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「デーヴィットはどこに……」


 頭の中にある予測を無視して、アメリアは呟いた。


「この記事にあるハウスキーパーを助けなくてはいけないと思ったんだろうな。それなら新聞社へ行って、ガセだと訴えて訂正させるべきなんだろうが」


 それはエドワードの立場ならばできることだ。わかっているのだろう、彼は口を引き結んで黙った。


「子供が一人で行ったところで相手にされないでしょうね。ハウスキーパーの元へ行ったとしても、意味はないでしょうし。根本的な問題を解決しない限りは……」


 その根本的な問題が何なのか。エドワードが言い淀んでいたことをショウは口にした。


「父親である男爵のところでしょうね。記事を書かせた人物なら、新聞社に再び訂正記事を記載させることもできるでしょうし」

「そんなのおかしいです! デーヴィットがわたしに黙って一人で行くわけがありません! それにあの人は目的が達成できたところで、わざわざ記事を訂正させるはずがないんです!」


 デーヴィットの行先が父親の元である可能性が一番高いことをアメリアは気づいていた。しかしどうしても納得ができず感情的に叫ぶ。

 アメリアに何も告げずにデーヴィットが出ていくわけがないのだ。一人で勝手な行動を取ったことなど、今まで一度だってない。

 わかっていたはずなのだから。アメリアが年の離れた弟を守るべき存在だと認識していたと同時に、最も頼りにしていたことも。デーヴィットが幼いからという理由で、アメリアは隠しごとなどしてこなかった。不安を口にすることだってあった。どちらかが一方的に寄り掛かっていたわけでも、全てを背負おうとしていたわけでもなく、二人で支え合って生きてきたから、お互いに大切なものを諦めずにここまで来れたことを。賢い彼はちゃんとわかっていたはずだ。

 それなのにアメリアに黙って一人で父親の元へ行くなんておかしい。今更そんな勝手なことをするなんて。

 ショウはアメリアの唐突な激昂に驚いて戸惑っていた。


「アメリア、落ち着いて。ちゃんと考えよう。確かにデーヴィットの行動はどこかおかしい」


 優しい声で宥めるようにエドワードが言った。


「デーヴィットが休みをほしいと言ったのは朝食の前なんだろう。それなら新聞の記事を読んだ直後ということになる。でもいくらあの子がしっかりしているとはいっても、あんな記事を読んだあとすぐに、誰にも相談せずに、ショウに嘘を吐いて屋敷を出るというのは行動が早すぎやしないか」


 エドワードの冷静な指摘にアメリアの頭が少しだけ冷えた。

 確かにおかしい。記事を読んだデーヴィットはアメリアと同じくらいの衝撃を受けて動揺したはずだ。そこからこんな大胆な行動に至るには、決断が早すぎる。


「そういえばそんなに動揺していませんでしたね。あの時は行方不明の父親を見たと言われても、どうせガセだと思っているからだろうと勝手に納得していましたが。でもあいつはそんなにポーカーフェイスじゃないし、大人びていたとしても子供ですよ」


 ショウの言う通りだった。デーヴィットはしっかりしてはいるが、それはその年齢にしては、というだけで、人並外れてしっかりしているわけでも大人びているわけでもない。


「何か他にも理由があるのかもしれない」


 ちゃんと考えた上での行動としては早すぎるし、考えなしでそんなことをするほど子供ではないのだ。


「アメリア、心当たりはないか?」


 エドワードに尋ねられたことで、アメリアは思い浮かんだものがあった。


「手紙……」


 それは、貰った時は何もおかしいとは感じなかったもの。しかし。


「バーキン医師からの手紙です! あれに何か書かれていたんです、きっと!」


 急に確信が沸き起こった。

 わざわざ封筒まで別々にして届けられた手紙。何も問題はないと教えてくれたはずなのに、返事は出すなと止められた。偽名を使うと決めていたにも関わらず。


「あれか。あいつの部屋にあるかもしれないな、見てくる!」


 言い終わる前にショウは走り出して執務室を出た。

 その背中を見送り、ただ待つしかできなくなったアメリアは落ち着きなく指を組んだり握りしめたりした。すぐにでもどこかへ出て行きたい衝動と戦う。闇雲に探しても駄目なのだ。しかしこんなことをしている間に、デーヴィットが父親に捕まってしまったらと思うと、お腹の底が凍えるような感覚がした。


「アメリア」


 心配そうに呼ばれてアメリアは前を見た。


「大丈夫だよ。私ができることは何でもするから。デーヴィットがリヴォンジ男爵のところへ行く前に連れ戻そう。ここからウチの馬車で駅まで行って、鉄道に乗ればすぐに追いつく」


 エドワードは提案ではなく、絶対にそうするという決意を持った目をしていた。そこにアメリアを責めるような気配は少しもない。

 こんな面倒なことに巻き込んだのに。この家に迷惑をかけないとキャボットを説得して雇ってもらったはずだったのに。しかもアメリアはエディに本当の事情を話してはいても、親が貴族であることは黙っていた。

 本来ならすぐに辞めさせられるか、親元へ送りつけられるかのどちらかだろう。それなのに、助けようとしてくれている。

 もうこれ以上は迷惑をかけるべきではない。常識的に考えれば遠慮しなければいけないのだ。

 しかしアメリアにはそんな常識や礼儀や身を弁えた行動、結果としてどんな目で見られることになるかということよりも何よりも、一番に大切なものがあった。

 そんな遠慮をしたせいで、デーヴィットの人生が辛いものに変わってしまうなんて耐えられない。

 アメリアは差し伸べられた手に全力で縋った。


「お願いします。デーヴィットを助けてください。あの子を父のところへなんて行かせないでください」


 必死に紡がれた言葉を真剣な表情で受け止め、エドワードは力強く頷いた。


「ああ、必ず助けるよ」




 ショウは息を切らせてすぐに戻って来た。


「これだろ?」


 渡された手紙の宛名を見たアメリアは、そうですと答えている間にも急いで便箋を取り出して広げた。勝手に読むことに罪悪感を覚えはするが、そんなことを気にしている場合ではない。

 逸る気持ちのせいで目が滑る。深呼吸と瞬きをしてから読み始めた。

 書き出しはよくある近況を窺う挨拶文で、アメリアが夫人からもらったものとあまり変わらなかった。こちらを心配する言葉があちこちに散らばっている。

 しかし途中で文章の様子が変わり、ここからは誰にも知られてはいけないことだという警告が綴られていた。誰にも──特にアメリアには、絶対に知られてはいけないと、そう書かれている。

 そこからはアメリアが貰った手紙とは真逆の内容ばかりであった。


『リヴォンジ男爵は君たちがいなくなったことを世間に知られないようにするためか、初めのうちはこっそりと行方を探していたようだ。だが段々となりふり構わぬようになってきている。その理由というのは、やはり君たちの身を案じてという類のものではないらしい。男爵はこのところ事業での失敗が続いている。悪徳な手を使っていても、商才がない彼はこのままでは崖から転がり落ちるように落ちぶれていくことは誰の目にも明らかだ。逃れるための唯一の方法は、貴族との縁を欲しがっている成金の家に、娘を嫁に出すことで援助を受けるというあの方法だ。つまりアメリアがいないままだと男爵は落ちぶれる。彼は死物狂いでアメリアを探そうとするだろう。しかし心配いらない。子供たちのことなど閉じ込めるばかりで何も知らない彼が手掛りを見つけられるわけがないし、私たちから無理やり行方を聞き出すために手荒な手段を取ることもできないのだから。この問題は時間が解決してくれるだろう。彼の子供である君たちにこんなことを言うのは酷だが、リヴォンジ男爵は落ちぶれてくれるのが、この町の住人の誰にとってもいいことなのだと思う。だからデーヴィット、君の役目はアメリアを極力その屋敷から出さないこと。そして万が一の時のために周囲に気を配っていることだ。こちらからも男爵の動向は見張っておく。何かあればすぐに連絡をくれ。必ず手を貸す。アメリアには黙っているほうがいいだろう。あの子は貴族の娘として育っているから、最後の最後には父親を見限れないかもしれない。君さえ自由ならあらゆることを我慢できてしまうような子だからね。しかし私や町の人たちはそうしてほしくないのだ。デーヴィット、君を頼りにしている。アメリアのためにも彼女とリヴォンジ男爵を絶対に会わせないようにしてほしい。』


 読み終えたアメリアは顔を強張らせて何も言えなかった。手紙を持っていた手がだらりと下がる。


「……アメリア? 読ませてもらってもいいか?」


 只事ではないと感じたエドワードがやや強引に手紙を受けとる。

 何もわかっていなかった。

 アメリアはこの家出がほとんど上手くいっているものだと思っていた。そしてもし父親が子供を連れ戻そうとするのなら、まず第一に跡取りであるデーヴィットからだろうとも。

 しかし違った。

 デーヴィットは父親が何かをするかもしれないことを予測していた。だからあんなに素早く、アメリアの為に黙って自分が出ていった。ダフネを見捨てることなどできるはずがないアメリアが、あの記事のことを知る前に、どうにかしなくてはいけなかったのだ。

 実際に父親のところへ行って何をするつもりでいるのかはわからない。しかし新聞の記事が効かなければ、父はもっと強引な手を使うかもしれず、放っておくわけにはいかなかったのだろう。

 デーヴィットは考えがあって出ていったのかもしれない。それにバーキン医師だって手を貸してくれるだろう。

 でもアメリアはそれで誰も傷付かずに、全てが丸く収まるなんて到底思えなかった。最も危ないのはデーヴィットだ。アメリアがそうであるように、デーヴィットだって姉のために、自分を犠牲にしないとは言い切れない。


「連れ戻さないと……」


 アメリアは嫌な予感がドクドクと心臓を大きく動かす音を聞きながら、震えそうになる足を必死で踏ん張った。

 打ちのめされている場合ではない。守らなくては。何よりも大切なものを。


「すぐに出よう。ショウ、一番速い馬車を」


 手紙を読み終えたエドワードが躊躇いもなく指示を出した。


「そうなりますよね。さっきついでに馬丁に言いつけておきましたよ。あと五分ほどで用意ができるはずです」

「さすがだ。では五分で出掛ける準備をして玄関前に」


 ここまでややこしい事態になっていながら、なお助けようとしてくれているエドワードを、アメリアは信じられない気持ちで見つめた。

 しかしエドワードに迷いはない。


「アメリア、時間がない。早く」


 急き立てられたアメリアははじけるように部屋を出た。

 

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