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日差しが痛いくらいに眩しい、晴れやなか午後だった。
外にいればすぐにでもじっとりとした汗を流してしまい、風が吹いていなければ、木陰でただじっとしていたくなる程の暑さだ。もうすぐ四時になるのに、太陽の威力はほとんど衰えてくれない。
しかし夏なのだから、これくらいの気温の高さは連日のことではある。
庭園に集まった人々は、この暑苦しさよりもまず、雨が降らなかったことを喜んでいた。ガーデンパーティーは予定通りに行われる。
準備をしていた初めの頃、アメリアはパーティー自体にはあまり乗り気ではなかった。しかし屋敷で働いているほとんどの人間が浮き足だって、その日を迎えるのを楽しみに待っている姿を見ていれば、それが本当に楽しいことなのだという気がして来る。
町に出られる機会が多くはない屋敷で、普段は黙って行儀よく食事を採ることを義務付けられていれば、野外で騒ぎながら美味しいものを食べられるのは、解放感を得られるらしい。
そんな雰囲気に飲まれて、あっさり感化されたアメリアは、ジェーンの言う通り、招待された人たちとは極力交流しないようにして、ただ初めての体験を満喫すればいいと思うことにした。
「ほら、間に合ったわよ。まだ始まったばかりじゃない」
隣にいるジェーンが得意気に胸を張った。
彼女は宣言通り、とにかく量産できるお菓子を素早く作り上げて、場に合わせた外出着に着替えてなお、パーティーの序盤参加に間に合わせるということをやってのけた。
アメリアも同じようにリボンや膨らみのある袖がついた外出用のワンピースに着替えている。ファニーに貸してもらったものだ。
仕事着の他には、地味な小花のプリント柄ワンピースしか持っていなかったので、そんなものは仕事着とほとんど変わらないと言って貸してくれたのだ。
「でもやっぱり暑いわねぇ。早く食べないとお菓子が痛んじゃうわ」
ジェーンが料理人らしい感想を言う。それにアメリアはただ、そうねとだけ返した。他のことに気を取られていたのだ。
会場の中心部にエドワードがいる。
なぜ、と思ったが、おかしなことでもなかった。慈善目的のパーティーでも、初めか終わりに支援者に感謝を述べるということがあったから、それと同じことなのだろう。恐らく形式上のものだ。
「ねぇ、旦那様もパーティーに参加されるの?」
アメリアは何気なさを装って尋ねた。
「いいえ、ミセス・キャボットとミスター・ブランソンがお礼を言って紅茶を少し飲まれたら、いつもすぐに帰られるわ。勝手にやってくれて構わないって言ってくださるみたいだけど、それじゃあ示しがつかないって、ミスター・ブランソンが言うのよ。仕方なく来られているんじゃない? 旦那様がいたら騒ぎきれないっていうのは感じているでしょうし、きっと居心地が悪いんでしょうね」
「そうなの……」
見た感じ、既にお礼は言い終えているのだろう。参加者はもうある程度は自由に振る舞っている。
「よう、二人とも早かったな。お疲れさん」
陶器のグラスを手に持ったショウが声を掛けてきた。彼はどちらかというと普段よりも砕けた服装をしている。燕尾服でないと全く執事に見えなかった。
「もう始まっているから、好きに飲み食いしていいぞ。って言っても作ったのは君らだけどな」
「ありがとうございます。そうさせて頂きます」
「今はそんな畏まらなくていいんだって。しかしアメリアは地味な服じゃないとますますお嬢様っぽいな」
「……そうでしょうか」
アメリアは着ている服を見下ろした。金髪のファニーに似合う明るい色合いなので、似合っていないのではないかという心配はしていたが、この服でお嬢様っぽく見られるとは思わなかった。少々気落ちする。
「しかし今日は君のことを知らない町の連中がいるからなぁ。まあ……うん、気を付けてくれ」
「はい。わかりました」
元の身分がわからないように、ということだと判断したアメリアは頷く。
ショウは何か言いたげな、複雑そうな顔をした。信用されてないのだろうか。
「ちゃんと気をつけます」
「うん、頼む」
ジェーンの申告に、ショウは今度はしっかり即答する。あまりの信頼の差にアメリアは地味にショックを受けた。
「あ、ジェーンも一応気をつけろよ。今日はちゃんと美人だぞ。いつもと違って」
笑顔でショウは褒めているのか貶しているのかわからないことを言った。いや、本人としては褒めているのだろう、きっと。聞いているほうとしては、どちらかというと貶しているように聞こえるのだが。
アメリアは恐る恐るジェーンを見た。
「ありがとうございます」
無表情だった。
「あ、あの、それではわたしたちは皆のところに行きますので、これで失礼します」
アメリアからすると怒っているようにしか見えないジェーンを、ショウから引き離すべく、慌てて早く参加したそうに振る舞う。
「おう、楽しんでこいよ」
笑顔のまま気安く言うショウに会釈して、アメリアとジェーンはファニーたちを探した。
きょろきょろしていると、メグが気づいて手を振ってくれる。
人が固まっていた場所だったので、ファニーやローリーの姿もあることだけを確認して、アメリアは不用意に近づいた。
「お疲れ、ジェーン、アメリア。何か飲む?」
「ええ、喉が渇いた……」
「うわ、新入りの娘!?」
メグの問いにジェーンが答えるのと同時に、男性の声が被さってきた。
アメリアは驚いて声がしたほうを見上げる。そこに思っていたよりも近く見知らぬ青年の顔があったので、息を飲んで後ずさった。
さっきのは内容からしても、明らかにアメリアに向けられた言葉だったが、なぜそんな声の掛けられかたをされるのかがわからなくて、気軽に頷けない。
「アメリアっていうんだ?」
「えっ……と」
どう返すべきなのか、混乱した頭で考える。相手にとっては何でもないことのようだが、アメリアにとっては大袈裟でなく人生史上最大の馴れ馴れしさである。おまけに男性。心身ともに、かなり引いていた。
「酒屋の息子のゲイリーよ」
彼が何者なのかをジェーンが小声で簡潔に説明してくれる。面倒臭い奴がいるとでも言いたげな口調だ。
屋敷に出入りしている業者なのだろう。彼の態度はアメリア以外はみんな顔見知りなんだと言っていた。ここで余所余所しく接するのはよくない。
「あの……」
「俺は酒屋の跡取りのゲイリーっていうんだ。最近は配達に来てなかったんだけど、惜しいことをしたなぁ」
ところがアメリアが口を開こうとしても、ゲイリーは返事を待たずにしゃべり続けた。
「知らないうちにこんな娘が新しく入っていたなんて。君、とても可愛いね」
無駄に大きな声だったからか、褒められても全く嬉しいと思えない。アメリアは逃げ腰になって、彼の顔をなるべく見ないように目をあらぬ方向へさまよわせた。
だから、気づいてしまった。エドワードがこちらを見ていたことに。
退出するつもりだったのか、彼は会場を横切りながら首だけを振り向かせていた。その目線の先を正確に追ったアメリアは、彼が自分ではなく、ゲイリーを見ていたのだと知って、なぜか焦りを覚えた。
歩みを止めていなかったエドワードの視線が、流れるようにアメリアに移る。
目が合った。と思うと、エドワードは驚いたように僅かに肩を震わせて、さっと顔を逸らした。
ぎゅっと胸が痛む。今のはただ正面に向き直ったのではなく、はっきりとアメリアをさける動作だった。
「ちょっと、ゲイリー!」
ジェーンの怒声とともに腕を引っ張られて、アメリアははっとした。
いつの間にか開いていたはずの距離のぶんだけ、ゲイリーが近づいてきていた。ジェーンは苛立たしげに何かを言おうとしている。こんな場所で喧嘩をしてほしくなかったアメリアは慌てて止めようとした。
「ゲイリー、あなた!」
更に怒った声が加わる。どこか態とらしいファニーの声は、結果的にジェーンを止めた。
「ついこの前に、あたしが一番の美人だって言っていたはずよねぇ。まさか覆すのかしら」
冗談めかして詰め寄るファニーにゲイリーがたじろいた。
「そういうわけじゃ……いや、待てよ。だって君、この前俺のデートの誘いを断ったじゃないか」
「あら、あたしが断ったからアメリアにしておこうってわけ」
「やだ、最低」
「ちがっ……! おい、ただ可愛いって言っただけだろ。変に勘繰るなよ」
「へーえ?」
ゲイリーはアメリアを除く全員から疑いの眼差しを向けられた。
「あ、俺呼ばれてるから、あっち行ってくる」
分が悪いことを早々に悟ったらしい彼はそそくさと去っていった。その背中に向かってファニーが悪態をつく。
「ああ、やっといなくなってくれたわ。あの勘違い野郎、誰が呼んだのかしら」
「ありがとう、ファニー。ジェーンも」
「もう、アメリア、気をつけろって言われたばかりでしょ。あんたが元お嬢様だって知らない奴らは気軽に声を掛けて来るんだから、あんな風に付け入らせたら駄目よ」
「……そういう意味だったの」
ジェーンに怒られてアメリアはようやくショウの言葉を正確に理解した。
「でもアメリアは男のあしらいかたなんて知らないんじゃないか? 今日はあたしたちの誰か一人とは絶対に一緒にいたほうがいいよ」
メグの提案に皆がそれもそうだと頷く。
そんな訳でアメリアは慣れない場で雛鳥よろしくジェーンたちの後について回ることになった。
初めのうちはそれも楽しく、貴族のガーデンパーティーを模範したような設えの中でお菓子を食べておしゃべりをしていたのだが、段々と居たたまれなくなってきた。
アメリアには招待した友人や家族などいないが、ジェーンたちにはいる。彼らを放っておくわけにはいかないので、そうなると一緒にいるアメリアは自分が邪魔なのではないかと思ってしまう。それに新入りであるアメリアが声を掛けられる頻度は高く、その分ジェーンたちの手を煩わせることも多かった。
何気なく本邸を見上げたアメリアは、中で少し休憩していようかと思案する。
まだ始まって三十分くらいだろう。終わるまで一時間以上はある。しばらく休んでいて、終わり頃に戻ればいい。
こんなことを考えるのはジェーンたちに申し訳ないから、知らない人が多くて疲れたから、というのももちろんある。
しかしアメリアはさっきからずっとエドワードのことが気になっていたのだ。彼の態度が胸に引っ掛かっている。だがそれ以上に、彼が今、あの中に一人でいるということが、落ち着かない気持ちにさせた。
使用人は全員この庭園に集まっているし、彼の唯一の家族は現在ロンドンにいる。
何をしているのだろうかという疑問が頭の中で浮かんでは沈んでいた。
一時のことである。しかし今日は主人のアフタヌーンティーを用意しなくてもいいと言われていることが余計に気掛りになっていた。彼はさっき紅茶を少し飲んだだけではないのだろうか。
「ねぇ、ジェーン。わたし少し中で休んでいるわ」
無意識のうちにアメリアはそう口に出していた。
「具合が悪いの?」
「いいえ、知らない人が思ったよりも多いから、ちょっと疲れてしまったの。少し休んだらまた戻って来るわ。あの、ちゃんと楽しんでいるわよ。でも慣れてなくて……」
水を差すようなことをしたくなくて、アメリアはつまらないからではないと弁明する。
「わかったわ。待っているから戻って来るのよ」
よく話しかけられていたせいで、疲れたというのは説得力があったようだった。ジェーンは言葉通りに受け取ってくれた。
アメリアはまた後でと言って本邸の裏口へ向かった。