◍ 花街と三大災害
清豊明三年――。
初代国王以来の竜氏として名高い現華瓊楽国王は、奇特なことに、かの〝百馥園〟を解体した。
戦利品の他、異国から献上される形を含め、世の女はおおよそが支配者の私物になり得る。鬼国ならなおのこと。ゆえに、一介の人間ながら、せっかくあるその特権を手放した国王は、相当の聖人君子と誰もが思うだろう。逆だ。
*――ぬぉぉおおおおお~~~~…っっ!!!
美妓のくすくす笑いと白粉の香りをこよなく愛すオッサンが、目を血走らせ、血反吐を吐くほどの唸り声を上げ、苦しみ悶えながら最終成案作紙に印を押した。自分の色欲とともに〝さよなら〟したのだ。
天文景十二年――、前国王は、時の治者を例外なく破滅させるという干害・水害・蝗害の世界三大災害を相次いで被った。はたして、国王の不徳によるものとされ、改元。西の辺境にて、元来、荒野の開拓に勤しんでいた一介の兵士に禅譲し、事態の収束と復興を託した。
この兵士、実は前王の甥に当たりながら、政治の中枢とは無縁の世界に育ったため、やること成すことが単純であった。
国中の英知を結集しても太刀打ちできないことが確定する前に、さっさと国外にも頼ることを先王に進言したのは彼だった。
そして、水を崇め聖樹を奉る鬼国――萼がこれに応じた。最初に旱魃が起こってから、この間わずか一年足らず。
臣民が飢えに喘ぎ、家族を喪い、働きたくとも耕す土地が瞬く間に砂漠化した世界の中心で、女と酒に溺れている王がどこにいる。
「――と、いうわけで。偉大なる現華瓊楽国王は五年前、復興が軌道に乗り始めると、それまで民営が主だった枇琳園に宮妓を下ろすと同時、花街の改革に着手した」※【宮妓:後宮にいる。歌舞等を習い王に奉仕する】
「人身売買が急増していたはずだ。早い話は、身売りするしかない女子供の受け皿にするため、行政的に整備したってことでしょ? 宮妓たちも宴の席がない以上、その才能と暇を持て余してただろうし、抜本的な対策と言えるかどうかはさておき、一石二鳥、三鳥を狙うのは悪くない。随分大胆な改革だとは思うけど」
「……。」
嘉壱は目を据えた。
皐月は相変わらず寝ぼけ目だ。
「なに」
「いや……お前、さっき〝昔の自分のこと色々忘れてる〟って言ったよな」
ぶっちゃけ、飛叉弥とどういう関係なんだ?
「忘れた」
「イヤそこは覚えてろよっッ」
嘉壱は飛叉弥の代わりに突っ込んでやった。
皐月は痛くもかゆくもない顔で、持参したという〝おやつ〟の煎餅をかじっている。
なんでも、家を出てくる際、お守り代わりに様々な携帯品を持たされたらしい。腰にじゃらじゃらとぶら下っている巾着束が気になってはいた。本当の御守りも含まれているようだがー……
「家族は? 誰と暮らしてるんだ? 飛叉弥と一緒に育ったのは、途中までなんだろ?」
「さぁ」
「萼には陸海空の騎兵を統率する驍騎将軍が三人にいる。飛叉弥は白騎っていう親衛・駆逐部隊の第一部隊大隊長だった。お前の所属は?」
「しょゾーくってナンでえーすか」
「イヤなんで急に片言ぉおっッ!? じゃあ~…、どこからどうやって華瓊楽に来た?」
「覚えてない」
「犯罪者かお前ッ。犯罪者の常套句だかんなっッ、それっ」
柳の枝がそよぐ。
今いる場所は、例の船型水上遊興施設を目の前にする船着き場だ。湖と思えるほど拓けていて、亭を乗せたような小舟が行き交っている。
〝画舫〟という。華瓊楽では舟遊び用とされるが、なんだったら船頭の家と言っても良い。簡易的な型でも、上に苫を張り、角燈をかけ、縁に欄干を巡らせた構造で、中には卓や長椅子が置かれている。
夜になると、これが次第に灯船となる。何処からともなく集まりだし、岸辺にひしめく金銀楼閣から、妓女らに手を振ってもらうのだ。
画舫には、肴を出して酒肆とするものもあれば、瓶詰の菓子、笊に盛った果物などを売ったり、書画を貼り出しているものもある。遊山客や知識人を遊ばせる舟と、水上商店の舟が混在しているのである。
「おじさん、生姜飴とお茶くれる? お代はこの金髪から貰ってくれ」
「あいよ。うちのお茶は格別だよ? 李彌殷の城隍神廟でもふるまってる枸杞と棗の砂糖漬けを煮出した薬膳茶だ。女の体に良いってんで、枇琳園でも大人気よ」※【城隍神:城と隍が神格化された都市住民の守り神】
「へぇー。俺、男だし甘いの苦手だけど、砂糖入りのお茶は好き。じゃあ、そっちの干し棗も一袋」
「あいよ。毎度あり金髪の兄ちゃん」
「なんでだあああッ!!」
通りかかった駄菓子屋、兼、茶房風の画舫と、今まさに売買を成立させた皐月に、嘉壱は米神の血管を盛り上げた。
康狐仙の出没場所――ではないが、瑃媚が立ち寄ってみることを勧めてくれた場所に向かうため、ここで渡し舟を待っている。その間に、さりげない会話の中で皐月の正体をつかもうと思ったが、こいつは狸だということが判明した。狐同様、人を欺くことが得意な種。今日一日、狐と狸の両方を相手するのかと思うと……、昼飯を食いそびれているのに嫌な満腹感がある。
「まぁ、俺のことはともかく、瑃媚さんの話はホントみたいだね。ここ、花街にしては品が良いっていうか、観光地と大して変わらないっぽいし」
「李彌殷の西廓は北城市に異国由来のものが集中してる。神廟とか商館、異人街が多い。その対面に位置する南城市だしな」
〝浮池〟という貧民街にできた下珞街もあるが――……、煬闇の花街は想像を絶する生き地獄と聞く。国王はそちらに足を向けてしまう人間たちを、少しでも抑制しようとしたのだろう。
◍【 所縁 】
王都・李彌殷は落花流水の都として名高い。南世界樹として聳え立っていた壽星桃が、一番の象徴だった。
青空に映える北の山肌に築かれた赭黄色の王宮――李清頂内に、〝壽星台閣〟という高層建築物がある。これがまた天梯と呼べるほど高く、山頂の壽星桃へ橋を架けていた。
今はもう空しいだけの物だが、市井には笑顔があふれ、贅沢品の売れ行きも右肩上がりに戻りつつあるという。
「嘘みてぇだろ。八年前はこの水路の水も干上がりかけたんだぜ――?」
「――……」
両側から柳の枝が枝垂れ、揺れている間を、ゆっくりと進む舟の縁に頬杖を付き、皐月は嘉壱の話を聞き流す。
城郭内には、南北を縦断する蔓垂河の支流が行き渡っている。水運業者の荷船も、同乗が可能なら、交通手段として有効である。
南城門から入ってすぐの区画にある枇琳園の名は、ここが昔、枇杷の実が音を奏でる玉のように、たわわに実る小山であったことに由来する。
妓女らの中には様々な楽器の名手がいる。もちろん、土地柄にちなんで琵琶を掻き鳴らすのが十八番という者が多い。
山肌にある青洞中珞街から、天辺の旧瓔珞院にかけては、園林付きの妓館、兼、元宮妓の邸宅だ。
国賓のもてなしや祭事の際は、かつて王妃に選ばれる可能性と才色兼備を極めた、上中層に住む彼女たちが派遣される。
舟は翠天平の最奥にたどり着いた。これより向こうは徒歩か馬車。『青洞中珞街』であることを示す牌楼が山を登る道の先に見え、その手前にある橋のたもとで降ろされた。
「妓楼然とした花街の様相はもう古いんだよ。上中の妓楼は文人の書斎に近い。門に掲げられる扁額も斎号みたいなもんで、著名人の揮毫となると箔も付くし、酒や女に興味のない学問好きな堅物も、一見の価値ありってんで客になるだと」
名うての元宮妓たちは、半ば私邸のそこで、路頭に迷っていた女子供の〝教育〟を新たな務めとしているわけだ。
「今じゃ稼ぎながら花嫁修業ができる一流の養成所だな」
水路から上がる階段を上りつつ、嘉壱は得意げにしゃべり続ける。実はヤンチャ時代、生まれ故郷の地鬼神に侍ていた女たちを、片っ端から自分のものにした武勇伝を持つ。あの頃はまだ本格的な戦闘を知らなかったが、ある意味、今日明日死ぬかもしれない身であった……。
「ちなみに、あからさまな妓楼でも床入りし放題じゃねぇぞ。確実に手ぇ出せるとすれば落籍祝い時のみ。騒ぎを起こせばつまみ出されて、しつこいと出禁になるから気をつけろ」
「お前がな」
背にした大橋の先を親指で指し示す嘉壱の前をスタスタと過ぎ去り、皐月は水路沿いの道を少し引き返した。
水閣と柳の狭間に埋もれて見えた、ある酒楼の前に立って扁額を見上げる。
瑃媚に教わった通りの印象で、すぐにここだと分かった。
「〝宵瑯閣〟……」
そこは狐仙との縁があるとは思えないほど地味で古めかしく、一際、時代遅れな感が否めない老舗中の老舗だった。




