49 [第一部最終話]
取り囲まれて色々と話す気力もなかった俺はリサを教室に置き去りにしてその場から逃げた。校舎の外に出てベンチを見つけ、そこにポツンと一人で座る。はぁ、と大きな溜息が漏れ出た。
油断をしていた。今までのからかいは二人きりの時がほとんどだった。まさかクラスメイトの前でも堂々とあの態度をとってくるとは……。いや、まったくなかったわけじゃないかと思い直し、再び溜息を吐いた。
ベンチの背もたれに両腕を乗せて空を見上げる。秋の星座については全く知識がなく、見えている星がなんなのか分からなかったが、星空を見上げるとはこういうことを言うんだろうなと他人事のように考えた。
校舎の外壁に飾られた時計を見ると七時半を指しており、あっちこっちから先生たちの「おまえらもう帰れ」との声が響き渡る。さすがにそろそろ帰らないとまずいかと思い、重い腰を上げて教室へと戻った。
教室の前には天辰先生と五十嵐先生が見回りに来ており、教室内のクラスメイト達に「はよ帰れ」と諭していた。残っている生徒たちはそれほど多くなかったのだけれども、それでも二十人近くは残っており、ダルそうに「はあい」と言いながら荷物をまとめて帰路に就こうとしていた。
「おお。尼崎。おまえも残ってたのか。さっさと帰れよ」
声をかけられた俺もご多分に漏れず「はーい」とだるそうに返す。教室内では廣松と三上と談笑を続けるリサの姿が目に映った。
「あ、ジュンくん。おかえり。一緒に帰ろ?」
リサは俺が返ってきたのを認めて迷わず声をかけてくる。
「廣松と三上と帰ったらどうだ?」
そう返すと三人は互いに顔をあわせて暫く無言になっていた。
俺はそんな三人を無視して、自分の荷物を回収する。もうすぐ八時となり、閉門時刻が近づいていた。荷物を抱えて帰ろうとしたところでリサが声を出した。
「先生。もしよかったら屋上に入ってもいいですか?」
その言葉にまだ教室に残っていた面々はリサに顔を向け、揃って唖然とした。俺もその面々のうちの一人だった。
成績優秀優等生の突然の我儘に天辰先生も五十嵐先生も一発で折れた。屋上を開けて解散となる頃には九時を迎えていてもおかしくなかったのだけれども、リサの頼みとあっては無碍にできないとでも思ったのだろうか?天辰先生は職員室から屋上のカギを取りに一度教室を離れ、再び戻ってきた。
「今回だけだぞ?あと他の生徒に言いふらすなよ?」
きっとその約束は守られないだろうなと内心思ったのだが、せっかくの機会なので黙ってついて行くことにした。偶然教室内に残っていた他の六人の生徒たちもこれはいい機会とばかりについて行こうとした。
廊下を歩く途中、校門が半分閉じられているのが目に映る。本当は今外に出なきゃいけないんだろうなと思ったのだけれども、まあ今更仕方のないことだ。夜の高校の屋上で外を眺めるなんてなかなかないんだろうなと感じながら天辰先生の後を追いかける。
階段を上がっていく途中、いつの間にかリサが隣に立っていた。
「なんで屋上行きたいって思ったんだ?」
と気になって尋ねてみる。
「ジュンくんの顔を見てたらなんだか思いついたの」
理由になってるんだか理由になってないんだかよく分からない返答をしながらくすくすと笑う。俺は自分の顔が屋上を連想するような顔つきになってるのかと一瞬真剣に考えてしまった。
屋上の出入り口に立ち、天辰先生がドアノブをいじる。ガチャリと鍵の開く音が聞こえたかと思えば、ゆっくりと扉が開かれた。
「暗いから足元には気をつけろよ?」
天辰先生は俺たちが足も他を見れるように、手にした懐中電灯を扉付近の床に照らし、屋上へと案内する。最初こそみんな落ち着いた様子で扉を潜り抜けたが、いざ潜り抜けると夜景に興奮して駆けだした。
「おい!走るな!危ないぞ!」
天辰先生の叫び声にけれども誰も耳を傾けていない様子だった。俺も。そしてリサも。
リサは何やら興奮したようにフェンスに寄って、学校の前にある住宅地のさらに先に見える繁華街の灯に見入っていた。
「綺麗」と細い声が彼女から聞こえてきた。
高々夜景なのかもしれない。けれども屋上は普段鍵がかかっていてそもそも入れない場所であり、イベントがなければ登校しない日曜日であり、しかも普段ならこの時間まで残らないはずの夜という時間帯。雰囲気に流されてとでも言えばいいのだろうか?目の前にある夜景はなぜだか心惹かれるものがあった。
他のクラスメイト達は夜景を眺めながらも隣のクラスメイト達と「綺麗」とか「すごい」とか言いあっている様子なのだけれども、横を見るとリサは釘付けになっている様子で中々フェンスから離れない上、言葉が出てこない様子だった。
屋上に電灯はついていないらしく、今隣でリサがどんな表情をしているのかはよく見えなかった。けれどもなぜだか暗がりの中のリサの横顔は心惹かれる何かを含ませており、知らず知らずのうちに彼女の横顔にくぎ付けになる。
「リサ!綺麗だね!」
廣松の声にハッとなり、俺は夜景に目を移し、リサは振り返って「うん」と慌てた様子で応えた。
「ありがとねー、リサ。夜の学校の屋上なんてなかなか見れないもんねー」
廣松の言葉に男女問わずに賛同する様子だった。
「はい。言ってみるものですね」
丁寧な口調で応じているけれども、心ここにあらずと言えばいいのかなんとなく言葉が宙に浮いているように聞こえた。俺は彼女に背を向けている状態なのでリサの表情は全く分からないのだけれども、それでもリサはもう一度夜景に視線を戻したいと考えてるんだろうなと感じた。
はしゃぐクラスメイト達と対照的にリサは言い出しっぺなのにはしゃいでいなかった。
その様子に俺は何か感じるものがあって思わず
「見れて嬉しいか?」
と意識せず聞いていた。
「……そうですね。夢みたいです」
いつしか口調が普段の学校でのリサのものになっていた。
「夢みたいって大袈裟な……」
「大袈裟じゃないですよ?こんな風景、本当に次見れるか分かりませんから。私たちにとって日曜日の夜の学校の屋上っていうのは、ある種の異世界なんですよ。本来であれば立ち入ることのできない領域で、言い方は変かもしれませんが、選ばれた人しか入れない場所。そんな場所から眺める景色っていうのはなんというか、宗教的な魔術的な幻想的なものを感じるんですよね……。たかだか学校の屋上なんですけど……。誰もが入れる場所じゃないですし、誰もが見られる景色じゃないって分かれば、心に響くものがありますよ……」
リサのか細い声は、小さいのに俺の耳によく響いていた。なぜだか今の彼女は雲のようで、手を伸ばしてもつかめず、どこかに行ってしまいそうなはかなさを感じる。目の前にいるのになぜだかいない。心あらずというのはこういうことをいうのかと感じてしまった。
「おい!おまえら!もう十分だろ!さすがにこれ以上は問題になるから帰ってくれ!」
天辰先生の大きな叫び声にクラスメイト達は振り返って「はーい」と各々大きな返事をして屋上から立ち去ろうとする。
俺も立ち去ろうとクラスメイト達の後を追おうとしたが、リサが動く気配がないことに気づき、立ち止まって振り返る。
「どうした?」
「……」
リサは暫く無言だったのだけれどもまるで何か意を決したかのようなそぶりを見せてまっすぐ俺の顔を見た。
「ジュンくんには感謝しないと」
その言葉に思わず首を傾げてしまう。
「俺、何もしてないぞ?」
けれどもリサはその言葉を否定するように首を横に振った。
後ろ手は天辰先生が俺たちを呼ぼうとする声が聞こえるが、誰かに口を封じられたのかのように突然何も言わなくなった。
「ジュンくんだって気づいていると思うけど、学校での私と家での私、全然キャラが違うでしょ?」
「確かにな。けどそれがなんだって……」
「学校だと堅苦しくなっちゃうからね、私。家にいるときみたいに振舞えないの」
お盆休みに入る前の時のリサの印象を思い出す。あの時、ノボルさんの前で見せるリサの姿など想像だにしなかった。異次元に存在する同級生の印象が強かった。
「でもジュンくんが家に来てから、ほんの少しだけ羽目を外せるようになったんだよね、学校で」
確かに母がノボルさんと再婚してから、学校でのリサの雰囲気は変わった気がする。近寄りがたい雰囲気は以前に比べてなくなった気がした。もしかすると一緒に暮らしているからという理由だけじゃないのかもしれない。
「だけど、俺がいるからって、リサの雰囲気が柔らかくなる理由にはならないだろ?」
そう告げると
「そうでもないよ」
と首を横に振られた。
「学校に行けばジュンくんが居て、家に帰ってもジュンくんがいる。学校でクラスメイトに向けてた態度と、家でお父さんに向けてた態度。今まで別々にできてたけど、ジュンくんはそのどちらにもいるからね、そのうちクラスメイトに対する態度とお父さんに対する態度とジュンくんに対する態度が分かれてきちゃった。でもジュンくんはクラスメイトでもあるから、以前のジュンくんに対する態度よりも柔らかくしていくうちに、なんだかクラスメイト達に対してつくってた垣根も崩れてきてね。気が付いたら、昔に比べて雰囲気が柔らかくなったかなって自分でもわかるようになったの。ジュンくんが家での私と学校での私の橋渡しをしてくれたんだよ?」
リサはそれから歩き出し、出入り口の方へとゆっくり歩みを進める。俺は彼女の姿を目で追いかける。俺の横を彼女が通り過ぎ、俺は身体ごと動かして彼女の背中を見つめていた。視線の先には出入り口があって、なにやらクラスメイト達が興味深げに俺たちのことを見ていた。
リサはくるりと振り返り、俺に顔を向ける。
「だからありがとうなの、ジュンくん。家族が増えるかもしれないって話を最初に聞いたときは心のどこかで楽しみにしてたところはあったんだけどね、それでもやっぱりクラスメイトのジュンくんがお兄ちゃんになるって知ったときは、ホントは怖かったの。知らない男の子が同じ家に暮らすのってやっぱり不安だから。それでもね、ジュンくんが不器用だったから、ジュンくんに怯えなくてもいいのかなって考えることができたの。余裕ができたから私はもうすこし柔らかくなるって選択肢をとれたの。そんな選択肢をとれたから、今日は文化祭で目いっぱい楽しめたの。そして、屋上にも顔を出してみたいなってちょっと優等生じゃない発想もできるようになったんだよ?」
「全部ジュンくんのおかげなんだよ?」
と言ったときの彼女の笑みは暗がりのなかであるにもかかわらず、俺の目にはっきりと映し出された。彼女の言葉が俺の耳に張り付く。彼女の表情が俺の目に焼き付く。今この瞬間、この一コマが俺の記憶にこびり付く。
「んー!言いたいこと言えた!」
途端に背伸びをする。
「帰ろっか、ジュンお兄ちゃん」
リサは本当にすっきりとした表情を浮かべて、満面の笑みを浮かべてそう俺に声をかけた。いつもだったらその言葉を聞かされた時、妙な緊張感に苛まれるのに、この時ばかりは安心感が俺の心を支配した。
日曜日の夜、普段は入れてもらえない学校の屋上で、夜景に囲まれ星空に見られながら、俺の心は一人の少女と向き合っていた。
先を歩くリサの背中を見る。
先を歩くリサの背中を追いかける。
先を歩くリサにいつもと違った感情が芽生えていた。
少なくとも俺は彼女の傍に居れたことが幸せだと感じているみたいだ。
そして同時にそれ以上の何かを俺はリサに対して抱いていることも自覚してしまった。
小悪魔な義妹を演じる義妹 第一部 ここで完結です!
ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました!
続編に関しては誠意執筆中です!それまでの間今しばらくお待ちください!
第二部が完成しましたら、改めて告知の上、連載を再開いたします!




