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◍ 媚鬼の部屋


 傍らで騒ぐ嘉壱を無視して、皐月は紫煙を漂わせている女をじっと見つめ続けた。帷帽の薄紗を腰下まで垂らした黒ずくめの彼の格好は、道士か、そうでなければ巡礼旅行中の西原貴婦人に似ている。

 嘉壱は派手な金髪で、生成りの筒袖に木賊とくさ色のはかま、革靴という北穹ほっきゅう馬賊のような風体。こんな妙な二人連れなど、本気で誘っているはずもないが


「ちょっと聞き込みしてみよう。彼女、情報通かもしれない」


「ぉおっ!? マジかっ!」


 まさかの蝋燭牢城お仕置き部屋突入。嘉壱は踏み出した皐月を追い越す勢いで橋を渡る。

 河房は水路の対岸に長屋のように連なっている。昼間なのでおおよそが窓を開け放っており、薄汚れた白い外壁に川面の揺らめきが反射している。

 橋の袂には二階屋根に届くほど大きな柳がそよいでいて、誘惑してきた女の住居はこのすぐ横だった。






   ×     ×     ×



「どーぞ」


 河房の一階は飲み屋だった。

 通されたのは、女が煙管キセルをふかしていた露台のある二階の部屋。秋なのに、なんとなく湿気を感じる。

 店名を象徴するものとして目につくのは、装飾的な燭台と縄が擦れて傷んだ椅子くらいか……。あとは、寝台を隠すよう衝立一枚分、妖艶な緋色の帷帳が垂らされているだけだった。


「御覧の通り城とは名ばかり。ここは狭いんだよ。さすがに二人も相手にするのは、ねぇ」


 女は言外に用件を聞き出そうとしている。やはり、手招きしたのは、ほんの冗談だったらしい。


「お姉さん名前は?」


瑃媚チュンメイ


 瑃媚は漆を撫でつけたような前髪を、額の真ん中できれいに分けているが、起き抜けなのか、結ったり飾ったりはしていない。よく見ると瞳が金色で耳が尖っていた。少し笑えば犬歯がのぞく。

 室内は薄暗い反面、露台への出入り口近くは眩しいほど明るい。そこに口紅を塗られたように真っ赤な小魚が泳ぐ硝子鉢ガラスばちがきらめいている。

 金魚とは違うトゲトゲした姿なので、妖魚と思うといかにも怪しい部屋だが、皐月は微笑まし気に言う。


「きれいな魚だ」


「食用よ? それ」


 瑃媚はおかしそうにクススと笑い、しなやかな腕を組む。


「生で食べるの? 水鬼? 濟呼女サーラユウォンニ脈持みゃくじ※【ある神霊・妖魔の因果を身に帯びている存在】とか?」


「私は〝媚落阿ビラクア〟だよ。て言ったって分からないよね」


赤翠天羅刹せきすいてんらせつ眷属けんぞくか」


 さらりと横入りしてきた嘉壱に、瑃媚は声色を低くした。


「あんたは?」


「花人だ。萼国きょうごく夜叉。対黒同舟花連の」


 嘉壱は瑃媚が鬼女と分かってから真面目な顔になっていた。左手にだけ嵌めている手っ甲をめくって見せ、瑃媚に「ああ」と納得の声を上げさせた。

 萼国夜叉の身体的特徴とされている華痣はなあざ――嘉壱は菊家の姓を名乗っているが、むぐら生まれの養子のため、そこに発現している花相かそうは菊ではない。

 唐草と房状の蝶形花だ。〝くず〟と解釈している。ちょうど今の季節、野に蔓延はびこり、放置すれば手が付けられなくなる害草だ。

 これが肘にまで達している。一見すると刺青いれずみのようだし、見せびらかせた模様ではないから隠しているのだが、手甲は鳥をよく留まらせる飛行ひぎょう夜叉の必需品である。


「金髪のお兄さんはそうだとして、こっちの黒髪のお兄さんは何者? 脈印※【ある神霊・妖魔との因果を示す証】が見当たらないようだけど」 


 確かに。嘉壱は今更ながら、皐月に華痣が見当たらないことに気づいた。自分のように意図的に隠しているか、単に背中や腹など、服に隠れて見えないところに発現している場合もあるので、たいして重要に思っていなかった。

 どちらかといえば、霊応を表す七彩目を持たない〝黒眼であること〟のほうが気になる――。


「ちょっと変わり種でね」


 答えた皐月は、嘉壱のことを薄く笑ったようだった。


「まぁいいわ。何の用か知らないけど、とりあえずお代は頂くからね。三万金瑦(クオル)


 瑃媚は一本消費で一仕事分を示す線香に火をつけ、煙をくゆらせる。振り返ると、皐月に薄い唇をつり上げて見せた。


「で、なければ口づけでもいいよ――? お兄さん、いい男だか…、っ!」


 皐月は瑃媚が驚いて目を見開くほど、あっさりと彼女の耳元にそれをくれてやった。

 見事と言うべきかもしれない。玄人の瑃媚が、頬を薄紅色に染めて呆然となった。彼女を花に例えるなら、どぎつい朱色の鬼百合だ。それが一瞬にして、青春時代真っただ中、李の飛花を浴びながら初恋を知った少女のあどけない顔に……。

 嘉壱もある意味、石化フリーズした。いさみが今朝の会話だけで皐月の年齢詐称を疑った理由は分からないが、こういうことをするとなれば、間違いない気がしてくる。こいつ…、絶っッ対十七じゃねぇ……っッ!!


「これで勘弁して?」


 なんだこれ。女たらし――いや、人たらし? 甘え上手というやつか? もしや、しゃべり方が子どもっぽいのも策略なのかッ。俺も惑わされてるのか…っ!?

 実は自他ともに認める世話焼きな性格の嘉壱は、あわよくばツボに嵌めようという魂胆で、皐月のお守り役に任命された気がしてきた。

 畜生、飛叉弥の野郎ッ。さっそく舎弟みたいに可愛がっちまうところだったじゃねぇかっ…ッ! こんな女遊びしまくってきたような奴ぅぅううううッ!!


 兄貴と呼ぼう。


「兄貴、いや師匠ッ!!」


「はア?」


 やっぱり止めよう。


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