2-1.空腹の夢魔
「あの……魔王様」
「どうしたミレア。今儂は尿意でちょっとしたピンチなんだが」
達巳がお手洗いを案内するためにヴォルホークとミレアを玄関まで案内したところで、ミレアが申し訳なさそうに声を掛けた。
「私、そろそろ限界で……いただいてもよろしいですか?」
「んん……勇者一行との一戦に転移魔法のせいで、儂今魔力も生気もゲッソリなんだ。もうちょっと我慢な」
何の話だ?
達巳は二人の話をわけもわからず聞いていた。
ミレアと称する妖艶な黒髪の女性は自身では立つこともままならず、魔王と呼ばれた男、ヴォルホークに支えられていた。
貧血でも起こしているのだろうか、初めて会ってから顔色が悪く、唇や指先が薄っすら青白い。
明らかに体調不良の様子に気を取られていたが、この女性、よく見ると服を着た上からも分かる豊かな肉付きをしており、直視を戸惑うほど綺麗な容姿をしている。どことなく感じる妖しい雰囲気も重なって触ったら崩れてしまいそうな、そんな危うさと儚さを漂わせている。
(この人、医者に診てもらったほうが良いんじゃないかな)
玄関に座らせると、ミレアはそのままぐったり壁に身を任せる。
「具合が悪いならお水でも持ってきましょうか」
達巳の心配している様子にヴォルホークが感心しつつ、会話さえ難しいミレアに代わり達巳の言葉に答える。
「生気が枯渇しているんだ。動物の生きる活力を吸って生きる夢魔の、分かりやすく言えば飯だな。それがカラッカラだからこうなっている」
「え、これ空腹なんだ……」
「――っと、儂は先にこの尿意をどうにかしたいんだが、この先突き当たり?」
「あ、そうです、どうぞ。ミレアさんも、ご飯食べますか?」
「!!」
その一言にミレアの瞳がキラキラと輝きを得る。物乞いしい顔の小犬を彷彿とさせる純粋な目だ。ご飯と言っても今朝の残りでたいしたものではないのにと、達巳は少し申し訳なくなる。
達巳の言葉にヴォルホークも少し驚きながら、達巳の申し出を受け入れてお願いする。
「本当に良いのか?じゃあ頼むわ、儂は色々あってミレアに食わせてやれる程のモンがねぇから」
そう言うとヴォルホークは立ち上がり、とたとたと歩いた廊下の突き当りを曲がって行ってしまった。
が、朝食の余りを用意しようとしていた達巳には、今の言葉が何を意味しているのか不可解で、違和感を抱いた。
「食わせてやれる?……って、ただのご飯じゃ――」
達巳が疑問を投げても既に遅く、トイレのドアが閉まる音が廊下から届いた。
とほぼ同時に、ミレアが力を振り絞るようにその豊かな体を達巳に近づける。
達巳の肩に手を乗せ、そのまま彼女の体重を達巳に任せた。1メートル足らずの距離でも、それが今の彼女にとって必死の移動で、達巳の体に寄り掛からないと体を支えきれない。
一方でミレアの豊かでしなやかな体を密着させられて達巳は驚き思わず声が上ずり、目を見開いた。
数センチメートル先にまで近づいたミレアの目は相変わらず輝き、過激に表現するならば、猟奇的な眼差しをしている。
間違いなく狩る者の眼だ。
(ちょぉぉぉおおおお、なに?!何されるの!?)
ミレアの荒い吐息が達巳の思考を痺れさせ、ほのかに甘い香りが嗅覚を刺激してなお一層混乱する。
視界を占める美麗な肌に長い睫毛、青紫に染まり乾燥してなお美しい唇に目を釘付けにされてしまう。そして達巳にその身を寄せるミレアの、豊かな体の肉付きと温度が達巳の体を硬直させる。衣越しにミレアの胸が押しつぶされるのを体感し、達巳は全身が金縛りにあったかのように緊張してしまう。
(やばいやばいやばいやばいやばいヤばいヤバイやばい!!)
心臓の鼓動が急加速して、脳内で反響する警鐘が逆に思考力をかき消す。自身でこの状況を打開する余裕はすでに無く、達巳は眼前に佇む美貌の夢魔に見惚れるほかなかった。
そっと、ミレアの唇が達巳の唇に近づく。
より近くに感じる甘い香りが達巳を捕らえて離さない。すっかりその妖艶さと美貌に逃れようのない達巳に、ミレアがそっと囁いた。
「いただきます、ね?」