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◍ 狐仙の鼻煙壺


 ものすごい数だった。

 だが、そのほとんどが三寸程度の大きさしかないため、適当な管理の下なら紛失もあり得るが、廟内の壁一面にきちっと整列させられている。細々としていながら壮観という形容がふさわしい。

 山水、人物、花鳥画、子孫繁栄・富貴・立身出世などを象徴する吉祥模様から詩文まで、実に様々な意匠の壺型小瓶が収められていた。

 金銀や象牙を細工したものより、硝子ガラス製が多いように思う。

 特殊な道具で硝子瓶の内側に描かれた模様は内画うちえといい、表面を彫刻する技法をせ硝子という。職人技が凝縮した精緻なこの代物は喫煙具の一種だが、芸術品として蒐集されることがある。


鼻煙壺びえんこか」


「なんだこれ、って言うかと思ったけど意外と知ってんのな、お前」


「嗅ぎ煙草の携帯容器だろ? 粉末にした煙草を入れるやつ。粉自体を直接吸うから火が要らない。つまり無煙」


「ああ。康狐仙カンこせんは超がつくほどの愛煙家なんだと。飛叉弥もたまーに任務で吸えなかったりすると禁断症状出るっぽいけど、鼻煙壺を持ち歩くほどじゃねぇ。康狐仙の場合は手放せないらしくな、外出時はこの中からその日の気分で、好きなものを持ち出す」


「けど、寝床の廟堂では普通に煙管キセルで喫煙するってわけ?」


「そういうこと。残り香すら感じない。だから不在と分かる。こりゃしばらく帰ってないな」


 嘉壱は中に入って、供物が捧げられている正面の祭壇を見回す。

 皐月は右手の壁に歩み寄った。目線よりも一段下の棚から、山水画模様の鼻煙壺を一つ手に取ってみた。

 見事なものだ。小瓶の内側に豊かな自然風景が描き込まれている。


しゅうなんか足元にも及ばないな」


 あいつの画才はそもそも人並み以下。にも拘わらず、絵師が務まっているのは〝筆〟が特殊だからだ。うてなが所有してきた呪物の一つなのである。それを仕事道具ということで、個人的に使用する特別な許可を出したのは自分――。


「枇杷茶、いかがです? お兄さん」


「……。」


 皐月は見下ろしたそこで、澄んだ枇杷の実色の茶を差し出してくれている老婆に出会った。


「枇杷酒のほうが良いですかね」


 いつの間に現れたのだろう。頬紅を塗り、女郎花おみなえしの黄色い花を白髪頭に飾っている。しわが寄った梅干しみたいな唇をした、かわいい婆さんだ。


「康狐仙ですか」


「んなわけねぇだろ」


 すかさず嘉壱の突っ込みが入った。が、本日三度目は後頭部を軽く小突かれただけだったので、睨むほどでもない。皐月は平然とお茶を貰う。


茶子婆ちゃこばあ、主殿は何処に出かけた?」


 神廟に溜まる供物でお茶や菓子を作り、参拝者にふるまう管理人のことを華瓊楽カヌラでは茶子という。


「はて、八百屋に行くと仰っていた気が」


「んなわけねぇだろ」


「ねぇ、お婆さんは宵瑯閣しょうろうかくって酒楼、知ってる? ちょっと教えて欲しいことがあるんだ」


 柔和な老婆の顔が、急に得意げになった。どうやら知っているらしい。そして、康狐廟の茶子は元妓女であるらしい。


「お婆さんじゃありませんよ? 〝素旻スーミンちゃん〟ですよ?」


 素旻は片目をつむり、人差し指でちょんちょん、と自分のたるんでいる頬を指し示す。

 対価を要求している。


「ハハハっ! 面倒くせぇ婆さんだけど、仕方ねぇな皐月。さっきより豪快に、男らしく、口にブチュっとやってやれ」


「嘉壱」


「エ。なんで俺ぇええっッ!?」


 よく見ると素旻ちゃんは金髪好みらしい。嘉壱に対してモジモジしていた。






   ×     ×     ×



「オげええぇぇッ…………」


 男らしく自らの発言は撤回しなかったが、素旻ちゃんとのそれは、けっこう濃厚だった。

 失礼なので、嘉壱は遠くに行ってから嘔吐した。

 

「――昔、牝爛ヒンランから来たっていう芸術品の買い付け人が、私を気に入ってくれてね。短い間だったけど、あんなに身を焦がし合ったのは後にも先にも彼だけ。ちょうど、あのお兄さんみたいな金髪と青い目が印象的な、いい男だったぁ~」


「俺たちの種族も、昔から牝爛と国交があるんだ。これも何かの縁かもしれない。あんな奴でよかったら、煮るなり焼くなり焦がすなり一晩中好きにしていいから、床上手を極めた若い頃に巻き戻りながら康狐仙と宵瑯閣について知ってることを洗いざらい吐…」


「止めろおおっッ!! 俺の身を勝手に売るんじゃねぇっッ! そしてさりげなく年寄りを恐喝するんじゃねぇッ」


 嘉壱は地獄耳だ。そして、遠くからでもさりげなく年寄りに優しくできる鬼である。

 

「宵瑯閣には馴染みの〝絵師〟が通っていたそうですよ――?」


「絵師?」

 

 素旻ちゃんは案外、遠い昔をあっさり思い出せる婆さんだった。


「芸術家や職人の宝庫と名高い牝爛公国から、華瓊楽カヌラに様々な超絶技巧の持ち主たちが招かれた時代がございました。牝爛は蒐集家の国とも呼ばれていますでしょう? ここ数年、華瓊楽が国家転覆の危機に陥っていた間も、彼らは自ら越境してきて、失われゆく風景を熱心に作品という形で残しておりました」


 あるいは、歴史的価値の高い芸術品などを、保護目的で買い取ったり――。


「康狐さまが私を茶子にご指名下さったのは、私の初恋の人が、そうした役割を担った一人だったと、どこぞで聞き知ったからのようです。せがまれては、彼との思い出話を致しました」


 上流階級の方々をもてなす妓館に、知的財産が集まるのは必然ですからね。今も、枇琳園で牝爛人を見かけない日は無いと言っても良いくらいだ。

 素旻はここまで語ると、苦笑を浮かべた。


「でも、康狐さまのお知り合いだという絵師は、もういませんよ――?」


「そうなの?」


「おそらくですが」


「その人は牝爛人? 康狐仙とどういう関係だったの?」


 素旻は困ったように廟の軒先を見上げる。

 枇杷の木が茂っている。


「〝想い人〟だった……、とは少々考えにくいですねぇ。康狐さまは相当の人間不信ですから、男遊びはするとしても、心から気を許すことはそうないかと」


「ふーん」


「ただ、とてもお優しい仙女様です。ご自身は、子供にも年寄りにも何の気なしに手を伸べる――……」


 素旻の話はどこまで真実か分からないが、最後の証言だけは、耳元の女郎花に触れながら言うその表情から察するに、疑う必要はないと思われた。



 ◇   ◆   ◇


女郎花おみなえし 】花言葉「儚い恋」「親切」「美人」

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