15.長い一日の終わり
「いたたた……」
「あら、シエルちゃん。怪我したの?」
アッガスによって傷を負ったシエルが、先刻ミレアにあてがわれた病室に担ぎ込まれた。担架でベッドまで運ばれる彼女をミレアが覗き込む。
夢魔の麗人、ミレアは村が襲われた時、外へ出たシエルとは別に院内の病人をこの部屋に避難させていた。
状況が収束し、病人を各部屋に帰して怪我人の手当てを手伝っていたミレアが担架を運ぶ達巳に近づくと、そこにはわき腹をおさえて痛みに耐えるシエルがいた。
「無茶しないようにって言ったのに」
「面目ないです……」
ベッドにまで運ばれたシエルの横にミレアが座る。遠目に忙しく患者を診ている医師を見て、自分が診てしまおうとシエルに身を寄せる。
「ミレアさん診察できるんですか?」
「ええ、まあ。夢魔だから♪」
柔らかく微笑むミレアを見て達巳が納得しかけるが、肩に乗ったヴォルホークが「ミレアが治癒方面に寄ってるだけで、夢魔がそういった種族ってわけじゃねえぞ」と補足する。
「シエルちゃんちょっと失礼するね」
ミレアはシエルの服を持ち上げてその傷の様子をうかがった。
美少女の素肌をみ見て急に恥ずかしくなった達巳は「外出てます!」と顔を赤くするがシエルもミレアも気にしないので居て良いと笑った。
しかしどんな表情でその場にいれば良いか分からず、達巳は戸惑いながら二人を眺める。
「達巳、お前今すげえ気持ち悪い顔してるぞ」
「んえっ!?」
ヴォルホークの指摘に過敏に反応して必死に平静を装う。しかし意識すればするほど達巳の表情は変に歪んでいった。
しかし次の瞬間、達巳は目玉が飛び出るほどに目を見開く。シエルのわき腹に突然、ミレアが口付けをしたためだ。
「んひっ」
シエルも驚いて声を跳ねらせる。
突然気が動転したのかと焦るが、ミレアの唇が触れた箇所から痛みが薄れていくのを実感した。やがて痛みは完全に消え、シエルが上体を振ってももう何ともなくなっていた。
「すごい!凄いですミレアさん!
……ってミレアさん、顔げっそりしちゃってます、大丈夫ですか!?」
「自分の生気を用いて他人の傷を治せる、夢魔の治癒能力を使っただけだから心配しないで大丈夫。ちょっと疲れるだけ……だからぁ……」
「本当にちょっとですか!?今にも魂抜けちゃいそうになっちゃってますよ!」
シエルはミレアの心配してその肩を支える。夢魔の美女は、見覚えのある儚い笑顔で消え入りそうに笑っていた。
「大丈夫、大丈夫……。フフフフフフ……」
「ミレアさーん!」
体から力が抜けたミレアを見て達巳が大丈夫なのかとヴォルホークに問う。彼曰く、達巳と芽実の時ほど深刻ではないので、休息を取れば良くなるらしい。
とりあえず達巳とシエルは胸を撫で下ろした。
ふと、シエルが外を見ると日が陰っていることに気付き、目を輝かせ始める。
「晩御飯は猪鍋!ミレアさんにご馳走して、早く元気になってもらいましょう!!」
「ついさっきまで病人だったのに元気だな」
「ご飯の事を考えたら元気になっちゃいますよ!さささ、準備です!!」
「でも盗賊が村を襲ったせいで、猪の血抜き間に合ってないとかなんとか狩猟会の人が言ってたよ」
「がーん!」
シエルは地に膝をついて気を落とした。絵に描いたような落ち込み方だった。
しかし彼女の再起は早く、病室に近づく何とも言えない香りに鼻を鳴らすと、顔を上げた。
「いい匂いがします!」
病室に盆を抱えた芽実が入って来た。
机の上に盆を置く。白い湯気をたたせる鍋と、人数分の小皿が乗っていた。
「猪のお肉なかったけど鶏肉貰えたから、鶏鍋作ってきた」
「ご苦労様、そっちの手伝いも終わったんだな」
「はぁぁあ……、美味しそうです!!」
待てと言われた犬の様に自分を見上げるシエルに、芽実は若干引き気味に「いいよ食べて」と促した。
金髪の少女はきらきらと目を輝かせておたまに手を伸ばした。
「食べるの好きなんだな」
「はい!!!」
シエルは今生の幸せを噛みしめながら、お鍋も噛みしめる。
達巳たちも彼女に続いて鍋をつつき始めた。
「ところでシエル話がある……ておい、聞いてんのか?」
「……」
「おいシエル。おい、おいこの、……こいつ鍋食うことに全力で喋ろうとすらしねえ!
口の中の物のみこんでもすかさず次の物を頬張りやがる!」
「食べながら喋らないのは行儀良いんですけどね……」
「食い意地はって話そうとしねえ!」
シエルはヴォルホークの方を見てはいるが、鍋をつつき続けて一言も喋らない。しかも全く止まる様子も無く食べ続けるので会話にならない。
ヴォルホークは少女からお椀を引き剥がそうとするが、まるで接着しているかのようにシエルの手からお椀が離れない。離すまいと全力で持っている。
ヴォルホークは仕方なくシエルのお椀を奪い取るのを諦めると、溜息を吐いてそのまま話し始めた。
「シエル、お前村を出るって言っていたよな?儂達も村を出ようと考えている。だから改めて、さっきのお前の提案を受けようと思う」
「――!」
鍋を頬張っているシエルの目が見開かれ、輝く。
それでも口の中の食べ物を飲み込むまでの間、皆は返答待ちのために、何とも言えない間を味わった。
「――本当ですか!?ありがとうございます!
いやあ、実は私、地図見るのも苦手で村から出て次の町に行くのも不安だったんですよー!」
気恥ずかしそうにシエルが笑う。
この子、よく村の周りの森を巡回していて迷わなかったなと達巳は内心呟いた。
皆が楽しげに鍋を囲っていると廊下から慌ただしい音が響き、エクセトラが姿を現した。
「あ、いたいた!美味しそうね、アタシにも寄こしなさいよ」
エクセトラがズケズケと部屋に入って来たかと思うと、良い香りに誘われて鍋に近づく。手近にいた達巳から匙を奪い取ると、お椀から鶏肉を掬い頬張る。
感心して目を開くと、そのまま達巳の左手に握られた椀の中が空になるまで頬張り続けた。
「美味しいわね、貰うわよ」
「聞くまでも無く食べてたけどね」
エクセトラに器を譲る。エクセトラはせっせと鍋から具を掬って、急かされたように頬張る。
彼女のあとからゆっくり部屋に入って来たカルムはヴォルホークから促され、ゆっくりと味わって鍋を食べている。ヴォルホークに具を掬って口まで運んでもらっていた。
「クーちゃんどうしたの?」
「借りてた小屋が見事に壊されたのよ。だから今日はこの病室にアタシ達も泊めさせてもらうわ」
「……」
「……何よ、答えたんだからなにか反応しなさいよ」
「いま口の中に料理入ってるから喋らないよ」
達巳の膝に寄り掛かってお椀を持ったエクセトラが「はあ?」と言って眉をしかめる。
「アタシとの会話よりご飯が大事だなんて許せないわ!意地でも喋らせてやる、この!この!」
「――っ!――っ!」
「頑な!口開けろーー!」
「やめなさい。口の中のモノ出ちゃうから」
「くっ……。あー、なら今のうちにアタシが鍋全部食べてやるわ!」
「!」
エクセトラが一心不乱に鍋を食べ始めるとシエルが負けまいとこれに対抗し始める。二人が競争するように食べると、鍋はすぐに空となった。
「じゃあたっくん片付けよろ。裏の流し使っていいって言ってたよ」
芽実がいつの間にかカルムに寄り掛かり、その毛並みを堪能して言う。達巳は「はいはい」と言って立ち上がると、鍋を持ち上げた。
皆からお椀を回収したシエルが横に立ち、達巳とシエルは食器と鍋を洗うために流し台へ向かった。
「ふんふふ~ん♪」
洗いをしながら上機嫌にシエルが鼻歌を歌う。並んで立つ達巳は彼女の笑顔に引き寄せられたのか、微笑してシエルに質問した。
「嬉しそうだね」
「はい!やっぱり旅は道連れ世は情け。
皆さんがいると思うと今日は安眠出来そうです!明日も楽しみ!」
シエルが体を左右に揺らして食器を洗い、達巳に渡す。それを拭き取って、皿を重ねながら達巳は思った。
(なんか……やっと落ち着いたって感じだ)
慌ただしい一日に訪れた安らかな時間を感じると、どっと疲れが押し寄せてきた。
明日から、この知らない世界を旅することになる。きっと今日の様に危険な目にも遭うのだろう、振り返ると恐怖が襲ってきそうなので、達巳はそれ以上深く考えないようにした。
ふと、シエルに名を呼ばれて、気を緩めていた達巳は我に戻った。
「今日はありがとうございました。
私もあの子供も、アルタの村も達巳さんのお陰で無事に済みました」
いつものような弾んだ笑顔と声ではない、しんみりとしたシエルの謝辞。こんな表情もするんだなと不意を突かれた達巳は少し戸惑いながら相槌をうった。
「でも、俺のお陰でも無いよ。俺はヴォルホークさんの魔力を使わせてもらっただけだから」
「それでもすごいですよ!普通、盗賊に襲われたら他人を気にしていられません。それなのに達巳さんは村人の避難もしてくれて、盗賊を返り討ちにしちゃって。
確かにヴォルホークさんはすごい。でも達巳さんだってすごいです!勇敢でした!」
歯痒いな。達巳はそう思った。褒められて悪い気はしないけど、直接言われると少し恥ずかしい。
「シエルの方が凄かったよ。自分から囮になるって危ないと分かっているのに、率先して前に出てさ。俺はそれに引っ張られただけだって」
「そうですか?褒められるとちょっと恥ずかしいですね、えへへ」
シエルは口元を緩めた。気恥ずかしく体を左右に振ると、後ろに纏めた髪が追いかけるように揺れる。
それを眺めながら、達巳は見ていて飽きない子だなと思った。明日からはこの知らない世界を旅することになる。先行きが不安だが、この子を見ていると不思議とどうにかなるような気がしてくる。
ともかく今日は早めに寝て、明日に備えよう。ランタンの明かりに照らされながら、達巳は気持ちを改めた。
一方、病室ではヴォルホークがエクセトラ達から村の外の事情について話を聞いていた。
「獣魔排他主義ねぇ……」
「ええ、排他主義とも排他運動とも言われてるわ。
首都に近い東側ほどその気運が高まっていて、国の外へ出て行こうとする人たちもいるし、酷いものよ」
エクセトラがカルムに寄り掛かって言う。芽実と並んでいる形だ。
ヴォルホークはシエルから聞いていた魔人迫害の噂について、旅人の二人に尋ねていた。
悲しい事に噂は真実で、国内の魔人・獣人は獣魔排他主義のもと、酷い扱いを受けているのだという。
「東側に比べたら、西側のこっちはまだ影響が小さいみたいだけど」
「元々魔人と獣人の分布が多いのは西側だからか?」
「それに加え、中央大河があることも大きい。国を東西に分断している大河で明らかに温度差がある」
芽実は三人の会話を聞きながら「大変な事になってるんだなー」と半分他人事のように聞いていた。
一日が経とうとしてようやく、自分の住んでいた世界から跳ばされた実感が湧いてきた芽実にとっては当然の事かもしれない。
元々、赤の他人に興味を抱くこと自体が少ない性格もあるのだが。
「魔王様、これは思ったよりも深刻ですね」
ベッドに座りながらミレアが言った。ヴォルホークもそれに頷く。最初は噂の真相を知りたいだけだったが、流石に看過できない大規模の迫害だ。
達巳たちを隔世に戻す方法を探すだけでなく、獣魔排他主義もどうにかしなければ。ヴォルホークは自分に言い聞かせた。
エクセトラ曰く排他主義自体が、魔王ヴォルホークが勇者に討たれたと知られてから急速に広がっていったらしい。
元々、魔人は多種族でまとまりが薄いため、実質旗頭を成していた魔王を失って混乱が起きた。
混乱の中、徒人や天使たちが被害を受けたという話も多いらしい。村や町を配下にしようと襲う者、運搬中の荷車を襲撃する者が続出したという。
同時に排他主義の気運が生まれ、勢力を伸ばして無実の魔人や獣人も追われるものとなったのだと、エクセトラは語った。。
(自分の影響力を深く考えずに放り出した儂のせいでもあるな)
ヴォルホークは無責任だったと自分を叱責する。
自分が勇者に討たれたと見せかけなければ、排他主義が勢力を伸ばすことも無かったかもしれない。排他主義が勢いづいたのは魔王不在によって発生した魔人の暴走が一因な事は、ほぼ間違いないだろう。
「ところで、魔王様って、アンタもそこ狙ってるの?」
エクセトラがヴォルホークに尋ねた。彼女としては、ヴォルホークがライバルなのか否か重要な問題であった。
「いや、儂は元から魔王だ」
「――は?」
「儂の名はヴォルホーク。こんな格好になってしまっているが元から魔王だ」
エクセトラが氷塊のように固まった。
少しの間狼狽して、勇者に討たれたのではないのかと、やっとの事口にして質問する。
「あれはそう見せかけただけだ。やられてなどいない」
「え?……嘘」
「いやマジだ」
「え……ッえぇーーーーー!!?」
まさかの本物が目の前にいることに堪えかねたエクセトラ叫びが村中に響き渡った。