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 スティルルームに戻ったアメリアは、素早く予備の仕事着に着替えた。いつ主人の前に出ることになるかわからないので、洗濯済みの仕事着は常に用意しているのだ。

 そして取っておいたいくつかの焼菓子を皿に盛り付ける。今日は必要ないと言われていた主人のティータイムのお茶うけだが、もしかすると急に準備するようにと指示が出るかもしれないと思い、念のためによけて置いていたものだ。

 とはいっても大量に作ったお菓子の中で一番出来のいいものを選んだだけで、別々に作っていたわけではない。

 アメリアは少し迷ってから紅茶もいつものように淹れて、焼菓子とともにトレイの上に乗せた。

 彼は恐らく書斎にいる。さっき庭園から見た時に、書斎の窓に人影らしきものがあった。

 階段を早足で二階まで上がり、ワゴンにトレイを置く。最近では慣れてきた動作だ。しかし書斎が近づくと、アメリアの足の動きは鈍くなった。

 勢いでここまで来てしまったが、いざエドワードのいる部屋まで行くという段になると、一体何をやっているのだろうという気持ちが湧いてきた。

 お茶は用意しなくていいと言われたのにこんなことをして、逆に迷惑なのではないだろうか。彼が屋敷の中に一人でいたくないかもしれないと考えたのも、ただアメリアならそうだというだけで、彼は一人でいたいかもしれない。

 それにもし一人が嫌なのだとしても、アメリアが行ったところで何になるのだろう。もっと親しい、例えばショウが来たとすれば、彼も喜ぶかもしれないが。

 アメリアは急に自分のしていることが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 俯いてワゴンに乗せたティーセットを眺める。

 ここで悩んでいても、紅茶が濃くなっていくだけだ。戻ってしまおうか。アメリアは目が合って逸らされた背中を思い出す。それが正しい行動のような気がしてきた。

 書斎の扉を見つめる。


(……でも……もし)


 アメリアはワゴンの取手をぎゅっと握り締めた。

 やっぱり行こう。

 ただこのティーセットを渡して来るだけでいい。いらなければそのまま置いておいてもらえれば、後で取りに来ると言えばいいのだ。念のために持ってきただけですからと。

 意を決して扉の前に立ってノックをした。


「……誰だ?」


 いつもと違う返事が来る。


「アメリアです」

「……どうぞ」


 緊張しながら答えると、少し間が開いてから入室を促された。それにしても、どうぞだなんてメイドに言う言葉ではないと思う。

 アメリアは意味もなくこそこそと縮こまりながら書斎に入った。


「どうしたんだ?」


 ソファーに座って本を開いていたエドワードが尋ねる。


「あの、もしかしたら必要かもしれないと思いまして、お茶をお持ちしました。不要と言われていましたが、先程お食事はされていなさそうでしたので。お邪魔でしたらワゴンだけこのまま置いておきます。それとも……すぐに下げたほうがよろしいでしょうか?」


 後ろめたいことをした人間が言い訳を捲し立てるように、アメリアは一気に言った。泳がせていた視線をちらりとエドワードに向ける。

 彼はびっくりしたように目を瞬かせていたが、アメリアが来たことを後悔するよりも前に、嬉しそうに笑った。


「ありがとう。少しお腹が空いていたところなんだ」


 柔らかい表情にアメリアはほっと肩の力を抜いた。

 本当に空腹だったのかはわからない。彼は優しいから気を使って、それくらいの嘘など簡単に吐けるだろう。

 そう理解していても、アメリアはよかった、と思った。つられるように口元が弛んでしまう。

 アメリアはそれならばとワゴンを押してテーブルの横に付けた。いつものようにカップやお茶うけを移動させる。


「ありがとう。置いてくれればいいよ。まだパーティーの途中だろう。早く戻ったほうがいい」


 エドワードはアメリアが本来あるはずの仕事がないことを気にして、パーティーから抜け出して来たのだと思ったらしい。だがすぐに戻るつもりのないアメリアは首を振った。


「いえ、わたしはしばらく中で休ませてもらうつもりで抜けて来ていますから大丈夫です。知らない人が多くて少し疲れてしまったんです」

「疲れているのにこんなことをしているのか?」


 エドワードは眉間に皺を寄せて難しい顔をした。


「あの場所にいると少し疲れるというだけです。パーティー自体は楽しいのですが、新入りですから町の人によく話しかけられてしまうのです。それと……これはわたしがやりたくてやったことです」


 最後の部分をアメリアはエドワードの目を見て控えめだがはっきりと言った。仕事だから来たのだと思われたくない。咄嗟にそんなことを考えていた。それが自分の首を締めることになるとは気付かずに。


「……それなら、いいんだ」


 エドワードは目を逸らして、やけにゆっくりと、言葉を探そうとして上手く見つけられなかったような言い方をした。


「よく話しかけられたの?」


 普段に比べればあまり感情のこもっていなさそうな口調で尋ねられる。そういえば彼は貴族なのに平坦な話し方をしない人だったのだなとアメリアは思った。


「はい。招待された町の人は何度か参加されている人ばかりだったので、新顔が気になったみたいです。でもわたしはああいう場で知らない人が相手だとまともな受け答えができなくて、ほとんどジェーンたちに頼りきりでした。絶対に一人にならないようにと言われたくらいです」

「そう……よかった」


 安堵したようにエドワードは微笑んだ。

 それが何に対するよかったなのか、アメリアにはわからなかった。自分が情けないことを話しただけで、アメリアにとってはよくはないことだ。もしかして仕事仲間にそんなことを言ってもらえるくらい、仲良くなったことを喜んでくれているのだろうか。


「さっきの服は着替えてしまったのか?」


 エドワードが濃紺のワンピースに白のエプロンというメイド服を見ながら言った。


「え? はい。あの服でここに来るわけにはいきませんから。すみません、髪はそのままにしてしまいましたけど」


 仕事中はただ簡単に丸めて纏めているだけの髪を、今は全体に膨らみを持たせる纏め方をしている。ファニーが昨今の流行だから絶対にやるべきだと言っていたものだ。これを纏め直して、後でまた元に戻すというのは手間が掛かりすぎるので、このままにしてしまった。


「そうか。残念だな。可愛かったから」


 本当に残念そうにエドワードは言った。

 そのとても単純な言葉を、アメリアはすぐに理解できなかった。一拍遅れて脳に浸透していくとともに、鼓動が大きく跳ねて動揺する。


(待って、違う)


 勝手に暴れる心臓を押さえ込もうと、アメリアは心の中で強く否定した。

 これは礼儀とか社交辞令とか、そういったものだ。彼は紳士だから、女性を褒めるのはごく当たり前のことなのだ。それだけで、他意などない。アメリアだから言ってくれたわけじゃない。

 貴族が口にするにはとても些細な褒め言葉で、しかもつい先程、他の人に同じことを言われたはずだというのに、エドワードが言ったというだけで、こんなにも反応してしまう。それがとても辛い。

 アメリアは脚の低いテーブルでお茶を注ぐためにしゃがんだままで、エドワードに対して真横に向いていたから、少し首を回すだけで顔を隠せる。

 これが自然な動作に見えるうちに、アメリアは平然とした声で礼を言わなくてはいけない。

 しかし慎重に口を開いた時、エドワードの切なそうな声が耳に入ってきた。


「とても可愛かったから、もっと近くで見たかった」


 息が止まりそうになった。

 アメリアは全身の熱が上がっていくのを感じた。

 駄目だ、と思った。誤魔化しきれない、きっと。顔を見せずにすぐにこの場を去らない限りは。

 そんなことができるはずもなく、動けなくなったアメリアの髪を何かが撫でた。


「取れかけているよ」


 肌に直接触れられてはいないのに、白いメイドキャップの上にエドワードの指が乗せられていることが感触でわかった。


「外していたほうがいい。髪が崩れてしまう」


 アメリアは耐えるようにただ、この胸が潰れてしまいそうな状況が過ぎ去ってくれるのを待つしかできない。

 答えない彼女に何を思ったのか、エドワードは弛んでいた結び目を引っ張ってするりと解いた。小さなフリルしか付いていないキャップは、エドワードの手のひらに収まった。


「はい」


 アメリアの目の前にそれが差し出される。

 それでも何の反応もしないアメリアに、エドワードは訝しんだ。


「アメリア?」


 優しく肩に触れる。

 びくりと体を震わせたアメリアは、思わず振り返ってしまった。

 簡単に手が届く距離で、真正面から向き合う。

 そしてアメリアはエドワードが目を見開いて固まっていく様子をつぶさに見た。

 時が止まったかのように二人は動けなかった。

 思考さえ止まってしまいそうな中で、アメリアは彼にこんな顔をさせたのが、自分の態度なのだということだけは理解していた。

 どうしようもないくらい真っ赤になって、焦燥感と恥ずかしさで泣きそうになっているアメリアの感情が、主人に対する敬愛に止まるはずもないのだから。

 驚きから僅かに立ち直ったらしいエドワードが、信じられないものを目の当たりにして戸惑っているような表情に変わる。

 何も言わないでほしいと、アメリアは願った。

 そんなはずがないのに、言葉にさえしなければ、なかったことにできるのではないかという気がしていた。

 肩に置かれていないほうのエドワードの手が上がる。何かを確めるようにアメリアの頬に触れようとしていた。


 ──コン、コンッ。


 突如、静寂を破りノックの音が響いた。

 二人は弾かれたように身を引く。


「エドワード様、いらっしゃいますか?」


 扉越しにショウの声が聞こえてきた。

 既にこれ以上ないくらいに心臓が早鐘を打っていたアメリアは、もうここが限界だった。

 無言で立ち上がり、メイドとしての正しい姿を放り投げて、一つしかない扉に向かって駆け出した。顔を見せないように俯いて、内開きの扉を勢いよく開ける。

 ショウの靴だけを目にしたアメリアは、その横をするりと摺り抜けて、廊下に飛び出した。


「えっ?!」


 驚くショウに見向きもせず、一刻も早くこの場から逃げ出したいアメリアはそのまま走り去った。

 茫然としたショウは、彼女が誰だったのかもわからない。

 一体何事かと部屋の中に目を向けて、主人がいることを確認したショウは、疑問を晴らすべく、質問を投げかけようとした。

 しかしそのエドワードの様子もおかしい。彼は手のひらで口を覆って、微かに頬を赤らめている。様々な感情がせめぎ合っていそうな顔は、ショウが一度も見たことのない姿だった。

 そしてテーブルの上のティーセットを発見したショウは、先程のメイドが誰だったのか確信する。と同時に自分が何をしたのかも気づいてしまった。


「うあぁぁ」


 天井を仰いだショウは、呻き声を上げて落ち込んだ。



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