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休憩時間が終わる頃になってアメリアはショウに呼ばれた。
もしやまた給仕を代わってくれと頼まれるのかと思えば、デーヴィットまで手招きされている。ショウは二人が近くまで来ると、それぞれ一通ずつ封筒を差し出した。
「はい。君らに手紙が来てたよ」
アメリアは驚きながら礼を言って手紙を受け取った。差出人を見る。
「バーキン医師だ」
嬉しそうにデーヴィットが言った。
「バーキン夫人だわ……」
アメリアのほうには医師の細君の名前が書いてある。どうやらそれぞれが分けて二人に手紙を出してくれたらしい。彼らはアメリアとデーヴィットが家にいる頃、日曜礼拝で教会へ行く度に、親しく話しをしてくれた夫妻だ。
アメリアとデーヴィットの家出に手を貸してくれて、ダフネ以外ではアメリアたちの現在の居場所を知る唯一の人たちでもある。
何かあったのだろうか。
不安を覚えたが、もうすぐ仕事に戻らなくてはいけないので、読んでいる時間はない。ひとまずポケットに入れると、アメリアは夕食を食べたすぐ後に、一人で手紙を読むためにスティルルームへ戻った。
緊張しながら封を切る。
元からアメリアたちが落ち着いた頃合に、あちらの様子を知らせるための手紙を書くと言ってくれていた。だから何かが起きたから、それを手紙で教えてくれたという可能性のほうが低い。しかし何もないと思うのも楽観的すぎた。
アメリアとデーヴィットが出て行ったことで何らかの変化はあったはずだと思う。しかし同時にあの父親は子供たちが家出しても、役に立つ前にいなくなったことを憤りはしても、それほど気にはしないか、もしくは清々しているのではないかとも思っていた。
手紙を開くと、バーキン夫人はまず、アメリアとデーヴィットが勤め先で上手くやっているのか、元気でいるのかと心配する言葉を連ねていた。
とても気を揉んでいそうな様子に、アメリアは申し訳なく思うと同時に嬉しくなる。彼らは週に一度しか会えないアメリアたちにとても親身になってくれていた。愛情を持って接してくれる存在が少なかったアメリアにとって、心配されるというのは、まず嬉しいという感情を伴ってしまう。
読み進めていくと、父はやはりこの医師夫妻にアメリアたちの居場所をそれとなく尋ねたようだった。
それとなくというところが父らしい。子供の家出をできれば誰にも知られたくなかったのだろう。
しかし一度聞かれただけで、それ以降は何の接触もしてこなかったようで、アメリアはほっとした。だが、もし父親が、彼らが事情を知っていることを本気で疑っていて、アメリアたちを連れ戻そうとしていたとしても、医師夫妻に手荒な真似はできないことはわかっている。
バーキン医師は遠縁ではあるものの、とある侯爵家に縁のある人物だからだ。父親は自分よりも立場が上の人間に対しては、決して強気に出ることはない。彼らに手を出して、もし侯爵家が出てきたらと思うと何もできないのだ。だからこそアメリアたちも医師夫妻には事情を全て話している。
それにしても父親が一度で諦めてくれたのはよかった。気にするなとは言われているが、やはり極力迷惑はかけたくなかった。
バーキン夫人は勤め先に問題がないのなら、念の為にしばらくその町から出ずに過ごしなさいと書いていた。手紙の返事も、助けが必要でなければ書かなくていいということだ。残念だが念には念を入れるべきなのだろう。
大人しく身を隠していれば、何もかも上手くいく。
手紙はそう締め括られていた。
少々楽天的な思考の持ち主だが、アメリアは彼女と同じ意見だった。ここまで来て、仕事も少しずつできるようになって、デーヴィットも馴染んでいて、友達もできた。
あとは父がアメリアとデーヴィットのことを本気で諦めたのだと確信が持てるまで待つだけだ。
きっと上手くいく。
蝋燭立てを顔の前でかざすように持ち、薄暗い廊下を小さな灯りを頼りに歩く。
半地下にある使用人用の裏口に通じるこの通路は、つい先程消灯されたばかりで、壁の上部に設えられた窓から漏れる明るい月光がなければ、普段はまっ暗闇に包まれていた。
こんな時間にここを通る人物などいつもならいない。就業時間は終わっており、使用人は既に自室に戻って休んでいるはずである。
キャボットも通常ならハウスキーパーズルームへ行って、帳簿を付けたりと事務作業をしているか、寝支度は始めている時間だ。
なぜ本邸の外へ出ようとしているのかといえば、確かめなくてはいけないことがあるからだった。
キャボットがそれを初めて聞いた時、そんな馬鹿なという感想しか出てこなかった。あまり真実味を感じない話だったからだ。
しかしそれを伝えたのは、彼女が特に信頼を寄せているハウスメイド頭のサミーだった。真面目で自分にも他人にも厳しいサミーが、人を貶めるためにそんな嘘を吐くはずがない。だからキャボットは自ら出向いて真相を確かめなくてはいけなかった。
サミーが報告したのは、とある人物が夜間に庭園で異性と会っているということだった。それも恐らく定期的に。
そんな話を聞けば、まず思い浮かぶのは、使用人同士の密会だ。しかしサミーはその人物は屋敷に来て間もない、キャボットの助手なるスティルルームメイドと、もう一人は知らない男だと言った。
ただ彼女はスティルルームメイドであるアメリアについては姿をはっきり見たものの、男性のほうは声で判断しただけだということだった。それもちゃんと会話が聞き取れるほど近づいたわけではなくて、ぼそぼそとした話し声を聞いただけだと。
姿を見て確認しなかったのは、知らない人物だった場合、それがどんな種類の人間かわからないからだ。夜中に屋敷の敷地内に住人以外の人間がいれば、当然警戒するだろう。
つまり確信はないので、もしかすると御者や庭師などのサミーがあまり接触しない使用人の可能性もある。建物の外が仕事場である彼らは食事も別に取るので、いくらそれなりに長く勤めているサミーでも、声では知らない人物と勘違いしてしまうかもしれないのだ。
サミーは自分ではこの状況の判断がつきかねたので、キャボットに相談したというわけだ。
もしアメリアが夜中に男性使用人と会っていたのなら、厳重注意をしてやめさせる。ひとまずはそれでいい。
しかしもし、忍び込んで来た屋敷の外の人間と会っていたなら──。
最悪の事態を想像してキャボットは頭が痛くなり、額を押さえた。
世の中には貴族の使用人と仲良くなって、泥棒の片棒を担がせようとする人間がいるのだ。いくら何でもアメリアが元からそういった人間の仲間だとは思えないが、世間知らずゆえに騙されているのかもしれない。
ともかくまずは確認が第一だ。
キャボットは月が明るいので、蝋燭を通路の扉前に置いて、手ぶらで庭園に出た。
サミーから聞いた場所へ向かう。そこはイチイの生け垣があって、それを越えてすぐの白いベンチに彼らは座っていたらしい。同じ場所にいてくれたなら、生け垣で隔てられているので、姿が見えずとも声は確認できる。
複雑な気持ちを抱えながら、キャボットは歩を進めていた。
そしてキャボットの耳はアメリアの声を捉えた。
覚悟していたものの、落胆に肩を落とした。このようなことをする娘だと思っていなかった。
しかし相手がこの屋敷の使用人ならば、よくある若い娘の少しばかり度が過ぎた行為で済ませられる。規則で使用人同士の恋愛禁止を明言化してはいないものの、夜中に何度も二人きりで会うのを見過ごす程甘くはないので、きつく言い聞かせなくてはいけないが。
キャボットは音を立てずに少しずつ近寄る。相手の声をはっきりと聞き取れるように。
姿は見えないままだが、距離はかなり縮まっただろう。だから、その男性が発した短い一言は、しっかり彼女に届いた。
とても親しげに彼は「アメリア」と言った。
驚きに目を見開く。
彼は続いてアメリアに何か質問をしていたようだが、キャボットはその内容よりも声質に気を取られていた。
記憶をたどる。サミーはその男性を屋敷外の人間だと判断した理由の一つとして、使用人らしくない話し方をしていたからだと言っていた。
確かに使用人らしくなく、上品でいて、微かだが人を使う側の人間らしい威厳のようなものを感じる。それでいて尊大さはなく、若く落ち着いていた。
サミーは知らない人だと判断したようだが、キャボットはその声をよく知っていた。そしてサミーがそう判断した理由も同時に思い至る。
間違いなく彼はこの屋敷の住人だ。しかしサミーにとっては一番声を聞く機会が少ない人間だろう。会話をしたことくらいはあるはずだが、彼女が声を忘れたとしても無理はない存在だ。
キャボットは彼女にしては珍しく、すぐには状況が飲み込めなかった。
「……まさか」
疑いようのない事実が突き付けられている。それなのにそんな言葉を口にしてしまうくらいに。
小さな呟きは誰に聞き取られることもなく、夜風にさらわれていった。




