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「なにしたんだ?」
四限の体育。校庭でハードル走の順番待ちをしているところでリョウヘイに声を掛けられる。突然の問いに何のことだか分からず
「なにが?」
と聞くと
「委員長、なんで怒ってたんだ?」
と聞かれる。
「心当たりない」
リサがなぜ不機嫌になったのかをむしろ教えてほしいのは俺の方だった。
体育は二クラスをまとめ、男女別々に分けて行われる。今、リサは体育館の方で授業に参加しているはずだ。一体どのような面持ちでどんな競技を行っているのだろうか?リサの機嫌をどう取ればいいのかばかりに意識が向いていた。
「おい!尼崎!」
五十嵐先生の大声に慌てて振り返る。ハードル走の順番が来たようだった。
慌ててクラウチングスタートの姿勢をとると、すぐさまスタートの合図がでて、慌てて走り出す。
スタート前に意識がそっぽを向いていたのが悪かったのだろう。
一つ目のハードルに近づいたとき、ジャンプするタイミングが合わず、ハードルを足でけり倒してしまう。その上、着地のバランスを崩して、足を捻らせ左肩から崩れ落ちてしまった。
右足首と左ひざと左肩が痛い。妙にズキズキとし、すぐに立ち上がれなかった。左に倒れたため、左頬が砂まみれになり、擦りむいたのか、ほんの少しだけツンとした感覚が張り付く。
「何やってんだ、バカ」
と呆れた声で五十嵐先生が寄ってきた。
「授業中によそ見すっから怪我すんだ。おい、立てるか?」
立とうとするが、右足首にズンとした痛みが走り、思わず左手をついて身体を支えようとする。五十嵐先生は溜息を吐いて俺の右腕を引っ張りと無理やり立たせ、引きずるように肩を貸した。
授業は一度中断になり保健室へと向かう。
保健室で保険医の先生に俺を放り投げると五十嵐先生はそのまま授業へと戻って行ってしまった。
「捻挫ね」
平賀先生は濡れたタオルで俺の右足首の砂をふき取り、それから乾いたタオルで水をふき取ってから湿布を貼った。
「擦り傷のところはいちど砂を洗い流してきてからね」
と言われ、ケンケンと擦り傷で痛む左足で飛びながら、水道のところへと向かった。右足を捻っているせいで、左足を上げて水道水で勢いよく洗い流すと言うことができず、水を両掌ですくってはまるで服の上から水を被るかのようにバシャバシャと傷口にかぶせた。
粗方砂を洗い流して、再びケンケンと保健室に戻ると
「ちょっと濡れすぎ」
と苦言を呈されながら乾いたタオルを受け取る。微妙に出血している傷口からタオルが血を吸い、ほんの少し赤みを帯びた。そのタオルを受け取ってから、平賀先生がガーゼを患部に当てて、テーピングをする。
左ひざと左頬にガーゼが付けられる。普段つけるものではないから、違和感が半端なかった。鏡を見ると、自分で言うのもあれだが、痛々しく見えてしまう。けれども実際に辛いのは擦り傷よりも捻挫の方だったので、頬のガーゼはかなり大袈裟だと感じてしまった。
処置が終わる頃にはチャイムが鳴ってしまったので、更衣室までケンケン足で向かった。ちょうどクラスメイトや合同クラスの生徒たちも更衣室に押しかけており、クラスメイト達から「大丈夫か?」
との声を掛けられる。
「捻った」
と一言告げればドンマイと返ってくる。
まっすぐ立つことができず、壁に寄りかかりながら着替えをする。高々捻挫で着替えもまともにできなくなるのかと情けなく感じた。
クラスメイト達とダラダラと駄弁りながらケンケン足で教室へと戻った。
普段、昼食は校庭で取っていたが、この足でわざわざ外に出るのはさすがに限界を感じた。それを察したリョウヘイが俺の隣の席に座り、いつも外でしているときのように談笑した。
昼食中、体育館で運動していた女子生徒たちが教室に順々に帰ってきた。戻ってきた女子生徒たちも談笑しているが、その輪の中にリサの姿は見受けられなかった。どうしたんだろうと疑問に思っていると同じように思っていた別の男子生徒が「委員長は?」と尋ねる。
「先生に呼び出されてたよ?模試の結果が返ってきたって」
「模試なんてあったか……?」
「ほら、先生たちに東大模試受けさせられてたじゃん」
会話が耳に入る。
東大模試と言えば文字通り東大受験者向けの予備校主催の模試。一般的には受験生、言い換えれば三年生が受ける模試だけれども、リサはその成績のよさから高校三年生と一緒に受験させても結果を出せるのではないかと言われ、受けさせられていたらしい。確か八月に催されていたはずで、そろそろ返却される頃合いだ。
隙を見て話しかけて朝の件について少し話を聞いてみようと思ったが、帰ってき次第クラスメイト達に囲まれるだろう。
案の定、封筒を携えたリサが部屋に戻るとクラスの女子たちに囲まれ、
「模試の結果はどうだった?」
と聞かれていた。彼女は何やら答えたがらず
「いうような成績じゃないよ」
と苦笑いを浮かべる。しきりにその封筒の中身を見せてもらおうと皆がひっきりなしに頼み込み、リサはリサで封筒を抱きしめるように手放さない。それがかえってみんなの関心を引いて、男子も集まってしまう。今やクラスの半数以上が彼女を囲っていた。
「大変そうだな」
囲まれているリサを遠目で見て漏れ出てしまう。
「兄貴として助けにいってやったらどうだ?」
リョウヘイの言葉に首を傾げながら顔を向けた。
「どうやって助けりゃいいんだ?」
「妹が困ってるからあまり言ってやるなとかさ」
その言葉に思わず眉間に皺を寄せてしまう。
「確かに兄妹にはなったけどよ、リサのことで口をはさむほどの資格はさすがに持ってねえよ」
兄貴と言っても戸籍上の話だし、それもここ一月半の話だ。俺たちが兄妹になったことをクラスメイトが知ってからまだ一ヶ月しか経っていない。それ以前についてはクラスメイトにとって俺とリサの関係はクラスメイトどまりでそれ以上でもそれ以外でもない。人によっては赤の他人にしか見えなかったかもしれない。そんな俺が突然兄貴面してあの輪に入るというのは自分から見ても他人から見てもてんでおかしいことは明らかだった。
「それもそっか。だけどよ……」
リョウヘイは自身の心に引っかかることを改めて尋ねるようにしかめっ面で俺に問うた。
「それだとおまえは委員長の何になるんだ?」
その問いは俺の今の立ち位置がいかに曖昧なものであるのかを指し示しているようだった。




