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 少し低い男性の声の発生元は間違いなくこのカエルだった。これだけ近くにいるのだから、気のせいなどということはない。

 だいたい他に誰がいるというのだろう。いくら薄暗くてもアメリア以外に人がすぐ近くにいるのならばわかるはずだ。人が隠れられそうな生垣は三十フィートくらい先で、そこから声が聞こえていたと考えるのは無理がありすぎる。


「しゃべりましたよね……?」


 アメリアはさっきから同じことばかり言っていると思った。


「そうだな」


 どこか諦念の混じった肯定が返ってくる。


「カエルさんですよね?」

「あぁ、まあ、そうだな」


 カエルはまた肯定した。


「しかし、カエルが人の言葉を話すはずがない。だからこれは夢だ。君は疲れていて自分がいつ眠ったのかわからないんだ。だから早く部屋に戻るといい。そしてすぐにベッドにもぐりこむといい。そうするべきだ」


 端的な言葉しか話さなかったカエルが捲し立てるようにどこか支離滅裂なことを言ったので、アメリアはぽかんとした。


「君は疲れていて、夢を見ているんだ。早く部屋に戻りなさい」


 まるで暗示にかけようとするかのように、力強く説得される。

 夢を見ているのならすでに眠っているのだから、ベッドへ急ぐ必要はないのではないかということはともかく、アメリアはなぜ夜の庭園にいるのかを思い出した。


「眠れないんです……」


 疲れていても眠気を全く感じなくて、これでは明日もお皿を割ってしまうのではないかと、真剣に悩んでいたのだ。いつの間にか寝ていたなんてことは信じられない。


「そうか。大丈夫だ。ベッドの中に入れば眠れるから寝なさい」


 アメリアは泣きそうになった。

 ただ子供が寝たくないと駄々を捏ねているだけのように扱われたからだ。

 深刻な問題をとても軽く見られて、惨めな気持ちになってしまい、悲しくなった。もちろんアメリアの事情など一切知らないカエルは悪くないが。


「ちょっ、なんで泣くんだ!」


 カエルがぎょっとしたような声を出した。


「いえ、泣いてません」


 アメリアはギリギリのところで耐えていた。酷いことなど言われていないのに、いきなり泣き出すなんてどうかしていると思う。


「泣いてなくても、なぜそんな顔をする」

「……だって眠れないんです」


 理由を明確に説明するよりも、眠れないことを強調したかったせいで、深刻味がより薄れるような言い方になってしまった。

 しかしカエルは呆れたりしなかった。もともと下がっている口角をもっと下げて、悩んでいるような表情をする。


「……何かあったのか?」

「ありました、けど……いえ、何でもありません」


 これでは心配してほしいと言っているかのようだ。アメリアは頷きかけて首を振った。


「それよりもカエルさんは体調どうですか? 急に動かなくなったので、具合が悪いのかと思ってしまいました。水場にお連れしましょうか?」


 無理やりではあるが、アメリアは話題を変えた。

 カエルは顎らしき箇所を引っ込めて、複雑そうな声を出す。


「いや、水は必要ない。それよりもそこのイチイの生垣の向こうにベンチがあるから、そこへ連れて行ってくれないか」

「はい、いいですよ」


 ベンチにどんな用があるのだろうかと思いながら、アメリアは素直にお願いを聞いた。


「ここでいいですか?」


 背もたれに薔薇を象った彫刻があるお洒落な木のベンチの上にカエルを乗せる。するとカエルはベンチの空いている場所を目で示した。


「座りなさい」


 命じる口調なのに、尊大さは感じられなかった。むしろ温かみすらあって、アメリアがデーヴィットに対して言う時のような響きがある。

 アメリアは首を傾げながらも拒否する理由はないので、言われた通りにした。

 目線の高さにかなり差が開いてしまい、カエルと顔を合わせようとすれば見下ろす形になる。カエルは円らな瞳でアメリアをじっと見つめていた。


「君は……落ち着いているな」

「え?」

「カエルが言葉をしゃべっているんだ。恐ろしいとか、気のせいに違いないとか、自分の頭がおかしくなったのかもしれないとか思わないのか?」

「あら、夢じゃないんですか?」


 あんなに必死にそういうことにしようとしていたのにと、アメリアは笑いながら揶揄した。

 夢だとは思わなかった。ただ月明かりと屋敷のオイルランプの灯りだけが届く庭園は、夢の中にいるような、現実から一歩だけ離れた場所にいるような不思議な感覚にさせた。

 すぐ近くに確かに人の気配がある大きな屋敷があるのに、そこから誰かが出て来ることはないだろうという、妙な確信を持たせる静けさがあるからだろうか。

 それはアメリアがこの非現実的な現実を受け入れている要因の一つではあった。 


「だって言葉を話すカエルさんはここにいますよ。いるはずがないわけがないですし、さっきからずっと話していらっしゃるのに気のせいというのもおかしいです。それにわたしは疲れてはいますが、頭が変になるほどではないですから。なったことがないですし、お酒を飲んでもいません。あ、それとカエルさんは全然恐ろしくないですよ」


 アメリアが微笑みながら説明すると、カエルは瞼だけをゆっくり何度も上下に動かした。まるでカエルこそが目の前にいる人間の存在を疑っているかのような仕草だった。


「君は、よほど肝が座っているのか、それともかなりの世間知らずなのか」

「ああ、それは間違いなく世間知らずのほうです」


 質問だったのかはわからないが、アメリアは正解を知っていたのですぐに答えた。


「わたし世間知らずなんです。ずっと家にこもっていて出られませんでしたから。外出といえば日曜礼拝くらいで、そこで親しくなった医者のご夫婦と家の者がいろいろ教えてくれましたけど、家を出るようになってやっぱり世間知らずだったんだわって実感してしまいました」

「だからカエルがしゃべってもあまり驚かないのか?」

「いえ、驚きましたよ。初めて間近で機関車を見た時と同じくらい驚きました」


 つまりアメリアにとってしゃべるカエルは機関車とほぼ同等のものなのだった。カエルは納得したように目を細めて「そうか」と言った。


「わたしは知らないことが多いので、世の中にはしゃべるカエルさんだっているのかもしれないと思ったのですが、普通なら自分の頭を疑うくらいに珍しいのでしょうか」

「いや……そうだな。もしかしたら私の他にもどこかにいるのかもしれない。だがとてつもなく珍しいことは確かだ。だから私に会ったことは誰にもいわないでくれるか。私は静かに暮らしたいんだ」


 それはそうだろう。よからぬことを考えて、このカエルを捕まえようとする人間も出て来そうだということは、アメリアにも理解できた。


「はい。もちろんです。絶対に誰にも言いません」


 安心してもらうためにアメリアは大きく頷いた。


「ありがとう。それならさっきの話の続きだ。君は一体何があったんだ?」

「え?」

「あんな顔をしていた理由を聞いているんだ。何もないわけがないだろう」


 誤魔化したはずの話を蒸し返されてアメリアは戸惑った。そこまで気にされるほど酷い顔をしていただろうか。


「誰かに話すだけでも気分が楽になると言うだろう。私はカエルだから手助けなど何もできないが……」


 僅かに言い淀んだカエルは、何もできないことを悲しんでいるように見えた。アメリアはさっきからそうではないかと思っていたが、ここで確信した。このカエルはとても優しい。


「しかし助言くらいはできるかもしれないし、話すだけでいいことが起きないとも言いきれない。だから話してみなさい」


 気に病ませてしまったことを申し訳なく思いながらも、アメリアは嬉しくなった。心から心配されている。このカエルならばアメリアが単に考えすぎているだけかもしれない悩みを聞かされても、鬱陶しいとは思わないのではないだろうか。


「あの、呆れられるかもしれないのですが……」

「呆れない。だから話しなさい」


 真面目な口調で断言される。

 アメリアは眠れなくてこの庭園にまで来た経緯を、ぽつりぽつりと話し出した。


  

 

 

 

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