悪魔の歌声
「あーぁ。もう生きてたってしょうがないや。」
そんな言葉を漏らしたのは、白い病衣を纏い、野原に身体を投げ出して寝っ転がる少年。白い肌に日光が照りつけ、反射してるかのような錯覚に陥る。
そよ風がサワサワと頬を撫でる感触に、自分はまだ生きているんだ、と嫌でも実感させられる。
生きてたって良い事なんかない。そんな風に感じるにはまだ幼すぎるその少年は、不治の病にかかっていた。治ることない病気の為に、何度その身を化学の犠牲にしただろうか。もう覚えてないが。
どうせいつか無くなる命。そんなものを大切にしてるなんて馬鹿らしくて笑える。少年にはもう思い残す事がなかった。
勇気を出して好きな女の子に告白してみれば、鮮やかに振られるし(覚悟はしていたが)、大好きだった絵だって、死ぬほど描いたし、好きなお菓子だって、今日研究病棟を出る前にたらふく食べて来た。思い残す事なんて何にもない。
いや、1つあった。たった1つ、思い残した事。それは、この世界を呪ってやりたい。ぐちゃぐちゃにして、人間なんて全員ぶっ殺してやりたい。なんてのは半分ホントで半分嘘だ。もう半分、つまり見え隠れしている本音は、世界を変えたかった…のかもしれない。
そんな大層な事、出来っこないなんてことは、誰よりも自分が分かっている。しかし、そんな事を望んでしまったって仕方ないだろう。だって、少年には希望がないんだから…。
両親は別に嫌いじゃない。僕の病をの治そうと必死な医者も、嫌いじゃない。むしろ嬉しいし、感謝もしている。僕が死んだら、きっと悲しんでくれるだろう。だけど、僕が欲しいのは同情でもなんでもなくて、ただ生きれるって言う保証、それだけで良い。それだけ…では無いか。
兎も角、安心感というものが欲しかった。味わったことの無いその感覚が、僕には羨ましくてしょうがなかった。
いつ死ぬのか分からないのは誰だって同じだって分かってるけど、それでも病気で死ぬというのは、また別で、自分に死が迫っていることがじわじわと伝わってくる。そんな恐ろしいことがあるものか。もし仮に、この病を抱えながら生き長らえたとして、何になる?恐怖感に蝕まれながら生きるのなんて、もうゴメンだ。
なぜ生きるのか。そんな事ほど曖昧なものは無い。例え、1000年生きてる魔道士に聞いたとて、分かるものでもないだろう。
人に生きる意味なんてない。なんて言葉を聞いたことがある。確かにそうだろう。意味なんて求めてしまったら、もっと生きづらくなる。こんな世界では…。
果てさて、病棟を出てきたのは良いが、どうやって死のうかを考えていなかった。この際、多少苦しくても良いから出来るだけ早く死ねる方法が知りたかった。
なんて、ぼんやり考えながら、白い綿雲が浮かぶ青空を眺めていると、僕が寝そべっている丘の少し下方から歌が聞こえてきた。その声は、天から舞い降りてくる天使のようで、はたまた地の底へ引きずり下ろそうとする悪魔の歌声の様にも聞こえた。
不思議な声に誘われて身を起こすと、そこには1人の男が背を向けて立っていた。短い黒髪が風に戦いでいるのに対し、身に付けている服やらピアスやらなんやらは微動だにしない。 『不思議』、と言うよりも、『奇妙』という言葉の方が先に浮かんだ。
僕の視線に気付いたのか、男は振り返った。男と目が会った瞬間、僕は息を飲んだ。男の瞳は赤く、瞳孔は黒かった。しばらく見つめ合った後、男はニヤリと笑みを浮かべ、こう言った。
「へぇー…、お前、この世界に絶望してるんだ。」
なんの事か。最初はそう思った。しかし、理解したくないと拒む脳内の霧は次第に晴れていく。彼が言ったのは…、間違いなく僕の思っている事だ。何故、この男は僕が思っていることが分かったんだろう…。男は、僕の驚いた顔を見ていやらしい笑みを浮かべ続けている。
「驚いてるねー。俺はお前の思う事、考える事、なんでも分かるんだぜ。そうだなー。例えば、お前は今死にたいと思ってるだろ?それから…」
男は1人でベラベラと喋っていたが、ふと口を開いたまま固まった。
(どうしたんだ…?)
「?」
僕のぽかんとした顔を見てか、男はハッと我に返った。
「お前、不治の病気なのか。」
いきなり何を言うのかと思いきや、なんだそんな事か、と若干安心した。僕は遣る瀬無い気持ちを胸にハハハッと、乾いた笑いを浮かべた。
「そうだよ。だったらなんだ?治療法も分からないんだ。お前なんかに治せまい。人間なんてみんな無力だ。何も出来ることなんてない。」
投げやりな言葉をぶつけて、僕は何処かスッキリしていた。今まで誰にも言ったことの無い、自分の本音。親にも医者言えなかった言葉。みんな表には出さずとも、僕の事を見捨てていた事なんてとっくに気がついていた。子供は、大人が思っている以上に色んな事を分かっている。だけど、本音を言ったら、本当に突き放されてしまいそうで、怖かった。
あぁ…、そうか。僕は怖かったのか…。怖いという感情を自覚したのが遅すぎたのかもしれない。そうだ、そうだよ。僕はずっと怖かったんだ。あまりに遅すぎて、僕はとっくにその感情に呑み込まれていた。
今、更なる絶望の淵に立たされた僕は、俯き冷たい涙をポロポロと流していた。そんな僕を見た男は、愉快そうに笑った。
「俺を人間だと?クククっ!!実に愉快だねぇ…!滑稽だねぇ…!だが、人間らしい。これだから人間と言うのは!!」
男は自分の顔を抑えながら笑い続ける。
「…じゃあお前は人間では無いと?」
「貴様の目は何のために着いてるんだ?俺のこの目を見ても、人間だと思ってるだなんて言わないよな??」
「じゃあなんだってんだよ…。」
涙ながらに、ブツブツと呟いてみる。男の耳は地獄耳だった。
「何って、悪魔に決まってんだろ。」
「ファッ!?」
「なに。なんだよ、ファッ!?って。そんなにおかしいか。」
「おかしいに決まってるだろ!?悪魔です。って言われて、はい、そうですか。って受け入れられる人間の方がおかしいわ!!」
「ふん…、そうか。」
「でも…、アンタが本当に悪魔なら、僕の病気も治せるだろう?僕の病気を治してくれたら信じてやるよ。」
僕はジッと男を見つめる。男は、ため息混じりに目線を逸らした。
「あのなぁ…ガキ。俺ぁ、別にお前に信じて欲しい訳じゃねぇんだ。あとなぁ…、なにかを頼むんだったら等価交換じゃなきゃなぁ…?」
「交換ったって…あげられるもの、何にもないし…。」
僕の言葉に、自称悪魔の男はまた笑い、ツカツカと僕に詰め寄ってきたかと思えば、僕の胸に、鋭い爪が着いた細くてゴツゴツした指を突きつけてきた。
「お前さぁ、ホント馬鹿ね。悪魔であるこの俺が、ただの人間の所有物を欲しがると思うか?代償はお前の『身体』だよ。」
言っている意味がよく分からない。そう言わんばかりに男を見つめる。
「あ、まさかいやらしい事じゃないだろうな!!?」
「んな訳あるかい。破廉恥な事のために身体を得るならスタイル抜群の女の方が良いに決まってるだろうが。誰が良くて、クソガキの身体を破廉恥な事のために欲しがるんだ。物好きにも程がある。」
ド正論…だが、少し失礼だ。しかし、悪魔にも欲がある事には少し驚いた。欲深く、妙に人間らしい事には更に驚いたが、若干引いてしまう…。
「んで、どうすんだガキ。俺と契約すんの?しないの?」
「契約…?」
「ったく、どこまで馬鹿なんだ。だからー、お前の病気をすこぉーし治してやる代わりに、俺にお前の『身体』をよこせって言う契約よ。」
「…少しって?」
「悪魔とて、完璧に病気を治せる訳じゃねーんだよ。それに人間なんて、どうせいつか死ぬだろ?俺が今、お前の病気を治したって、お前は結局死ぬんだ。俺には分かる。」
「悪魔って、未来まで見えるのか…!?僕は何で、いつ、何処で死ぬの!?」
「んな事教えられる訳ないだろうが。悪魔の決まりに反するわ。」
「…ケチ」
「うるせぇ。」
何故だろう…。出会ってまもないこの男はを不思議なぐらい僕は信用していた。これも悪魔の力のせいだろうか。そうではないと信じたいが…。思えば、誰かとこんなに親しく話したのは生まれて初めてかもしれない。
僕には知らない事がもっと沢山ある。『初めて』は、まだまだ沢山ある、ということを少しだけ思い知った。どうせ死ぬなら、少しでも長く生きて、もっと『初めて』を経験したかった。なら…。
「良いよ。その契約、呑むよ。」
「ほぉ。良い選択をしたな。ガキの割に。」
「一言多いなー。」
「まっ、そうだよな。どうせ死ぬんだ。お前が死ぬその時まで、俺はお前の身体を取ったりはしないでおくよ。それに、どうせ死ぬんなら、お前の力が尽きるその瞬間まで、暴れて、奪ってワガママに生きろ。這いつくばって、もがいて、壊しまくれ。俺が言うのもなんだが、お前が知り尽くせるほど、世界は狭くねぇからな。」
「勝手に心を読むなー!!」
「うわぁっ!痛てぇな、ガキがッ!」
怒りと恥ずかしさで僕は、自称悪魔を拳で殴る。でも、僕も悪魔も笑っていた。悪魔なんて聞いて、悪いイメージしかわかなかった今までと違って、今僕は、コイツはそんなに悪いやつじゃないのかもしれない。なんて思ってる。多分僕にとって、『初めて』の仲間だからだろう。僕は新たな『初めて』を経験して、フワフワしていた。
僕はその時、初めて笑えた様な気がした。