そのモノは、おとぎ話のごとく
この作品は、相内 充希さま主催「共通書き出し企画」参加作品です。
それは、天上の白き宝玉と呼ばれておりました。
といいましても、天上の白き宝玉とは、まことの宝玉ではございません。
――天上の白き宝玉。
それは、肌も髪も真っ白な姫のこと。
美しき姫を称えての比喩にございました。
生まれ落ちたその日から。
姫の美しさは、国内に収まらず、隣国、遠い果ての国まで轟いておりました。
抜けるような肌は染みひとつなく。
一滴だけ紅を垂らしたような頬は、赤子もかくや。
豊かな純白の髪は絹の光沢。
薄紫の瞳は夜明けの空色のよう。
姫が微笑めば花がほころび。
姫が言葉を発すれば鳥がさえずり。
姫が動けば光がこぼれ落ちる。
それだけ美しいと名高い姫ですから。
この姫を手に入れようと、沢山の殿方が結婚の申し込みを致しました。
ところが姫が十二の誕生日を迎えるその日。
姫の美しさに嫉妬した魔女に呪いをかけられ、それまでの姫とは思えないほどの、醜い姿に変えられてしまったのでございます。
真っ白な髪はくすんだ灰色に、白い肌には赤い膨らみが木の根のように這いまわり、鈴の音のような声はひび割れてしまわれました。
姫は一転、『白い宝玉』ではなく、『赤い石ころ』と呼ばれるようになったのでございます。
****
さてさて。
その後、姫がどうなったかといいますと。
醜くなった己を嘆き、部屋にこもってしくしくと泣き暮らす日々……。
……では、ありませんでした。
「あー、せいせいした!」
ベッドに腰かけた姫が、けたけたと笑い声を上げました。ひざ丈までのワンピースから覗くのは、白い肌を縦横無尽に走る赤い膨らみです。
病の後、姫はドレスを着るのをやめてしまいました。王も王妃ももう、そんな姫をたしなめはしません。
「姫さま。あまり大きな声を出されますと、はしたのうございます」
姫をたしなめるのは、今では私のみ。
「大丈夫よ。わたしがどんなにはしたなくても、誰が気にするというの? そもそも誰もここには近づかないのだから、はしたないなんて思いやしないわ」
しかし姫は、あっけらかんと笑い飛ばします。
ここは城の敷地の外れにある古びた塔。手入れこそされているものの、黒ずんだ小さなヒビのある白壁は少し不気味であります。
そのため姫の言う通り、ここは誰も近付かない場所なのです。
その塔のてっぺんが今の姫の住居でした。姫と私は、姫の姿が変わってからここに住むようになりました。
以前のように、広い部屋に豪奢な調度品に囲まれた生活ではございません。図体のでかい私がいると、少し手狭に感じはいたしますが、この部屋はそれなりの広さと、城には劣るものの、それなりの調度品を持っておりました。
この塔に住む要因となった、姫の容姿が醜くなった理由でございますが、嫉妬した魔女など嘘っぱち。
でこぼこと赤く膨らんだ肌の理由は、姫のかかった病にありました。
三日三晩、高熱にうなされてから身体中に発疹がでる病でございました。病そのものはよくあるもので、発疹は醜うございますが、通常ならば一週間程で跡形も残らずに消えてしまいます。
ところが。
姫の発疹は消えるどころか、ぷくりと盛り上がりました。発疹の痕と痕がくっついて、無数の木の根が肌を這い回っているような有り様になったのでございます。
なまじ姫の顔立ちが整っていて、白く美しい肌をしていたため、赤い膨らみが不気味に際立ちました。
「みんな醜くなったわたしが気持ち悪いんですって。お父様もお母様も、乳母でさえ、こうなった途端にわたしを見る目が変わったわ」
姫がくすくすと笑います。せいせいとしたと言ったとおり、姫の笑みには陰鬱さなど欠片もありません。
姫の容姿を褒め称えていた者たちは、姫が見る影もなく醜悪な容姿となったやいなや、くるりと態度をひっくり返しました。
姫をほめそやしていた取り巻きたちは距離を取り、求婚者はぱったりといなくなり、身の回りの世話をする侍女たちの眉間にはシワが寄るようになりました。
姫を国内外で自慢していた王と王妃でさえ、疎んじるようになりました。
そうして、姫はこの塔に追いやられたのです。
「ふふふ。こんな姿になったお前なんて邪魔なだけなんですって」
塔には侍女の一人もおりません。私と姫の二人きり。食事を届ける時にだけ、やってくるのみでした。
「……姫様」
「大丈夫よ。わたし、ショックなど受けていないの。それどころか嬉しいのよ。お前と同じになれたのだもの」
微笑んだ姫が私の手を取りました。赤く膨れた皮膚が這い回る姫の手と、どろどろと融かしてから固めたような私の手が重なります。
私は生まれつき奇形でした。
私の顔は溶けたろうそくの蝋が変に固まったかのようで、左のまぶたも変にくっついて、開いているのかいないのか。右目は普通ですが、右側の頬はこぶのようにぼこりと膨らんでおります。
体のあちこちが、そのように爛れたようだったり、大きく膨らんでいたりしているのです。
知らないものからすれば、化け物のような姿です。
里の仲間や両親にすら疎まれて、私は耐えきれずに飛び出しました。けれど、嗤われるのも気味悪がられるのも嫌で飛び出したというのに、私はどうしようもなく寂しくなりました。
寂しくなった私は、つい村や町などに近付いてしまい、怖がられて石を投げられました。
その度にほうほうの体で逃げ出し、そうしてまた寂しくなっては、光に吸い寄せられる蛾のごとく、人のいるところへ近寄ってしまうのです。
そんなことを幾度となく繰り返したある日。姫に出会いました。
正確には、姫に拾われたのです。
あの日私は、誰かの投げた石の当たり所が悪く、目を回してしまいました。
ぐにゃぐにゃ、もやもやと歪む世界の中、私を取り囲む声がぐわんぐわんと響いておりました。
「醜い化け物」
「見ろ、なんて恐ろしい。このまま放っておけば害になるかもしれない」
「殺してしまおう」
うまく回らない頭に、うるさいぐらいの警鐘が鳴り響きました。逃げないとまずい、きっと殺されてしまうでしょう。
私はふらつきながら体を起こしました。周りにどよめきが走ります。
「化け物が立ったぞ」
「こいつ、人を襲うつもりだな」
「やってしまえ」
コツッ。ゴッ。ビシッ。
石が雨のように私に降り注ぎました。
また顔に当たって、まぶたの裏に火花が散ります。この場から立ち去りたいのに、視界が揺れて真っ直ぐに歩けません。その動きがまた、不気味だったようで「気持ちが悪い」とまた石が当たりました。
「おやめなさい!」
凛とした声が響いて、石の雨が止みました。
「この子はわたしがもらうわ」
私は霞む目で、声の主を見ました。その人は宝玉のように白い光を放っていました。
その人こそ、天上の白き宝玉と呼ばれた、在りし日の姫だったのです。
白く光を纏った小さな手が躊躇いもなく、私の溶けかけたような見た目の手を取りました。
誰もが気味悪がって、決して取ることのなかった私の手を――。
今、あの時と同じように重なる、姫と私の手。
姫の背後には窓があり、夜明けの空が広がっております。濃い藍色が朝陽に染められ、薄紫へと色を変えてゆきます。姫の瞳と、同じ色へ。
小鳥のさえずりと朝陽が降り注ぎ、病の後、くすんだ灰色などと称される姫の、長い髪が白銀色に煌きました。
身体中に走る赤い膨らみが、光の白と赤い影を作って紋様のようでした。
「あの時、どうして私を拾って下さったのですか。ただの気まぐれですか? 醜い私が珍しかったからでしょうか」
私は初めて姫に疑問をぶつけました。
姫は私の敬愛する主であり、恩人で、これまで姫の言うことに口答えすることも、真意を尋ねる事もしなかったのです。
「そうね。そうよ。気まぐれ。珍獣を拾って側に置いてみたかったの」
姫の答えを聞いて、私の心に浮かんだのは、やはり、という思いでした。
やはり姫は気まぐれに珍しい私を側に置いただけのこと。
私とは違うのです。
「わたしのこの髪と目の色、珍しいでしょう? わたしは生まれた時から、わたしという人間ではなく、大勢に囲まれて、見世物にされている珍獣。美しい白き宝玉という珍獣だったのよ」
姫が大きな瞳を伏せました。白く長いまつ毛が赤く膨れた皮膚へ影を落とします。
「同じ珍獣同士なら、わたしはわたしでいられると思ったの。なのにあなたはわたしを他の人と同じように、天上の白き宝玉として扱ったわ。悲しくて、天に祈ったの。どうかわたしを、あなたと同じにして下さいって」
白いまつ毛が震えました。姫の声も少し震えました。
私もまた、震えました。
はじめて触れる、姫の心に。
同じことを願ったという、事実に。
輝く白き宝玉である姫の側にいても、私は寂しかった。目の前にいるのに、綺麗すぎて、触ることも出来ないことが苦しかった。
だから私は天に祈ったのです。
どうか姫を私と同じにしてください、と。
「だから今、せいせいしているのよ。やっとわたしはわたしになれた。もう白き宝玉なんかじゃない」
窓の外からは、小鳥のさえずりに混じって耳障りな人の声がし始めました。声は、口々にこう言っています。
「身体中に発疹が出るなんて、あの姫の呪いと同じだ」
「姫の連れている化け物。あれはきっと悪魔だ」
「姫は悪魔に魅入られた。魂を売って赤い石ころに成り果てた」
「不吉な赤い石ころが災いの元だ」
「呪いの石ころを叩き割ってしまえ」
この国にはここ数か月で、伝染病が猛威を振るいました。
伝染病は、奇しくも姫のように、発疹が出た痕が腫れ上がるものでした。しかし姫のかかった病よりもたちが悪く、腫れがどんどん大きくなり、しまいには全身が膨れて死んでしまうのです。
爆発的に増えていく病に医者はなすすべもなく、死体があちこちで累々と積み重なりました。
あまりに増える感染者に、民衆の不安と不満はどうにもならないほど高まり、国に向けられました。
困った王様は、生贄を差し出すことにしました。
王様にとってもう用済みの、邪魔者の、姫を。
騒がしさは塔の外だけではありません。階段を上る大勢の足音も近づいていました。
バタン、と大きな音を立てて、私の背後の扉が開きました。そこから松明を片手に王様が入ってきます。
「病をまき散らす呪いの元を、この私が退治してくれよう」
後ろへ目をやると、王様の側にずらりと並んだ騎士たちが、重そうな甲冑を鳴らし、剣を掲げるのが見えました。
実の娘だというのに、なんと酷い仕打ちでしょう。
王様には、まだたくさんの姫がおります。王妃様以外にも、たくさんのお妃様たちがいらっしゃいます。一人くらいなんてことないのです。
でしたら。
私がもらい受けたとて、構いませんでしょう。
「姫様。この化け物の私と共に生きて下さいますか?」
私は重なったままの姫の手を、ぎゅっと握りました。
「もちろんよ」
姫の小さな手がきゅっと握り返してくれました。
その手を引いて姫を両腕で抱き、私は背中に力を込めました。
「これより私は姫をさらう、悪いドラゴンでございます」
メリメリッと背中の翼が嫌な音を立てます。生まれた時から畳んだまま、癒着していて、広げたことのない翼。
翼がなくともドラゴン特有の魔法で飛べるのですが、少しでも開いた方が安定するのです。
私は生まれてこのかた飛んだことがありませんが、本能で知っていました。
精一杯、翼を広げた私は、姫を抱えて前へ進みました。
ガシャアアァン。
前に突き出した私の鼻面が窓を壊します。姫に硝子の破片がかからないよう、身を縮めながら外へと飛び出しました。
翼は結局開くことなく、右は畳んだままで、左は中途半端に開きかけ。バランスが悪く、上がったり下がったり、傾いたり、急にくるりと回ったり。まったく安定いたしません。
「あははは。凄い。凄い」
「はしゃがないで下さいませ、姫様。どうかしっかりと掴まっていて下さい、っと、ととと」
薄紫色の空に、歪なドラゴンと銀の髪をなびかせた女性が、よたよたと飛んでゆきます。
王様も、武装した騎士たちも、塔の周りで罵っていた人々も、それをただ見守ることしか出来ませんでした。
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それは、天上の白き宝玉と呼ばれておりました。
天上の白き宝玉とは、真っ白い肌と髪の、それはそれは美しい姫でございました。
しかし魔女の嫉妬によって『白い宝玉』から、『赤い石ころ』となり果てておしまいになりました。
病を充満させ、国を滅ぼす呪いの『赤い石ころ』を壊そうと王様がおたちになりました。
しかし醜い化け物が『赤い石ころ』を奪い、飛び去ってしまいました。
『赤い石ころ』がなくなっても、国を襲う災厄は尽きることなく。
王様も、王妃様、お妃様、王子も姫もみんな病に倒れてしまいました。
天上の国は滅んでしまったのでございます。
入れ替わるように。
それは、地上の赤き石ころと呼ばれておりました。
といいましても、赤き石ころとは、まことの石ころではございません。
――地上の赤き石ころ。
それは、一人の女性のことでございました。
女性の側にはいつも、とても歪なドラゴンがおりました。
ドラゴンも女性も、見た目は大層醜く、恐ろしく。いつしか同じように、歪なものたちが集まっていき、地上の国を作ったのだということです。
生まれつき指のない、あなた。
火傷で爛れてしまった、あなた。
地上の国に行ってごらんなさい。
そこでは誰もあなたをおかしな目で見ません。嗤いません。虐げません。
赤き石ころと悪いドラゴンが、あなたを快く迎えてくれることでしょう。
――おしまい――。