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何をやってるんだろうと思う。本当にバカバカしい。
みんなが次々と帰宅する中、俺は日が暮れた後も正門付近のベンチに座っていた。時刻はすでに七時を過ぎており、ほんの少し肌寒い。今はブレザーだけで、正直コートを羽織っておいた方がよかったのではないかと感じてしまう。
俺はこんなところで何をしているのか?
決まっている。リサを待っていた。
待とうと思って待ったつもりはなかった。気が付けば、正門で立ち止まり、なぜだか背中がむずがゆく、リサがまだ残っているであろう校舎の方に顔を向けていたのだ。
学校の敷地の奥からは、まだ準備に明け暮れる生徒たちの声が響き渡っていた。
八時には完全閉門と言うことなので、先生たちが各教室を見回りに行っているのが外からでもわかる。あと一時間もしないうちに、残っている生徒たちは出ていかなくてはならないのだから、きっと大慌てで準備をしているに違いない。
腕時計を眺める。七時十八分。結構遅いなと思った。秋分はとっくに過ぎているので、辺りはすっかり暗くなっており、リサは実は帰宅していて、暗闇のなか互いに気づかなかっただけなのではないかと考えてしまう。
どうしよう。諦めて帰ろうか、と悩んだところで
「ジュンくん?」
との声が耳に入った。振り返れば女子生徒が立っている。暗くて顔は見えない。けれども、あの声はリサではないかと思い
「お疲れ様」
というと
「待っててくれたんだ。ありがとう」
とやはりリサの声が返ってきた。
「結構遅くなったな。そんなに話し込むようなことあったのか?」
「うん。来校者の誘導とか迷子が出たときどうするとか、そういったことの事前確認。先生と一緒に見回りとかするから誰とペアになるのかとか配置とか含めて最終確認してたの。ちょっと無駄な話もあった気はするけれどもね」
リサは大きな欠伸をしながら答えた。その様子を見て、相当疲れてるんだろうなというのがよく分かった。
「荷物、持とうか」
と左手を差し出す。リサは一度その掌を眺めたが、相当疲れているのだろう、
「おねがい」
と一言呟いて、鞄を俺に渡した。二人分の荷物を抱えるわけだから、当然重く感じるけれども、ここで根性を見せねばと踏ん張る。
リサは軽く背伸びをして俺の先を、けれどもゆっくりと歩いていた。
その後ろ姿を眺めて、彼女の背中の大きさをひしひしと感じてしまう。何でもこなす少女は疲労を抱えながらも、それでもまっすぐ歩いていた。コツコツとアスファルトを蹴る二人分の足音が鳴り響く。
リサが不意に振り返って俺の顔を見ては
「明日、楽しみだね」
って呟いた。
「ジュンくんは楽しみに感じない?」
「分かんねえ」
それが今の俺が吐ける言葉だった。
けれどもリサは不機嫌にならず「そっか」とニコリと笑みを浮かべて応える。
「だったら明日……、明後日……、楽しめるといいね」
自然と口から「ああ」の二文字が漏れ出ていた。
「すっかり遅くなっちゃったなぁ……。今日はお夕飯……。あ!お父さんとお母さんにお夕飯作れてないって連絡入れるの忘れてた!?」
慌てた様子でリサは俺の顔を見て、自分のカバンをひったくる。鞄の中からスマートフォンを取り出して急いで電話をかけていた。
「……、あ!もしもし、お父さん!ごめん!今、ジュンくんと一緒なんだけど文化祭の準備で色々と忙しくって、今高校出たところなの!夕飯作ってないんだけど……。うん……。分かった。私たちは私たちで食べてから帰ればいいんだね?うん。分かった。ごめんね!ありがとう!」
電話を切るとリサは安堵の表情を浮かべてから
「夕飯、私と二人で外食だよ?」
と言った。
「ノボルさんと母さんはどうするって?」
「外で食べて帰るって。お父さんたちも仕事、まだ終わってないみたいで、会社の近くで食べてくるんだって」
だから四人一緒に食事をとるという選択肢が出てこなかったのかと納得した。
「じゃあ、どこで食べる?」
と尋ねると
「家の近くにしよう」
と返ってきたので、
「分かった」
と頷いて彼女の後を追う。
電車に乗り、家の近くの最寄り駅に着いて、近くのファミレスに入った。
席に着くなりリサは
「二人きりの外食は初めてかもね?」
と呟いた。
「そういやー、そうだったな。俺はあまり外食しないからな」
メニューを開きながらそう答える傍ら、頭の隅っこでノボルさんからお小遣いをもらってから少し贅沢するようになってないかなと感じる。なんというか、ノボルさんに経済的に甘えている自分を見た気がした。
対するリサは、当然かもしれないけれども、そんなことを考えている素振など見せず、
「どれにしよっかなー」
と口ずさみながら料理を選んでいた。
家でのリサと学校でのリサ。使い分けられている彼女の人格。どちらも同じリサなんだと納得するのに随分と時間がかかった気がした。最近は学校でのリサの雰囲気が柔らかくなっては来たけれども、まだ別々に見える。そして今、楽しそうにメニューを見ている彼女の姿はきっとノボルさんがいない時に見せるプライベートなリサの姿なのではないかと感じた。けれども、彼女がたった一人でいるとき、そのように振舞っているといえるのかと言われれば、それは違うかなと感じる。きっと目の前のリサはノボルさんも母もいない中で、俺だけがいるときに見せる姿なのだと。俺だけに見せる姿なのだと。
「どうしたの?」
じっと見つめられていることに気づいたリサに声を掛けられる。
俺は特に慌てるでもなく
「楽しそうだなっと思って」
と呟くと
「楽しいからね」
と返ってきた。
「今まではお父さんとご飯一緒に食べるか、一人で食べるかだったのが、そこにサチコさんとジュンくんが入ってきてくれたからね。ご飯を食べるとき、一人じゃないっていうのはやっぱり気の持ちようが変わるんだよね」
彼女の言葉に、なんとなくだけれども分かる気がした。一人で食べるときのご飯はおいしく感じないことが多い。周りに人がいて、その人と喋りながら食べているときのご飯の方がおいしいと感じる気がする。その理由は分からないけれども……。
「私は決めたけど、ジュンくんは決めた?」
「ああ」
リサがウェイトレスを呼んで交互に注文を頼む。
「ねえ、ジュンくんのシフトって明日の午後だけだっけ?」
「ん?そうだけど?」
「じゃあ……。明後日の午後、空けてくれる?一緒に回らない?」
言われて、なんで俺と一緒に、と思ったけれども聞くのも野暮かもしれないと感じて「いいよ」と答える。
彼女は小さく笑みを浮かべて
「エスコート、よろしくね?ジュンお兄ちゃん」
と意味深げに呟くのだった。




