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取るものも取り敢えず、外出をしてもおかしくないだけの格好をした三人は馬車に飛び乗った。
「ショウ、デーヴィットは歩いて町まで行ったのか?」
「ええ、業者が来るまで待ってから荷馬車に乗せてもらったらいいんじゃないかと言ったんですが、すぐに行きたいと言うので。でも町に着けば大型乗合馬車が走っていますから、駅まではそんなに掛かりません」
「駅までに追い付けるか微妙だな」
エドワードの言う通り、二時間近く前に出ていったデーヴィットに追い付けそうなくらい、伯爵家の馬車は速かった。揺れが激しいが道路が舗装されているので、舌を噛みそうなほどではない。
「列車の出発時間が問題ですね。デーヴィットの方の乗り継ぎが上手くいってしまえば、それより後の列車に乗ることになってしまいます。そうなれば追い付くのは難しくなる」
顎に手を当ててエドワードは考える仕草をした。
「駅までにデーヴィットが見つからず、目的の列車も出発時間まで間がないようだったら、とにかく列車に乗ることを優先しよう。探すのは後でもできる。デーヴィットと父親を接触させないことが第一だから、先回りするくらいの方がいい」
黙って聞いていたアメリアは、ぎゅっと心臓が縮まる思いがした。
デーヴィットと父親を会わせない。それが重要なのだ。残りの問題は一旦置いておくとして、まずそれが重要だとアメリアは思っていた。エドワードも同じ考えだとわかったからこそ恐くなる。
なぜならいくらエドワードが伯爵家の当主で、アメリアたちの父親よりも強い権力を持っていたとしても、子供は親の支配下にあるからだ。デーヴィットをリヴォンジ男爵がどう扱うかは、彼の自由だと言っても過言ではないかもしれない。
おまけに貴族は多少の犯罪は当然のごとく見過ごされる特権階級だった。貴族の子供を親から引き離すには、その正当性を広く世間に知らしめるくらいしか方法がない。
もしもデーヴィットが自分は家に戻ることになってもいいと思っていたのなら。その上で父親と会ってしまったなら。デーヴィットはもう二度と父親から逃れることができないかもしれない。それはきっとエドワードにだってどうしようもない。
こんなことを考えるのは取り越し苦労で、デーヴィットは父親に会いに行ったのだとは限らない。しかしこの予測し得る最悪の事態はアメリアにとってあまりにも最悪だ。絶対にデーヴィットを父の元へ行かせてはいけない。
町に着くとアメリアは窓のカーテンを少しだけ引いて、外の様子を窺った。どこかにデーヴィットがいるかもしれない。そんなに簡単にいくわけもないが、じっといていられなかった。オムニバスが通るたびに目を凝らす。
やがて駅が視界に入る距離まで来ると、列車が線路を走る姿が見えた。その列車の進行方向が、自分たちがかつて住んでいた町と同じ方角だとわかると、アメリアは不安に苛まれる。デーヴィットはもうあの列車に乗ってしまっているかもしれない。町に入ってから人通りの激しい時間帯になっていたのか、馬車の速度がかなり落ちていた。
アメリアは無意識に馬車の中のエドワードに目を向ける。鉄道時刻表本の複雑な数字の羅列を見つめていたエドワードは眉間に皺を寄せて難しい顔をしていた。
「急ごう」
駅の入口に馬車が横付けされると、エドワードとショウは素早く降りた。続いてアメリアがエドワードの手を借りて降りると、彼ははぐれないようにするためか、その手を離さず早足で駅に入っていく。
「あと十五分で次の列車が出る」
アメリアが思っていたよりも列車の間隔は短かった。しかしさっきの列車にデーヴィットが乗っていたとすると、やはりかなり遅れることになる。
切符販売の窓口へ行くと、間が悪いことに客の一人が揉めていて、切符を買おうとしている人の列がほとんど動いていなさそうだった。しかもその列にデーヴィットの姿はなく、すでにこの駅を発っている可能性が増した。
これでは更に後の列車に乗ることになって追い付けないのではないかとアメリアが焦っていると、エドワードが近くにいたポーターを呼び寄せた。
「君、あの列車の一等車両は空いているか?」
すでに駅で停車していた列車を指差して、エドワードが尋ねた。ポーターは一瞬のうちにエドワードの身なりを確認してから、姿勢を正した。
「すぐに調べます」
言外に急いでいるのだと伝えたエドワードの意を汲んで、彼は走って窓口へ行き、すぐに戻って来た。
「十分に空いておりますよ」
「コンパートメントは何人乗りだ?」
「四人乗りです」
「では四人分の切符を買う。用意してくれ。相席は断るように」
「かしこまりました」
上客の機嫌を取るためか、ポーターはあっという間にエドワードたちを一等車両のコンパートメント前へ連れてきた。ショウがポーターに多めのチップを渡す様子をアメリアはぽかんと見る。
しかし慇懃な態度を崩さなかったポーターは、アメリアが車両に乗る時に、隠しきれない好奇心を宿した目を向けてきた。
当然といえば当然である。紛う方ない紳士であるエドワードと簡単に紳士のふりができる従者のショウと一緒にいる女性が、メイドのエプロンとキャップを外して小さな帽子を被っただけのアメリアなのだ。本来ならば一等車に乗れる格好ではない。
ポーターが何も言わないのはエドワードがアメリアを丁重に扱うからだろう。エドワードが相席をさせないようにした理由を、アメリアは今更ながらに気がついた。
「あの、わたしは三等車両に乗ったほうがいいのではないでしょうか? もしかするとそこにデーヴィットがいるかもしれませんし」
今は時間がないので、この列車にデーヴィットが乗っているのかどうか確認している余裕はないが、そもそもアメリアだけでも三等車両に乗っていれば、走行中でも探すことができる。さっきのポーターにエドワードが頼めばすぐに用意してくれるのではないかと思った。
するとエドワードだけではなくショウまで渋面を作る。
「この辺りの駅だけならともかく、三等車両に若い女性が一人で乗るには危険な地域もあるんだ。停車時間が長い駅に着いたら私とショウが見に行くから、アメリアはここにいてくれ」
「ええ、それがいいです。特にアメリアは危険な気しかしない」
二人にデーヴィットと似たような反応をされて、アメリアはさすがに大丈夫だと胸を張って言うことはできなかった。
列車が発車すると、エドワードは座席に身を沈めて何かを黙考していた。つられるようにアメリアとショウも黙っているので、車内は車輪の音と黒煙が吐き出される音ばかりが響いていた。
途中で一度、大きな駅での長い停車があった。エドワードとショウが三等車両にデーヴィットを探しに行ったが、見つからなかったようで、二人は残念そうに首を振る。デーヴィットが停車と同時にホームに出て、出発前に戻って来たという可能性もなくはないが、やはりこの列車には乗っていないと見たほうがよさそうだ。
「アメリア、デーヴィットは歩いて自分の家に行くと思うか?」
「あの歳で一人で辻馬車は乗れないでしょうし、あの町はオムニバスも走ってはいませんから、歩くしかないと思います。でもまずはバーキン医師の家に行くかもしれません」
弟が一人であの父親をどうにかできると考えているとはアメリアには思えなかった。
「そうか。では二手に別れたほうがいいかもしれないな」
「では俺がその医師の家に行きますよ」
ショウがそう言ったので、アメリアとエドワードが男爵邸へと向かうことになり、駅にほど近いバーキン医師の家にはショウが向かうことになった。
しかしこの取り決めは目的の駅に到着してホームを出たところで意味のないものとなる。
アメリアはそこでよく見知った顔を目にして、驚いて大きな声を上げた。
「バーキン夫人!」
突然呼ばれた身綺麗な格好をしたふくよかな中年女性はきょろきょろと辺りを見渡す。そして高そうな衣服を身に纏った男性二人と連れだっているアメリアを発見すると、目を丸くした。
「まあ、アメリア! あなたもう気づいてしまったの!?」
彼女が新聞の記事のことを言っているとわかったアメリアは、駆け寄って腕を掴んだ。
「バーキン夫人、デーヴィットは?! どこにいるんですか」
「ま、待って。わたしはあなたを引き留めておくように頼まれているのよ。もぅ、夜になって帰らなければ不審に思ってここまで来るかもしれないからと言っていたけど、まさかこんなに早く気づくなんて」
「会ったんですね?! デーヴィットに!」
「ええ、まあ……」
バーキン夫人はアメリアのいつにない気迫にたじろきながら頷いた。
「どこにいるんですか?! あの子は父の元へ行こうとしているんですか!?」
「それは……その……」
どうすればいいかわからなくなったのか、バーキン夫人はアメリアから目を逸らした。
しかし彼女は正直な人である。ある方角をチラチラと気にするように何度も見るのだ。そしてそこが辻馬車のたまり場なのだとアメリアは知っていた。ならば答えはおのずと出てきてしまう。
「まだいるんですね、そこに」
バーキン夫人の肩がびくりと震えた。
「えっ、あの、いえ待って、アメリア!」
名前を呼ばれる前にはもうアメリアは走り出していた。
すぐに追いかけなくてはデーヴィットはいなくなってしまうかもしれない。そのことしか頭になかった。