◍ 似て非なるもの〝莠〟
今年も他所は、稲刈りの作業に追われている。
東扶桑は今ごろ、田植えの季節を迎えているだろう。
だが、ここはどれほど祖霊に祈ろうと、水神や豊穣神を崇めようと――
「やっぱりダメか……」
手で軽く揉んでみた稲穂に、農夫はため息をついた。中身がほとんどない。おそらく、人柱を捧げたところで結果は同じ。それに世界樹を通して、それはもう捧げられていると言っていい。なのに――……。
「これじゃ莠も同然だ」
「そうだな……」
ひとり離れたところにいる軽武装した男が、この会話を背中で聞いて寂しく呟いた。
「〝莠〟か……」
〝似て非なるものを惡む。莠を惡むは其の苗を亂るを恐れてなり〟――。
莠とは水田などに生える稲に似た雑草で、悪しき紛い物に例えられる。
善に似ているが見かけばかりで、中身は悪なもの。
いかにも道理に合っているが、まったく正しくないこと。
一見して同じようで、本質がまるで違うまやかし。
そうした物事は悪と見なすのだそうだ。莠が穀物に紛れるように、言葉巧みな佞臣に、義や信の精神を乱されることを恐れて――
「トルジ様……」
落胆の声と眼差しを農夫たちから向けられたその背中は、巨大な枯れ木の前にあった。
八年前の大旱魃は、華瓊楽有数の穀倉地帯に含まれるこの畝潤市鎮にまで被害を及ぼした。
以前は王都などの人口密集地に、余剰穀物を納めていたわけだが、どうやら今年も、他地域で賄ってもらうしかなさそうだ。王都周辺の四補領と称される穀倉地帯のうち、幸いにも、東に位置する台求郡は豊作と聞いている。
「仕方ないさ。俺たちは、こいつが大事だ……」
トルジは白骨のような枯れ木の下枝に触れて、労わるように微苦笑した。
この木が植えられたのも、トルジが畝潤の市鎮城主になったのも八年前。
故郷は西閻浮巉との交流地とされている華瓊楽の遥か北にあり、元来はそこの部族長であった。
荒野の開拓と、治安維持などを任されていたが、旱魃に追い打ちをかける形で蝗害の被害にも遭い、たちまちにして流民の長になってしまった。
トルジ――〝英雄〟という意味の名を、あの時ほど恥じたことはない。
地方の小中城郭を守る城兵というのは、豪族の私兵や傭兵など、もともと素性が様々。縁あって華瓊楽国王の計らいを受け、王都にほど近いこの畝潤で怠慢を働いていた土豪劣紳に代わり、今に至る。
「まだすべてを諦めるには早いぞ? 何せ、これはあの南世界樹――、壽星桃の挿し木じゃからな」
頭上から、しわがれた声が降ってきた。
トルジが振り仰ぐと、子どものような三等身の老爺が、腰かけている枯れ枝をぺしぺし叩いていた。
拳骨のような形の頭、小麦色の肌が特徴で、身丈よりだいぶ長い空色の衣をまとっている。
「土地公さま。いらしたのですか」
畝潤土地公――岩治は、もともとこの地域の農耕に貢献した人間だった。死んで鬼籍に入り、人々に神格化されて、それなりの信仰が続いているからこそ現形化できている祖霊に近い守り神である。按主ほどの神威も通力もないが、地方の気候変動や住民を見守り、破軍星神府に報告するのが務め。
「近いうちに、彪将殿を呼ぶとしよう。なんらかの理由で、地中深くに達した根が時化霊に触れているなら、幼木だろうと、それなりの年数を生きた姿となり得る。だが……」
いっそ枯死寸前と言うのなら、なんの務めも定めも負わぬ木偶の坊になっても、それ以上に厄介なごくつぶしになったとしても、この木には生き抜いて欲しい。
岩治は顔を上げ、カサカサと乾いた音を立てる空しい田園を見晴らした。
「八年前、華瓊楽を襲った砂漠化は、王都に祀られていた四大世界樹の一体、壽星桃の性質が変貌したことで広まった。彪将殿は天を覆うほど巨大なあれを、一太刀で木っ端微塵にした。見事なほど躊躇いもなく」
「しかしそれは、例の火蛇神によって魔性にされた壽星桃が、華瓊楽の地力を吸い尽くすのを防ぐためで…」
「分かっておる。世界樹規模の樹木が必要とする養分は、数多の人柱をもってしても賄えるものではない。この絢爛の超大陸と謳われておる華瓊楽の大地さえ、天壇按主なしでは、一年とかからず不毛化させてしまうのじゃからな」
魔性にされたと言っても、植物というのは本来そういうもの。水と光を欲し、土を痩せらせ、火を生じ、金物に倒される。
今もどこかで壽星桃の後釜を担ってくれている仮の世界樹も、挿し木で増やされている幼木も例外ではない。世界樹というのは謂わば〝媒体〟に過ぎず、真に四大世界の地盤と地力を時化霊の侵蝕から守っているのは、天壇按主が持つ強烈な産霊の力。
「珍重すべきは、そういった供給源を担う存在とされておるが……、だからこそ、これは先代の生命力が通っていた形見のようなものじゃからな。枯れ始めた原因がなんであれ、そう容易く薪になどできんわ」
「先の天壇按主さまを看取ったのは彪将殿です。岩治さまのお気持ちが分からない鬼なはずがございません。期待する形には育たたない子株とて、見限るようなことはないでしょう」
「そうじゃな。――ん?」
岩治は閉じているも同然に垂れている瞼をこじ開けた。
「どうされました?」
同じ方を見やったが、トルジには、木の上にいる岩治が捉えたものが分からない。正確には、おそらくあれではないか、と思う方士のような黒衣黒髪の人物は視認したが、その姿の何に驚いているのかが分からなかった。
山河と感覚を共有していると言っていい岩治のような宿り神や地霊の五感は、人間よりも遥かに敏感だ。悪しきものがやって来たのなら、農夫らを城廓に避難させなければ――
「彪将殿……か?」
「え?」
半ば妖魔を迎え撃つつもりで身構えていたトルジは、岩治がまやかしを見せられているのではないかと疑った。
蓮壬彪将飛叉弥――蓮彪将と呼ばれる彼は、元来、白獅子にたとえられるほど見事な白髪で、しかし、どういうわけか戦闘時以外は黒髪に変化し、その特徴を伏せてきた。
壽星桃に変わる世界樹と天壇按主を調達し、華瓊楽国を一時的にとはいえ、不毛化の危機から救った萼国の花人である。
それが最近になって、普段も白髪の姿をさらすようになったと聞いている。
結局、農夫らを退避させ損ねてしまったが、トルジはやってきた彼と対面し、いっそ己の目を疑うことになった。




