10.出発準備
「ふぅ……、あっ……ふぅ、ぁあっ……」
ミレアに抱き着かれたシエルが、掠れた声で身悶えする。ミレアによるものなのか、全身が脱力して抵抗することも出来ず、シエルはただただ自身に絡まるミレアを受け入れる他なかった。
「すごい、シエルちゃん……こんなに生気を吸ってもまだあり余ってる……フフ……ふふふフふふふフフフ……」
シエルの体を指で優しく撫でたり、息を吹きかけながらミレアは恍惚としていた。
「やべ、ちょっと振り切れちゃってるわ」
「このR指定ギリギリな……いやアウト展開はなに?」
「あーるしてい?は知らんが、まぁ見ての通りだ」
「『見ての通りだ』じゃないんだけどっ」
腕を組みながら椅子に座り込む小動物に、少女は大真面目に詰め寄る。眼前で行われている、美少女が抵抗空しく体を弄られている状況にご立腹だった。
この世界に警察があったら迷わずこのチビ悪魔を突き出してやっているところだ。
「夢魔であるミレアは生物の生命力である“生気”が主食だ。パンや肉なども食べられるが、夢魔にとって食事は生気の摂取が最も効率的なんだ。
ほら見ろ、肌も冷たく青白かったのに、今はもう赤く火照ってるだろ」
「その代償にシエルが酷い目に遭っていい事にはならないでしょ」
「芽実、物事には犠牲が付き物だ」
「もっともらしく言っても好き勝手する言い訳やめて」
芽実は嫌悪感を隠すことなくヴォルホークに言葉を投げつける。対してヴォルホークも特に気にする様子も無く、そのまま夢魔について説明を続けた。
「“生気”は生物が興奮するとより多く体内に生成される。だから夢魔は人に良い夢を見せたり、今ミレアがやっているように直接手を加え獲物の気分を高揚させることでより多量の生気を搾取しようとする」
「い、卑しいな……」
「実害無いし減るもんでもないんだからいいだろ?」
「今自分で生気を摂取してるって言ったばかりじゃん、ガンガン減少中でしょ」
善意と元気で出来ているような可愛らしい少女を弄ぶ様に、他人への関心が低い芽実でさえ怒りを覚えた。
二人が問答している間にも、シエルはミレアに生気を喰われ続け、ミレアはますます昂ってゆく。
そしてその様子を達巳は気まずく目を逸らしているが時折、ちらちらと横目で盗み見ていた。
「たっくんも何まじまじと見てんの?このむっつり」
「えっ、別にっ、見てないよ見てないっ。ちゃんと見てないから!」
必死に否定して見せるが、実際に盗み見していた。芽実は嘘が下手な幼馴染を軽蔑の意を込めて冷淡に睨みつける。
「図星なら堂々としていた方が潔いぞ?」
まさかの二対一。
達巳は嘘だと見抜かれてなお否定を続けた。
そして内心「これは男なら見ちゃうだろ!」と内心怒号した。可憐な美女二人が体を絡ませ合っている様である、反射的に見入ってしまうだろう、と口には出せないが自分は間違っていないと己を慰めた。
三人が話している間も、我を忘れたようにシエルに絡まるミレアの熱が徐々に上がってゆくのを見て、流石のヴォルホークも夢魔に待ったをかけた。
「ミレアストップ。ランセンスも効いてるからもう止めっ」
ミレアが物悲し気に人差し指を咥えながらシエルを解放する。身を解き放たれた少女は赤面したままぐったりとベッドに伏した。
「ヴォルホークさん、ランセンスって?」
腕を交差してミレアに静止をかけたヴォルホークを見下ろして、達巳と芽実が知らない単語に反応する。
「感覚器官を操作する魔法だ。
直接肌に触れる必要があるが、対象や自分の感覚器官を鋭敏に、または鈍感に操作できる。
高出力の放出系魔法は出せなくとも、肌に触れるランセンスのような伝達系魔法はまだ使えるみたいだ。本来より効果は出せないが」
ヴォルホークはミレアがシエルに絡まった際に一度軽くシエルに手を触れており、その時何をしているのかと気にはなったのだが、どうやらその時に感覚魔法をかけていたらしい。
「そんな魔法、シエルにかけて意味あるんですか?」
「あるぞ。今シエルは触覚と嗅覚が強化されているから、ミレアが撫でることで高揚しやすくなってるし、ミレア達夢魔が獲物を脱力させる香りの影響を強く受けている」
「ドだ!
たっくんこのげっ歯類もどき、ド外道だよ!」
「い゛でででででででで」
芽実は腐っても魔王である小動物の両頬を鷲掴みにして達巳に向けて突き出す。
左右に伸ばされたヴォルホークの顔面は線が立つほど張っていて今にも引き千切れそうだ。
「あ、ところで達巳」
「え?そのまま話すんですか?」
横広になったままそれを受け入れ話し始める魔王に、どんな心境で聞けばいいのか困惑しながら達巳は耳を傾けた。
「日が暮れる前に、ちょっと寄りたい場所がある。付き合ってくれ」
入れ替わる形でベッドに伏せるシエルをミレアに預け、達巳と芽実はヴォルホークと共に村を出た。手には村人から借りたスコップが握られている。
少しの間村の外へ出るというと、医者の男性が小さな鈴を持たせてくれた。曰く、危険な森の中でもこの鈴があれば護身になるのだとか。
「もう、何で私まで行く羽目に……」
眉に皺を寄せて、達巳の右半歩後ろを芽実が歩く。
移動時にすっかり定位置となった達巳の肩の上から、ヴォルホークが言葉を返す。
「今お前達二人を儂の傍から離すわけにはいかないんだ。
蘇生は出来たが欠損した臓器や肉体は儂の具象魔法で補っている。あまり離れられると魔法が解けてしまう」
「もしかして魔法が解けると魔法でつくった内臓とかもまた無くなっちゃうんですか?」
「ああ、だから儂から極力離れるなよ。
十数メートル以上かつ長時間離れなければ解除されないと思うが、今の儂の状態じゃ思ったようにいかないかもしれん。近くにいたほうが安全だ」
二人は青ざめて体を震わせた。
生き返ったからはい元通り、そう上手くはいかないらしい。
「まぁ、ミレアが夢魔由来の治癒能力で二人の体を再生出来るから、将来的には全部治せるから安心しろ」
「内臓とかもいけるんですか?夢魔凄いな……」
「ただし代償として多量の生気を消費する。
それが問題だったんだが、シエルがいれば解決する。今後はあれから少しずつ貰うことにしよう」
「でもシエルはもう村を出るんでしょ?それに、毎日あんな目に合わせるのは気が引けるとこあるんだけど」
芽実の言葉にヴォルホークが問題ない、と返答する。
今日は達巳と芽実の蘇生後、ヴォルホークの具象魔法で補えなかった分の欠損を治癒するよう無理をさせた。
そのせいで一時的に大量の生気が必要だっただけで、本来ならシエルが酷い目に遭うまで生気を吸ったりしないのだという。
「あんなに元気いっぱいで生気に溢れた奴から少しばかり拝借しても問題ないだろ」
「でも結局、村を出ていくんだから駄目じゃん」
「同行すれば良い」
ヴォルホークの言葉に二人は一瞬、口を開いたまま言葉を失った。
「さっきお願いされた時、断っていませんでした?」
達巳の当然の質問にヴォルホークも「そのつもりだったが」と頷き答えた。
「あの寂れた村に居てもお前たちを戻してやれる手がかりが何も掴めそうにないし、今言った通りシエルに付いて行くだけで潤沢な生気の供給に困らないのは助かる。
それに、一人の魔人としてもシエルの言っていた迫害の噂について思うところがあるからな」
その上、自分が現在全く使い物にならない小動物の体をしている以上、シエルの戦力があるのは大きいのだとヴォルホークは語った。
この世界には俗獣もいる。村から町に移動するのも危険だ。
「じゃあ俺たち今絶賛危険な状況なんじゃ」
「ああ、だから手早く終わらせて……ここだ。
この木の根の横に緊急時用の貯えを埋蔵してある。旅の足しにしよう」
達巳とヴォルホークは手早く土を掘り返し始める。あまり時間をかけるとまたアラクレイノシシのような俗獣に遭遇するかもわからない。
「でも魔法かー。私にも使えないかなー」
達巳たちの様子を眺めながら芽実が呟くと、ヴォルホークが「出来るぞ」と軽口で返答した。その言葉に芽実だけでなく達巳も目を丸くする。
「蘇生時にこの世界の言語が話せるように体に細工した。併せて、お前たちの魔力器官を刺激したから魔法が使えるようになってはいるはずだ」
「俺たちの体に魔力器官なんてあるんですか?」
「ある。隔世では魔法を使う文化が無いせいで魔力器官が活性してない、それだけだ。
魔力器官は誰もが持っているもので、蘇生時に儂が刺激を与えて活性させたからお前たちだって使えるぞ」
訓練は必要になるだろうが、ヴォルホークはそう付け加えた。
「よし、じゃあ行くか。
魔法も護身用に使えたほうが良いし村に帰ったら簡単なものから教えてやろう」
掘り出した包みを持って達巳が立ち上がると、ヴォルホークはその肩に乗った。
「ちょっと待ちなあ!」
三人が村に向けて踵を返すと、絵にかいた悪党のような格好の男が三人、茂みから現れた。角の生えた三人の魔人は手に棍棒を持ちニタニタと笑って、今掘り出した包みを差し出せと要求してくる。
「盗賊か」
ヴォルホークが舌打ちをして男達を睨みつける。
本来の状態なら他者が近づいても容易に感知できるヴォルホークも、体の退化に加え達巳たちへ具象魔法を施しているせいで感知にまで気が回らない。
「シエルが言ってた村の警護って、俗獣じゃなくてこんな奴らからの警護の事だったのか!?」
「村人がよそ者の儂たちを警戒していたのも、盗賊を恐れていたからというわけか」
「なんだぁ?あの村の奴かよ?
ならわかってんだろうな、その金になりそうな包みを寄越しな!」
「断る。お前たちのような小物に渡すものなど持ち合わせていない。
痛い目に遭いたくなければとっとと失せろ」
表情をピクリとも動かさずヴォルホークは淡々と言葉を吐いた。
達巳が悪手だろと焦ってヴォルホークに謝るよう促すが、小さな魔王は断固として拒否した。
「儂、こーいう小物の言うことには死んでも従わん。
小物のクセに態度だけデカいのが気に入らなねえ」
「ヴォルホークさん!」
だからってなんで火に油を注ぐかなぁ!
達巳は冷や汗をかいて男たちの様子を窺うと、短絡的な魔人三人は額に血管を浮かばせて怒りだした。
「いいぜいいぜ、殺してやるぜぇぇ!イェェエエエエエエアア!」
「ちっ!」
魔人達が動き出すより先に達巳は芽実の手を引いて走り出した。村までは結構な距離があり、逃げ切れるか分からない。
そもそも村まで逃げたところでこいつ等が諦めるのか?
「威勢がいい事を言ってたくせに逃げんのかよ、臆病者が!アヒャヒャヒャヒャヒャ!」
男達が愉快そうに笑って三人の後を追う。
達巳は体力にはまずまずの自信があるが、手を引かれる芽実ははっきり言って体力の無い少女、いつ追いつかれてもおかしくない。
徐々に距離を詰められ、魔人の一人がその棍棒を振り上げたその時、風を切る音がとともに銀色の一閃が達巳たちの横を過ぎて、棍棒を振り上げた男に飛び掛かった。
「おおかみ!?」
振り返ると、美しい毛並みをした銀狼が棍棒を弾き飛ばし、魔人を蹴り飛ばしていた。
狼の姿を見た瞬間男たちは動揺しざわつく。
そして舌打ちをすると苦い顔をして深い森の中に逃げ出した。魔人達の気配が無くなると銀色の狼はゆっくりと振り返ると、達巳たちに微笑んだ。