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 就業時間が終わりに近づくにつれて、アメリアはそわそわと落ち着かない気持ちを抱えていた。

 何度考えても結論は出て来ず、自分が具体的にどうすればいいのかがわからない。

 些細といえば些細なことではある。しかしアメリアにとっては自分がどうするかよりも、自分の行動が相手にどう捉えられるのかが重要だった。


 この悩みの要点を一つに集約するならば、今日はエディと会う約束の日になるのかどうか、ということだった。

 もともとは約束の日である。しかしそうではなかった昨日、アメリアはいつものあの場所でエディと会って、長々とこれまでのことや心情を話し続けた。それなのに今日も会っておしゃべりに付き合えというのはかなり身勝手ではないだろうか。一日おきという約束だったのだから、今日はその日ではないという解釈が自然だろう。

 だからもし今夜、エディがあの場所に来なくてもそれは仕方がない。むしろ当然のことだと言える。しかしあのエディのことなので、律儀に来てくれることも考えて、アメリアはいつものように庭園に向かうつもりだった。

 問題はエディがいなかった場合、いつまで待っているべきなのかということと、来てくれた場合、今日はもう帰って休んでもらうようにお願いするべきか、それともいつものようにおしゃべりを始めてしまってもいいのか、ということだった。

 来てくれたことを幸いに、普段通りにおしゃべりをしようとして、もし彼が疲れていたなら気遣いのない人間だと思われるかもしれない。しかし二日連続で付き合わせてしまうのは悪いからと帰ってもらうのも、それはそれで失礼な行為のようにも思える。

 どちらがいいのか悩んでしばらくした後、アメリアはエディが来てくれる場合のことばかり考えていることに気づいて落ち込み、それからこれだけ考えた後に結局は来なかったという想像をして更に落ち込んだ。

 最早どうすべきかは二の次で来るか来ないかということだけを考えている。

 些細なことのはずが、あまりにも頭の中を占める割合が大きくて、アメリアは自分でもどうかしていると思った。


 益体もない思考を巡らせて、気がつけば仕事はスティルルームの片付けだけになっていた。今日はいつもより早く終わりそうだ。

 しかし掃除をしている途中で、ショウが部屋に顔を出した。


「アメリア、ちょっと頼まれてくれないか?」


 新入りで言いやすいからなのか、それともデーヴィットの姉だからなのか、ショウは他のメイドと比べればアメリアによく用事を言いつける。


「はい。何でしょうか」


 庭園へ行くにはまだ早い時間ということもあり、アメリアは快く頷いた。元より断れるような立場でもないのだが。


「これを書斎に持って行ってほしいんだ。書物机の上に置いといてくれればいいから」


 ショウは高そうなブランデーの瓶をアメリアに渡した。


「書斎に……ですか?」


 アメリアは戸惑った。書斎にお茶を運ぶ日もあるので行ったことはあるが、そこは主人一家のプライベートエリアで、今の時間はもう執事と侍女以外は出入り禁止になっているはずだ。例外なしの規則だという印象を受けていたのだが違うのだろうか。


「ああ、うっかり忘れていたんだ。ちゃんと言っておくし、誰もいないから大丈夫だよ。俺はエドワード様に呼ばれてるから行かなきゃいけないんだ。頼んだよ」


 急いでいるのかショウは言うだけ言って去ってしまった。

 アメリアは呆然としたが行かないわけにはいかない。ショウがエドワードに呼ばれているのなら書斎に彼らはいないはずだし、すぐに行って戻って来れば誰にも会わずに済むはずだ。

 それなら早く終わらせてしまったほうがいい。そう思ってアメリアはすぐにスティルルームを出た。


 あまり足を運ぶことがない二階の廊下を歩く。

 オイルランプの明かりはあるが、廊下が広いせいと周囲に民家がないせいでかなり薄暗かった。野外の暗闇よりもむしろ人気がない建物内の陰影のある薄暗さが苦手であるアメリアはやや早足になる。

 早く戻ろう。そう考えて気が急いていたせいで、アメリアは慎重さを失っていた。

 書斎の前まで来ると、習慣で扉をノックする。しかし誰もいないという認識があったせいで、返事など待たずにすぐに扉を開けた。

 室内に明かりがあることにもすぐには疑問を持たず、書斎に入って二歩進んだところで、アメリアはようやく気がついた。

 ソファーに座る人物がいることに。

 彼は驚きに目を丸くしてアメリアを見ていた。

 しかしその彼の姿を視界に入れたアメリアの驚愕は何倍も大きい。頭が真っ白になって体を震わせたアメリアは手に持っていたブランデーを取り落とした。

 ゴンと音がしてはっと息を飲む。

 幸い分厚い絨毯のおかげで瓶は割れていなかったが、アメリアは混乱の極みに押しやられた。


「も、申し訳ありません!」


 すぐにしゃがんで瓶を抱えたが、立ち上がることもできずに俯いた。

 嘘、どうしよう、という言葉ばかりが頭の中を渦巻いている。アメリアは今、本来ならこの時間に立ち入ってはいけない場所に来て、ノックの返事も待たずに扉を開けて中に入り、あまつさえ高そうなブランデーを落としたのだ。

 ショウに頼まれたことではある。しかしどんな行き違いがあったのか、彼はまだそれを知らないだろう。いくら何でもこれは怒られる。

 そう覚悟して目を瞑った時、とても近くから声が届いた。


「アメリア? 大丈夫、大丈夫だから」


 落ち着かせようとするような優しい口調だった。

 思わず顔を上げたアメリアは、心配そうな顔をしたエドワードと目が合う。

 屈んでいた彼はアメリアに手を差し出した。怒っていないことだけは理解できたが、その手の意味がわからずエドワードを見つめたアメリアに彼は微笑する。


「立って」


 この手に捕まれと言っているらしかった。

 そんなことをさせてしまっていいのだろうか。アメリアは悩んだが手を退けるほうが余程失礼ではあった。

 躊躇いながら右手を持ち上げる。手のひらが重なる瞬間、緊張して心臓が大きく脈打った。

 まるでレディに対するように丁寧な仕草で立ち上がらせられる。


「ここに用があったの?」


 エドワードは怖がらせないためか、アメリアの顔を覗き込みながら尋ねた。


「……はい。あの……ミスター・ショウにこれを書斎に持って行ってほしいと頼まれたのです」


 アメリアはブランデーをよく見えるように持ち変えた。先程の混乱はいくらか収まっていた。


「ショウが……これを?」


 不思議そうに確認されたのでアメリアは困ってしまった。エドワードはブランデーを受け取ったが、今日中にわざわざ持って来なくてはいけなかったほど、彼がそれを必要としているようには見えない。

 ショウの勘違いにしては、書斎に誰もいないと言ったことと、エドワードに呼ばれていると言ったこととを含めれば行き過ぎていた。だがいたずらや悪意でこんなことをする人物でもないはずだ。

 一体どういうことかとアメリアが悩んでいると、エドワードがぽつりと呟いた。


「ああ……そうか」


 腑に落ちた、といったような声だった。


「そうだな……。あいつは正しい」


 エドワードの表情に諦観めいたものを見たアメリアは、出所の知れない小さな不安に襲われた。彼は何を言っているのだろうか。


「偽ったまま手に入れようとしても、いつかきっと失くしてしまうんだろうな」


 何かに耐えようとしているかのようだった。

 アメリアがどういう意味なのかと聞くべきか迷っていると、エドワードは意を決したような顔をする。


「アメリア、もう少しだけここにいてくれるか?」

「……ここに、ですか?」

「ああ、本当はこんな時間に引き止めるべきじゃないんだけど、でもそこに座っていてくれるだけでいいんだ。絶対に何もしないから」


 まるでアメリアが対等な立場の令嬢みたいなことを言う。しかしアメリアはこの屋敷の使用人なのだから、夜中に部屋で二人きりなることは問題ではないのではないだろうか。

 エドワードが切実そうな言い方をしたせいもあり、アメリアは微かな不安を無視して頷いた。


「わかりました」


 答えてすぐに取り返しのつかない選択をしたような気がした。しかしエドワードが微笑んで礼を言ったからアメリアはそれも無視した。

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