛け〟を破って……」※【繭掛け(藕糸の繭):結界封印系の禁術】
若返ったお前のその体は、元の体が後退したものか。それとも、生まれ変わったものか――。
ここだけの話、本来の皐月は、嘉壱が頭を引っ叩けるような少年の見た目ではない。
「ちなみに聞くけど、これは仲直りの酒?」
「お前がそう受け取らないなら、ただの晩酌だ」
「晩酌なんかに酔いしれていて良い身分じゃないとだけ答えておく。超えてはならない一線を超えた。お前も――、俺も」
意味が分からない飛叉弥ではない。だが、深刻に受け止めた顔をしたのは一瞬で、すぐに余裕の笑みを浮かべて見せる。そしてまた、酒をあおる。
「黙っていれば分からんさ」
「そうやって貴京と二人、俺を騙した罪は重いぞ、飛叉弥」
「そんなに悪いことをしたつもりはない」
「よく言うよ」
皐月はかぶせ気味に吐き捨てた。
「七年ぶりに会ったってのに、今朝も今も、まともに目を合わせようとしない。後ろめたく思ってる奴がする顔だ」
「思ってない」
「それはそれでダメだろ」
「お前が平然としてるのが一番ダメだろ。お前がもし、〝十二年前のこと〟を乗り切るため……」
飛叉弥は、月夜に花開いた赤い曼殊沙華を想起した。
皐月の血しぶきが描いた花だ。
「やむにやまれず禁忌を犯し、首の皮一枚繋がった秘密がそこにあるというなら……、お前が〝裁きを司る立場〟であり続けることは、この先も可能なのか?」
花人最強と謳われてきた紫眼が、嘘のように彩度を失っていく。それを見て、皐月はうつむき気味の飛叉弥の額を指弾するように淡然と返す。
「何しけたツラしてんだよ」
「してない」
「俺に対してのそういう懐疑的な議論は今にはじまったことじゃないだろ。どうせなら、少しくらい変われたらよかったのかもしれないけど、俺は所詮、化わることすら中途半端にしかできないってことだ」
「確かに、案の定、怪しまれてたな」
「そういえば、ぼろクソすぎ。今朝のあいつらに対する説明……」
「あの後、薫子のやつが俺に直接問いただしに来たぞ? お前の正体」
「まだ応じれる余裕が無い。でも、逃げるつもりもない。〝萼の闇に葬られた花人〟について、危険も顧みず知りたがる連中は案外いるからね。もっとも、半端な覚悟で踏み入る世界ではない以上、俺から歩み寄る気はさらさらないから、よろしく」
皐月の言葉は冷徹なほどさらりとしているが、部屋に複数灯している蝋燭の火が、飛叉弥の目には温かい。庭の暗がりから漂ってくる金木犀や菊の香りも、怪しいようで、どこか包容力に似た優しさもある。皐月と向き合っているから、余計にそう感じるのだと思う。
「大丈夫かお前……」
「なにが」
「分かってるだろ。そのうち助けを乞うつもりではいたが……、正直、あまり関わって欲しくない」
皐月は何を今更と、腹立たし気に声を低める。
「迷惑ってこと? 足抜きして黒同舟入りした〝例の花人〟と、本当に通じてるわけ? だから都合が悪いって?」
「違う。ただ――……、無理をさせたくないだけだ」
「ハ?」
いや――、別に意外ではない。飛叉弥は昔からこういうことは素直に口にする男だが、久しぶりにケロっと言われると調子が狂う。
皐月は呆れ交じりの半眼で、やれやれと鼻から息をついた。
「お前に言われる筋合いじゃないよ。〝蓮尉晏やづさ〟……、彼女に一杯食わされたことは分かっている」
◍【 かつての同胞。不可解な裏切り 】
「――……十二年前、やづさは〝姫〟のため、抱え込みすぎていたお前に協力するふりをして、まんまと懐に潜り込んだ」
奥庭が椒図に安置させてきたかの呪物――〝誘す貝〟を手に入れるためだ。お前があれを横取りされるだなんて夢にも思っていなかったことも、彼女が密かに黒同舟などと言う外界組織に与していたことも、
「誘す貝の呪力を使って、南世界樹を魔性に変貌させる目論見を秘めていたことも、すべて事後に発覚したことであり、表面上は砂漠化を食い止める救世主という名目で、実際にはお前が、この華瓊楽という死地に追いやられた崖っぷちの身であることも分かっている」
皐月は酒を口に運びながら、あえてさらりと、これまでの経緯のおさらいを始めた。
未だにくよくよと引きずっているわけではないため、飛叉弥は素直に認める。
「申し開きようもない。情けないがな」
「もちろん萼の中枢は〝覇双会〟を開いた。やづさの足抜きと同時に起こった俺の失踪について、お前はそこで説明を求められたはずだ……」
だが、あの百戦錬磨の萼の重鎮たちが集う帷幕の庭は、ここぞとばかり、元老たちに掌握された。
しかもお前は、やづさと蔵破りなんかする羽目になった経緯を一言も打ち明けず、その上、俺を殺したと主張し、最後まで何があったか口を割らなかった。
「言えるわけないだろ。盗んだ後の誘す貝の使い道は、覇双会でも不用意には扱えない超一級の国家機密に相当する。何せ、お前にすら、バレるまで黙っていたくらいだからな。だが、華瓊楽の砂漠化に悪用されたことが判明した時は、さすがに無関係とだけ主張させてもらった」
飛叉弥の語調は我知らず強くなっていた。心外な言葉の集中砲火に黙って耐えた当時の気持ちがよみがえり、せっかくの美味い酒も、もはや苦いどころではない。腸の中で、どうしようもない熱を帯びてくる。
「俺が、実の弟であるお前を手にかけるわけがないからなッ。結局、お前は生死不明扱いのまま。俺はやづさを粛清し、黒同舟の壊滅をこの手で成し遂げる以外、無実を証明する術が無い現状に変わりナシだッ。畜生」
「俺はやづさの不審な言動を事前に察知していた。でも、動機も目的も判然としなかったから、現場を押さえるしかないと思ったわけだけど……、こんなことになるなら、早々に彼女を召喚して審問すべきだったよ」
「お前は悪くないッ。何も」
ふくれっ面で酒をかっ食らう飛叉弥に、皐月は内心で呆れる。
「昔からそう言うよな」
「それが務めなだけだっッ。暁の巫女の血筋ッ! 蓮暁寺家の王はッ、たとえ屍になっても守ってみせるッ」
声がデカい……。
皐月は胡坐している膝に頬杖を突き、「はいはい」と受け流した。飛叉弥はムキにさせると面倒くさい。だが、不思議と外の宵闇に包まれた景色が、穏やかに見えてくる。
「そう気張らずとも、俺はお前より先には死ねないよ……。空位が続いてきた白騎将軍の座にいよいよ就くかって時に、牢屋にぶち込まれた挙句、左遷よりもある意味ひどいお前のこんな体たらく、あの世の歴代たちにどう報告しろってんだ……。勘弁してくれ、まったく」
「ッ。俺だって恥ずかしくて…」
× × ×
何やら盛り上がっているらしい。
飛叉弥が感情的になりながら酒を飲むなんて――。
珍しいこともあるものだ。
嘉壱はこちらも夕食にしようと声をかけられるのを、池の手前にある中庭で待っていた。
今日はまさに、骨折り損のくたびれ儲けであった……。やれやれ。
「嘉壱」
「お? 飯できたかー?」
振り返ったそこにいたのは、なぜか怖い顔の薫子だった。
彼女は目鼻立ちがはっきりしているため、表情に差している影が濃く見える。
赤黒い色の瞳も普段はそれほど気にならないが、角燈の灯を背にしている今は、なんだか不気味だ。
「気を付けなさい」
「あ?」
「あの皐月って男には、気に入られないよう、気をつけなさい――」
◇ ◆ ◇




