26
その後のアメリアはとにかく挙動不審だった。
ぼーっとしているかと思えば急に落ち込み、人の話をまるで聞いていない。ジェーンたちに何があったのかと尋ねられても、何でもないとしか答えられず、余計に心配をする彼女たちに、ひたすら大丈夫だと言い続けた。
そんなアメリアの情緒不安定さがややましになったのは、夜になってデーヴィットに同じことを尋ねられたからだ。
「アメリア、どうしたんだよ」
デーヴィットは心配そうな声で探るように姉を見ていた。はっとしたアメリアは無理をして笑顔を浮かべる。
「ちょっと失敗をしてしまったの。でも大丈夫よ」
「失敗って……それだけ?」
仕事での些細な失敗だと思ったらしいデーヴィットは首を傾げた。
「そうよ。ジェーンにもよく大袈裟だって言われるわ」
アメリアはデーヴィットの勘違いに乗っかった。
「ふうん。じゃあ、一緒に謝ってやろうか?」
年相応の生意気さで偉そうに言う弟に、アメリアはふっと相好を崩した。
「大丈夫だって言ってるでしょう。あなたはもう休みなさい」
落ち着いた態度で仕事を終えたデーヴィットを部屋に追いやった。しかし外見的にはまともに振る舞えるようになったとしても、心の内はあまり大丈夫ではなかった。
いまだ荒れ狂う胸中を隠して少しでも平静を保つために、アメリアは書斎でのことは意識の外に追いやろうとした。これからどうするべきか、なんてことも考えられない。ただこの日がカエルのエディと会う日ではないことを安堵していた。翌日には会うことになるということさえ、考えてしまえばまた挙動がおかしくなりそうだった。
食事の席でもアメリアはショウに視線を向けないことに全力を傾けた。目が合うとなぜあの時間にあんな場所にいて、黙って走り去ったのかと聞かれるだろう。避けていれば聞かれないわけではないが、結局のところショウは一度もアメリアに話しかけては来なかった。
だが次の日を迎えても、事態が自然とアメリアにとってよい方向に転がってくれるわけではない。むしろ猶予が短くなっている分、悪化しているといえる。
朝食の席も同じようにアメリアはショウを避け、ジェーンたちに心配されない態度を取ることに集中していた。
そんな風だったから、アメリアは離れた位置にあり、ショウの向こう側にあるデーヴィットの席に、弟の姿がないことを気がついていなかった。
午前中の仕事をスティルルームで片付けている時、廊下から誰かが走って来る大きな足音が聞こえてきて、アメリアは手を止めた。直後に開けっぱなしの扉からショウが姿を現す。
「アメリア、いるか?!」
「は、はいっ!」
切羽詰まった様子で呼ばれたアメリアは驚いて返事をした。ショウは微かにほっとしたようだったが、すぐに険しい表情になる。
「来てくれ。デーヴィットがいなくなった」
「え?」
何を言われるのかと身構えていたアメリアは、あまりにも予想外の言葉にぽかんとする。
しかしそんなアメリアに付き合っている余裕はないとばかりに、ショウはすぐに歩き出した。
「待ってください! いなくなったってどういうことですか!」
付いていきながらアメリアは問い詰める。ただちょっと姿が見えないだけにしては、ショウの態度は大袈裟だ。しかしアメリアは早朝、いつものようにオイルランプを回収するデーヴィットと会話をしている。わけがわからなかった。
「ここでは説明できない。とにかく付いてきてくれ」
「でも……」
「静かに」
ぴしりと遮られたアメリアは黙るしかなかった。
やがてショウはなぜか一階に上がり、執務室の前で立ち止まると、ノックをしてから返事を待たずに扉を開けた。アメリアにも中へ入るように身振りで示すと、すぐに扉を閉める。
そこにエドワードの姿を見つけたアメリアの心臓が大きく跳ねた。しかし今はそんな場合ではないと自分に言い聞かせる。デーヴィットに何があったのかを知るのが最優先だ。
「エドワード様、やはりアメリアはデーヴィットがいなくなったことを知らないようです」
ショウの口調は何かとんでもないことが起きたのだと思わせるには充分なほど、いつになく緊迫感に満ちていた。彼はどうしてアメリアがスティルルームにいることに安堵したのだろうかという疑問が、今になって浮かんでくる。
エドワードは頷くと、持っていた新聞を困惑しているアメリアに渡し、一つの記事を指で示した。
「読んでくれ」
二人の男性の厳しい顔に押されて、アメリアはひとまず新聞を読んだ。文字を追っていくアメリアの顔色が段々と悪くなってくると、彼らの表情も固くなる。
読み終えて蒼白になっているアメリアに、エドワードが尋ねた。
「これは君たちのことだね?」
「…………はい」
震える唇でアメリアは答えた。
あり得ない内容がさも事実であるかのように新聞に書かれていること、こんな嘘の記事を記載させたのが父親に違いないということに衝撃を受けていた。
それは男爵の息子と娘がハウスキーパーに誘拐された、という見出しから始まっていた。
リヴォンジ男爵の証言によるとというお決まりの文句のあとに、長年男爵家に仕えていたハウスキーパーは仕事は真面目であったが、歳をとるごとに精神疾患を患い、男爵家の二人の子供を自分の子供だと思い込むようになったらしい、とある。長年仕えてくれているハウスキーパーに暇を出して路頭に迷わせるわけにはいかなかった男爵は仕事ができるならばと温情をかけていた。しかし彼女は段々と子供たちの実の親である男爵に敵意を抱くようになり、ある日三人は忽然と姿を消したのだ。ハウスキーパーが子供たちを無理に連れ出したことは、使用人たちの証言からも明らかである。この三人を発見された方は警察、もしくは我が新聞社にご連絡されたし。
そんな内容が仰々しく書かれた後は、果たして怪我や病気で働けなくなった使用人の面倒を主人が見るべきだという世間の論調は正しいのか云々、という話にすり替わっていた。
記事はご丁寧にアメリアとデーヴィットの名前も載っており、ハウスキーパーに至ってはダフネ・エルキン四十代とまで書かれいる。
つまりアメリアとデーヴィットをずっと傍で守ってくれていたダフネが、二人を誘拐した誘拐犯にされているのだ。
「嘘です、こんなの……。わたしたちを誘き出すために、父が嘘の記事を載せたんです」
身体中が震えだして、アメリアは涙が出そうになった。
あり得ないことだと思っていた。ダフネに迷惑がかからないように、一番に助力が疑われそうな彼女が遠い地へ転職して三週間が経ってから、アメリアたちは家出を決行している。ダフネが転移先を誰にも告げなければ、父親が彼女を見つけ出すことも不可能で、だから決して迷惑はかけないのだと高を括っていた。
まさかこんな手段を取られるなんて。
父は子供たちに興味がないくせに、ダフネとの間に強い絆があったことはわかっていたのだ。アメリアたちがダフネを罪人にしないためにどう考えるのかも。いや、確信などなく、誘き出すことが失敗したとしても、父は善良なハウスキーパーを誘拐犯にしたことなど気にも止めないだろう。ただそうすればアメリアとデーヴィットが戻って来るかもしれないからそうしたのだ。それとも勝手に家を出た子供たち対する腹いせなのだろうか。どうでもいいと思っているくせに、なぜこんなことだけはするのだろう。
「デーヴィットはこの記事を読んだのですか?」
アメリアが顔を上げると複雑そうな表情をしたショウが頷いた。
「多分。今朝、新聞を俺に渡したのはデーヴィットだ。その後だよ、あいつが今日一日、内緒で休みをくれないかって言ってきたのは」
色々な情報の処理が追い付いていないのか、ショウの口調はどこかたどたどしい。
「昨日、隣の町で父親を見かけたと教えてくれた人がいるって言い出したんだ。俺は君たちの父親は国外で行方不明になったと聞いているから、デーヴィットがすぐに確かめに行きたいと言っても、それはそうだろうなと思ったんだ。でもきっとデマだろうから、アメリアには知らせたくない。本当に隣町にいるのか確認してから教えたい。でないとすごくがっかりするだろうからって言われて」
すまなそうにショウは言葉を切った。
「それで休みをくださったのですか?」
「姉思いの弟のために俺の用事で町に行ったことにしといてやるって言ったよ」
しかしもちろんデーヴィットは父親を探しに隣町になど行っていないだろう。そもそも行方不明ではないし、むしろ父親から逃げてきているのだから。
ショウはアメリアたちの嘘を信じた上で、デーヴィットに優しくしてくれただけだ。
「……申し訳ありません」
嘘を吐いたことと、弟が彼の親切心を利用した形になったことをアメリアは謝った。
「いや、俺もあいつには甘すぎたんだろうな。それより俺は新聞にアイロンをかけた後で、自分の朝食を取ってから、エドワード様に朝食と一緒に新聞を持っていったわけなんだが」
「私があの記事を読んで、もしかしてと考えたんだ。アメリアとデーヴィットという名前だけならともかく、父親がその二人の子供がいなくなったと言っているなら、君たちのことなんじゃないかと」
デーヴィットはショウやエドワードがあの記事を読んでも、まさか名前だけで男爵の子供だとは疑われないと思ったのだろう。それに誘拐されたはずの子供が、近くに犯人もいないのに、家へ帰らず使用人をしているわけがない。
しかしショウはともかく、エドワードは既に本当の事情を知っていた。
「記事が君たちのことだとすると、何かとんでもないことが起きているのかもしれない。だからショウに二人をこっそり呼んでくれと頼んだら……」
「デーヴィットはもうとっくに出掛けていましたからね。エドワード様は雇い主ですし、絶対に賛同してくださるだろうからと理由も説明して、そしたらそれはおかしいという話になったわけです」
だからアメリアまでいなくなったのではないかと疑ったのだ。しかしデーヴィットは姉に何も言わず屋敷を出ていた。
父親から逃げるために家出をしてきた姉弟。その姉弟の父親がハウスキーパーに子供を誘拐されたと証言している新聞記事。その記事を読んだと思われる直後にいなくなった弟。
この先に予想されることがアメリアはとてつもなく恐ろしかった。