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 西陣がキッチンからお代わりのお茶を持ってきたところで、ちょうどリビングに人の良さそうな男の人がファイルを抱えて入ってきた。恐らくこの人が西陣のお父さんなのだろう。西陣のお父さんらしき人は母になれなれしく


「サチコさん、いらっしゃい」


というが、母はまんざらでもないように


「お世話になります」


と返すものだから、二人がどういう関係なのか思わず勘ぐってしまう。俺とは対照的に西陣はというとまるで見慣れているかのようにちびちびとお茶を口につけていた。


「君がジュンくんだね?初めまして」


 お父さんらしき人に挨拶をされおずおずと


「初めまして」


と言いながら頭を下げる。


「サチコさんに息子さんが居るとは聞いていたけれども、まさか娘と同じ高校だとはね。最近まで知らなかったんだ。ごめんね。もし、知ってたらもっと早くに君に声をかけようと思ってたんだけどね。それといつも娘がお世話になってるね」


 話しぶりから何となく引っかかるものを感じるけれどもそれについては口を出さず頭を下げながら応答する。


「いえ。西陣……、リサさんはクラス委員長なので、むしろお世話になっているのはこちらの方で……」


 慣れない言葉遣いに自分自身で戸惑いながらもなんとか最低限のお世辞だけでもと口を開いた。幸いにも西陣のお父さんは不慣れな言葉遣いを責めることなくにこやかな表情を変えなかった。


「働いているサチコさんに代わって料理とか洗濯とかもやっているそうだね。母子家庭で色々大変なのに偉いね」


 そういう話も知っているのかと身体が強張( こわば )ってしまう。


 小学生の頃に父を亡くし、母と二人で暮らしてもう何年も( た )つ。個人的には当たり前の事ではあるけれども、今日初めてあった人に知られているというのはどうにも落ち着かないもので、今日はなんだかみんなから困惑させられる日だと感じてしまう。


「でもそれも今日までだよ。今日からは無理にお母さんの代わりを務めようとなんて思わなくっても大丈夫だからね」


 戸惑っている(かたわ)ら、西陣のお父さんから突如そんなことを言われ、最初は


「はあ」


と言葉を漏らしたけれども、物凄く違和感を覚えたので、思わず


「どういう意味ですか?」


と聞き返してした。そんな俺の聞き返しをまるで想像できていなかったかのように西陣のお父さんは笑みを止めて目が点になり、俺の顔を見返した。横に座る母の顔を見るが、母は全く表情を変えず、ニコニコと西陣のお父さんを見ている。助けを求めるように西陣の顔を見てみれば、彼女は小さく溜息を吐いて


「聞いてないんだ」


と遠い目をしながら小さく(つぶや)いていた。


「なあ、西陣。何か知ってんの?」


 戸惑いを隠せないなか尋ねてみると


「私のお父さんとサチコさんが再婚するの」


と返される。きりきりと首を横に動かし顔を引きつらせながら


「聞いてないんだけど」


と母に言った。


「聞かれてないからね。言わなかったわ」


 言わなかったわ、じゃない。そういう大事なことは聞かれる前に言うべきじゃないのか?


 思わず頭を抱えてしまう。


「いくらなんでも急すぎるよ……。なんで事前に言ってくれないんだよ……」


「もしジュンがリサちゃんのこと女の子として興味持ってたのなら考え直してたけど、女の子として興味ないってはっきり言ったじゃない?それなら相談しないで再婚しても大丈夫だと思ったの」


 再婚という重要なイベントに相談なしというのはさすがに( かな )しいし、色々ときついものがある。あと、言い方には気を付けてほしい。まるで俺が西陣のことを女扱いしていないかのように聞こえる。現に西陣の視線が若干冷たくなっている気がするのだ。


「だから問題ないわよね?ノボルさんと結婚するの」


 ここに来て初めて西陣のお父さんの名前がノボルさんだと知った。


「いや、別に再婚する分には問題ないけど、もっと早くから相談してほしかった。あと婚姻届っていつ出すの?」


「今日印を押して明日出しに行くわ」


 母はそう言いながら( かばん )から印鑑を取り出した。


 今日、西陣宅を訪れた理由はどうやら再婚手続きの打ち合わせだったようだ。相談という形であるのならともかく、決定事項として進めるのならやはり事前に言ってほしかったと心の中で愚痴が漏れてしまう。


「婚姻届を出すだけなら問題ないわよね」


と言わんばかりの笑顔を俺に向けてから西陣のお父さんことノボルさんにも笑顔を向け、それを受け取ったノボルさんも笑顔で返してから手に持っていたファイルから紙を一枚とボールペンを取り出し、母に渡した。横から( のぞ )くとその紙はやはり婚姻届だった。


 母は嬉しそうにそれを受け取り空欄を埋めていく。


 この中で置いてけぼりを食らっているのは俺だけらしい。脱力してしまい、背もたれにもたれかかった。


「大丈夫?」


 西陣にそう聞かれて


「大丈夫じゃない」


と素直に答えた。


「再婚するってことは多分俺たちがこっちに移り住むってことなんだよな?普段接点のない男が突然家に居座ることになるけど、西陣は困らないのか?」


 すると西陣は質問にはすぐに答えずなぜだか


「リサでいいよ?」


と下の名前で呼ぶように言われた。


「いや……。突然そう言われたって、これまで接点がなかったのに急に下の名前では呼べないんだけど……」


「でも、お父さんとサチコさんが再婚すると、ここにいるみんな、全員西陣になるよ?」


 ギギギと音をたてながら首を母に向ける。鏡がないから自分の顔は分からないけれども、それでも優しい表情ではないことくらいは分かっていた。空気が凍るときに浮かべる表情とはきっと今の俺の顔の事なんだろうなと頭の片隅でくだらないことを考える。


 婚姻届の空欄を埋めている途中の母は俺の視線に気づきにこやかに笑顔を向けた。


「婚姻届を出したら明日から西陣ジュンね」


「物凄い大問題に直面してるじゃねえか。苗字変わるじゃん俺。尼崎捨てんの、俺?」


「そうなるわね~」


と母は他人事のように応えた。


「でも、大丈夫よ。戸惑うのは最初のうちだけで慣れてくればどうってことないから。私も二回目だから気が楽ね」


 苗字が変わると言う一大事をそう気楽に受け止められる母に思わず口が半開きになってしまった。母が言うのだからそうなのかもしれないけれども、それをすぐに受け止められるかどうかと言われたら、やっぱり無茶がある。そう頭を抱えていたところで西陣から


「堪忍しなよ」


と言われた。


「私とか会社とかも含めてもう外堀埋め終えた後だから。あとは( やぐら )で見張っている君を落とせば落城なんだよ。今更何言っても遅いんだよ?」


「それは分かるけどさあ。でも今日全て知った身からすると色々と思うところがありすぎるんだよ……」


 というよりも、西陣という外堀を埋めてたのなら一緒に俺も埋めてほしかった。そうすれば今日こんなにもあたふたしなくて済んだのだから。


 別に俺自身は再婚に反対するつもりはない。女手ひとつで俺のために働いてくれたのだ。自分の幸せのために再婚する分には気にしない。さすがに名前が変わると言うのは色々と困惑はしているが、まあ、それもどうするかはゆっくり考えよう。もっと早くに言ってくれ。俺が引っかかるのはこれだけなのだ。


「あ。そういえば、尼崎くんがうちに来るとすると、お兄ちゃんになるのかな?弟になるのかな?」


 西陣がそう呟くと母が


「ジュンはね、六月八日生まれなのよ」


と答えた。


 こうもやすやすと俺の個人情報が公開されてしまうとは……。いや、明日には家族になるのだから生年月日くらい共有されてもおかしくないか。


「リサは六月九日ですね」


 ノボルさんの言葉に、一日違いなんだと母と言葉が重なった。


「じゃあ、ジュンがお兄ちゃんでリサちゃんが妹になるのね。よかったわね、ジュン。妹ができたわよ」


「よかったな、リサ。お兄ちゃんができたぞ」


 両方の親がさも喜ばしいことであるかのようににこやかに言う。


「いや、俺どちらかというと姉貴の方が欲しかったからな?」


「全くあんたは。ちょっとは喜びなさい」


「私は妹の方が欲しかったんだけどねえ」


 西陣の呟きには思わず、男で悪うござんすね、と漏れ出てしまった。


 すると母が突然顔を赤くしてもじもじとしだす。


「それは……。ノボルさん次第ですね……」


 途端に生々しい話をされて顔をしかめてしまった。今日は本当に散々だ。


 それからリサは


「サチコさんに来てもらえて色々相談できるようになるからうれしいです」


と何やらほっとしたような笑みを浮かべて喜んでいる。対する母は


「色々と聞いてくれていいわよ」


と笑顔で返していた。ノボルさんはそんな二人を眺めて微笑んでいた。


 かくして俺だけが取り残されているなか、翌日には尼崎ジュンは行政文書から姿を消し、代わりに西陣ジュンが誕生した。


 それと同時にリサが俺の妹になった。

 本日、計五話を掲載いたします。


第一話:7時

第二話:10時

第三話:13時

第四話:16時

第五話:19時


 御関心がございましたら、ぜひとも継続して閲覧ください。


次回は5/6に掲載いたします!


 本作は水土の7時に掲載いたします。

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