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部屋で復習している最中、ますます吹き荒れる風が強くなり、窓ガラスは音をたてながら揺れていた。けれども不思議なもので、人の声が聞こえる中で勉強に集中するのは大変だが、窓ガラスがガタガタ揺れるくらいだと、あまり集中力は途切れなかった。それに以前は母親がいる目の前でちゃぶ台に勉強道具を広げてやっていたので、母の動きが気になることがあったが、今は自分の部屋を持っているので、アパート暮らしの頃に比べれば随分と集中して勉強ができている。勉強に絞っていえば環境はずいぶんよくなったと感じられた。
リサが料理を作るまでの間、ひとまず今日の分の復習をこなし、時間を潰す。集中してしまえば早いもので、あっという間に一時間が経ってしまった。
「ご飯できたよ」
との声と同時にコンコンと扉が叩かれた。そして俺が声を出す前にリサが部屋に入ってくる。
「お。ちゃんと勉強してる」
リサは笑顔を浮かべながら机の傍まで寄った。
「何か分からないことあった?」
「今のところはない。というか先生の言ってたこと覚える以外にやることないよな、勉強って」
小中高を通して、結局勉強とは先生が授業中に話していたことをいかに効率的に頭に叩き込むかに集約されている気がした。自分で勉強しろという先生や大人がよくいるけれども、俺らが持っている材料でできる勉強は結局のところ授業ありきな気がする。授業でやっていない本を無理して読んだところで、結局のところ定期試験には出ないわけだし。
「ジュンくんの言っていることは正しいよ?でもそういった勉強って正直詰まんないから続かないのがほとんどなんだよねぇ」
面白いことに賛同しながらもリサは苦笑いを浮かべて応えた。
ご飯ができたといっていたので、とりあえずまずは机から離れ下に行くことにする。階段を下りる途中で、
「リサにとって勉強ってなんだ?」
と尋ねると、テーブルに着くまでの間暫し考え込むようなそぶりを見せ、テーブルに着けば
「まず食べよっか」
と話し、互いに「いただきます」と言うとそのまま箸をすすめたので、すぐには答えが返ってこなかった。
食事中、代わりに提供された話題は今接近している台風のことで、テレビをつけて台風情報を確認しながら
「風強いね」
と口にする。
「そりゃそうだろ。台風なんだし」
と答えになっているのかなっていないのか分からないような返答をする。リサは
「そうだよね」
と呟いてパクパクと食事をすすめた。
テーブルの上は沈黙が支配しているけれども、心なしか空気は重くなく、会話がないだけで明るい食卓だと感じた。その理由を模索しようとするが、一番の理由はリサが日暮れ前よりも元気になったことだろう。それほどまでに今日だけは塾に行きたくはなかったらしい。口数が少ないだけで、いつものリサを目にしている気がした。
会話が少ない分、箸は進み、二十分も経たないうちに全ての皿が空になってしまう。ほぼ同時に「ごちそうさま」と言って食器を洗い場へと運んだ。
「洗い物は俺がするよ」
「じゃあ、よろしくね」
リサはにっこりとほほ笑みながら背を向ける。
リビングを出ようとしたところで思い出したかのように俺の方を向いた。
「お風呂どうしよっか?もう沸かしちゃう?」
時計をちらりと見るとすでに八時半を回っている。今から沸かして出来上がるのは九時ぐらいだろう。
「結構遅い時間になってるからよろしく」
リサは「分かった」と言って姿を消す。
風呂を沸かし始めるときに聞こえてくる自動音声が部屋まで届いたかと思うと階段がきしむ音が聞こえてきた。きっと彼女も自室で勉強するに違いない。そう考えながら、鶏肉料理で脂の残った皿を一生懸命スポンジで擦った。料理で脂物を使うと皿洗いは苦労する。一生懸命ごしごしと洗っても中々落ちない。悪戦苦闘しながら順々に皿を水切り籠へと入れていく。
洗い物が一通り済めば、リビングでやることはもうない。つけっぱなしだったテレビを消してリビングを離れようとする。リビングの電気も消そうかと思ったが、今家には俺とリサしかいない。防犯もかねて電気はつけっぱなしにすることにした。
自室の扉を開けると何やら人の気配を感じる。扉を大きく開けると、なぜだかリサがベッドに横たわっており、小さく寝息を立てていた。慌てて廊下に出て間取りを確認する。そして部屋の中の家具の種類や配置も確認した。間違いなく俺の部屋だ。
困惑しながら勉強机の傍まで歩き、椅子に座ってベッドを見る。暫しの間小さな寝息が続いていたが、俺の気配に気づいたのか眠そうな目をこちらに向けて「おかえり」と寝ぼけた声を向けた。
「何してるんだ?」
「んー……。今日はここで寝る……」
唖然とするような返答が来たかと思えば、すぐさま寝息がたてられた。
溜息を吐くが、だからと言って起こす気にもなれなかった。今日一日気分が落ち込んだり元気になったりと心が忙しなかったのだ。眠ってしまうのも仕方がない。
ただ、なぜ俺の部屋なんだという疑問は残ってしまう。自分の部屋のベッドに女の子が横になっているというのは心臓に良くない。長袖のジャージを着ており、上着は首元までチャックを閉じているおかげで色っぽさなどはなかったからよかったが、それでも無防備な姿でいられるのはどうにも落ち着かなかった。
気にしないようにと心の中で呟きながら、さすがに体を冷やすだろうと思い、毛布をかぶせてあげる。それから明日の予定表を確認する。来週には中間試験があるので、その準備に取り掛かった。
テストの準備中はリサの可愛い寝息が耳をくすぐり、何度も耳元を掻いてしまう。勉強するときは一人で使っていた部屋で無防備なリサがすぐ後ろに居ることを意識させられる。そのせいで、どうしても勉強には集中できなかった。たまたま今日は彼女が自室に居るが、これでもしノボルさんもリサもアパート暮らしで再婚後、四人で一つのアパートに無理やり暮らしていたとしたらと考えるとゾッとする。トイレとお風呂場以外にプライベートのない空間で、ノボルさんか母がいるときはともかくどちらもいないときに、自分が平静さを保てるのかと恐れた。着替える場も洋服や下着を入れる収納ボックスもすべて共用となってしまう生活なのだから。
それを想像すると、同じ屋根の下ではあるが、それぞれ自室をもらえたのはかなりマシだといえる。ノボルさんとリサが一軒家暮らしで正直助かった。そう考えたら比較的気が楽になって勉強がはかどり始める。
ところが、はかどり始めたと思った矢先に一階から風呂が沸いたとの音声が響き渡った。仕方なしと思って一度机から離れ、リサの傍へと寄る。
「おい、リサ。起きろ」
声をかけてみるが、小さな寝息は途切れなかった。「おーい、リサー」と恐る恐る声をかけるが、やはり起きない。叩き起こすように怒鳴ってしまうのはさすがにかわいそうだと感じる。だからと言って揺り起こそうにも、彼女に触れていいのかとの緊張が心に過った。
血のつながった兄妹であったなら、揺り起こすくらいは抵抗がなかっただろう。血のつながりが一切ないとなると、戸籍上は兄妹であってもどうしても異性に見えて仕方がない。中学時代とか特にそうだったが、男子生徒が何かの拍子に女子生徒の身体に手をぶつけると、それだけで「変態」と言われたものだ。そのことが頭に過ったせいでリサの身体に触れて起こすことに極めて抵抗感を覚える。きっと肩を揺らさないと気付かないだろう。だからと言って触れていいのか?その葛藤に苛まれる。
暫くして、夜も遅いこと、台風が近づく最中、何度も外で雨風に打たれていること、今日は気分の浮き沈みが激しかったことを思い出し、彼女を先にお風呂に入らせるべきだと感じて、決心して彼女の肩に触れた。ジャージ越しだけれども彼女のぬくもりを直に感じる。
「おい、リサ。起きろ。風呂が沸いた。冷める前にさっさと入れ」
鼓動が早まるなかまるで自分に言い訳をするように早口でまくし立てた。機械のように彼女を揺り動かしながら何度も何度も同じ言葉を繰り返すと、やっと目を開けてほんの少しだけ起き上がる。
「お風呂……?先に入っていいよ……?」
「いや、お前が先に入れ。今日色々疲れてるだろ?俺はもう少し勉強したいから先に頼む」
リサは「んー」と小さく唸りながらやっとベッドから降りてくれた。これで一息つけると安心する。
ところが何を思ったのか突然彼女は上着のチャックを下し始めたのだ。幸いにも下にはティシャツを羽織っていたが、彼女のその動作はここで服を脱ごうとしている動作だと気付き、慌ててその手を掴む。
「ちょっと待て!ここで脱ぐな!」
正直、なんで?どうして?とパニックになっていた。いくら寝ぼけて俺が目の前にいることを理解していないとか、リサ自身の部屋にいると勘違いしているからと言って、風呂に向かう前に脱ぐという動作が入るのか分からなかった。替えの服だけをもっていって風呂場で着替えればいいはずなのだから。
とはいえ彼女の尊厳を考えると、パニックになっている暇はない。寝ぼけている人間とはそういうものかと納得させてとにかく目を覚まさせることに専念した。
何度も声をかけているうちに、彼女も徐々に意識をはっきりさせていく。
「あれ?ジュンくんだ……」
今になって俺の存在に気づいたかのようだった。
「んー。どうしたの……?」
さっき俺が行ったことを忘れてしまったらしいので、もう一度言う。
「風呂、沸いたみたいだから入って来いよ。一応ここ、俺の部屋だからな、自分の部屋に戻れよ?」
リサは暫く周囲を見て
「あれ?ジュンくんの部屋だ」
と呟いた。
中途半端に覚醒ている状態なので、若干足取りがおぼつかないが、俺の部屋から出ていく。暫くしてから隣の扉の開閉音が二度響き、階段を下りる音が聞こえたので、ひとまず風呂場に向かったかと安心した。熱いお湯につかれば目を覚ますだろう。
俺はリサが風呂から上がるまで、テスト対策に打ち込むことにした。




