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リサの模試の結果は知られることなくそのまま放課後を迎えた。終業のホームルームで天辰先生は
「おまえらも西陣に倣ってしっかり勉強しろよ」
というものだから皆が一層興味関心を持ってしまったのだが、当のリサは何食わぬ顔で自席に座している。きっと数日もすれば名前が載ったか載ってないかについて、上級生から噂が流れるだろうけれども。
ホームルームが終わると彼女はそのまま教室を出て行った。これから塾に向かうはずだ。
ただ、いつもと違って俺に一声はかけなかった。左頬にガーゼが付いているのを彼女はきっと目に入っていたに違いない。ただ、ちょっとした擦り傷だから気にしなかったのだろうか?少なくとも心配するそぶりを見せなかった。それとも愛想をつかされたのだろうか。そもそも怪我ごときで心配しあうような間柄でもなかったか。
鞄を抱えて椅子から立つ。早速ズキンと右足首に鈍い痛みが走る。やはり数時間で捻挫は治らない。我慢すれば普通に歩けなくはないが、やはり痛いのでついついケンケン足で、左足だけで移動することになってしまう。これは自宅まで帰るのも一苦労だ。ノボルさんと母が早めに帰ってこない限りは夕飯の担当は俺になる。冷蔵庫に材料は残っていただろうか?買い物をしてから自宅に帰る場合には鞄の他にスーパーで買ったものが追加され重くなる。だからと言って足が痛い中、一度家に帰ってから買い物に行くのも億劫だ。
どうした方がよいのか悩みながら、とりあえず一度自宅に帰って、冷蔵庫の中身を見てから考えることにした。
家に到着し玄関を見る。リサの靴が見当たらなかった。家に帰らずそのまま塾に向かったようだ。着替えてからベッドに横たわり、今日のリサの豹変ぶりを思い出す。
彼女が不機嫌になった理由はいまだにわからない。会話の途中で怒っているかのように険しい顔を浮かべていたけれども、自分発言に問題があったのか態度に問題があったのかそれともほかに彼女が不満を抱くようなことをしてしまっていたのか。当時のことを思い出そうとしたが、生憎具体的に思い出すことができなかった。
溜息を吐き、足を引きずりながら一階に降りる。冷蔵庫の中を見て、まだ材料がそれなりにあることが分かった。無理に出かける必要はないと思い安堵する。そして足を引きずりながら部屋に戻り、陽が暮れるまで今日の授業の復習をすることにした。
復習が一段落して窓を見ればすっかり暗くなっており、時計は六時半を指していた。背伸びをして立ち上がり、ケンケン足で一階へと向かう。
ノボルさんと母が家に帰ってくるのはいつもだいたい八時くらいだ。なので自分が料理当番のときは七時くらいから料理を始める。あまり凝った料理を作る趣味はないので、野菜を中心におき、基本的な調理法は、煮る、焼く、炒める、茹でるで、所々で調味料を加えていくという単純な方法で済ませてきた。だから特別美味しいわけでもないし独特な味わいがあるわけでもない。その分料理のヴァリエーションは少なくなるけれども、母と二人暮らしをしていたころはあまり材料にお金をかけられなかったし、それが当たり前だったので気にはならなかった。
対照的に西陣家は材料だけでなく調味料にもお金をかけているようだった。その分料理のヴァリエーションも増えるわけだから、ノボルさんもリサも母や俺よりも色々な料理が作れる。お世話になっているからもう少し貢献したいと思っていたが、二人に対して補うような何かを持っているわけではなく、やらないよりはマシだくらいにしか感じられない。機会があれば二人から料理を教わった方がいいかもしれない。今のリサから教わるのは難しいかもしれないけれども。
ご飯を炊き、みそ汁を温め、同時に野菜炒めを作った。一通り出来上がったのを確認して、コンロの火を止める。すぐに盛り付けはしない。ノボルさんたちが帰宅するのを待ってもう一度温めてから皿に盛ることにしている。
その間、やることがなくなり、かといって部屋に戻るのも億劫なので、テレビをつけた。暇つぶしだ。チャンネルをポチポチと変え一通り番組を見ていくが、心を惹かれるようなものがなく、諦めて電源を落とした。みんなが帰ってくるまで少し休もうと思い、リビングのソファーに腰を深く落として目を閉じる。
夢と言うのは不思議なもので、その時々に思っていたことが強く反映されることもあれば、忘れかけていたことを思い出させてくれることもある。
ほんの少し目を瞑ったときに見た夢はどうやら前者だったようで、俺をきつく睨むリサの姿を見せつけられていた。そのときに交わされた会話を思い出すことはなかったけれども、それでも余程印象に残っていたのだろうか。リサがどうしてそういう目を向けて来たのか気になり、もし自分に問題があるなら謝りたいと強く感じてしまった。
不思議だ。夢は本当に不思議だ。日中では穏やかだった感情の波を大きくしてしまうのだから。
はっと目を覚ますと、すでにノボルさんと母が家に帰っており、夕飯を食べていた。何かがかかっていると感じてパッと自分の身体を見ると、スーツのジャケットが身体にかけられていた。
「おはよう、ジュンくん」
目を覚ました俺に気づき、ノボルさんが声をかけてくれた。
「顔を怪我したようだね。足首にも湿布が貼られているみたいだし、体育か何かで怪我をしたのかい?」
「はい」と頷くと「大丈夫かい?」と心配してくれた。対照的に母は「情けないわね」と苦笑を浮かべている。
「転んだだけなので大丈夫です」
テーブルの上には俺の分の夕飯が並べられていた。
「すみません。俺の分まで……」
「いや。作ってくれたのは君だろう?よそうぐらいはお安い御用さ」
と優しい笑みを向けてくれた。
テーブルにつき「いただきます」を言ってから箸をつつく。ご飯を食べている途中「今日は随分とお疲れのようだね」とノボルさんから声をかけられた。
「ええ。不思議と眠かったので」
「疲れているなら先にお風呂に入りなさい」
「いえ。申し訳ないので……」
そういうと
「そう感じる必要はないよ」
と真直ぐな口調を俺に向けた。
「家族なんだから申し訳ないと思ったり遠慮したりするもんじゃないよ」
そう言われてしまうと、どう返答すればいいのか分からず、言葉を詰まらせてしまう。
そんな俺を見て母は助け船を出すかのように「深いこと考えなきゃいいのよ」と言った。




