0 .魔王討伐
魔王。
数年前から姿を現し、驚異的な早さでその存在を世に知らしめた、魔人や獣人の王と呼ばれる存在。各地広がる彼の勢力を討ち、魔王を打倒するため、勇者が立ち上がった。
勇者の名はアストライル・レヴァオット。
小さな農村の村人だったアストライルは、魔王軍によって苦しめられている多くの人たちを救うために立ち上がったのだった。
正義感が強く、どんな困難にも立ち向かう強い眼差しに、多くの人が希望を見出し、アストライルに救いを求めた。
やがて国を治める芒王にもその存在が知られ、世界に混乱をもたらす魔王の討伐を託されたアストライルは、伝説に伝わる聖剣を授かった。
アストライルは長い旅の中で多くの人に出会い、協力して悪事を犯す魔人や獣人を破竹の勢いで撃破して回った。
そして遂に今、魔王が根城とする城へ乗り込み、魔王と直接対峙していた。
「おおおおおお!!」
城内の薄暗い闇の中でアストライルが握る聖剣が、白い尾を引いて魔王に振り下ろされる。しかし魔王の硬化した拳は聖剣の強力な斬撃を受け止め、さらに弾き返してしまう。
「儂の城にまで乗り込んでくるだけの実力はあるようだな……、が!」
魔王は迫る勇者を振り払い距離をとる。右手を開き、勇者に突き出すと同時に不気味に輝く光が溢れだす。
「《ダークバースト》!」
魔力が収束し黒い光球が形作られる。それは急速に大きさを増してゆき、数秒掛からずバスケットボール大にまで巨大化した。
(まずいっ)
アストライルは直感的にこれを受けてはならないと判断したが、魔王に剣を弾き返された反動から未だ体勢を立て直せていなかった。体勢を立て直すことも間に合わないうちに、黒い光球が魔王の手の平から発射される。
「勇者さん!」
アストライルと魔王の間に可憐な声が割って入った。少女が盾を構えて勇者の前に立ち、この高等魔法を受け止めた。瞬間、黒い光が爆発し、強い衝撃が周囲に拡散する。煙が上がり、人影をかき消してしまう。
「シエル!」
「大丈夫です!」
舞う土埃の中でアストライルが少女の名を叫んだ。超圧縮された魔力の塊を近距離から防ごうとしたシエルが無事か心配だった。
煙が晴れると、見事に高等魔法を受けきった少女の背中がアストライルの眼前に映った。
「これを防ぐか」
予想外に魔法を防がれた魔王は目を見開き驚いた。自分の元まで辿り着く者たちならば相当の実力者であると考えていたはずではあったが、想定以上だと驚愕した。
アストアイルとシエルは即座に連携しながら切り返す。
アストライルが攻め、突かれたスキは盾使いシエルがカバーする。加えて、遠距離からは勇者の仲間である、老年の魔術師の魔法が絶えずこちらを狙ってくる。
(巧いな……)
一見押され気味に見える戦闘の中で、魔王はよく出来た連携であると勇者たちを内心褒める余裕があった。
勇者達の絶えぬ攻撃の波に、遂に魔王の膝が地面につく。その刹那、ただの空間から突如出現したナイフが魔王の背後を捉えた。完全に視覚外からの一撃に、勇者と魔術師は「獲った!」と半ば確信する。
しかし魔王そのナイフを難なく掴み取ってしまう。
バキッ。
硬化した拳でそのままナイフを握りつぶして空間を思い切り蹴り飛ばすと、呻き声をあげながら吹き飛ばされる男が姿を現した。
「ぐあっ、完全に死角を突いた…ハズだ…!」
「城に入ってから暗殺用の透過魔法を使うなど、気づいてくれと言っているようなものだぞ。そもそも、その程度の小細工なら感知も容易い。
姿を消して遠くから機を窺っていたようだが、いつ近づいてくれるのか待ちくたびれていたわ」
「くっ…そ……っ」
奇襲に失敗し、むしろ大きな一撃を受けた男は立ち上がる力も残っていない。
「ナクト!!」
アストライルが男の名を叫ぶ。地面に伏した男は立つ力も残っておらず、口から血をこぼしている。
どうにか思うように動かない体を持ち上げて男は勇者に苦しい笑みを向け「ごめんな、ライル」と告げるとそのまま意識を失った。
魔王は《ダークバースト》を防がれた経験から、力を込めて蹴りを入れたというのに人の形を保っている、さらに血を噴き出した程度で済んでいる男に対し素直に感心した。
「はああっ!!」
激昂した勇者の聖剣が魔王へ迫る。魔王は硬化した右腕で受け止めるが、先程よりも強烈な一撃に思わず歯を食いしばる。
「たった一人仲間がやられて悔しいのか?お前がここに至るまでいくらの魔人を殺した?思い返してみろ」
「――だまれっ!」
仲間を傷つけられた怒りのせいか、アストライルの太刀筋は一撃ごとに速く、重く、激しさを増してゆく。
「芒王の奴に受けた加護の力か」
「確かに私は芒王様の加護を受けている。だが、今私を奮わせているものはそれだけではない!!」
力の籠った一撃に、遂に魔王は押し負け後ずさりする。
「大いなる芒王から授かりし力、我が身を通し顕れよ―――!」
アストライルの身体と剣が白く清い光に包まれる。常軌を逸した力の高まりを感じ取った魔王は瞬間的に動き出す。高速で勇者に近づきながら《ダークバースト》の魔法弾を撃ち続けるがそこへシエルが割り込み、これを受け流してゆく。
「ん、くぅ!」
「ちぃっ」
シエルがその身をもって悉く魔法弾を防ぎ、魔王は苛立ち舌打ちする。
(相当な材料と技術で造られた魔装盾と見たが、それ以上に使い手が巧い。魔法弾を真正面から受け止めるのではなく上手く往なしている)
魔法でアストライルの体勢を崩し、近距離から威力の高い攻撃をお見舞いしてアストライルの攻撃を止めようとした魔王だったが、シエルが悉く魔王の攻撃を防ぎ切ったために、アストライルの懐に飛び込む形になってしまった。
「シエル下がれ!
尊き光よ未来を拓け、《エンライトメント・ブレード》!!」
「――このっ、《パワー・コンフリクト》!」
咄嗟の防御魔法で勇者の放つ必殺の一撃を退けようと試みる。二人の間にエネルギーがぶつかり合う力場が発生し、空間が揺れ凄まじい衝撃が広がる。
魔王と勇者、互いの身体は衝撃にあてられ傷つく。魔王の強靭な皮膚も勇者の堅牢な鎧も土壁のように削れてゆく。
「ぉぉぉおおおおッ!!」
「はぁぁぁっ!!」
気を抜けば一気に押し負ける――、悟って二人は全霊でぶつかり合う。先に限界を迎えたのは魔王でも勇者でもなく、二人の放つエネルギーだった。衝突するエネルギーは限界に達し、爆発した。
爆発は城にも大きな損傷を与え、壁は崩れ天井を支える柱も砕けてゆく。轟音を上げながら天井が抜け落ち、城全体が崩れるのも時間の問題だろう。
「よもや勇者と魔王の力がここまでとは……ッ」
「リーカー様、ナクト様を!」
シエルがアストライルと魔王の激突の隙にナクトを拾い上げ、魔術師のリーカーに預けると、もう一度アストライルに向かって駆け出した。
痛手を負いながらも勇者と魔王はともに一進一退の戦いを続けていた。剣と拳がぶつかり合う度にすさまじい衝撃と轟音がほとばしる。
「《ディア・ブロー》!」
「ぐあっ!」
勇者の右肩に魔王の一撃が入る。苦悶の声をあげ思わず体勢が崩れる。すぐさま立て直そうとするものの、次の一撃を受け止めるに間に合わないと直感する。
「てぇえい!」
横からシエルのシールドバッシュが打ち込まれ、魔王の攻撃を妨害する。
「勇者さん下がってください、無理はせずに!」
「そういう君も息があがっているぞ」
「大丈夫、ですっ!」
勇者を魔王から隠すようにシエルが二人に割って入る。
何度も魔王の攻撃をしのいできたシエルもかなり消耗している。そう何度も受けきることは出来ないだろう。アストライルは決着を急ぎ、切り札たる一撃を準備する。
「大いなる芒王の力よ、我が身を通し顕れよ―――、ここに極まる光を授けよ」
(仕掛けてきたか!)
次の一撃は受けてはならない。
魔王の体中、全身のあらゆる感覚器官が警告する。渾身の一撃を構える勇者を無防備なうちに打ち倒そうと攻撃を仕掛けるが、その攻撃をことごとく金髪の少女が身を挺して防ぐ。
(勇者だけでなく、この盾の餓鬼も芒王の加護を受けているとでもいうのか!?)
盾を打ち抜けず魔王の思考を戸惑いと焦りが襲う。しかし同時に「これで良いのだ」とも内心呟く。
さあ、儂を殺すに足る一撃を!殺したと確信できる一撃を!
「魔王!この一閃を以って貴様を、討つ!!
聖なる希望よ闇を討ちはらえ、――《セイクリッド・ストライク》!!」
宿った光のエネルギーを剣先に集中させ、突き出した切っ先から一気に解放させる。
破壊力、速度とも正に必殺の威力で、魔王も応えるように両腕に魔力を集中させる。
二人がぶつかり合った瞬間、目を開けていられない大きな爆発が起きる。その衝撃は先ほどまでとは比べ物にならない、強烈なものであった。
衝撃に吹き飛ばされたアストライルは、痛む体を奮い立たせ、起き上がる。周囲は土煙がひどく視界が悪い。
「魔王は……倒せたのか?みんなは……」
視界の悪さが不安を助長させる。仲間の安否を確認するために起き上がったその瞬間、さらに大きな爆発音が数度響いた。
どうやら大きすぎる力の衝突が、城へ多大な負荷をかけたらしい。破壊音は続けざまに鳴り、天井からは瓦礫の落下が始まっている。
ゴゴゴゴッ!!ガァアア!!
この部屋だけでない、城のあらゆる部屋が崩れ落ちている知らせる破壊音と、城の各所から爆発が響く。
ここにいれば間違いなく生き埋めになることは避けられない。
「勇者さん、外へ逃げてください!」
酷い視界の向こうからシエルの声が響いた。声を投げかけられた方向を見ると城壁に身を任せたシエルが認識できた。衝撃にあてられ壁まで飛ばされたようで、魔王の猛撃で傷つき疲弊した体は自由が利かない様子だった。
「シエルッ、今――助けるっ……くぅ!」
「駄目ですよ、勇者さんもうぼろぼろじゃないですか……早く外へください……城にぺしゃんこにされちゃいます!」
「何を言っているんだ、君も……」
そうは言って強がるが、驚くほど全身に力が入らない。なんとか立つことは出来る、かろうじて歩くことも出来る。
だがシエルを抱えながら、この城が倒壊する前に脱出できるか……?
思わず下唇を噛む。不可能に思えた。
それでも彼女を見捨てる考えは選びたくなかった。
シエルはアストライルの表情を読み取り、力なく微笑みながら「大丈夫ですよ」と告げる。
「少しだけ、休むだけです。すぐに追いつきますから勇者さんは先に外に出て…――」
まだ語りかけている最中に崩れた天井の破片が落下し二人を遮る。次々落下する破片はシエルの姿を隠してもなお止まない。
「シエル!!!」
叫び声も崩壊の音にかき消され、届かない。
「情けない声だな」
「!――魔王!!」
「天晴だ。おかげで儂も城も長くない」
アストライルの必殺の一撃を受け止めたその腕は皮膚が剥がれ落ち、肉と骨は露出し、上げることも出来ない腕を赤い血が伝って地に落ちてゆく。
魔王は全身に深手を負い、口からも血が漏れていた。
「誇ると良い。この儂を討ち取った者としてな。芒王の操り人形の勇者」
魔王の全身が闇を纏うと、一刻も経たずに鋭く黒い閃光がアストライルの視界を染めた。
それから、どれだけの時間が過ぎたのだろう。
アストライルは自身を呼ぶ声でゆっくり瞼を持ち上げ、視界に光を取り戻した。
「良かったライル。
あの崩壊と爆発の衝撃で外にまで吹き飛ばされたみたいだったけど、ちゃんと無事だったんだな」
アストライルが目覚めると、どうやらそこは崩壊した城そばの野原のようだった。
「ナクトも、あの崩壊から無事に抜け出せたみたいで良かった」
お互いにひきつった笑みで生存を祝う。笑うだけで全身の傷の痛み、笑顔が歪んでしまう。
「ナクト、すまない。シエルを……私は……」
「……お前のせいじゃない、泣くなよ。俺なんて役にも立ててねぇし、シエルだって捜せばさ、お前みたいに城の外に放り出されてるかも……」
苦楽を共にした仲間の安否を心配しながら、堪えようのない涙が二人の頬を流れる。
そこへ、辺りを哨戒していた魔術師のリーカーが歩いてきた。
「行こう、魔王は無事に討伐した。……尊い犠牲は出てしまったが、我々は芒王様に胸を張って報告出来るほどのことを成し遂げたのだ」
「待ってくれ、シエルを探すべきだろ!俺やライルのように外に飛ばされているかも……」
「まだ周りに魔物が潜んでいる可能性がある。アストライルもナクトも戦えない現状でここに留まってどうする?
それで全滅してシエルが喜ぶのか?物事を正しく考えろ、雪でも降ったらどうする?ここで冬を越せとでも?」
冬の空は厚い雲が流れ、いつ雪が降ってもおかしくない空模様であった。
辺境の地に鎮座していた魔王城の辺りには森が広がっており、冬を越すことは望めそうになかった。万一雪が降り積もり足止めを喰らえば、そのまま凍え死んでしまうだろう。
「アストライル、魔王は討てたのだろう?」
「……ああ。重症の中、最後は己の魔力を爆発させた」
「ならば、目的は達したのだ。我々は速やかにここを去る、異論は受けない」
リーカーの言葉にアストライルとナクトはやり切れない気持ちで俯いた。反論することも出来ず、傷の応急処置を済ませると芒王の待つ王都へ向けて歩き始めた。
凱旋とはもっと、胸を張って出来るものだと思っていたのに……アストライルは涙を止めようと灰色の空を仰ぎ見た。
空は今にも雪が降りだしてしまいそうな鼠色で雲は厚く、この場を去るほかなかった。
アストライルたちが城を発って粉雪がちらりちらりと舞い始めた頃、少し離れた森の中では魔王が傷ついた体を癒していた。
「――儂の全身全霊、その字の通り死ぬ気の大芝居が見事に成功したみたいだな。奴らも自爆したと錯覚しただろ」
「はい、ちゃんと“死んだこと”になったみたいです、魔王様」
「城もスッキリとぶっ壊されて清々しいな。もうこの世界とは綺麗さっぱりサヨナラだ。
傷の手当ても済まないな、ミレア」
魔王に寄り添う魔人の女性・ミレアは、生気を明け渡すことで相手を癒すことが出来る夢魔と呼ばれる魔人で、しばらく前から魔王の付き人をしており、今も戦闘を終えた魔王の体に自分の体を寄せて傷を治癒していた。
その治癒能力は驚異的で、骨まで露出した魔王の腕や傷をみるみる再生させてしまう。
「いえ――あのう魔王様。私も御供させていただいてもよろしい、ですか?」
「ああ。そのつもりで待っていたのだろう」
魔王を治癒したことでかなり疲労しながら、ミレアは魔王に同行を願い出た。物腰の柔らかな喋り方と、豊かな体格が妖艶な雰囲気を漂わせている。
魔王も嫌な顔せずにそれを承諾する。
「構わないが、儂に付いてくるなんて変わっているな。儂の周りにいた大体の奴は儂を殺してとって代わろうとする奴か、儂の名を使って己が利益を得ようとする奴ばかりだったというのに」
「私はお側に居ることが好きですから」
「相変わらず変わってるなお前は。
では行くか。さらばだ、儂を生まれ育てた世界よ!」
魔王が空中に手をかざすと、目の前の空間に穴が開く。穴の中は得体のしれない、不可解で不規則な流れが認識できる。二人はゆっくりとその穴の中へ歩き出した。
二人が通過した穴は徐々に小さくなり、やがて何もなかったのかのように二人が居た空間だけが取り残された。
二人を見送る粉雪がさらりさらりと降り積もり始めた。
きっと牛歩の歩みになりますが、楽しめる物語を書いていきたいなって思います。