17.荷馬車駆る少女
晴れ渡る青空の下、荷馬車を駆って山道をひた走る少女の姿があった。
「急いで急いで急いでーー!」
荷馬車をあやつる少女、カミュラは後ろを振り返って、荷馬車を追いかける巨大な蛇を振り切れていないか確認した。
必至に荷馬車をひく二頭の馬の息は荒く、このまま全速力で走り続けることは無理だろう。休ませてやりたいが、今ここで立ち止まっては、蛇の餌食になるだけだ。
ガララララッ!!
喉を鳴らしながら、巨大な蛇はなお荷馬車を狙って追いかけてきてた。
「こここ、こんなことなら庸雄に護衛をお願いするんだったよー!」
泣きながら追跡者を振り切ろうと荷馬車を駆る。隣町の市場へでた帰りがけに、こんな大きな俗獣に遭遇するなんて最悪だ。
急な商談だったために護衛を雇う時間も無かった今回に限って、なぜこんな目に遭うのか。カミュラは自分の運の無さを呪った。
半ば混乱したカミュラは馬車を真っすぐ進ませることも難しく、不意に荷車の車輪が舗装された道から踏み外してしまうと、荷車がそのまま森の傾斜に吸い込まれる。それにつられて、馬たちも道から逸れて、森の中に引き込まれた。
「うわわわわわ!」
しがみつく様に手綱を握って、カミュラは叫んだ。完全にパニック状態に陥り、絶叫しながら森の傾斜を走り抜ける。
突然馬車が急停止して、カミュラは荷馬車から転げ落ちる。頭をおさえながら立ち上がり、馬たちの様子を見る。どうやら怪我は無いようで、カミュラはほっと胸を撫で下ろした。
馬たちを撫でながら、なぜ馬車が急停止したのか原因を探すと、荷馬車の車輪がぬかるみに嵌っていた。
「川の水が溢れてきてたのかな?」
この辺りは雪解けの時期に川が増水して氾濫する場所がいくつかある。おそらくどこかの川が氾濫して溢れた川水のせいで、このようなぬかるみが出来てしまったのだろう。それが森の中にぬかるみが出来てしまった原因だろうとカミュラは推理した。山の方からちょろちょろと水が流れてきているのが、なによりの証明だ。
「ま、まあ……ここまで来れば大丈夫だよね」
カミュラは深呼吸して息を整えて平常心を取り戻した。
しかし次の瞬間、カミュラは再び固まってしまう。人型の草の塊がぞろぞろと森の奥から現れたのだ。見たことも無く、人なのか俗獣かもわからないソレは一人だけでなく、二人、三人と姿を現す。
「ひゃやああ……、なになになにぃ……?」
思わず尻もちをついて震える。得体のしれないソレはカミュラを取り囲んで静かに見下ろしている。そのうちの一人が一歩踏み出し、カミュラにそ~っと顔を寄せた。緑色に光る瞳が不気味にこちらを覗き込む。
「たたたた、食べないでぇええ!」
大粒の涙を散らしながら叫ぶと同時に、ソレの頭が首から外れ、中から少女の首が露わになった。清らかな金髪に澄んだ緑色の瞳をしている。
「……ひ、人?」
「はい!叫び声が聞こえたので来てみたんですけど大丈夫ですか?何かに襲われでもしました?」
今まさに、目の前にいるシエルに襲われるかと思ったとも言えないカミュラが、口を踊らせて迷っていると自分を取り囲む人影の外から声が飛んできた。
「そんなの被って取り囲んだら、食べられるって思われても仕方ないんじゃない?」
木々の後ろからゆっくりと、麦わら帽子を被った芽実が姿を現した。
また、人型の草木たちも次々に被り物を外した。シエルに続き達巳、ヴォルホーク、ミレアが姿を現す。
「そんな怖い?」
「少なくともこんな薄暗い森で出会ったら怖い」
達巳が尋ねると芽実が端的に答えた。
「アルタの村の人達が、俗獣に見つかりにくいって言ってくれたものなのに」
「どう言い繕っても、外見のそれはヤバめな部族だよ」
達巳に続いてヴォルホークとミレアも草木で出来た被り物と上着を外した。
皆が上着を外したところで、ヴォルホークは荷馬車がぬかるみに嵌っていることに気付く。達巳を呼び、その肩に乗ってカミュラに問う。
「これ泥の外に出すか?」
「え、良いんですか良いんですか良いんですか!?馬たちに前から牽いてもらうので後ろから押してもらうって感じでお願いします!」
カミュラが馬たちに前に進むよう指示を出す。達巳は腕を捲って荷馬車に手もかける。「行けます」と準備が出来たことをヴォルホークに伝えると、肩に乗った小動物の容姿をした魔人から魔力が流れ込む。
腕に力を籠めると、馬二頭でも抜け出せなかった泥のぬかるみから、荷馬車はいとも容易く脱した。
「おおおお!すっごい力持ち!」
カミュラが手を合わせて大袈裟に喜ぶ声が、薄暗い森に響く。
「儂らはメトロフの町まで行くのだが、森を抜けて道に出るまで一緒に行くか?」
「それなら丁度私もメトロフに帰るところだったんで、馬が走れる道まで出たら任せてください!ちょっと狭いけど町まで送りますよ!」
カミュラを拾った一行は、そのまま森を抜けて舗装された道に出た。まだ辺りは明るく、この調子なら日没前までにはメトロフに到着できそうだ。
「でも良かったよ。俺たちはメトロフまでショートカットするために森を歩いていたけど、そうじゃ無かったらカミュラに気付かずにいるところだった」
「私も運が良かったですよー!
達巳さんたちが見つけてくれていなかったら今頃蛇に食べられてました!!きっと運んでた卵に寄ってきちゃったんだろうけど、死ぬかと思った―!!」
カミュラが「でもここまで来れば大丈夫!」と言った矢先、今抜けてきた森の方から、バキバキと木々が折れる音が響いた。
カミュラは驚いて肩を上げ、そのまま凍り付く。顔面は真っ青になって全身鳥肌が立ち、冷や汗が頬を伝った。
「もう綺麗なフラグ立てご苦労様って感じなんだけど」
「だよなぁ」
達巳と芽実が目を合わせる。次の瞬間、荷馬車ごと余裕で丸呑みできるだろう大蛇が薄暗い森の中から姿を現した。
蛇は舌を出し入れしながら一同を吟味すると、カミュラへ向かって迷いなく這い寄ってくる。
「なんでなんでなんで!?これだけ人がいるのに、なんで私!?荷馬車の方じゃないのーー!?」
「蛇って言うほど卵食わないし、狙うなら人の方だよな」
「一番若々しくて美味しそうに見えたんでしょ」
蛇はその種類によるが、カエルやネズミ、鶏などが主な獲物。イメージにあるほど卵を食べることはない。
達巳の妹、梳翔が嬉しそうに語っていた蛇の特徴を思い出しながら、達巳と芽実は蛇に舌なめずりされているカミュラを眺める。
「私の後ろに!」
震えるカミュラと蛇の間に立って、シエルが盾を構えた。
二人をまるごと飲み込もうと蛇は大きく口を開けて襲い掛かろうと身を屈めたその瞬間、一本の槍が蛇の大口を貫き、そのまま地面に突きささる。
槍が邪魔で口を開けることも、身動きも取ることも出来なくなった蛇の周囲を冷気が包むと、その体は一瞬で凍り付く。
「これって……」
相手を凍りつかせる魔法。見覚えのある魔法に、達巳が声を漏らすとひとつの影が宙を切って着地した。
「ハーハッハッハッハ!!追いついたわね!!
喜びなさい、この未来の魔王、エクセトラ・シガレット様を再びまみえることに!!」
「朝別れたばっかでありがたみ無いぞ」
高笑いする魔人の少女とはうってかわり、ヴォルホークは普段と変わらぬ温度で接する。
「アタシ達だってこんな早く村を出発するつもりはなかったわよ、でもね」
エクセトラはシエルの方へ振り返ると、懐から凝った装飾をした懐中時計を取り出した。それを見てシエルは大きく飛び上がってエクセトラに駆け寄る。
「どうしてクーちゃんがこれ持ってるの!?」
「アンタが置いて行ったんでしょ!どうせ寝ぼけて机の上に置いたまま、忘れて行ったんじゃないの?
か・ん・しゃ!しなさいよね!――っプ!!」
「クーちゃんありがとう!わざわざ届けてくれるなんて嬉しい!!いい子だよぉ!」
「いっ、痛っ!
力強いのよアンタ!――ったあ!抱きしめるなぁああ!」
「すりすりすりーー!」
「あああああぁあああ!!離せぇええええ!!!」
傾き始めた日差しに照らされながら、エクセトラの絶叫が甲高く響いた。