4.知らない世界
達巳が目を覚ますと、まったく身に覚えのない場所に仰向けで寝転がっていた。やや痛む後頭部をさすりながら達巳はゆっくりと起き上がる。
横を向くと、仰向けに眠る芽実の姿があった。寝息を立てていることに安堵して胸を撫で下ろす。
二人揃って川に流されたところまでは確かに覚えている。運良くどこかの岸に打ち上げられたのだろうか?
「ここは……」
芽実の丸見えのおへそが隠れるようにシャツを整えてやながら周囲を見渡す。
辺りには木、木、木。黄支町も自然に囲まれた町だが、それとはまったく異なる雰囲気の場所だ。人気が全く無い。
また、達巳が目を覚ました場所は小さな広場のようになっており、辺りは木が立ちなんではいるが、水の流れは一切ない。
「誰かが運んでくれたのか?」
意識が途切れる前の記憶を探ってみるが、何度思い返しても濁流に揉まれ意識が途切れるところまでしか思い出せない。
「もしかして、ここが死後の世界ってやつ!?」
「違うぞ。でもちょっと惜しいな」
独り言のつもりが、突然何処からか返答されて肩が跳ねる。
振り向くと、体長40センチメートル程度の小動物が腕を組んでいた。一見、哺乳類と思われる動物の格好で、ビーバーやカピバラのような容姿に似ている。
驚くべきはその小動物が二本足で立ち、腕を組んでいる事だった。さらに耳の横には悪魔のような角が生えていた。
動物の横には気を失う前よりも増して顔色が悪いミレアが、動物の立つ切り株に背を任せてうなだれている。
「この姿に混乱しているようだな。儂だ、ヴォルホークだ。手洗い場借りた奴だ」
「この格好は?前は俺よりも身長高かったのにこんな……。てか完全に哺乳類になっちゃって……」
達巳は膝を地面に付けると、上体を伏せてヴォルホークの目線にまで自分も顔を下ろす。
朝、初めて出会った時の威圧感が欠片もない。むしろずんぐりむっくりした体型に一種の愛嬌さえ感じる。
「魔力を使いすぎなのか体が後退して幼い頃の姿になってしまった。そのうえ魔力器官に障害がでてまともに魔法が使えん。本当に見てくれ通りの雑魚だ」
どうやら深刻な状況に聞こえるが、ヴォルホークはそれを感じさせない口調だった。自身の膨らんだお腹をぽんっと叩きながら、情けない体になっても余裕ある態度を見せる。
「魔力使いすぎるとそうなっちゃうもの……?」
達巳は現実味の無い事が連続して起きたせいで感性が麻痺し始めたのか、非現実な出来事を受け入れ始めていた。
「しかし驚いたぞ。お手洗いから帰ってきたらお前は何処かに走り去って行くし、追いかければ川の中に落ちてるし」
「……そうだ!濁流に飲み込まれてからの事、覚えてなくて!ここって何処なんですか?」
「そうか、ちょっと説明してやらないとわからないか。
まず一つ、濁流に飲み込まれていたお前たちの事だが、そこは儂が華麗に救い出した。だが、お前たち二人共衰弱しきっていた。もう瀕死よ瀕死。つーか、一回心臓止まったわ」
「えっ」
達巳は思わず左胸を掴む。やや速い心臓の音が確かに伝わってくる。確かに生きている実感があった。
達巳の反応を見ながらヴォルホークは話を続けた。
「んでお手洗いを借りた礼もあったから、頑張って蘇生してみるかと試したら出来た。
だから安心しろ。お前は今、確かに生きているぞ」
「俺、お手洗いを貸したおかげで今生きてるってこと?」
「その小さな優しさで助かったと思えば結構な美談だろう」
「そう、ですかね……」
「物は考えようとも言うし、生きているのだから気にするな。
次にここは何処か?という質問だが、ここは儂らが元々住んでいた世界だ。
何故こちらの世界に居るのかと言うと、蘇生は繊細な魔力操作が求められたからだ」
なんでも、達巳たちの住んでいた世界、こちらでは“隔世”と呼ばれている世界は魔力濃度が薄い分、魔法の効力も薄く調整も難しいのだという。
蘇生には繊細な魔力操作が必要なため、一旦達巳たちを急いでこちらの世界に転移させた後、蘇生を試みたのだという。
そうしてヴォルホークは最後に宙に手を広げてみせて、応答を終えた。
「それで俺も芽実も生き返ったと……」
「おう。だがひとつ、お前たちに謝らないといけないことがある」
達巳はきょとんとした。
謝らなければならない事が今の話の中にあっただろうか?
あるとすればミレアのお陰で芽実に誤解されてしまったことぐらいである。
「魔力を使いまくったうえに、相当無茶したせいで儂の魔力器官が不調になってな?」
「はい」
「だからお前たちを元の世界に返してやる魔力も無いし、転移魔法も使えなくなった」
端的に言うと、達巳たちを元の世界に帰す術が無くなってしまったのだ。
「え、ちょっ……俺妹の送迎とかあるんですけど!」
「その程度だったら、今は諦めてくれ」
ヴォルホークの小さな肩に手を置き、達巳が切迫する。しかし戻らないといけない理由がたいしたことないと判断したヴォルホークは呑気に返答した。
「いつ帰れるんですか?俺連休終わったら普通に大学の講義だってあるんですけど!単位、単位落としちゃう!」
達巳とヴォルホークの会話がうるさかったのか、芽実が腕を伸ばしてゆっくりと起き上がった。
「なんかめっちゃ寝た気がする……」
まだ重い瞼は上がりきっておらず、首もうなだれたまま欠伸をつく。
「あれだけ色々あったのに呑気だな……」
達巳の言葉を聞いた芽実は数秒固まった後、自分が川に転落した事を思い出し、「あ!」と大声で叫び立ち上がった。そして周りを見渡して、達巳に泣きそうな顔で詰め寄る。
「どこ、ココ?」
「まてまて、ちゃんと順を追って説明してやるから落ち着けっ。
はい、深呼吸な?吸って……吐いて……」
「すーはー……すーはー……」
「手慣れてんな」
二人の寸劇のようなやり取りを見たヴォルホークが呟くと、それに気づいた芽実がわなわなと震える。
「動物がっ、喋ってる!でもぶっっさ!」
達巳は芽実の騒がしさに少し頭を抱えて溜息をつき、ヴォルホークと一緒に状況を説明した。
「――それでなんやかんやで助かったってこと?」
「そうだな。でも蘇生した影響でお前たち二人を帰してやるだけの魔力は無い」
「なんだと、このブサイク哺乳類。偉そうに二足で立ちおって」
「ぉぐっ!」
「首絞めないの!てかお前が逃げ出さなかったらこうならなかったろ!」
「はぁあ?もう何言ってんの!?
あのまま朝からよろしくやってればよかったじゃん!たっくんが勝手に追いかけてきたんでしょ!」
二人が現状の原因を擦り付け合っていると、ヴォルホークが首を傾げて呟く。
「この状況はあの男のせいじゃないのか?」
達巳はハッと振り返ってヴォルホークを見た。
「やっぱりあのフードの男、俺が幻視したわけじゃないんですね」
「フードって?誰かいたの?」
芽実が首を傾げて二人に問うた。
芽実はどうやら、川に転落する瞬間、男に突き飛ばされたのだと気付いていないようだった。死角から背中を押されたせいで気付いていなかったようで、突き飛ばされたという自覚も無かったらしい。
「お前の背中を突き飛ばした奴がいた。
お前たちを川から引き揚げる方を優先したから、そいつについてはどうしたかわからないままだが……」
ヴォルホークが芽実を見上げて言う。
自分を殺しに来た謎の男の存在に寒気がして、芽実は鳥肌の立った肩を撫でる。
「俺たちこの後どうすれば?」
隔世へ帰る方法も無く、謎の男についても分からず仕舞いで困り果て、達巳はヴォルホークに問う。
「んー」声を漏らしたヴォルホークは口を横一文字に閉じて眉を寄せる。数秒悩んでから一度落ち着ける場所を探そう、と提案した。
「儂の魔力器官も、3ヶ月もすれば元に戻るだろう。単純に魔力を使いすぎた機能不全だし、回復したらお前たちをまた隔世まで送ってやる。
だから、それまで落ち着ける場所を探す、いいか?」
達巳が小さく頷き、了解したと意思表示した。
その瞬間、騒々しい音が木々で遮られた視界の向こうから聞こえた。
土を蹴る音と葉が揺れる音が森中に響き、時に右から、時に左から聞こえてくる。何かが高速で走り回っているのだと気付き、それがこちらに近づいてきているとも理解して達巳は息を飲み、芽実は怖がって達巳の服を摘まんだ。
「何か来るな、俗獣か?」
「ぞくじゅー?なにそれっ?」
声を震わせながら、芽実がヴォルホークに尋ねる。
「簡単に言うと、超凶暴な獣だ。普通の獣とは桁外れの身体能力を持つ怪物的存在。人の村を焼き払うものや、山を削ってしまうものもいるとか言われる」
「え、ヤバい系?」
「超ヤバい系だ。いつでも逃げられるようにしろ」
徐々に近づいてくる音の正体にヴォルホークは身構え、警戒を促した。
普段なら自分が対処してしまうところだが、本来の姿を失い、十全に力を発揮できない状況で達巳たちを守り切れる保証はない。
「ミレアさんはどうします?」
「あ、スマン忘れてた!立てないから背負ってやってくれ!」
達巳は一瞬戸惑って、ミレアを背負う。
触れることも戸惑うほどに美しい麗人の胸が背中に押し付けられ、仄かに甘い香りが達巳をおそい、この状況ながら達巳は胸中ざわめき顔を赤くする。
「おうおう、良いご身分ですな。さながらお姫様を守る騎士様ってか」
ドスのきいた声が達巳の耳元で囁かれる。芽実だ。
達巳の表情が緩んでいるのを見た彼女の声には、この状況で何を浮かれているのか、と戒める念が籠っている。
「何も変な事考えてないからね!そもそもミレアさんは会ったばかりで、特別な仲じゃなくて!」
「特別な仲でもない人と朝からよろしくやってたと?」
「アレ俺も突然体くっつけられてビックリしてたんだって!」
黒髪の少女の、長い前髪の隙間から覗く鋭い目の輝きに、達巳は冷や汗をかきながら弁解する。
ヴォォオオオオ!!
「!!」
茂みの向こう、雄叫びの方へ反射的に揃って首を向ける。
間を置かず、声の主が木々をかき分け猛進しながら現れた。それは体長が優に2メートルを上回る体格の大猪だった。
大猪は躊躇することもなく、唸り声をあげながら達巳たちへ向かって4人に向けて猛進を始めた。