◍ 射曾猿(いぞましら)一族
仰ぎ見ると、垂れ下がっている根のような蔦が放射状に揺れている。天然の石垣がそびえ、光を含んだ雲霧が流れている。
そこから次々と、白い花びらが舞い始めていた。
雪のように音もなく。雨の如く。
美しい光景だが、それ以上に、なんとも不思議な気持ちになって見入ってしまった。
しかし、夢見心地から覚める時が来た。
《 草木の「木」に汝の「乃」……杖を持った聖者を意味する「伊」と書いて、さて。なんと読む 》
「え……?」
奉里は思わずびくついた。いきなりナゾナゾを出してきた声に驚いたのだ。
老爺のしわがれた声が、花の雨の中で反響する。
《 なんと読む――? 》
「み、……ミイラ。ですか?」
《 当たりじゃ。西原で、枯れ木の枝のように干からびた状態の亡骸をそう呼ぶ。だが、元来は特殊な樹脂を出す木のことなのじゃ。没薬という 》
これは亡骸の乾燥を助け、ひいては外輪たる魄を半永久的に残し、不老不死の薬――その一つとされた。
《 暗示が出ておる。ミイラ取りがミイラになるとな 》
奉里は慌ててその場に土下座した。
「せ…っ、青莱鳥の卵のことでしたら、私が必要以上に追い求めることはありません! こ、これは……!」
懐にしまったばかりの卵を探り出して、頭よりも高く掲げる。
「射曾猿一族の長老神様にお納め頂きたく…ッ!」
しばらくして、「ほお――」と同じ声が聞こえたが、反響はしなくなっていた。近づいてくる足音も人間と大差なかった。しかし奉里は顔を上げられなかった。
いつの間にか、弓をつがえる複数の気配に取り囲まれていた。直視せずとも分かる。石垣のいたるところで、〝そいつら〟がこちらを見ている。
「我ら射曾猿。破軍星神府の名の下、穢れを払う務めにある故え、お主が悪しきモノならば、ここで破魔矢の雨を浴びてもらわねばならぬ。陵鳥神が揮う長槍の威力を知っておるか――?」
夫婦蚕の締め殺し技を見たことがあるか。
葦八迦楼羅が吹く業火はどうじゃ。
赤翠天羅刹の水攻めは?
「萼国夜叉は知っておろう。あやつらが上げる鬨の声にはさすがに敵わんが、我らもかつては天兵を名乗った歴史を有する……。おもてを上げよ、奇特な人間の娘」
奉里が恐る恐る顔を上げると、光に透ける真っ白な体毛とは対照的な、黒土のような肌色、青い筋状の化粧、天狗の鼻が特徴的な鬼猿に見下ろされていた。土下座している奉里の二倍、大きな達磨ほどの体格で、しわが深く口元や喉の皮膚が垂れ、年老いていると分かる。左目に黒い眼帯をつけ、黄蘆染に似た太陽を思わせる色の衣をまとっていた。
「長老神さま……ですか?」
「いかにも。娘、お主はまだ、北には渡り切れておらぬ」
へ。
奉里は思わぬことを知らされて固まった。
「そッ、そうなんですか…っ!?」
つい立ち上がってしまった。襲おうとしたわけではないが
「長…!」
「長老っッ!」
「袁勝さまッ!」
三方向から甲高い声が木霊し、小石が投げつけられてきた。
「あたっッ!!」
奉里の額直撃。さらに
「こらッ、ブスっ! ひじゃまじゅけッ」
「頭が高いじょブしゅッ! しょこに直れ!」
「長老さまに何かしたら、ただじゃおかにゅぞドブスっ! 食ろうてやりゅわ!」
蔦と根の合間を飛び交い、降ってきた三匹の子猿から捨て身の攻撃を受けた。
頭の上に団子状に積み重なったそいつらは、まだ赤子なのか歯がないらしい。ガブガブッ。ではなく、マグマグっ。という程度の噛み方で、体が鼠ほどの大きさしかない。
どうしよう……。振り落とすわけにもいかず、奉里はひとまとめにしてつかみ取った。きーキャーうるさい抗議の声を無視し、その場に正座しなおす。
弓をつがえていた猿たちも徐々に姿を現し始めた。岩場をぴょんぴょんと飛び降りてくる彼らは、矮躯だが筋骨隆々の鎧をまとった武人の格好で、おおよそが赤毛だった。
お互い取って食うつもりはないことが分かり――(子猿たちを除く)、空気が少し和らいだところで、奉里は長老神・袁勝との会話を再開した。
◍【 「夢」という字には〝触覚〟が隠されている? 】
「あの…、〝暗示〟というのは……」
「蟲の知らせ。暗闇の中で、微かに知りえることじゃ。羽蟲・毛蟲・介蟲・鱗蟲・裸蟲の五蟲すべてと通じる〝触角〟がある者にのみ降ってくる。予知夢という形が多い」
ふと紙が開く音がしたため、奉里が傍らを見ると、白人依が胴体に浮き墨文字を現わしていた。「夢」→「思い描く明るい未来 ×」「暗くてよく分からない状態 ○」と書かれている。ようするに「夢」とは元来、後者を意味した文字らしい。
「わしのそれは老いた。昔は、蚕姫の育てた蛾の眉並みに、ビンビンじゃったのに……。ちなみに下も」
切実なのかもしれないが、性苦話等発言なので奉里は真顔のまま流した。
「蚕姫さまとお知り合いでしたか」
「おぉ、ほれ。この衣も、昔あれに織ってもらった。我ら渡しを担うものは、界境の守蟲を使って今も時おり交信しておる。殺戮を極めたあの青目の包包が、お主を妹のようにかわいがっていることも一応は知っておる」
さつりく……。さっきも〝締め殺し〟がどうのと聞いた気がするが……。ぺちゃくちゃうるさい態度デカ芋虫、実は恐るべし…っッ!?
奉里は「へっへっへっ」と、上下して悪党の笑い声を漏らす影の濃いその顔面を思い浮かべた。
「長老は大丈夫と言ったが……」
「え?」
ふと逡巡を口にしたのは、袁勝の背後から歩み寄ってきた青年声の武者猿だ。
「我らはお前のことがまだ信用できん。北巉に渡して良いものかどうか……。だから白き花を降らせた。紫薇花といえば紫がかった紅だが、我らが枝を揺すると白にもなる。清めの花だ」
「とりあえず、青莱鳥の卵は頂戴しよう」
横から来た別の武者猿に卵を渡し、奉里は一気に雲行きが怪しくなってきた気がして不安顔に訴えた。
「どういうことでしょうか。私が北へ渡ったら、災いになるということですか?」
「わしは正直断言できんのだが……、蚕姫が許したからお主はここまでたどり着いた。お主自身にも蟲の知らせを感じ取る才はあるじゃろう。何より」
袁勝は間をおいて、声を低めた。
「〝あやつ〟が想定していないとは思えん。わしや蚕姫など、元より足元にも及ばぬ予知力の持ち主じゃ。今はお主の屋敷で祀っているという椥の木を通じ、より確かに闇の先を見据え、〝時〟を数えておるはず」
「それって……」
誰のことかは説明されなくても分かった。奉里の脳裏に、椥の木を見上げていた今朝の皐月の姿が思い起こされた。
「〝暁の巫女の血筋〟――蓮暁寺家から生まれる花人の王は、そう呼ばれる。特殊な七彩目を覚醒させるためじゃ。わしは、蓮暁寺旆下のある重臣と個人的に深い間柄でな」
「??」
「まぁ、相談役のようなものじゃよ。この年になるまで、ついぞと跡継ぎも成せず、半ば息子のようにも思うておるのだが…」
「これを飲めばまだ間に合いますよ長老…!」
話に割って入ってきた少年体格の武者猿の手には、さきほど奉里が渡した青莱鳥の空卵が包まれていた。
かなり固い代物だったが、きれいに真っ二つにされていた。鄒欣姐さん情報によると、神々はこの青い卵殻を杯にして酒を飲んだり、粉末にして服用することで不調を治すとか……。
「ささっ! どうぞさっそく! 今からでも遅くはありません! 子などいくらでも成せましょうっ!」
「そうかのぉ」
とぽとぽ、と持たされたそこに酒を注がれ、半信半疑のまま口に運んだ袁勝の身に異変が起こる。
「う…っ!?」
金の隻眼を見開き、悶えかけた格好で静止。その尻から白い煙があがりはじめた。
「痔が治ったああああ!!」
「おおおおぉぉ~~…ッっっ!!!」
「……。」
国盗り合戦に勝利した並みの歓声が沸き上がったが、奉里はその喜びを分かち合えなかった。明らかに献上する相手を間違えたと思った。
「ちなみに、獲猿の類は、その一族に、雄か雌の一方しか生まれぬのが普通。故に雄のみの場合は、人間の娘を攫って嫁にすることもある。じゃが、同じ男所帯とはいえ、わしらは違う。折り目正しく一応聞くぞ? お主、わしの嫁子に…」
「嫌です」
ご遠慮しますと言う苦笑気味の返答は想定していたが……。さすが〝包包&皐月〟を世話してきた娘。平然と踏み越えて行く気満々だ。
しかし、助平爺のあしらい方としては正しい。幸運を祈る……。
精神的な致命傷を負わされ、袁勝は膝から崩れ落ちた。生ける屍となったその身にちらちらと降り注ぐ白い花びらは、この時ばかりは、潔く身を引く爺を慰めているようだった。
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