帰社。同期。遙々白亜紀から来たような。
店長が運んできたチョコケーキを目にした瞬間、澄玲さんは喜色満面の笑みを浮かべます。
ついさっき嫌な思いをしたことなど忘れてしまっているかのように。
確かにあんなことは、甘いものでも食べて忘れてしまうのが一番なのかもしれません。
ですがそれでも。例え空気を読めない女だと思われてでも、やはり、無かったことにするわけにはいきません。
少なくとも先輩として、後輩に伝えなくてはいけないことがあるのです。
「澄玲さん、さっきのカエル……不快に思ったかもしれないですが」
私が、ショートケーキの先端をフォークで割りながら話しかけると、澄玲さんは一口目をすでに口に運んでいて、目をキラキラと輝かせたまま私の方を見つめました。
そのまま、しっかりと味わうようにしてよく噛んで飲み込んで、一息ついて私の目を真剣な瞳で見つめます。
「分かっていますよ、ベル先輩。彼らも戦争の被害者……なんですよね」
「それは……はい、そうです。人族の澄玲さんには、耳の痛い話かもしれませんが」
「研修で、話は何度も聞きました。人族と魔族の戦争は人族の敗北。魔族の勝利に終わった。けれど一時期は人族の方が優勢で。その時人族は魔界に進出して、そこで多くの魔族が殺された……って」
「そうですね。あのカエルたちの家族が殺されたのかは知りませんが、その大義名分で人族を攻撃する魔物は、後を絶ちません。彼らは結局、『弱いものいじめ』をしたいだけ。彼らより強い魔物がいる場では自重します……」
「そうか! わかりました、ベル先輩! だからベル先輩は、私に破魔の刀を持たせようとしているんですね! 対等に話をするために、だから刀が必要なんですね!」
澄玲さんの言うとおり、破魔の刀にはカエルたちのような雑魚魔物を遠ざけるだけの『力』があります。
それは、魔族を殺せる刀を所持しているということもありますし、それ以上に「佩刀が許可されている」つまり、それなりの立場の人族であることが証明できますから。
それにしてもこの子。
戦争の勝者であるはずの魔族に対して『復習』でも『服従』でもなく、相互理解を考えているとは。
末恐ろしい子……こういう子が、人族と魔族の架け橋となり、未来を紡いでいくのでしょう。
ケーキを食べ終えて温かい緑茶で一息ついた私たちは、店を後にします。
支払いにタイミングで私が「先輩だから」と奢ろうとする私と「申し訳ないです」と財布を出そうとする澄玲さんとで一悶着ありましたが、最終的に「澄玲さんに後輩ができたら、その時あげて奢ってください」ということで落ち着きました。
よくある先輩後輩のやりとりですね。儀式みたいなものです。
「ベル先輩、次はどこへ向かうんですか?」
「今日はもう、他に寄るところはないので会社に戻ります」
「先輩……私を気遣ってならそれは……」
「澄玲さんは、もう少し先輩を信用してください。仮に心配してのことだったとしても、私自身が『なんとかなる』と判断してのことですよ。少なくとも澄玲さんが気にすることではありません」
まあ実際は、そんなに心配しているわけでもなく。単純に他に面会の約束がないだけなのですが。
飛び込み営業をするのは、もう少し澄玲さんが場慣れしてからにしましょう。
駐車場まで戻ってきた私たちはそのまま車に乗り込んで、自動運転の行き先を会社の車庫に設定。ゆっくりと流れる景色を眺めながら、お互いに何も話すこともなく。
かといって居心地が悪いわけでもない静寂の時間を過ごしていると、気がついたら会社のすぐ近くに。
いけない、いけない。ついうとうとしてしまいました。
何かあったら動けるように、意識だけは覚醒させていたつもりですが……一応今は業務時間中なのです。
移動中とはいえ、これはあまりよろしくないですね。
「あ、ベル先輩。起きました?」
「別に私は、寝ていませんが?」
「ふふっ。大丈夫です。誰にも、言いませんよ」
「澄玲さん、調子に乗ってます……? まあ良いでしょう。」
「いえ、そうではなく……さておき、会社に戻ったら書類の山と格闘です。澄玲さんにも働いてもらいますから!」
「そんな、八つ当たりじゃないですか!?」
「違うから……安心して、まだ、無理は言わないから」
八つ当たりどころか通常業務ですらあるのですが、まあそんなことは、うちで働いていればそのうちわかるでしょう。
「ただ今戻りました」
「も、戻りました!」
「おう、お帰り! ベル、そいつが噂の?」
オフィスに戻り挨拶をすると、朝にはいなかった私の同期が専用のデスクで仕事をしているところでした。
「はい。新人の澄玲さんです……澄玲さん、これは私の同期のラプトルです」
「坂井澄玲です。よろしくお願いします、ラプトル先輩?」
「おう、よろしくな! ……もちろんラプトルが本名ってわけじゃないぜ? だが俺の名前は同族以外には発音すら難しいってんでな。んじゃどうするって話になって、んでどうやら人間界にはかつて俺と似たような見た目をした生き物がいたってんで、そいつの名前を借りて『ラプトル』って名乗ってんだ。ちなみにそいつは遙か昔に絶滅……」
「はいはい、澄玲さん。これの話は長くなるから、真面目に聞く必要はないよ」
彼……ラプトルは、本人も言うとおり、その見た目はかつて白亜の時代に存在したとされる小型恐竜の姿です。
とはいえ私も実物を見たわけではないので、あくまで図鑑に載っていた姿と似ていたというだけですが。
ちなみに後から分かったことなのですが、『ラプトル』の語源は『泥棒』とか、そういう意味なのだとか。
それを当人に伝えたら「へへっ……いや、俺は無罪だ! まだ何も盗んじゃいない!」とか言ってましたが。
客相手にも「こんな名前ですが、御社から宝を盗もうなんて考えても降りませんのでご安心を」なんて、自虐っぽくネタにしているようなので、深刻な問題ではないのでしょう。
「じゃあ澄玲さん、私は書類の準備をしているから、席で少し待っていてくれますか?」
「あ、はい。わかりましたベル先輩!」