9.アルタ村
村の中央には広場があり、そこを中心に大きな通りが十字に広がっている。商店や食事処も最小限はあるようだった。
先頭のシエルが大猪を牽く姿がとても目立ち、達巳たちは村人に奇異な目で見られつつ一軒の小屋に辿り着いた。
屋外のどよめきを聞いた40代半ばの男性が建物から出てくると、大猪を牽くシエルに向かって戸惑いながら声を掛ける。
「シエルちゃんどうした?
シガレットちゃんがまた何か仕出かしたのかと思ったが君か」
「おじさん、こちらの女性がすごく具合が悪いんです!」
猪について聞きたかったであろう医者の男性だったが、達巳に担がれたミレアを一瞥すると、シエルに向き直り質問をする。
「魔人の方か。詳しい種族は分からないが紋魔……?」
医者の質問に、達巳の肩に乗るヴォルホークが答えた。
「ご察しの通り紋魔だ。休ませてやりたいので部屋をひとつ貸して欲しい。別に病気じゃないから病室でなくても、宿屋の空き部屋でもいいんだが」
「良いよいいよ。部屋なら開いているから、早く横にさせてあげなさい。病気ではないというが、本当に診なくても大丈夫かい?」
「ああ、ありがとう。大丈夫だ」
そのまま病室の案内を受け、ミレアをベッドまで運んだ。
シエルは丁度診察に来ていた村の狩猟会の者に大猪を預け、少し遅れて早足で部屋に入って来た。
「ミレアさん、具合は良くなりましたか?
今日は猪鍋です、美味しいですよ。一緒に食べましょうね!」
ベッドの上に横たわるミレアに近づいてシエルが微笑む。ミレアは未だに具合が悪そうで、顔色も酷い。
純粋にミレアの容態を心配するシエルを見て、ヴォルホークがやや大げさにシエルに申し出る。
「実は、ミレアを元気にするためにシエルに力を貸して欲しい」
「はい?なんでしょう?」
キョトンとした顔で椅子に座るヴォルホークの方へ振り返る。
「私にできる事なら任せてください!ミレアさんのために力になりますよ!」
元気いっぱいに両手を握って胸の前に上げて、気合十分に笑う。
(此奴、相当なお人好しだな。
こんな奴が勇者と一緒に儂を殺しに来たのはやや奇怪だが、この際利用させて貰うぞ)
微笑むシエルに返すようにニヤリ、とヴォルホークは不敵に微笑む。
この瞬間、ヴォルホークを挟んで座っていた達巳と芽実は出会ってから今までで一番、ヴォルホークの表情に魔王らしさを感じた。
二人は感覚的に何か良くないことが起こるような気がして身構える。
「ミレア、待たせたな“食事”だ――」
「――え?」
ゆらり。
ミレアが上体を起こした。悪寒を感じてシエルはぎこちなく振り返った。静かにこちらを見つめている。
そしてゆっくりと、優しくミレアの両手がシエルの両頬を捕らえる。
シエルはまるで金縛りに罹ったように、ミレアのどこか怪しげで、妖艶かつ儚げな瞳に魅せられる。
具合の悪そうな青白い肌がゆっくりとシエルの眼前に近づく。
達巳は身に覚えのある緊張感を感じ、芽実は眼前の光景に見覚えがあるぞと記憶を辿る。 そしてそれは、瀬宅の玄関で達巳がミレアに迫られたものと一致した。
硬直しているシエルの耳元に、そっとミレアの唇が近づくと、うっとりとするような甘い声でそっと囁く。
「いただきます――ね?」
穏やかな声であるでありながら、今までお預けを喰らっていた動物が餌に飛びつくような飢えを思わせる、飢餓感に満ちた声だった。
「ミレアさ――」
シエルが言い終わるよりも先に、ミレアがシエルに重なった。