秋月の三日目。猫人と人とが出会うには最高の日和である。
つい先日まで「暑い暑い」とぼやきながら働いていたのが嘘のように涼しくなり、肌寒さすら感じるようになったある日のことでした。
いつも通りに仕事を進めようとしていた私は、朝礼の直後に社長に呼び出しをされます。
曰く「このあと、社長室に来るように」と。
学生時代にちょっとしたいたずらがばれて、教官に呼び出しを喰らった時のことを思い出しますね。
とはいえ今回は、何も問題は起こしていないはずですし前期の成績が悪かったこともないですし……
大人にもなって叱られるということも無いとは思いますが……とにもかくにも呼び出されたのですから行かないと。
「社長、失礼します……」
「ベルさんですか。入りなさい……ところで唐突ですが、今年の新人を知っていますか?」
「確か、澄玲さんでしたよね。話したことはありませんが、顔は覚えています」
社長室に入ると早速、机の上でだらんと横になった小型の獣に声をかけられます。
茶色と白色の縞模様を描く毛皮を纏ったその姿は、人間界の『猫』という動物に非常に似ています。
ですが彼は猫ではなくもちろん人でもなく。
界外——人間界の外——から来た魔物の、しかも『魔王級』とよばれ恐れられたほどの男です。
その真の姿は山と見間違うほど巨大な化け猫で、人族からは『魔猫族』と呼称されているのだとか。
かくいう私も、頭部には獣耳が。臀部には細長い尾が生えており、人族からは『猫人族』と名付けられています。
ちなみに両種族とも『猫』という言葉が入っているのですが、これは人族が勝手に名付けただけで、『魔猫族』と『猫人族』の間に、直接的な関係はありません。
もしかしたら遠い祖先でつながっている可能性はありますが、それこそ『魔猫』と『猫人』は『人』と『猫』ぐらいの関係性に近いと聞いています。
そんな社長に呼び出された私は、社長の問いに適当に答えながら、社長室のソファに腰掛けました。
うちの会社は社員も客も、人離れした姿が多いので……今のところ私ぐらいしか使わないんですよね、これ。
もったいない気もします。が、そういえば件の新人は……
「知ってるかもしれませんが、彼女は『人族』です。ベルさん。あなたの部下にしますから、上手いこと教育してやってください」
「私に部下……というか、教育ですか?」
戦争が終わって子の会社ができて一年目。うちの会社にも新入社員が来ることになるとは聞いていましたが……
その教育を私がやるとは、初耳です。
「不満ですか?」
「いえ、滅相もない。ただ、不安はあります。なにせ大役ですからね」
「彼女は『人族』なので。私やあいつのように人間離れした者よりも、ベルさんの方が向いていると思ったのですよ」
「なるほど。見た目の問題ですか」
「もちろんそれだけじゃありません。ベルさんになら任せても大丈夫だと思ったから任せるんです。信用してますよ」
「それは……期待に応えないといけませんね……」
私は『戦争』が終わってすぐ、設立時にこの会社に就職したので、ある意味「最古参」とも言えます。
ですがその当時は世界全体がまだ混沌としていましたし、そんな状況では何もかもが手探りな状態で。
仕事と言えば基本的には行き当たりばったりで、「やってみればなんとかなる」というか「なんとかならなくてもなんとかする」のが当たり前な状況でした。
そんな感じで私は「誰かに教育された」経験もなければ「誰かに教育をした」経験も当然ありません。
「ベルさんなら……きっと大丈夫でしょう。引き受けてくれますね?」
「もちろんです。任せてください」
◇
その後は社長と軽い雑談を交わして、社長室を後にします。
社長によると、どうやら澄玲さんは入社してから今まで、外部の研修施設でいろいろと学んできたようでした。
基本的なビジネスマナーはもちろんのこと、簡単な魔界の歴史や、魔族とのコミュニケーションで気をつけることなど。
なにせ戦後すぐのことなので、教える側も教わる側も手探りな状況だったそうですが……少なくとも、何も知らない子供ではないということですね。
ちなみに……その研修施設には今年から『人間界』で働き始める多くの者が集まったそうなのですがその内実は、人族一人に対して魔族が九十九人という状態だったそうです。
と言うか、人族は彼女を含めて片手で数えられるほどの数だったのだとか。
それでも彼女は他の種族と問題を起こすこともなく、むしろ魔族である講師からも高い評価を得ていたそうです。
そう聞くと、どうやら彼女には期待が持てそうですね。
社長室を出て、礼をしながら扉を閉めて。
私のデスクに向かうと、そこには先客の姿がありました。
危ういほどに緊張した雰囲気で、キョロキョロと辺りを見回している少女の姿がありました。
身長は……人族の中でも小柄な方なのではないでしょうか。
女性というよりは、やはり少女という言葉の方がまだしっくりきそうです。
「すみれさん、おはようございます。初めまして」
「は、はい! 初めまして……えっと……」
「私はエルアンジャベル。見ての通り、猫人族ですよ。よろしくね、すみれさん」
「あ、ハイッ! スミレ……新人の澄玲 坂井です! よよよろしくお願いします、エル……エルアン……?」
「緊張しなくて大丈夫ですよ、澄玲さん。あと、私のことは『ベル』と。皆さんそう呼びますから」
「はいっ! よろしくお願いします、ベル先輩!」