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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

可愛い後輩。

面白い。

興味深い。


ここ最近、大山観月の気を引いているのが新入社員の小山優奈だ。

他に入った新人社員の中でも小柄で、身長が観月の胸くらいまでしかない。

観月自身は178㎝はあるので比較するのは酷というものだろう。

興味を引いたのは小柄だけではない、おっちょこちょいではないが行動が小リスのように可愛いというところ。

同僚に言うと、確かにと苦笑される。

職場の皆が同様に思うところなのだろう。

観月には姉妹が居ないから、こんな妹が居たらいいかなと思っていた。

可愛いし、抱きしめたくなる。


「まーた、盗み見?」

背後から声を掛けられた。

「盗み見じゃないよ、変なことしないか監視しているの」

パソコンで報告書を作りながら、用事を受けて動き回る新人社員 小山優奈を時々見ているのである。

「もう、半年でしょ。いい加減放っておきなさいよ」

「放っているよ、声は掛けてくるまで掛けないし、余計なことはしてない」

本人が知らない観月の監視下には居るけど(笑)

そのせいか大きな失敗はせずに、今まできている。

「彼女は私のオアシスなのだ」

ふふん、と頬図杖をついて観月は言う。

「・・・あんたがそういう目で見ているなんて彼女、思いもしないでしょうね」

同僚の真知子さんがため息交じりで言う。

「別に思うだけならいいじゃない、迷惑かけてないし」

女の子を愛でるのは観月の趣味だ。

ついでにいうと、恋人は女性であることが好ましい。

けれど、誤解のないように言っておくと女性のすべてが恋愛対象ではない。

個人差があるように、好きな女性の好みのタイプというものがあるのだ。

だれかれにも手を出す無節操さはない。

それに意外と、女性同士の付き合いは男女で付き合うよりドロドロしたものなのだ。

げに恐ろしきは男より、女の嫉妬である。

観月は経験から知っていた。

「仕事に支障を出さないようにね」

ポン、と肩を叩いて去ってゆく。

「そんなヘマ、するわけないじゃない。この観月さんが」

観月は職場で仕事が“出来る女”と認識されている、自他ともに。

自分で言うのもなんだけれど割と人とは距離を置かず、人当たりもいい。

職場だけでなく、他の部署、他の会社の人たちとも仲良くしている。

以上の性格から、観月は社内の女子社員たちとも仲がいい。

もちろん、深い仲の付き合いも数人は居る。

そんな観月だが、残念ながら現在、恋人は居ない。

 うむ、優奈は可愛い―――

バッチリ好みだし、密かにこの腕に抱きしめたいと思っていた。

ただ・・・いかんせん、彼女はどういう反応を見せるか予測がつかない。

基本的に観月に靡く女の子は、そういう雰囲気があるので安心して近づける。

そうでない場合は、セクハラ事案に発展する恐れがある。

最悪、会社に来なくなってしまうこともあるから今は見ているだけにしていた。

 まあ、見ているだけで癒されるからなぁ

家のPCの壁紙は密かに彼女にしている観月。

優奈の場合、彼女には性欲を感じない。

本当に見ているだけで満足しているのは奇跡に近い、友人たちからも『あんたが!珍しい!』『雪でも降るんじゃないの?!』とまで言われるほどだ。

そんなに私は遊んでいるイメージなのか・・・

大体、日の7割くらいは優奈を見て過ごすことが多いかもしれない。

会議などが入った時は、ムッとしてしまう。

「あの――大山さん」

などと、PC画面を見ながら妄想していたら別の声が自分を呼んだ。

すぐに誰だか分かる、キリリと真面目な表情を作って声が掛かった方を向く。

「なに、小山さん」

優奈、と呼んでしまいそうなのをグッと我慢する。

「この報告書のコピーを頼まれたのですが、どうも1枚違うものが紛れ込んでいるようなんです・・・」

不安そうに報告書を持っていた。

「どれ?」

至近距離で話すのは嬉しいけれど、観月はさすがに仕事モードになる。

報告書を受け取り、内容を確認した。

なるほど、確かに1枚だけ違うものが紛れ込んでいる。

しかも、かなり重要な1枚。

大変だ。

「ちょっと待っていて」

「はい」

緊張した様子で小山さんはそこで佇む。

「刈谷――」

斜め左の席の大柄な角刈り男に声をかけた。

「なんすか? 大山さん」

のっそり、顔を上げる。

「ちょっと、こっちに」

「え、なんかありましたか?!」

慌てて筋肉質の身体がドスドスやって来た。

「これよ、これ」

バシッと報告書で彼を軽く叩く。

「あ、小山さんにコピーを頼んだ報告書・・・」

受け取ると驚いて見た。

「一枚、別の資料のものが混じっていたぞ。気を付けないと」

「え!?」

慌てて確認する。

「あぁ!本当だ、これってまずいな、戻さないと!ありがとうございます」

ぺこぺこと頭を下げる刈谷。

危うく、危険を冒すところだったらしい。

それは良かったのだけれど、彼女の報告書のコピーの仕事がなくなってしまった。

「ありがとう、よく見つけたわね」

言われたままにコピーをしていたらどうなっていたか分からない。

「はい、刈谷さんは最初に枚数まで教えてくれたので1部コピーして数えたら違っていたので確認しました」

新人にしては優秀。

言われた通りしても、しなくても何も言われないけれど、言われないことをして危機を未然に防いだのはお手柄である。

「そう。報告書のコピーは中止になってしまったけど他に仕事はある?」

「はい、まだ色々頼まれているので大丈夫です」

にっこりと笑いながら拳を握って言う。

 可愛すぎる!

心の中で観月は拳を握る。

もちろん、表ではポーカーフェイスだ。

・・・やっぱり可愛いなぁ―――

彼女が仕事に戻っても、残像の余韻に浸ってしまう観月だった。



新人には残業はさせないのがルールなので定時には新人たちは帰ってゆく。

PCの影に隠れつつ、帰り支度中の優奈を伺っている観月。

心の中では一緒に帰りたいなあ、などと思っている。

同じ女子だし、上司だし、食事を誘うくらいなら問題ないだろうとは思っているのだけれど、珍しく出来なかった。

「そんなにため息ついているなら、誘えばいいじゃない」

また真知子さんがやって来た。

彼女も暇だ、私にツッコミにしに来るくらいだから。

「嫌がらないかな? 彼女」

「大丈夫でしょ、身バレしてないみたいだし、きちんとした先輩だと思っているみたいだし」

はい、と分厚い資料が入ったファイルを2冊押し付けられる。

「なんでまた、彼女だけそんなに奥手なのよ」

苦笑された。

「嫌われたくないもの―――」

そう言うと今度はふん、と笑われる。

「数々の浮名を流した観月が言うセリフ?」

「浮名って・・・」

とりあえずは関係を持った社内の子たちは沈黙を守ってくれているから噂も出回っていない。

しかし、知る人は知る話なのだ。

「彼女、私から見たって可愛いから社内の男どもの標的にされるわよ。もう、アプローチしている輩もいるみたいだし」

優奈をちらりと見て真知子さんが言う。

「むううう―――」

同じ女性であることは最大の利点ではあるけれど、最大の欠点でもある。

普通、女性同士では恋愛対象とは見て貰えない。

今は見ているだけで満足している観月だけれど今後どうなるか分からなかった。

「ほら」

どん、と背中を叩かれる。

そうされても観月は決心がつかなかった。

仕事はバリバリ男性以上にこなすし、いつもは態度もはきはきしているのに。

「――まったく、意気地が無いわね」

豪煮やしたのか真知子さんが驚くことをした。

「小山さん」

彼女を呼び止めたのだ。

『えっ』

声には出さなかったが、観月は心の中で叫んでしまう。

心の準備が付いていないのに、急な振り!

私は真知子さんを睨んだ。

睨まれても彼女はどこ吹く風で、なんだろうとやって来た小山さんの肩を叩いて言った。

「大山が話があるんですって、少し待ってくれる?」

「私なにか・・・まずいことでも―――」

不安げに真知子さんの顔を見てから、観月の顔を見る優奈。

そりゃあ帰り際に先輩に呼び止められたら不安にもなるか。

「大丈夫よ、仕事のことじゃないから」

「えっ」

「じゃ、ちゃんとしなさいよ」

「真知子さん―――」

情けない声を出していたと思う。

のっぴきならない状況に追い込まれ、覚悟を決めないといけない。

いつもならこんなに緊張もしないのに・・・・優奈を前にして観月は固まってしまった。

「・・・あの・・・大山さん?」

呼ばれたのに、話があるという当の観月が話さないので優奈が話を引き出そうと声を掛ける。

「あ、ああ! 帰り際にごめんなさいね」

腹に力を入れる。

「仕事は慣れた?」

「え、あ、はい。皆さん、良くしてくれますので」

思っていたこととは違うことを聞かれたからか、緊張していた優奈の表情が柔らかくなる。

「半年の間に、部内のコミニュケーションを良くする飲み会とかはあったけど個人とはしてなかったから小山さん、今日の予定が無いなら食事でもどうかと思って」

なんとか・・・言えた。

よく、言い切ったと思う。

とはいえ、緊張で手に汗握っている。

「えっ」

驚いた表情。

普通に驚いた表情のようなのでそこに微細な感情は読み取れなかった。

まあ、今の観月に微細な感情の変化など分かる状態ではないのだが。

「あ―――大山さんのお誘いは嬉しいんですが・・・今日はちょっと用事が」

済まなさそうな表情に変わる。

観月は彼女の返事に落胆するとともに、同時にホッともした。

「うん、用事があるならいいわ。そちらを優先して頂戴」

「―――今日はダメですけど、また誘ってください」

優奈はにっこり笑ってはっきりと言った。

また、誘ってください、と。

おっ、と思う。

これは、食事に誘っても大丈夫だと。

嫌われてもいないらしい。

「ええ、今度また」

彼女との食事を確約したようなものだ。

観月はやっと余裕が出て、笑顔で優奈に言った。



死んだ―――

観月は気力を出し切ったように机に突っ伏す。

勇気を出して誘ったものの、本日は用事があって玉砕。

しかし、食事は取り付けたのだから収穫有りだ。

「だらしないわね、まったく」

ガラガラガラーーと椅子に座りながら滑って来る真知子さん。

「真知子さん、暇なの?」

つい、尖った言い方をしてしまう。

焚きつけて面白がっている節がある。

「そうね、面白そうだから」

やっぱり・・・・

「今日は用事があるんですって」

「用事に救われたわね」

「でも、嫌われていないのは分かったし、食事に誘ってもいいことも分かった」

突っ伏しながら。

「おお、良かったじゃない」

「次、食事に誘う」

「頑張って、観月。新人の子を食事に誘うのすら出来ないなんて百戦錬磨の達人の名が泣くんだから」

ぺしっと頭を叩かれた。

百戦錬磨って・・・そんなに付き合った人いないのに―――

「ねえ、真知子さん、私飲みたい気分」

「矛先を私に向けたわね」

「大丈夫、真知子さんは恋愛対象にならないから」

顔を上げる。

「それは良かったわ、私も女の子たちの嫉妬を一身に受けたくないもの」

「みんな、真知子さんが恐いから嫉妬心を向けてこないよ」

確信を持って頷きながら言う。

「なんですって?」

ごりごりごり~

拳で頭をゴリゴリされた。

「いたたたたた―――痛いってば、真知子さん」

「優しいのよ、私は」

「後輩にはでしょ、同期の私には厳しい!」

「余計なこと言うからよ、さっさと帰る準備しなさい」

拳を離すと離れて行った。

いたたた・・・手加減なしなんだからなあ――――

とはいえ、優奈とのきっかけを与えてくれたのは真知子さんだ。

本日の飲み代は私が払うことになりそうだった。





 ふうむ、今日の優奈も可愛い。


毎日、朝出勤してきた彼女を見て心の中で観月はにやけながら思う。

もちろん、顔には出さない。

優奈はくそ忙しい仕事の中で、観月の唯一の癒しなのだ。

仕事を頼む、話をする、そんなたわいないことでも嬉しく感じる。

観月を知っている女性たちが知ったら、それだけでヨシとしている自分を驚き、爆笑されるだろう。

でも、いいのだ。

観賞するだけの花であっても、自分が幸せで納得しているのであれば。

とはいえ、ずっと彼女を見ているわけにはいかないので仕事をする。

仕事とプライベートは分ける観月だ、仕事は手を抜かないし全力で働く。

で、根を詰めて疲れたら優奈を見てほっこりするのだ。

本人の知らないところで、観月の鑑賞の花になっている。

しかし・・・最近は、距離感がつかめてきたのか男どもの視線も優奈に向かっているのに気づき始めた。

男も女も見目のいい子が好きなのは仕方がない(自分も含め)。

性格も悪くはない上に、気も利くのでそれも分かる。


 誰のものにもなっていないから、可愛いと思えているのかも―――


“人づて”に聞いたところによれば付き合っている男性は居ない模様。

社内では恋人の居る、居ないは噂になるので分かるが、社外になると聞き出さない限り知るのは不可能。

とりあえず、恋人が居ないのは喜ばしい。

誰かの手付きじゃない、と思うだけで観月の中でその可愛さは崇高さを増すのだ(笑)。

などと頭の中で妄想しつつ、仕事はきちんとできるのだからさすがだなと自分で思う。

そこら辺は重ねた年の功というところだろうか。

仕事、時々休憩を挟みながら私は今日も昼まで仕事を頑張ったのである。


学校のチャイムのような午前終業の放送がスピーカーから流れる。

社内は食事の取れる人間から社食または外に食べに行く、自分の持ってきた弁当を広げるになった。

観月は休憩を多く取りたいので、パンまたはサンドイッチ、牛乳がほぼ毎日の昼ご飯となる。

食べ終わると喫煙室に煙草を吸いに行き、他部署の男どもと意見を交換したり、たわいない話をするのだ。

自分の机でいつものように女子とは思えぬ昼ご飯を食べていると珍しく、優奈が近寄って来た。

「大山さん」

「うん?」

パンを食べている最中に呼ばれたので、くわえたまま声のする方を向く。

「あ、すみません食べている最中に―――」

その様子がおかしかったのか、必死に笑いを堪えている。

笑われた・・・少し、ショックだったがとりあえず話を聞く状態にした。

「ごめんね」

「いえ、私が急に話しかけたのが悪いので」

「で、なにかしら」

昼食中に話しかけてくるのは珍しい、いつも固まって社食に行くのに。

「あの、これなんですけど少し多めに作りすぎてしまって・・・お嫌いじゃなかったら食べませんか?」

優奈が観月に見せたのはタッパーに入った一口サイズの可愛いおにぎりだった。

観月にはとうてい作ることはない、可愛らしいもの。

「えっ」

嬉しさに思わず、声に出すほどに驚いてしまった。

「・・・大山さん、いつもパンだからご飯はお好きではないですか?」

しかし、声を静めて優奈が言う。

「い、いやいや、ご飯も食べるわ。ただ、お米を炊くのが面倒なのでパンにしているの」

面倒なのは本当、パンならコンビニで売っているし。

おにぎりはあの包みがうまく剥がせないので買うことはあまりなかった。

「良かった、お嫌いだったらどうしようかと・・・」

「頂くわ。でも、いつもは社食よね? 今日はどうしたの?」

「一緒に行く人たちが色々あって、私も今日は机でお弁当なんです」

と、笑う

 ああ―――可愛いっ

またしても、その微笑みに萌えてしまう。

表面上では冷静を装いながら表面下では蕩けている。

小さいおにぎりを3個と、から揚げを貰った。

確かに作りすぎな気がしたけれど、その時は嬉し過ぎて気が付かなかった。

「ありがとう、小山さん」

手作りのおにぎりとか、半年分の運を使い切ったような気がする。

例え作って余ってしまったものでも彼女の手作りの物を食べられることはいいことだ。

まずはパンを食べきってからおにぎりとからげを食べた。 

 うむ。

冷凍だろうが、そうでなかろうが美味しいことには変わらない。

それに優奈が作ったとい付加価値がついているのでマズいわけが無かった(笑)

そう言えば、久しぶりに昼食にお米を食べた気がする。

観月も新人の時はよくお弁当を作って来たものだと思い出す。

いつの頃からか、休憩を多く取るためにパンと牛乳という、こんな男子のような昼食になってしまったのだ。

今日は煙草を吸いに行かないで机で食べた余韻に浸ろうと思った観月だった。



喫煙室。

愛煙家は定期的にニコチンを摂取しないと生きていけないらしい。

観月もたばこは吸うけれど日に3本程度で、会社で2本、家で1本吸う。

今日は午後の15時過ぎに喫煙室に来て、1本目を吸っている。

ヘビースモーカーではない・・・つもり。

周りはモク仲間、休憩時間が違う時もあるから立ち代わり変わってくる。

「昼、来なかったな」

隣の課の辻君が吸っていると言った。

「少々、用事があったのよ」

煙草と優奈のおにぎりなら断然、優奈のおにぎりに軍配が上がる。

「お前が来ないとつまらん」

「セクハラが言えないから? 私だからいいけど、いつかボロ出すから」

喫煙室は個人的配慮から人の顔あたりはすりガラスになっているし、中の声も聞こえないようになっている。

もちろん、煙は外に出ない。

ただ、喫煙室を利用した人間について外には出るけれど。

その時は出てから、消臭スプレーをかけて部署に戻るよう外に掛けてあった。

「セクハラだけじゃないだろ? 色々な意見交換もだ」

「確かに、役には立っているよな」

と、隣に居た駿河君。

彼は秋田からの転勤組で、経理部に所属。

「ただの井戸端会議でしょ」

「身も蓋もねえな」

「言えてる」

「なんか面白いことないか?」

「無いねえ―」

「そういや、取引先の木原物産先物取引で大損だってよ」

「投資額を見誤ったな」

「それよりも、CD社カルテルだってよ。E社も芋づる式で近々調査が入るらしい」

等々、まともな話もある。

観月にはあまり興味のないことだけれど。

今、興味があるのがやりがいのある仕事と――――可愛い優奈のことだけ。

片耳に男たちの話を流して聞きながらじりじりと減ってゆく煙草を吸った。

ニコチンを補充したのでこれで定時までバリバリ仕事が出来るというもの。

「お先」

「早いな」

「あんまりつまらないことしゃべってないで仕事にもどりなさいよ」

「お、真面目なことを言ってやがる」

「真面目なのよ、私は」

午後の仕事も忙しい、それを残業しないようにこなさなければならない。

喫煙室を出て歩きかけると声を掛けられた。

「大山」

振り返ると同じ喫煙室に居た、法務部の吉木くん。

「なに」

「ちょっと聞きたいことがあるんだが、お前の所に小山って新人居るだろう?」

意外なところで意外な名前を聞いた、観月は彼を見る。

「居るけど、それがどうかした?」

彼も可愛い新人に粉をかけている男性社員の一人なのか。

「――男っているかな?」

ビンゴ。

「・・・さあ、プライベートだから分からないわ」

無難な回答。

居る、という嘘を言ってもいいけれどあとで何かあった時に困る。

本当なら、男どもを彼女から引離したいところなのだけれど。

「そうか」

頭をかく、聞いたくせに恥ずかしがるとか・・・。

「でも、あの子は他の男性社員にも好かれているみたいだから付き合いたいなら早めに告白した方がいいわよ」

ありゃ・・・無意識に彼の後押ししてしまった。

「あ、ああ」

吉木君は私の後押しにびっくりしたような反応をする。

自分でもなぜ助けるようなことを言ってしまったのか分からなかった。



定時の放送が流れる。

水曜日はリフレッシュディで、残業をせずに強制的に帰えされる日だ。

ふいに観月は思いつく。

お昼におにぎりを貰ったから夕飯に誘う理由が出来たと。

早速、帰り支度をしている優奈に声を掛けた。

「小山さん」

「あ、大山さん。なんでしょうか?」

この間の、真知子さんに呼ばれた時のようには緊張していない。

本当に柔らかく観月を振り返り見る。

「お昼はありがとう」

「いえ、あまりものっぽくて申し訳なかったのですが・・・・」

恥ずかしそうに言う。

「美味しかったわ。ねえ、お礼というわけじゃないのだけれど今日、夕飯を一緒にどうかしら?」

うん、今日ははっきり誘えた。

いつもの観月だ。

まあ、彼女相手だと本当に食事だけなのだけれど(苦笑)。

「えっ、そんな・・・おにぎりとから揚げをあげただけです、私」

「昼食にお米なんて久方ぶりに食べたの、美味しかったから。それに、以前用事があるって断られたから今日はどうかと思って」

夕飯は彼女と食べるつもりだった、それ以外の選択はない。

大概のことなら観月は自分の思い通りの方向に話を持って行ける力を持っていた。

言葉と仕草、視線、声を使って相手を誘導する、これは意中の女性を口説く時にも使われる。

食事のことは以前、約束を取り付けていたようなものなので彼女に今日用事が無い、または観月と一緒は嫌だと思わない限り申し出は断られないだろう。

「め・・・迷惑じゃないですか?」

脈あり、反応あり。

「大丈夫よ、お礼も兼ねてね」

にっこり。

友人たちが見たら悪魔のような微笑みというだろう。

蜘蛛の巣を張る蜘蛛のようなと。

失礼な、優奈にはそういうことは考えていない。

本当に。

それは観月にしたら珍しいことだった、性欲を別にした関係というのは。



彼女を連れて行ったのは老舗のすき焼き屋だった、イタリアンでもフレンチでも雰囲気のいいところが良かったけれど観月はそこにした。

良く取引で使うお店だ、個人的にも使う。

慣れた店だし、優奈にいいところを見せたかったのかもしれない(笑)。

「こういうすき焼き屋さんってなかなか行けないから嬉しいです」

案の定、優奈は目をキラキラさせて嬉しそうに言った。

演技とも思えない。

時々、演技をする輩が居ることもある。

大概は、観月目当ての女性で親しくなりたいと近づいてきてそういう態度を取った。

観月も来るもの拒まずだけれど、さすがにあざといのは後々トラブルが起きる恐れがあるのでそういう時は相手が嫌な気分にならないようにやんわり拒否する。

「仕事を覚えて、何年も新人を迎えるとこういう店に来られるようになるわ」

そうやって、観月も仕事をしてきた。

ただ、普通にやって来ては出来ない。

周り以上に頑張らなければならないのだ。

「私なんて・・・大山さんは男性の方よりも仕事が出来るじゃないですか」

「私だって最初から順風じゃなかったのよ? 悔しい思いは色々したし、泣いたもの」

「大山さんがですか?」

「最初は誰でも新人なの、入社当時はあなたみたいにぽやぽやしていたわ」

お店の人がすき焼きを作ってくれるのを見ながら言う、説教にならないように。

「私、ぽやぽやしています?」

「まだ、ね」

していないといったら噓になる、きちっとしているのは分かっているけれど。

厳しい意見だけど、それを受け入れることが出来れば成長することが出来ると思う。

それが出来ない人間は、仕事も出来なくなってゆく。

「・・・厳しいですよね、やっぱり社会って」

雰囲気が変わって来る。

「仕事だもの、それでお金を貰っているわけだから私たちは。でもね、私が厳しいことを言うのはその人の為を思って言っているつもり。期待しない人間には私は何も言わないし怒らない」

「大山さん」

「―――ごめんなさいね、説教くさくなっちゃって」

沈んだ空気の中、すき焼きが食べられるようになった。

ナイスタイミング。

「ささ、出来たみたいだから食べましょう」

彼女に促す。

ここのすき焼きは何度も食べた、美味しいのは実食済みで彼女にも食べて欲しい。

「はい」

優奈は頷くと、表情を変えて楽しそうに食べ始めた。



すき焼きを食べながら、二人で話をした。

会社では仕事の話を二言三言くらいしかしないし、どうでもいいことなど話さすこともないので彼女とじっくり話すのは初めて。

仕事のことが大半を占めたが、彼女がいかに仕事に関して真摯に真面目に取り組んでいるのかが分かった。

新人は期待に胸膨らませて、仕事も頑張ろうと思う。

けれど、壁に当たったり思うようにできない事があったりで新人の時に思った志を忘れてしまう。

観月だってそうだ、新人の時は彼女のように仕事に対して初々しい思いを抱いていたのを覚えている。

「とにかく、頑張るだけ。まずは、与えられた仕事を覚えてこなすことね」

「はい」

彼女は真剣に頷く。

「先輩たちも鬼じゃないから、聞いてもいいのよ。聞くのは恥じゃないんだから」

最近の新人たちは人とのコミニュケーションが取れない、大学を出たくせに人に聞くことすら出来ないときている。

「大山さん、私―――頑張ります」

「そう、その調子。へこみそうになったら私に相談しても構わないから」

「はい」

仕事の話はおしまい、話題を変える。

観月もこの際、彼女の事が少しでも知りたいと思ったので聞くことにした。

「お弁当は自分で作っているの?」

「はい、おにぎりも形が不格好で申し訳なかったです」

「でも、美味しかったわ。からげも―――ちゃんとタレで漬けてから揚げているのね」

昼ご飯はパンと牛乳だけれど、観月はグルメだ。

休日や退勤後には独り飯や、友人たちと美味しいものを食べ歩く。

「分かりましたか?」

嬉しそうに言う。

「ええ、小山さんは料理が上手なのね。羨ましいわ」

「そんな、普通です」

謙遜する。

「私なんて食べるだけで、作ることはしないの。よく友人には結婚できないわよって言われているの」

「料理が出来る男性と結婚すれば解決です、大山さん」

まあ、ずばりそれが答えだけど根本的に無理かな。

「他に料理では何が得意なの?」

「え・・・と何でも得意です、特には無くて―――」

万能料理人か(笑)。

うちで雇いたいくらい、と観月は本気で思う。

「あ、ちなみに大山さんの好きな料理って何ですか?」

「えっ、私?」

いきなり話をこっちに振って来る?!と身構えた。

「はい、今度良かったら作ってきます、私!」

ドキン。

思いがけない展開になった。

やばい、心臓がバクバクし始める。

彼女相手にこういう展開は考えもしなかったし、望んでもいなかったので急な話についていけない。

 あぁ・・・もう可愛いなぁ―――

好きな料理を頭で考えながら、答えを待つ彼女を見た。

本当なら、がばっと『可愛いっ』と言って抱きしめたいんだけど・・・それが出来る相手かどうか全く分からない。

いけそうで、いけなさそうな小山さん。

どっちだろうか。

「・・・カレーかなあ」

「カレー」

思いもよらない料理だったのか、呟くように口にする。

「あ、ごめん、会社に持ってくるにはちょっとよね」

カレーは大好きだ。

スパイスが効いているのも好きだけど、甘口のカレーはもっと好物。

「大丈夫です」

拳を握る。

「無理にはいいから・・・」

「タッパーに入れれば持ってこられますし、保温ジャーもありますから」

作ってくれる気満々の優奈、嬉しいけれど急に話が進みすぎて戸惑っている。

「――じゃあ、甘口にしてね」

「大山さん、甘いのが好きなんですか?」

「そうなの、スパイスを利かせたのも好きだけど甘い方が好き。子供みたいでしょ?」

「意外です」

「よく言われる、イメージ先行だから甘口カレーを頼むとみんな驚くのよ」

観月は残ったビールを飲み干す。

「ギャップ萌えですね」

彼女の口から常々思っている言葉が出てくるとドキッとする。

ギャップはともかく、萌えについては――――

「そう言えば・・・」

少しアルコールが回ったのかいつもは聞けないようなことを勢いで聞いてみた。

「小山さんはかわいいから、もう付き合っている人なんて居るわよね」

「えっ」

付き合っている人は居ないと聞いていたけれど、それは人づてに。

本人ではない。

居ないといいなと観月は思いながら聞いた。

彼女は顔を赤くして下を向いてしまった。

 彼氏ありか――――残念。

「ごめんね、プライベートなことを聞いてしまって。喫煙室で男性社員にあなたが付き合っている人が居るか分かるかって聞かれたから」

ごめん、吉木くん身代わりに。

「・・・男性社員の方にですか?」

赤みが引かない顔を上げて彼女が聞いてきた。

「ええ、あなた可愛いから独身男性社員たちも気になるのよ。何人かには声かけられているのでしょう?」

「ま・・まあ―――」

数は聞かないけど大体は分かる。

「あ、でも!」

「でも?」

「誰とも付き合ってはいないです、私!皆、お断りしました」

力を込めて前のめりで言われた。

「小山さん―――落ち着いて・・・」

わけのわからない迫力に引き気味に押しとどめる。

「あ、すみません・・・・私ったらつい・・・」

すとん、と座布団の上に座りなおす。

「まあ、付き合うならよく見極めて付き合った方がいいわ」

「―――はい」

「小山さん?」

はい、と言った彼女が沈んだ表情をしたので少し気になった。

「あ、先輩の助言として受け取っておきます」

真面目だな・・・(苦笑)

このまま擦れないで会社に勤めてくれると嬉しい、なかなかそういうひとは居ないし。

「大山さんは―――」

「なに?」

「休日とか何をしているんですか?」

ベタな質問だ。

休日は家でダラダラしているけれど本当のことを言ったらどうなるだろうか(笑)

さっき言ったように人はイメージで生きているようなものだからギャップにおののかれるかもしれない。

ま、彼女には気てらっても仕方が無いので本当のことを言う。

「そうねぇ、休日は家でゴロゴロしているわ。ビール飲んでね」

「休日は本当に休養充電なんですね」

と言われた。

えーとか驚かれもせずに。

私の行動に予測が付いたのだろうか。

「意外でもなかった?」

「なんとなく、そんな感じはしていました」

そう言って彼女は笑う。

「仕事をバリバリして、休日はぐでーっとしたいですよね」

「そうなの、休日までかっちりしていたくないもの」

怠け者と言われたことはある、誰にも迷惑をかけているわけではないのでいいじゃないかとは思う。

人のことに口出しはやめてもらいたい。

「小山さんは何をしているのかしら? 休日は」

「私ですか? 私は――――」

思い出すような仕草も可愛い。

・・・まあ、何でも可愛く見えてしまうのだけれどね。

こんな可愛い子を放っておくとは男どもは何を考えているのか。

などと彼女を見ながら頭の中で考えてしまう。

やはり少し酔っているのかもしれない。

いつもはこれしきの事では酔わないのだけれど、優奈と一緒だしそれで舞い上がっているのかも(苦笑)。

「お店探訪」

「お店探訪?」

「はい、私料理を作るのも好きですけど食べるのも好きで食べに出歩いています」

「アクティブねぇ」

半年経ったとはいえ、新人の仕事も大変なのに休日も出歩くとは――若さゆえなのか。

「あ、これなんですけど・・・」

と言って、ガサゴソとバックの中を探って一冊のノートを取り出して私に渡した。

「なあに、これ?」

「食べ歩きメモです」

自信気に優奈は頷きながら言う。

「食べ歩きメモ」

パラパラ捲るとなるほど、お店の名前と住所、メニューなどが記入してある。

それも細かく、何件も。

「凄いわね・・・ちょっとびっくりしたわ、本格的ね」

いまどきスマホではなく、ノートというのにも。

「学生の頃からやっていて、それで5冊目なんです」

「へえ――」

もしかしたら私の知っている店もあるかもしれない。

「良かったら、大山さんの希望するお店門も紹介できるかもしれません」

「私の希望する店ねぇ」

食べ物にはこだわりがない私としてはマズくなければどこでもいいという。

でも、せっかく彼女が紹介してくれるというのだし、優奈と親しくなるのに何がきっかけとなるか分からないのだ。

ここは聞いとくべきだろう、うん。

「そうねぇ、好きなのはカレーって言ったからカレーの美味しい店かな。あと、女性でも入りやすいお店がいいわ」

カレーは老若男女好きだからそこら辺に店がたくさんある、しかし客の大半を男性が占めてしまっているお店も多い。

せっかくの美味しいと評判のお店で入りづらいのは自分としては致命的だ。

「あ、ではこの店はどうですか?」

座っている場所から移動してきて、彼女は私の隣に座る。

多分、無意識に。

無意識というのが一番困る、優奈を意識している私としては。

しかも、身体を寄せて一緒にノートを覗き込むとか・・・ドキドキするじゃない。

「吉祥寺駅から少し歩くんですけど―――」

ち、近いっ(焦)

会社で説明する時だってこんなに近づいたことも無いのに。

嬉しいけど、これ以上は―――と、自分の中で葛藤する。

そのせいでせっかく優奈が話しているのに頭に入ってこない。

「ごめん・・・小山さん」

「えっ」

さすがに耐えきれずにぐっ手のひらを彼女に向けて言った。

「近い」

「えっ、あっ」

一瞬、言っている意味が分からなかったようだけれど彼女はすぐに理解した。

「す、すみませんっ」

「少し、落ち着いて」

自分の興味のある事を教えるのは楽しいことだというのは理解できる。

でも、さすがに二人の身体の距離が近すぎて私もこれ以上接近していたら自分を我慢できそうもない。

「私ったら・・・興奮してしまって、ごめんなさい」

彼女は顔を真っ赤にしてその場に居たたまれないようにうなだれた。

「ん、ま、いいけどね。会社では見られない一面が見られたし」

ぽん、とノートを返す。

「じゃあ、小山さんがよければ今度、私をそのお店に連れて行って」

口が勝手に開き、ごく自然に彼女と会える次の約束を取り付ける。

習慣って恐ろしい。

「え、私でいいんですか?」

「おすすめのカレー屋さん、なんでしょう?」

「はい、おすすめです」

はっきり、しっかり言ってくる。

「じゃ、責任を持って私に教えてね」

にっこり。

こういう時のスマイルで決まる、というのは経験から分かっていた。

拒否できないように畳みかける魔法のようなもの。

「はい、今度ぜひ一緒に行きましょう!」

彼女は飛び切りの笑顔で言ったのである。


とりあえず、次の約束は取り付けた・・・と。

一緒に居られるだけでいいか、とも思う。

元々、望みの薄い私の想いなのだ。

お店で別れた後、駅への道すがらそんなことを考えながら歩く。

観月としては消極的だ、いつもなら対象相手にはガンガン行くのだが彼女相手にはそれが出来ない。

好きな気持ちと同じくらいに、嫌われたくないという思いがあるからだろう。

彼女からは、自分が手を出しても大丈夫という確信がない。

下手に感情のままに、動いてしまって嫌われたら取り返しがつかないことになる。

はぁ―――

歩きながらため息を連発させた。

さっきの雰囲気は良かったんだけど・・・私の方が意識しすぎて失敗した感じ。

勿体なかった・・・

でも、今回は会う約束と彼女の連絡先も教えてもらったのでホクホクだ。

今晩は、興奮して眠れないかもしれない。





基本的に観月は誰にも愛想がいい。

特に女性には愛想どころか優しいし、頼りがいがあるので好かれることも多かった。

仕事中はさすがに彼女たちと無駄話をすることはないが、休憩中や喫煙所から出て来た時は良く話をした。

食事に誘われれば行くし、休日のデート(?)もしかり。

パイプは太くしておいた方がいいというのが観月の考え、会社で何があるか分からないのだ。

何かあった時に助けてもらえるかもしれないので、仲良くしておくのである。

「大山さーん」

部署の入り口で観月は掴まった、15時の喫煙タイムから戻って来てすぐに。

「須田さん」

お隣の、そのまたお隣の部署の須田さん。

長い黒髪がトレードマークの美人さん、他部署の部長と付き合っているという噂。

「この間ね、映画のチケットを貰ったの。良かったら一緒にと思って」

「噂の人はいいの?」

「いいの、この映画は大山さんと見に行きたいし」

と、腕を組んで身体を寄せてくる。

嫌いではないが、会社でこれをやられると困る。

彼女は私寄りのひとだけれど手は出していない、なんだか面倒くさそうなので。

前にも言ったように、男女の付き合いより女女の付き合いは下手するとドロドロになるのだ。

「今度の土曜日はどう?」

とはいえ、余程の理由がなければ彼女と距離を置く必要は無い。

美人を鑑賞するのは観月の趣味でもある、一歩引いて鑑賞するだけならドロドロにもならないだろう。

「土曜か―――あ、用事がある、ダメ」

重要な用事が。

「えー」

「次の日の日曜は?」

「ダメなの―――今週で終わっちゃうの、これ」

TVでCMを流しているやつか、確かに今週末で終了のようだ。

「残念、他をあたって」

「ダメなの? 大山さん」

しなを作る。

・・・彼女は嫌いではないのだけれどこういうのはちょっと引く。

彼女にはさすがに表立って言わないけれど。

「ダメ、先客があるの」

この日は譲れない。

「えーー」


「大山――!」


真知子さんが私を呼ぶ。

助かった、渡りに船とはこのこと。

「じゃ、呼ばれているから!また誘って」

そそくさと彼女から離れ、真知子さんの所に行った。

「目立つわよ、あんなところで」

呼ばれて行ったら怒られた。

「だってさあ―――」

「だってじゃない、皆見てなさそうで見ているし、聞いているんだからね」

「しょうがないじゃない、彼女がさあ」

「そこをビシっとさせないとしょうがないでしょ、観月の方が先輩なんだから」

一年だけだけど。

「はいはい」

お説教タイムが始まりそうだったのでそそくさと自分の席に逃げる。

「あ、コラ!逃げるな!」

「真知子さんはうるさいよ―――」

長くなりそうで、逃げられなさそうだったから助かったけども。

席に逃げる途中で優奈と目が合った。

あれ?

でも、彼女は観月と目が合うと逸らす。

うーん、嫌だったかな。

真知子さんの言う通り、見ていないようで見られていたのかも。

人によってはあまりよく思われない光景だし。

聞かれたらでいいから、あとでフォローしておこう。

土曜日は優奈おすすめのカレー屋に行くのだ、今からぎこちなかったら当日に困る。

そう思いながら残りの仕事を片付け始めた。




仕事を片付けて頑張ると、あっという間に土曜日。

花金は無視して、観月は翌日の土曜日をずっと楽しみにしていた。

金曜の帰りなどはニヤケ顔が止まらない感じで、真知子さんに気味悪がられていたくらい。

もちろん、他の人からはそういう風には思われないくらいに上手に隠してはいたけれど。

待ちに待ったからか、久しぶりにウキウキした気分でいつもより早く起きてしまった。

子供か!と自分にツッコむ。

服もお出かけ仕様にばっちり決めて、余裕を持って待ち合わせ場所に向かった。

こんなにドキドキするのは久しぶりな気がする。

恋人が居なくて久しいが、ほぼ毎日会社で優奈を見られているので、そんな事はどうでもいい気がしている。

随分と自分も早く待ち合わせ場所に着いたと思っていたけれど、優奈はもう来ていてそこに待っていた。

 は、早っ

待ち合わせは大体、5分前集合が常識かと思ったけれど自分は15分前に到着。

優奈は30分くらい前だろうか。

「小山さん」

声を掛けた。

「あ、大山さん」

小山と、大山という面白い組み合わせなので周りの人に少し見られた。

「随分、早くから来ていたの?」

「ま、まあ・・・遅れたら困ると思ったら早く来てしまって」

恥ずかしそうに言う。

普段の姿も可愛い―――

上から下まで彼女の姿を一瞬で見て、心の中で頷く観月。

最後まで自分を抑えられるかどうか・・・自信が無いくらい可愛い。

「大山さん?」

「あ、ごめん、ぼうっとしてしまって」

見惚れていたとは言えない、絶対に。

先輩としての沽券に関わる。

「大丈夫ですか? お疲れとか・・・・」

「ああ、そんなのは全然。大丈夫」

見当違いの心配をされて悪く思う、全然違うのに(苦笑)

「じゃあ、行きましょうか」

「ええ、よろしくね」

私たちは優奈おすすめのカレー屋へ移動した。


お店は開店してすぐだというのに、少し混んでいた。

男女比率は3:7くらい、女性の方が多く観月としても入りやすいお店だった。

テーブル席に通される。

店内を見ればカレー屋とは思えぬ、スタイリッシュな内装。

ただ、店内に漂う香りはまさしくカレーとスパイスの匂い。

「甘いカレーもありますよ」

メニューを優奈に渡され、それを見る。

結構なメニューの量、インドの東西南北を制覇している(笑)

カレーも国や地域によって味も、食べ方も変わることくらいは知っている。

しかし、東西南北の本格的なカレーが一つの店で食べられるのはなかなか無い。

「ふうむ、嬉しいけど迷うほどあるね」

「迷って構わないですよ、時間はありますから」

「小山さんはいつも何を食べるの?」

聞いてみた、参考に。

「私は辛さをほどほどのキーマにします」

「激辛じゃないんだ?」

「辛いのは好きですけど、あまり辛すぎると美味しさが感じられないので程ほどにしていますね」

「―――それは分かる、カレーは辛いものという認識があるから辛くするんだろうけど・・・昨今は、ほとんど己がどこまで耐えられるか我慢大会を呈しているような気がする」

自分はやらないけど(苦笑)

「私は甘口のバターチキンカレーにしようかな、ナン食べ放題で」

「タンドリーチキンもありますよ」

「いいねえ、ビールもいけそうな感じ」

昼からアルコールはと思っていたのだけれど、喉が欲しがったので言ってみる。

「インドのビールは飲んだことありますか? 大山さん」

店員を呼んで二人分の注文をすると、彼女が言った。

「・・・・無い」

そういや無いな、と思う。

他の国のは飲んでいるのに。

「いっちゃいますか?」

いたずらそうに笑う。

「小山さんもね」

「私は大山さんみたいに強くないので飲めません、でも人が楽しそうに飲むのを見るのは好きです」

「そういや、この間もビール飲まなかったわね」

定番のウーロン茶で。

「あんな美味しい肉を食べるのに、ビールでお腹は膨らませられませんから」

「悪かったわね、ぐびぐび飲んで」

生ビールをジョッキで4杯ほど空にした観月。

「ふふふ、でも―――いい飲みっぷりでした」

もうね、そう言って笑う優奈にガツンとやられる。

・・・これが無意識でやっているというのだから―――

「大山さん?」

湧き上がる感情を抑えようと机に額をつっぷす。

 ダメ・・・これは・・・参った―――・・・

こんなのを今日1日ずっと見させられるのは拷問に近い。

すでに、観月の中で誘惑と理性がせめぎ合っている。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない・・・かも」

聞こえないように呟く。

辛うじて鼻血が出ないだけマシだった。

「ここのタンドリーチキン、ぜひビールと味わって下さい」

「もちろん」

ぐっと、身体を気力で持ち上げた。

今は、食事に集中しよう。

そうすれば彼女ばかりに意識が向かずに、変なことを考えずに済みそうな気がする(笑)。

なんとか気を逸らしつつ、おしゃべりの相手をしていると料理がやってきた。

スパイスの効いているカレーの匂い、インドのビールを初飲み。

優奈の方は、カレーにはヨーグルト系のラッシーを頼んで乾杯をする。

「美味しいわ、甘みがあるしちゃんと辛さもある」

バターチキンカレー、チキンもホロホロに崩れるし食べやすい。

ナンを付け、ビールを飲んでも相性が良かった。

「良かったです、お口に合って」

「お店も女性にも入りやすいし、これなら私でも入れるわ」

出不精だけど、他の友人とも来られそうである。

カレーを食べつつ、今日は仕事抜きのプライベートの話をした。

この間のすき焼き屋の時はまだ壁があったようだったけれど、今日はその壁が少し壊れた気がする。

「よく、会社の方と映画を見に行かれるんですか?」

ぐっ

その質問、来るとは思っていなかったのでナンを喉につかえさせてしまった。

ドンドン。

胸を叩いて、なんとか飲み下す。

「この間の、見ていたの?」

「聞こえてしまったので、すみません」

「まあ――・・・時々ね、横のつながりは大事よ? 何かあった時にその繋がりが助けになるかもしれないでしょ」

言い訳がましいと思いながらも観月は言う。

あの時の様子はそんな真面目な目的があったようには見えないとは自分でも思うけれど。

「確かにそれはあるかもしれませんね」

「そうなの」

「研究部 志田さんに、来生さん、庶務課の大島さんに永作さん、法務部の広瀬さん―――と」

「ちょ、ちょっと、待った」

「はい?」

観月は慌てて彼女を止める。

「その、名前―――」

聞くのも恐ろしい、その名前はここ1か月で観月と親しげに話して約束を取り付けた社内の女性社員たち。

何で、優奈の口から出るのか。

「横のつながりも大事ですよね」

にっこり。

「・・・・・・・」

――――分かってやっている?

疑ってしまう。

全然、そういうあざとい気配は感じないのに言っていることは妙に・・・

「真知子さんも言っていました、他の部署のひととも交流を持っておくとあとあと便利だって」

あいつはねえ・・・交流しているけど人の弱みを握って色々やっている危ない奴なのだ、実は(苦笑)。

「女性は敵に回さない方がいいんですよね」

「そうね」

それには同意する、激しく。

ただ、色々粉を掛け過ぎると失敗するのだけれど・・・(体験者は語る)

「でも―――」

まだ、何か爆弾発言があるのかと身を引き締める。

「皆さん、美人ですよね」

そこか、そこなのか。

「もう、その話は置いといて―――」

「大山さん、モテますよね。入社してすぐにビックリしました」

「入社してすぐ?」

「今もですけど」

優奈はそういう場面をよく見ているらしく、観月の記憶が曖昧なことまで話す。

恥ずかしさに観月は頭を抱えた。

よりによって優奈に見られていたとは・・・穴があったら入りたいとはまさにコレのこと。

ガックリと落ち込む。

彼女に好かれたいと思っているのに、遠ざけるようなことをわざわざ見せつけていたのだ。

「よく言えるのね、私だって覚えていないようなこと」

はっきり言って、最近は優奈が観月のメインになっているので他は極端に言うとジャガイモにしか見えていない。

楽しむにしても、ほとんどデートだけで朝まで一緒ということはなかった。

「見ていましたので」

カレーをパクり。

「―――で、私に幻滅した?」

「え、そんなことないですよ」

顔を上げる。

「私の友達も、同性にモテる子がいて、大山さんと同じだなーって思っていただけです」

「へえ」

これは、話の方向がいい方に向いて来た?

「そんなにモテるの? 小山さんの友達って」

会ったことも無い相手に対抗心などないけれど、話の流れには必要な情報だ。

「はい、女子高だったこともあるですけど。もう、声掛かりまくりで大山さん状態です。むしろ、大山さんは大人だから節度が有りますけど」

と、苦笑する。

節度。

それが表す意味は何となく分かった。

「私が節度あるって?」

いつも見てられない、って真知子さんに怒られているのに。

「ありますよ、だってハグとかしないじゃないですか、キスも」

優奈の言った言葉の方にショックを受けた。

さすがに仕事中にはそんなことはしない、理性ある社会人なのだ。

「あ、プーなんですけど、その友達は」

「その人と私を一緒にするの?」

あんまり一緒にされるのは嬉しくないかも。

そう言うと、彼女はぶんぶんと手を振って否定する。

「ちっ、全然違います。あんなのとは!」

「あんなの・・・」

「大山さんはチャラくないですし、先輩として仕事も出来るし尊敬しています」


尊敬できる先輩かぁ―――

私は、そういうのになりたいんじゃないんだけどな・・・・


嬉しいけどちょっと切ない。

「あと、カッコいいので他の部署に行った同期に自慢できます」

「私がカッコいい?」

まあ、言われること多数。

意識していないわけじゃないけど、カッコいいというのは付属的なものだと思っている。

できれば、すべてをひっくるめて私を好きになって欲しいのだけれど。

まあ、この会話で少し私の気持ちが軽くなったことは確か。

身近に私みたいな人間が居るという事は私の気持ちも伝わる可能性が一縷でもあるということだ。

一歩、前進したと思う。

「はい」

「女の子は好きよね、男性も女性もカッコいい人が」

「それが惹きつけられる魅力ですから」

「小山さんも好きなの? カッコいい人」

何気なく聞いてみた。

「好きですよ。でも、中身が伴わない人はカッコよくても好きじゃないです」

はっきり言う。

「その友達は伴わないの?」

「友達なので嫌いではないです、とはいえ・・・時々友達をやっていて嫌にはなりますけど」

時々、嫌になるだけで離れないのだから根っから悪いわけではなさそう。

「大山さんはきちんと中身が伴ったカッコいい人です」

満面の笑みで言われる、こっちが照れるくらいに。

「・・・・ありがと」

もうね、可愛いったら――――

「私も・・・大山さんと映画に行きたいです」

「えっ」

思いもよらないことを言われる。

予想外のことだったので観月は固まってしまった。

「どんな映画が好きですか? 私は意外にアクションが好きなんですけど」

いきなり食事の次が映画とか。

「私と映画を見たいの?」

他の部署の同期に自慢したいだけなら断るつもりだった、さすがにそれは。


「あの――――映画を見る以外のこともいいですか」


彼女はそう言った。


映画を見る以外のこと―――


「小山さん」


「ごめんなさい、随分と話を寄り道してしまいました」


「それって―――」


カレー屋での雰囲気ではない。

しかし、カレーの匂いが漂う現実(笑)。


「私、大山さんのことが好きです」


まさか、カレーを食べている時に彼女に告白されるとは思わなかった。

いや、それ以上に自分を好きだと言われたことも信じられない。

この手の雰囲気には敏感だと自分は思っていたのだけれど、こと彼女に関しては全然違った。

まったく、感じさせもしなかった。

こっちが悶々と悩むくらいに。

「・・・迷惑でしょうか、私なんか―――」

じっと観月を見てくる。

「迷惑というより・・・今は驚いている方ね」

嬉しいけど、まさかってことで。

まさかの両想い。

「あなたは普通に男性の方が好きなのかと思っていたわ」

「・・・実は、小さい頃から女子の中で過ごしたものですから男性が苦手な方なんです。とはいえ、自分が女性を好きだと認識したのはごく最近で・・・」

顔が真っ赤になる。

「随分とかかっているわね、今まででしょう?」

気づくのが遅すぎな気がする(苦笑)。

「恋愛にあまり興味が無かったものですから」

「無かったの?」

無いわけが無いと思うのだけれど。

「はい、私は変わっていたみたいで・・・本当に誰かと付き合いたいとかこの人がいいとか今まで思わなかったんです。趣味を優先していましたし」

ラッシーのストローをくるくると回す。

「あと、私は鈍いみたいで。相手の好意に気づかないことも多くて―――」

これまでのことを聞くに興味がある。

「それは男性なの? 女性なのかしら?」

「よくよく思い出して考えると学生時代も何回かあったような気がします、入社してからは・・・男性の方の方が」

「まあ、当然よね。社会に出れば男性に多く接するものね」

彼女を好きになるのは観月だけではない。

可愛いい上に性格が良いとなればなおさら ← ここ、重要。

「でも、どうして私に告白しようと思ったの?」

観月がそういう事は嫌いで、嫌悪している人間だったらどうするのだろうか。

最悪、社内に噂を流すことだってある。

「・・・観月さんなら例え振られても口外されない方だと思いました、それに―――観月さん、モテるみたいですし早くしないと誰かと付き合ってしまうかと思って私・・・」

最後の方の言葉は小さくなってゆく、恥ずかしさのためか。

「ずっと見ていたのね」

「はい、じっと見るのは失礼かと思いましたので視線の端程度でしたけど・・・ずっと気になっていて――――」

 気づかなかった、灯台下暗し。

お互いに気になっていたのに(苦笑)。

「小山さん」

観月は改めて名前を呼ぶ。

「は、はいっ」

身を正して観月を見る姿に笑ってしまったけれど緊張しているのが伝わって来る。

一世一代の告白なんだろうな、と思うから笑いを表には出さない。

彼女を傷つけるつもりは毛頭ない。

女性に告白するという状況自体、勇気がいることなのだから。

観月自身もその気持ちは十分に分かっていた。

「あなたのこと、優奈って呼んでもいい?」

「えっ」

「私もね、ずっとあなたのことそう呼んでいたの」

心の中でね、妄想で(笑)。

まさか現実にそう呼べる日が来るとは思わなかったけれど。

「えっ、ええ―――っ!?」

彼女が驚く、その驚き方がベタで。

「あ・・・あの、それって・・・」

恐る恐る伺うように聞いてくる。

「私もね、あなたのことは気になっていたのだけれど告白なんかするとセクハラになるし、そういうことが嫌だったら会社に来なくなってしまうかも・・・って思ってなかなか言えなかったの」

上になると色々、考えることはあるのだ。

思うようにいかないことも多いし、制約も多い。

「大山さん―――」

「だからあなたから気持ちを伝えてもらってよかった、本当なら私が口説くところなんだろうけどあなたは私を受け入れてくれるかどうか分からなかったから」


まさか、両想いだったとはね。

この私が気づかなかった。


「告白ありがとう、今後ともよろしくね、優奈」


やっと口に出せる、彼女の名前を。


「うそ」


口に両手を当てて感情を抑える優奈。

「いや、嘘じゃないから」

「ほ、んとうに―――?」

「本当にね、私もびっくりだわ」

結果オーライで、嬉しいけれど随分と遠回りした感がある。

「私・・・嬉しいです」

「私もよ」

カレーを食べながらっていうのも斬新だけど。

まあ、彼女らしいと言えばらしいかと思う。

感極まったのか、瞳を潤ませている。

「―――泣くことも無いでしょ」

涙を手で拭っているので優奈にハンカチを渡した。

「すみません」

「相手が感激して泣く、というのも久しぶりね。この年になるとなかなか無くなるから」

相手の年齢も同じか上がるし、そういう繊細な人に巡り合うことも少なくなる(笑)。

「嬉しいです」

「私もよ」

また、同じことを言う。

今度はちゃんと嬉しさをかみしめた。

「じゃあ、このカレーを食べ終えたらデートに変更ね」

「あ」

嬉しそうな表情で観月を見る。

いつも、会社で見る優奈。

「は、はいっ」

満面の笑みで答えた彼女を抱きしめたくなったけれどさすがに自分を抑える。

とりあえずこれからは人目が無ければ気にすることなく、優奈と接することができるのだ。

観月は残りのカレーを食べたけれど、味をあまり感じない。

ほとんど、優奈とのことで意識を持っていかれて味覚がどこかへ行ってしまったかのようだった。








「浮かれてるわね」


真知子さんが後ろから低い声で言った。

「―――お、どろかさないでよ、真知子さん」

気配を感じさせずに耳元で言うから驚いた。

「何かいい事でもあったようね、ここ最近」

鋭い(汗)。

自分では浮かれているつもりはないし、いつも通りに仕事をしているのだけれど。

「そんなこと、ありません」

きっぱりと言い切る。

優奈とことは言わない、自慢するようで嫌だし、そのことを弄られるのもあまり好きではない。

「そうかね、ここら辺に花が飛んでいるような気がしてならないのだけれども」

と言い、空中をさす。

「そんなマンガ的な話」

「―――まあ、いいわ。仕事が滞らないのはいいことだし」

「仕事はきちんとしていますので」

手に付かない、ということは無い。

そこまで若くも無いのだ、さすがにそれくらいの分別はつける。

優奈も私と付き合うようになってからも、とりわけ変わった態度も取っていないし、彼女もちゃんと仕事をしている。

実に頼もしい。

真知子さんが居なくなってからそっと、優奈の席の方を見る。

今は、木村さんに付いて仕事を教わっているのであまり接点はないのだけれど一緒の部屋には居る。

直に手取り足取り教えてあげられないのが残念であるけれど、ボロが出そうなのでむしろそんなことはしない方がいいだろう。

その分、二人で会う時間が増えたのだから――――

会社では今まで通りで、お弁当を作ってもらうという目立つこともさせない。

優奈は作りたがったけれどそれは目ざとい人には分かってしまうので許可しなかった。

作りたいのであれば休日作ってくれれば食べると言っておいてある、デートでなら作って来ても問題なく食べることが出来るからだ。

社内行事ならOKということでバレンタインとかそういうものなら他の人に紛れて渡すことができるのでOKとしていた。

 お、頑張っているね。

木村さんはベテランだから指導もなかなか厳しい、でもそれにくらいついていけたら仕事も出来るようになるだろうと思う。

軽い会話なら、問題ないと思うので疑問に思われない程度に優奈とは話をした。

あまりよそよそしいのも可哀想だし、好かれていないと思われてしまいそうなのは避けたい。

色々、面倒くさく大変なのである。

周囲を伺わないで過ごせたらどんなにいいか――――

ひとつため息をつくと、観月は気を取り直してPCに向かった。




まずい―――待ち合わせを予定していた時間よりかなり遅れた。

LINEする暇もなく、観月は慌てて急ぐ。

電車に乗って、6つ先の駅前から5分程度歩いたお店。

なんでそんなに面倒な場所に、と思うかもしれないが会社の人間に見られないため。

それくらい用心すれば自分たちを見つける人数は減らせるだろうと思う。

女二人だけど、男性社員はともかく、女性社員の目は誤魔化せないのだ。

「お、っと」

小走りで急いで来たのでお店を行き過ぎてしまった。

高校時代は陸上の短距離選手だったので、足にはまだ自信がある(笑)。

優奈は観月が分かるように窓際に居て、私を見つけると笑って軽く手を上げた。

息を整えながら店に入り、席に誘導される。

店の中は暖かく、走って来た観月は汗をかきそうだった。

「ごめん、待ちぼうけをくわせてしまって本当に申し訳ない」

席に着くと平謝り。

「大丈夫です、大山さんが遅れても仕事のせいだというのは分かっていますから」

「先に頼んでいても良かったのに」

待ち合わせたお店は小さいお店だけれど、イタリアンを提供している。

ワインもいいのがそろっているし、チーズもピザも美味しいのでここを選んだ。

なにより、観月のマンションに近い(笑)。

付き合うことになって、二人の家は同じ市内にそれも結構近い距離にある事がわかった。

家に近い方が何かと便利だし気心も知れる。

「大丈夫です、観月さんのことを待っていました」

会社でも可愛いのに、ここでもかっ!

思わず、目じりが下がってしまいそうになる。

多分、自分を知っている人が見ればデレデレだと思われ―――

「可愛すぎるわね、優奈」

優奈の顎をすっと撫でた。

「みっ、観月さん―――」

びくりと身体を反応させ、身体を引くと顔を赤くして周りを見た。

「聞こえないように言っているから、大丈夫よ」

そんなに大きい声はだしていない、囁く程度だ。

夕飯時だから、食器の音、会話、咀嚼音で聞き取りづらいと思う。

「―――私が慣れません」

まだ顔が赤いままで、耳まで真っ赤になっている。

すれてないのが奇跡なくらいの純情さで観月は羨ましく思っていた。

「慣れなくていいわ、優奈はそのままの方が」

「でも、毎回こんな反応ばかりじゃ・・・嫌じゃないですか?」

「そんなことないわよ、新鮮で面白いわ」

面白い・・・呟く。

そんなに真面目にならなくても、と思うけれど根が真面目らしく考えてしまうらしい。

「私はそのままの方が好きなんだから、そのままで居て欲しいわ」

「そのまま」

「そ、無理に慣れてもぎこちないし、そんなの優奈じゃないもの、ね?」

今のままが可愛い、うん。

「はいっ」

やっと納得してくれたのか私たちのテーブル席で元気よく返事をした。



会社でのある程度、制約のある関係から解かれた私たちはのびのびと会話を楽しむ。

もちろん、仕切りがあるテーブル席だけれど会話や行動には注意する。

「今度は水族館に行きましょう、観月さん」

テーブルの上には食事と一緒に彼女が持ってきたパンフレットがある。

「へえ、いいわね。私はクラゲが好きよ、あのゆらゆら揺られる感じが」

パンフレットを見ながら観月は返事をする。

「私もクラゲは好きです、癒されますよね」

水槽の中のクラゲを思い出すのか、何もない宙を見上げる。

「全体的に水族館は好きだから優奈の好きなところでいいわ」

「この間も、私の行きたいところでした」

少し不満そうな表情になる、珍しく。

「優奈が一緒ならいいわ。でも、決して面倒くさくて言っているんじゃないのよ?」

「・・・はい」

「優奈の行きたいところが出尽くしたら、今度は私が言うから」

いつになるか分からないけど(笑)

これから先は長いはずだから行きたい場所がなくなるわけがない。

「水族館に行くとしたら品川か、すみだか、江の島か―――」

スタンダードな近場の水族館を言ってみる。

「あ、水族館ではないけすけど鴨川シーワールドはどうですか?」

「鴨川シ―ワールド? 千葉よね」

名前は聞いたことがあるけど、行ったことはなかった。

電車で行けたかな?

「あそこにはシャチが居るんです、シャチが居るところは少なくて」

「へえ、詳しい」

「イルカショーとかも好きで、大学生の時はよく行きました」

余程好きなのだろう、ぱあっと明るく話し出す優奈。

「あと、シロイルカも居ます」

ほう、白いイルカとな。

「じゃあ、鴨川シーワールドに決まりね」

目の前でこんな風に楽しい!行きたいオーラを出されたら観月も行きたくなる。

「はい、楽しみです」

そうと決まったらスケジュールを作る、会社ではそういうことは得手な観月だがプライベートでは優奈が率先して作ってくれていた。

嫌いではないようで嬉々として作っている。

楽しそうなので観月は横で微笑ましく見ながら、時々意見を述べるだけ。

「楽しい?」

「はい、楽しいです」

打てば返って来る返事。

近年の観月の恋愛には無かった純粋さに内心、苦笑する。

付き合ってまだ3か月程度だけれど、まだ手も握っていない。

これが優奈でなければ、付き合うことが分かった当日にはキスどころかベッドインまでしているところだ。

多分、観月が求めれば優奈は応えてくれるだろうとは思うけれど早急に欲しいとは思っていなかった。

彼女の気持ちを知る前はあんなに“抱きしめたい”とも思っていたのに。

そうしないのは、優奈が本当に“まっさら”だからだと思う。

今時、ここまですれてなくて純粋なのも珍しい。

大概は、学生の頃から汚れていた(?)観月には眩しいくらいに。

だから優奈のことは大事にしたいと思い、まだ手は出さないのだ。

この情況であればいつでも出せるから。

「家に帰って詳細、詰めますね」

「ありがとう、優奈がマメで助かるわ」

「好きでやっているので全然、苦じゃないです」

ぱたんと手帳を閉め、バックにしまう優奈。

「なんですか?」

観月に見られていることに気づいて聞いてくる。

食べながら、視線を向けてしまうらしい。

「何って見ていただけよ、優奈を」

正面に座っているのだから話さなくても顔は合わせてしまうけれど。

「・・・あんまり見られると困ります」

まだ顔が赤いまま、うつむいて小さな声で言う。

「嫌?」

「嫌というか・・・恥ずかしいです」

「そう? 私ね、実は可愛い子とか鑑賞するのが好きなの」

「鑑賞・・・ですか?」

「見るだけなら問題ないわよね、手を出すわけじゃないから」

「・・・・・」

「優奈?」

反応が無かったので声を掛ける。

「あ、何でもないです、食べましょう!」

繕ったように笑ったのが気になったけれど観月はそのままにした。

大したことではなさそうだし、と。





少しばかり優奈の元気がない。

あと2日仕事をしたら楽しみなデートに行くというのに。

会社でも、プライベートで会っても観月が気づくくらいだ。

「どうしたの? 何か心配事でも?」

気になったので会社で立ち話がてら聞いてみた。

付き合ってはいるけれど、観月は公私の区別は付ける人間なのであくまでも先輩としての立場で聞く。

「何がでしょうか?」

そう言うものの、雰囲気がいつもと違うので観月に分からないわけがない。

けれど、優奈はその理由を言わなかった。

「まあ、言いたくないのなら無理には聞かないけど・・・口に出したら楽になることもあるわ。 私はいつでも聞くつもりだから相談して頂戴」

「―――はい」

ここのところ、優奈の笑顔が少ないのだ。

いつも観月を癒してくれる彼女の笑顔が。

何かしらのことを抱えているのは薄々気づいているのだけれど、本人が話したがらない以上、無理には聞けない。

 まだ、距離があるのかな―――

観月はちょっとばかり自分に自信が無くなった。

そんなことでは仕事には影響は出ないけれど。

「大山さん――」

コピー機の前で優奈と離れると、声を掛けられた。

部屋の入り口で生活課の瑞奈さんに。

ソバージュヘアの美人さんで、こちらも男性社員の注目を集めている人だ。

「あ、お久しぶりです」

最近は接点が無かったので数か月振りか、ビル丸ごと会社なので顔を合わさないことも結構ある。

「このフロアに寄ったから顔見に来ただけ」

「暇ですねえ」

「暇とは何よ、ちょっと付き合ってよ」

と、煙草を吸う仕草をする。

「あ、私、やめたんで」

スッパリやめた。

「えっ、嘘?!」

驚いた様子で言われる。

「身体に悪いのでやめました」

理由は別にあるけど人に言うには“身体に悪い”はもっともな理由になる。

「あんなに禁煙出来なかったあなたが?」

確かに何度も禁煙しようとしたけど、成功した試しがなかった。

半ば本気で取り組んではいなかったからかもしれない。

でも、今度は本気で観月はやめる気である。

「今度は本気なんで、残念ですけど」

「嘘―、絶対無理でしょ」

信じられなさそうに言う。

「無理じゃないですよ、瑞奈さんも止めて健康的になりましょうよ」

吸わないことで利点があることに気づいたので、瑞奈さんにもすすめる。

「無理、無理、無理」

「はじめはキツイけど、ある時期を越えると楽になりますから」

瑞奈さんを禁煙仲間にするべく引っ張り込もうと言った。

「なんの冗談なのよ、私から煙草を取ったら荒れるわよ?」

「それは困るなあ――被害が拡大するのは」

瑞奈さん、美人なのだけれどヘビースモーカーなのだ。

煙草を吸う姿は見とれるほどなのだが、如何せんもくもくと煙に巻かれるほど好きとかきている。

時々、葉巻も吸うらしいから真のスモーカーとも言える。

「じゃ、コーヒーくらいはいいわよね」

「いいですよ」

そう言うと二人でうちのフロアの休憩室に向かった。



自販機の紙コップのコーヒーを飲む。

自販機と言ってもお金がかからないやつで、ボタンを押せば出て来た。

系列の会社が飲料水の商売をしているので、福利厚生の一環によりタダで飲めるのである。

「どういう心境なのよ、今さら禁煙なんて」

喫煙仲間が減ったので少し不機嫌で言う瑞奈さん。

それでなくても最近は、喫煙者には生きづらい世の中になっているのだ。

「健康に目覚めたのです」

「嘘」

「ま、常とう句ですけどね」

「本心は?」

「内緒です」

「ちょっと―――」

言ってからかわれるのは嫌なので言わない、瑞奈さんも真知子さんと同じような性格だし。

「それとも・・・・」

身を乗り出してくる。

「それとも?」

「―――妊娠しているとか?」

ブッ

コーヒーを吐きそうになった。

ゲホ、ゲホっ。

何とかハンカチを取り出し、口を拭う。

「あり得ないでしょ、私、独身ですよ」

真面目な顔で変なことを言う。

「ほら、独身でも結婚しない人も居るじゃない―――」

「なら、もう会社に言っていますって」

「・・・よねえ」

さすがに観月の妊娠説は言ってみただけだったようだ。

「とにかく、煙草はやめたので。瑞奈さんには悪いですけど」

「つまらない」

「まあ、コーヒーを飲みながらの愚痴は聞きますから」

「裏切者」

裏切者って・・・(苦笑)

「あーー、どんどん肩身がせまくなってゆくわね」

瑞奈さんは背伸びをする。

「時代の流れですよ、禁煙はおすすめですよ」

「冗談じゃないわ、絶対にやめないんだから」

瑞奈さんは死ぬまで止めないだろうなと思う。

吸い続ける、止めるは人それぞれだし無理にはすすめない。

「本音を言うと、瑞奈さんは吸っている姿は様になって好きですから見られなくなるのは困るな」

「相変わらず、軽い口調ですごいことを言うわね」

瑞奈さんが本気にしないから言えるのである。

「ドキッとしました?」

「しない、しない、自惚れないの」

ぺしっと、デコピンをされた。

「いたーっ、思いっきりやったでしょう!?」

これはやられた跡が付く事案だ。

「禁煙なんかするからよ」

「ひどい言いがかり」

痛くて涙が少しばかり出てくる、手加減というものが無い。

そうこうしていたら休憩タイムが無くなってしまったので、重い腰を上げて私たちは解散した。




約束の日になったのだけれど、朝に優奈から中止して欲しいとの連絡が来た。

観月は大人げなくウキウキして早く起きてしまい、着てゆく服など色々コーディネイトしていた時に。

「大丈夫? 体調が悪いの?」

昨日は、元気はなかったけれど体調が悪い様子はなかったと思う。

「大丈夫です、少し気分がすぐれなくて―――すみません」

声に張りが無い。

とはいえ、風邪とかという感じにも思えなかった。

「本当に大丈夫? 最近、元気がなさそうだったから心配していたんだけど」

「・・・・・」

しばらく返信が無い、無言のまま通話している。

「優奈?」

向こう側で息を詰める気配がした。

経験からあまり良くない感じの。

彼女の言葉を一方的に信じるわけにはいかないと思う。

電話を切り、しばらく考えたあとで観月は着替えて家を出た。


優奈の家を訪ねるのは初めてだ。

観月の家にも彼女は来たことがない。

まさか、こんな事で優奈の家を訪ねることになろうとは思いもよらなかった。

何事もなければよいのだけれど。

元気がないのは知っていたけれど、聞くだけで何もしなかった。

もしかしたら、優奈は観月にもっと優しくして欲しかったのかもしれない。

自分は相手の思いに気づいてあげにくくなっているのだろうか。

見舞いの品を持って、インターフォンを押した。

事前連絡は入れていない、あの様子だと入れたら断るだろうから。

迷惑だと思うか、嬉しいと思うか、困惑するかどうか分からない。

けれど、今日はなぜか会わなければという気持ちが観月を動かした。

「はい」

不用心にも、相手を聞かないでドアを開ける。

あとで叱らないと、と観月は思ったけれど今はぐっとそれを横に追いやった。

「―――優奈、大丈夫?」

「大山さん・・・!」

優奈はドアを開けた隙間から顔を覗かせた観月に驚く。

顔色は悪くないように見える。

「どうして―――」

「ちょっと気になって、心配したから来ちゃったわ」

「・・・・・・」

いつもなら笑顔を見せてくれるところなのに優奈はうつむく。

「あなた、ここ最近は変よ」

顔も上げてくれない。

こういう時は、本心は何か言いたいことがある時。

経験から分かる。

「仕事をしていても辛そうだし、なによりも笑顔が少ないんだもの」

あんなに楽しそうに仕事をしていたのに、今は溜息とか沈んでいる姿を多く見かける。

「私といる時もそう、楽しくない?」

そう言うと優奈は顔を上げた。

「違うんです」

「違うって?」

「私・・・」

何かを言うつもりだったのだろう。

けれど、それは言葉をなさなかった。

優奈は言葉を発しようと努めるけれど、声にならず嗚咽に変わった。

「優奈―――」

なぜ、彼女が泣くのか観月には分からない。

自分が理由なのか、それとも別に原因があるのか。

それは彼女の口から聞かなければ分からないことだ。

けれど、今は泣いていて容易に聞くことが出来ない。

玄関でしゃがみこんで、なんとか泣くのを押し殺している優奈に近づくために観月もしゃがんだ。

彼女が落ち着くようにゆっくりと優しく声を掛ける。

「優奈・・・私があなたにあまり優しくしてあげられなかったのなら謝るわ」

会社では公私をきっちり割り切って接していた、これは当然だと思っていたけど少しくらいは融通をきかせても良かったかもしれない。

「ち・・・がうんです」

「違う?」

泣きながらようやく答えてくれる。

「私が悪いんです・・・全然、観月さんの気持ちを知らなくて―――」

「私の気持ち?」

言葉に詰まりながら優奈は胸の内を吐き出した。

彼女の思いは観月にはうかがい知れないことで、言われてハッとしたことが多かった。

「気持ちは言わないと伝わらないものね、でも何気ない言葉でひとを傷つけることもある」

観月は彼女の丸めた背中をやさしくて撫でる。

「ごめんなさい、優奈。私が言った一言で傷つけてしまったわね」

撫でて、その背中を抱え込む。

びくり。

その身体がビクつく。

けれど、嫌がって逃げることは無かったのでそのままで居た。

感慨は無く、謝罪の感情しか湧いてこない。

「鑑賞の趣味はもう止めるわ、それに優奈にはもっと会社でもやさしくする」

初めて、服越しだけれど優奈を抱きしめた。

「お・・おおやま・・・さん・・・」

「だからもう泣かないで」

自分だけを見て欲しいという欲望は誰にもある、観月にも優奈にも。

優奈は優しいから言えなかった、言えずに自分の中に溜め込んで、考えすぎて情緒不安定になってしまったのだ。

「すみません・・・こんな風に泣いてしまって」

涙を拭う。

「いいわ、感情を見せてくれるのは信頼している証拠でしょ。私に色々な優奈を見せて」

「・・・呆れないんですか」

「呆れるって―――駄々をこねて泣いたわけじゃないでしょう? そんな事で呆れないわ」

立ち上がらせる、いつまでも玄関でこうしているわけにはいかない。

「今日はデートに行くのは中止にしたけど、優奈の家で過ごしても構わない?」

そう言われて優奈はハッとなったあとに、顔を赤らめた。

「・・・片付けもしてないんです、まさか来られるとは思わなかったから―――」

「大丈夫よ、優奈は几帳面だから散らかさないって分かっているから」

ウインクをして、まだ残る涙を親指でふき取ってあげる。

「み・・っ、大山さん」

驚いて優奈が身を引くが、観月は彼女との間を詰めた。

「ね、優奈」

「は、はい―――」

「あなたにキスしても構わない?」

「えっ」

優奈にキスしたいと思う。

強引にしてもいいけど、彼女の意思は尊重したいから聞いた。

「き、キス?!」

観月とキスをしたいと思ったことが無いのかと思うほどの狼狽する様子に苦笑する。

雰囲気がある中で優奈とはキスをしたかったのだけれど、無理のようだ(笑)。

それでも彼女とキスしたいという気持ちは強いままにある。

「嫌?」

観月の方が背が高いから、優奈が見上げる。

「い・・・嫌じゃ・・・ないです・・・」

言葉を絞り出すように小さく消えそうな声で優奈は答える。

「良かった、嫌だって言われたらどうしようかと思ったわ」

断られるのを少しだけ恐れていた。

「大山さんが嫌なわけないです―――」

そう言った泣き笑いの状態の優奈に、観月は顔を近づける。

その唇に自分の唇を重ねて彼女が驚かないようなキスをする。

いきなり自分が慣れているキスだと戸惑うだろうし、キスには徐々に慣らしていけばいい。

優奈に関しては観月もゆっくりと関係を進めていくつもりだった。

「は・・・ぁ・・っ」

しばらくキスをして唇が離れると素人のように優奈は吐息を漏らした。

その様子が可愛くて、観月は思わず笑ってしまう。

「―――おかしいですか、大山さん」

笑われたのが気に障ったのか、優奈が聞いてくる。

「可笑しくない、可愛いと思っていただけよ」

そのまま抱きしめる。

「反応が面白くてね、優奈みたいな反応が新鮮でもっと好きになるわ」

「・・・・大山さん」

優奈が恐る恐る観月の身体に腕を回してきて、抱きしめ返してきた。

「私も大山さんのことが、大好きです―――」

「うん」

これならもう、優奈は大丈夫だろう。

お互い、言いたいことは言い合えたし、分かり合えた。

次のステップに進むことが出来る、観月はそう思いながら彼女をもっと抱きしめた。




観月もノートを取るようになった。

優奈は食事に関するお店のノート、観月は趣味の(美女鑑賞ではない方)お茶の美味しいお店。

デートに決める場所は交互に決めることにして、行きたいと言った方がスケジュールをまとめる。

付き合って4年経つ。

あっという間の4年で、優奈には後輩が出来たし観月もひとつ昇格した。

初々しかった彼女も観月と一緒にいるうちに慣れ、互いのマンションを行き来するようになった。

「観月さん」

観月の身体が揺すられる。

「う、んんん―――」

揺すられても身体が起きることを拒否して、瞼も開かない。


寝ていることが気持ち良くて、まだ起きたくない――――


「ご飯、出来ましたよ。起きて下さい」


ゆさゆさと揺すられる。

そのままにしておいてくれないようだ。

当初からの頃に比べると優奈も強くなったと思う(笑)。


「・・・わかった、分かったから―――」


観月は自分の手を揺する手を制して、身体を起こした。

何も着ていない。

もう慣れたのか、優奈はそれを見ても慌てることもなく布団に乗って来る。

「おはようございます」

寝ぼけ眼の観月の顔の前に、優奈の笑顔が。

「おはよう・・・朝から元気ね」

朝のテンションが違うのは年齢のせいだろうか? 

二人の年齢差は5歳、どうなのだろう。

「起きて下さいね、今日は観月さんの好きな干物を焼きましたから」

「はいはい・・・んっ」

渋々と言った感じで返事をした観月にふいに、優奈がキスをしてきた。

しかし、すぐに唇は離れる。

「優奈――――」

いつの間にかそういうことも恥ずかしがることもなくするようになった優奈。

「じゃ、早く来てくださいね」

観月が手を伸ばす前にするっと逃げ、部屋から出て行った。

 まったく・・・

嬉しさと呆れが入り混じた笑いを浮かべる。

4年で随分と世慣れしたと思う。

まあ、観月もそれに少しは関わったわけだけれど。

ゴロン。

また、ベッドに横になってしまう。


「そろそろかな――――」


いい加減、マンションが2つあるのも非効率的だと思うようになって来た。

ひとつにまとめれば浮いたその分のお金は別のことに使える。

観月はあまり浪費家ではない、ボーナスや給料の一部は毎月これまで貯金に当てていたからかなりの額はあった。

 マンションの購入。

そろそろ考える頃かもと思う、家を買うのと同じくらいの一大決心。

優奈には言っていない。

どういう反応をするのかも未知数。

現在の関係も、恋人同士として付き合っているだけ。

男女の関係なら、プロポーズでもして結婚→マンションンに入居なのだろうけれど。


 どうかな―――マンションを買ったら一緒に住んでくれるかな・・・優奈


観月にここまで考えさせた女性は今まで居なかった。

それだけ大切な人であり、愛しているということだろうと思う。


う―――ん、悩むっ!!


ベッドの上で2・3回ゴロゴロしてから観月はようやく起き上がった。



「―――これって」

優奈に朝食後、落ち着いた時にマンションのパンフレットを見せてみた。

多少、彼女の考えと観月の考えの違いに不安はある。

しかし、このまま悶々と思っているよりは吐き出した方が気持ちはスッキリする。

「そう、買おうと思うんだけどどう思う?」

「マンションを買うんですか?」

凄い、と尊敬の眼差しで見てくる。

ここら辺は当初とあまり変わらなかった。

「見たことの無い桁です」

「まあね、それくらいはするわ」

居間のラグの上に座って、横にあるソファーによりかかりながら反応を伺う。

「観月さんは買えちゃうんですね」

「いつの間にか通帳に貯まってたの、お金は使うことに意味があるのよ」

「凄い、私も言ってみたいです」

パンフレットを捲りながら興奮気味に言う。

 ・・・・分かってないか(苦笑)

目の前の優奈は、相変わらず鈍かった。

マンションを買うのは観月で、観月だけが入居するものだと思っている。

まあ、言葉にして言わないと伝わらないのは経験済みだものね・・・

観月はさらに覚悟を決める。

「優奈」

「はい」

「マンションを買ったら・・・なんだけど、一緒に住まない?」

言い切った!

さすがに声が震えていたと思う、なんとなく同棲ということはあったけれど一緒に住まないかと自分から言ったのは初めてだった。

「ゆ・・・優奈?」

優奈は最初、観月が言ったことが理解できなかったようだったけれど、驚きから唖然となる。

「えっ、えっ?!」

「ひとつにしてしまえば、お金が浮くでしょ。どうかしら?」

「えっ――――!!」

聞いてない(溜息)。

「そ、それって・・・一緒に住むってことですか?!」

そう言ったんだけど・・・ね。

「そう。私のマンションと優奈のマンションを行き来するのも面倒だし、大きいところを買って一緒に住んだ方が効率的だと思うのよ」

「で、でも、観月さんが買うんですよね・・・」

「そうよ。あ、優奈は負担金とか請求しないから大丈夫よ」

「―――ダメです!」

「はい?」

強い声で、キッと睨まれて言われた。

「ダメって・・・」

何がダメなのか、一緒に住むのがダメなのか――――

「私も・・・私も少しだけですけど・・・出します!!」

「えっ」

そっち?

「確かに・・・ずっと思っていました、行き来するのは面倒くさいし・・・毎日、朝起きたら観月さんの顔が見られたらな・・・って」

みるみる顔が真っ赤になってゆく。

ぷしゅ―――ゆでだこのように(笑)。

その様子に、観月は愛おしくなって優奈の所に移動すると抱きしめた。

「もう! 可愛過ぎなんだから、優奈は―――」

「私は可愛いって年じゃないです、もう・・・」

謙遜するも、観月には可愛く見えているので聞こえない。

「一緒に住むのはOKってことでいいのね」

「はい・・・」

抱きしめられながらコクリ、と頷く。

「本当に申し訳ないんですけど、私は少ししか出せません」

「いいのよ、ある方が出せばいいんだから。気にしないわ」

マンションにかかるお金より、観月には優奈と住むという事の方が大事だ。

最初から彼女に出させるつもりはなかったから、申し出ても受け取るつもりはない。

優奈の性格上、もし押し付けられても密かに貯金しておけばいい。

「今度のデートはマンションを見に行きましょうか」

「デートでマンション内覧会ですか? 私、初めてです」

腕の中で、観月に顔を向け言った。

「私だって初めてよ、そんなデート」

よくある事じゃないし(笑)

「・・・ですよね、でも嬉しいです。観月さんと一緒に住むマンションを探すなんて」

「マンションに一緒に暮らさない?って聞いたの、一大決心だったんだから―――これでも」

「観月さん―――」

色々あったけど、優奈が最終地になると思う。

彼女とのことは本気だし、ずっと変わることは無いと誓う。

「マンションを買ったら次は指輪がいい?」

「観月さんの気持ちは嬉しいですけど、いらないです」

「いらない?」

まさか、いらないと言われるとは思わなかったので抱きしめる手を緩めてしまう。

「あ、気持ちは受け取ります。でも、指輪は私が買います!」

そう言うことか、ホッとする。

「別にいいのに―――」

「私にもプライドというものがありますから」

そういえば、そういうところは我が強かったと思い出した。

言ったら引かないんだよね、優奈も(苦笑)

そういうところも甘えなくて好きなのだけれど。

「仕方が無いわね、指輪は優奈持ちね」

「はい、任せて下さい!」

元気よく言う。

「色々決まったから、いいわよね」

「えっ」

最大の嬉しいことが決まったので、観月は抑えられなくなった。

優奈をラグの上に押し倒す。

「ちょ・・・っ、観月さん!」

「マンションを買ったら大きなベッドを買うわ、天蓋付き」

にゃりと笑い、見下ろしながら言う。

「観月さん――――」

「夢だったんでしょ?」

観月が聞くと優奈は泣き笑いの顔になり、抱きついて来た。

「嬉しいです」

服でくぐもってしまうけれど声は聞き取れる。

「うん、私も今日は一番嬉しい日かもしれない」

観月はそう言うと、今までよりも愛おしく彼女を抱きしめたのだった。


読んでいただきありがとうございます。

着地点がなかなか決まらず大変でしたがなんとか終わらせられました。

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