◍ 使い分け
「さて」
康狐仙は昼夜問わず出歩いているというが――、
なんの目的でそうしているのか、正確には誰も知らないのではないだろうか。
瑃媚の話しぶりからすると、〝男漁り〟という想像が定着しているようである。嘉壱に聞いてみても同じ。蠱惑が得意な産霊神は、確かにどの世界でも豊満な女体という神像を築き上げている場合が多い。それに似合う性格を当てがわれる。
しかし皐月は、康狐仙の心象を形作る思考に「待った」を掛けている。神像というものは信仰者の心によって描かれ、より理想的に誇張されたり、変化する傾向もある。
広く伝播しているから〝真〟とは言い切れない。神仙は、なんだったら〝寄せていく〟こともあるのだから。鬼魅とて例外ではなく、それは花人が証明している――……。
「なぁ、もう情報収集は後でいいんじゃね?」
踏み出そうとした足を、てれてれと歩み寄ってきた嘉壱に止められた。
「康狐仙が寝床の廟堂に居るとすれば、日が高いうちの方が確率が高いだろ。先にそっち確かめようぜ」
妓女だってそうだ。金木犀の花を浮かべた朝風呂、朝酒に酔いしれている頃である。
「じゃあお前確かめてきて」
「そう来るか」
まぁ、二手に分かれて捜索するという手も…………。や
「無いわッ! 俺そもそもお前の護衛だしッ! 狐探しが狸探しになるしッ!!」
「なんで狸?」
「あえ~…迷子だ、迷子。間違えた」
嘉壱は愛想笑いを返しつつ、内心で「チぃっッ!!」と舌打ちしていた。しらじらしい狸小僧め。分かってるだろうに。
分かっている。皐月は歯ぎしりしている嘉壱を尻目に、自分が見上げているそれを指さす。
「この楼閣の扁額を見ろ。〝宵〟に〝瑯〟の玉を鳴らす〝閣〟と書いて宵瑯閣。でも、昼間から馬琴の音が聞こえる」
「ああ、八年前を機に経営が傾いて、茶楼を兼ねるようになった店は多い。ここもその一つだろ」
「ようするに、外面と内面は違うことがあり得る。康狐仙にしても、朝帰りしているとは限らない。夜叉だって、人間に紛れ込む分には昼間の方が適してる。本領発揮するなら夜だけど。何が目的かによって活動時間帯は違う」
なるほど確かに。と思って嘉壱は腕を組んだ。と同時に、康狐仙の人物像が分からなくなってきた。皐月はそれで良しとする。
「会えるとしても、先にここで確かめておきたいんだよ」
*――そういえば、縁がありそうな人の話なら聞いたことあるよ?
瑃媚が掘り起こした記憶。
宵瑯閣の常連だったという〝康狐仙の昔馴染み〟とは誰か――
× × ×
「――さて、そんな人がいたのかい?」
「聞いた話では、この店に出入りしてた人物らしいんだけど」
対応してくれた女は看板娘と呼べる年齢には見えないが、もっと古株がいるらしい。「妙季さんなら知ってるかなぁ」と、方卓の上の茶器を片付けている同僚を振り返った。
「そうね、彼女なら。だいぶ昔のことだけど、花案で蔓垂八艶に選ばれたことがある翠天平の星だから。民妓にしては百馥園に居てもおかしくない美貌の持ち主だってわけで、〝妙馥〟ってあだ名されたほどで――」
「かあん?」
「枇琳園に通う金持ちの隠居らが、気まぐれに開催する美妓の番付のことだろ。候補者の中から八人が入賞する。大盤振る舞いして盛大なお祭り騒ぎにするものだからか、ここ数年は開催されてない」
嘉壱からの補説に皐月は「ふーん」と抑揚のない相槌を打った。
「康狐さまも、実はこれまでの花案に紛れ込んでいたことがあるんですって。確か、〝紅黛珱〟という美妓がそうだったとか――、そうじゃなかったとか?」
半分笑いながら、給仕たちは各卓上を拭く。
「巷にいる官妓と民妓をかき集めて、再評価と新発掘のために開催されるものだったんだけど、紅黛珱って人は宮妓並みに器量も良くて――」※【官妓:官営の妓楼にいる】※【民妓:民営の妓楼にいる。売春だけを仕事とする者も含む】
「家妓にしたい! って台閣の高官やら公卿やら、当時の豪商やらがこぞって名乗りを上げたそうよ。でも、花案がお開きになると同時に、忽然と姿を消したんですって」※【家妓:個人の私邸にて客をもてなした妓女、兼、妾】
「人間だったからこそ、あんまりモテ過ぎて怖くなったのか…」
「正体が狐だったからバレる前に逃げたのか」
「さすがに王様まで捜索に乗り出すことはなかったそうだけど」
「先王様は子作りに興味がないって噂だったからねぇ」
「それで甥に後を任せたの?」
「甥?」
給仕らは手を止めて瞬きした。
視線を集めるようなことを言ったつもりがなく、同じように猫目をしぱしぱさせている皐月の頭を引っ叩いて嘉壱が耳打ちする。
「即位前も後もっ、現国王と先王の関係を知ってるのはごく一部の人間だけだッ。未曽有の大災害とはいえ、打ちのめされた自分との血の繋がりは、汚点にしかならないだろうって先王が…」
後頭部を撫で撫でしながら、皐月は嘉壱をにらむ。
「~~…ああ、だから禅譲ってこと? そこまで暗君だったとは聞いてないけど」
「誰から聞きかじってんだよッ」
給仕たちは二人のこそこそ話の様子を見ていたが、いつまで手を止めているわけにもいかないため、それぞれの仕事を再開した。
「とにかく、妙季さん――。彼女がいる時に、また出直しておくれ。今日でも明日でもいいから、宵瑯閣に月が昇ったら、お小遣い持って」
「朝まで帰れないつもりでくるんだよ?」
「……。」
歩み寄ってきた一人に、にっこり笑って手渡された栞のような色紙に目を落とすと、いかにも酌婦らしいキラキラした名が記されていた。
皐月の肩口から覗き込んだ嘉壱が目を据える。
「珞名だ」
夜叉ではないだろうが、ここの給仕も夜になると本領発揮する部類らしい。特技、〝一気飲みしながら腹踊り〟と書いてあった……。
◍【 妓楼群の天辺にて 】
「畜生やっぱ居ねぇっッ…!!」
結局こちらも空振りらしい。
皐月には金髪頭を掻きむしる嘉壱の背中しか見えないため、康狐仙が不在であることが目視できているわけではないが、居ないというのだから居ないのだろう……。
ようやく訪れた目的の廟堂は、山の天辺と思われる崖上に君臨していながら、こじんまりしていた。財五大仙というのは四方五路から財運を集めるという。地方の商業神も町の辻などに祀られ、人間たちはそこで穀物の取引を行う。
五大仙中、最も強い生命力を誇る康狐仙の住まいは、以外にも片田舎のそれと変わらない規模だった。
だが、〝奉っている側〟の規模は、間違いなくこの国一だ。女神の左右に佇立する屈強な脇侍の如く、仰ぎ見るほどの紅閣が崖下からそびえ、康狐仙の神格を代弁している。
妓楼の頂点ともなると、数えきれないほどの軒灯に飾られていながら荘厳な見た目だ。旧瓔珞院と総称される十数の妓館を抱擁するように、ここだけ楼閣同士が欄干つきの遊廊で連結され、複合的で複雑な構造になっている。
まさに城。高嶺の花たる妓女らが、桃李の花弁を散らしながら渡る姿が想像できた。月夜ならいっそう見事な光景だろう。
廟堂へ導く真っ直ぐな階段の手前には、青い提灯が連なる真っ直ぐな参道がある。その突き当たりの門を抜け、階段を上り、ここに至った。廟堂の扉は開け放たれており、軒先の左右にも提灯が下げられているが、点灯していないので中は暗くてよく見えない。
『康狐廟』の扁額には、枇杷園だったかつての印か、その大木の樹冠が差し掛かっている。
「ねぇ、なんで声もかけてないのに居ないって分かんの?」
皐月は嘉壱の背中越しに廟堂の中を拝もうと背伸びする。
嘉壱は肩越しに額一つ分背の低い皐月を見て、片眉をつり上げた。
「ああ? 臭いがしねぇからだよ。煙の…」
「煙――?」
嘉壱と入れ替わった皐月はそこで、豊穣神や狐ではなく、康狐仙ならではと言っていい、ある象徴物を目することになった。




