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傘が折れてしまうのではないかと思うほど、時々突風が流れる中、再び家に辿り着いた。下校時とは異なりレインコートを羽織っていたので上着は雨では濡れなかったが、ズボンの裾は目いっぱい水を吸っており、下着は蒸れて汗でびしょびしょだった。
「濡れなくて便利だけど、やっぱ蒸れるよね~」
何やら間延びした声を出しながらリサはレインコートを玄関先でバンバンと音をたてて水を払っていた。彼女の髪を見ると傘で雨を防いでいたはずなのに妙に髪先が濡れているようだった。
「レインコートはどこ干す?」
「リビングでいいんじゃない?玄関に干す場所ないし」
そう言われたので、レインコートを抱えてリビングに向かった。
リビングの扉を開けるとテレビの音が漏れていた。どうやらリサの下へと向かうときに消し忘れたらしい。それに感づいたリサが
「ちゃんと消してから家出なきゃだめだよ」
と注意する。
「おっちょこちょいだね、ジュンお兄ちゃん」
くすくすと笑みを浮かべる彼女に思わず半目を向けてしまった。
レインコートを制服の隣に干し、テレビの電源を落とした。時計を見ると六時半を回っている。そろそろ夕飯の支度をしようと思ったところでリサから声が上がった。
「あ。お父さんたち、今日泊まってくるって」
どうやら運転見合わせがかなり効いているらしく、帰る足がないそうだ。ここから職場まで確か一時間ちょい位の距離。タクシーで帰れなくはないだろうが、お金はかかるし、運転見合わせの原因となっている氾濫危険水域に達した河川の橋をどのみち通らなくてはいけない。それだったらと言うことで、どうもビジネスホテルを借りて泊まっていくらしい。
「別々の部屋で泊まるのかね?」
「一緒の部屋みたいよ?」
ノボルさんも母も同じ職場に勤めているので、一緒に泊まっては変な噂が立たないかと思い
「男女同室で大丈夫なのかな?」
と呟いたが、リサから
「夫婦なんだから問題ないでしょ?」
と言われてそれもそうかと納得する。
「そもそもお父さんたちのこと心配している余裕ないんじゃないの?」
リサに言われて
「どういうこと?」
と聞き返すと、彼女は途端に悪いことを考えているような笑みを浮かべ、腰をかがめ、上目遣いで俺の顔を覗き込んだ。
「今日は二人きりだよ?ジュンお兄ちゃん」
からかいの籠ったその笑みにほんの少しだけ鼓動を早まらせた。あべこべのセリフに戸惑いを隠せず、何も答えられない。それを察したリサが口角をさらに上げて
「どうしたの?ジュンお兄ちゃん」
と一歩近づいてくるものだから、俺も思わず一歩後ずさる。
「今まで夜はお父さんたちいたもんねー?なのに今日に限ってお父さんもサチコさんもいないもんねー。男の子と女の子が同じ屋根の下で二人きり。とっても緊張するんじゃない?」
リサの顔は緊張しているようにも照れているようにも見えず、耳は全く赤くなっていなかった。対して俺の耳は熱くなっているのがよく分かる。こういうのって女の子の方が恥ずかしがるかもしくは嫌がるものじゃないのかなと思っているのだけれども、少なくともリサ相手にはその感覚は先入観のようだった。
一歩一歩と下がっていくうちに、壁に背中がついてしまう。これ以上、下がれなくなったところで突然「えい」と声を出しながらリサが俺に抱き着いてきた。なぜそうなるのか分からず、思わずパニックになり「うわあああ」と奇声を上げて尻餅をついてしまう。
その様子にリサは「あはは」と大きな声で、そして楽しそうに、純粋に笑って俺を見ていた。




