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「ああ、まだいたな、アメリア」


 スティルルームへ戻ろうとしていたアメリアは、今度は部屋に入って来たショウに呼び止められた。


「はい、何かご用ですか」

「旦那様のお茶なんだが、君が給仕してくれないか。ちょっと手が離せない用事があってさ」

「えっ……」


 アメリアはスティルルームメイドがやるにしては、明らかに荷が重い仕事を振られて動揺した。一度はしたことがあるが、あの時はやむにやまれずだ。普通はこれほどの使用人がいる屋敷で、ティータイムといえどもメイドが当主の給仕をするなんてあり得ない。


「ディナーみたいなちゃんとした給仕マニュアルがあるわけじゃないから大丈夫だろう? ただ提供だけしてくれればいいから。君はマナーについてはある意味俺よりも理解しているから、旦那様の前に出ても問題ないし」


 何でもないことのようにショウは言う。

 確かにアメリアは貴族の前に立っても、彼らを不快にさせるような粗野な行動は取らない。いや、粗野な行動を取ったところであの主人が怒りはしないだろうが、だからといって誰でもいいわけはない。

 しかしすんなりと了解するにはこのお願いは唐突すぎる。だいたい従者でもあるはずの彼が主人を後回しにしなくてはいけない用事などあるのだろうか。

 アメリアは困り顔で助けを求めるようにジェーンを見た。すると彼女も同じ疑問を持っていたのか、不審気な表情でショウを見ている。


「あー、いや、これは誰にも言わないでほしいんだが……」


 気まずくなったからか、ショウは小声で理由を説明しだした。


「実は親父が急に腰を痛めちゃってさ。動けなくなったんだよ。以前にもあったことで、その時は一日で立てるようになったっていうか気力で立ったんだろうけど、旦那様には絶対に言うなって言われててさ。心配させたくないんだろうけどね……。そんなわけでなるべく誰にも気づかれないうちに部屋に運んで、ミセス・キャボットからこっそり湿布をもらって巻きつけなきゃいけないってわけなんだ」

「そうだったんですか。でしたら早く行って差し上げてください。ちゃんと代わりに旦那様にお茶をご提供してきます」


 アメリアは慌ててショウをブランソンの元へ戻らせようとした。こんな会話をしている間にもブランソンが痛みに苦しんでいるかもしれないのだから、迷っている場合ではない。


「ありがとう。くれぐれも内緒にしておいてくれよ。俺がしゃべったことがバレたら肋骨砕かれるから。あ、特にジェーンな」


 軽く笑いながら言ったショウの一言に、ジェーンはひくりと頬を引きつらせた。


「ええ、ミスター・ブランソンのことでしたら誰にも話しません。腰を痛めて動けなくなったのがミスター・ショウなら町中に知らせを出さなくてはいけませんけど」

「おう、よろしくな」


 穏やかな口調で反論するジェーンに、ショウは既に意識が別のところへ行ってしまったのか、手を挙げて適当な返事をする。

 それから背を向けて大股に歩いて行ってしまった。


「じゃあ、わたしも行ってくるわ。また後でね、ジェーン」


 つられたのかアメリアも早足で出ていく。


 あんたが急ぐ必要はないでしょうと思いながら、ジェーンは一人残された使用人ホールで、冷めた紅茶を一口飲んだ。

 それからぽつりと呟く。


「押し付けられたわね、アメリア……」


 従者ができないのなら、フットマンがやるべき仕事なのだと、アメリアは気づかなかったらしい。



 冷静に。

 扉を前にしてアメリアは心の中で念じた。

 キャボットのように落ち着いた態度で、余計な物音を立てずに、素早くお茶を提供するだけだ。ショウの代わりをしなくてはいけないと思えば身構えてしまうが、そう難しくはないはず。

 深呼吸を一つしてから、扉をノックする。

 返事があったのでアメリアはそっと執務室の扉を開けて、ワゴンごと中へ入った。


 伯爵は書類が散乱した机の上で、分厚く大きな本と手紙らしきものを見比べていた。集中しているのか、顔も上げずに眉間に皺を寄せている。

 以前から思っていたが、彼は貴族の割にはあまり外出をしない。少し体が弱いようなので、それが原因なのだろうが、だったら働かずに趣味に時間を費やすのが貴族というものだという認識をアメリアは持っていた。

 しかし彼は恐らく土地に関することや慈善事業に力を注いでいる。ティータイムまで執務室でとるくらいに。

 アメリアは邪魔にならないように静かにワゴンを押して、机の横に着けた。

 この前と同じように机の端に置いておけばいいだろう。ノックの返事はあったのだから、お茶の用意をしに来たのは気づいているはずだ。

 ポットやお茶うけなどを音を立てないようにして決められた配置にすべて移動させて、念のためにカップに茶漉しをセットしておく。呆気なく役目を終えたアメリアは部屋から出ようとした。

 しかし突然、隣でじっと座っていた人物が勢いよく立ち上がる。


「ショウ、これを──」


 彼は分厚い本をアメリアに突きつけると、ぴしりと動きを止めた。


「え? ……え?」


 目を見開いて、アメリアが戸惑うほど動揺する。青みがかったグレーの瞳が、彼女を凝視していた。


「アメリア?」


 びくりと肩が震える。なぜだか名前を呼ばれただけだというのに、アメリアは過剰な反応をしていた。声に親しみのようなものを感じてしまったからかもしれない。

 いつの間にかかなり近くにいたので、距離を取ろうと後ずさる。

 だが周りをよく見ていなかったせいで、ワゴンに足を引っかけていた。


「きゃ」


 小さな悲鳴を上げてアメリアは後ろに倒れそうになった。慌てて何かを掴もうと伸ばした手は役目を果たさず、逆に腕をがしりと掴まれる。

 アメリアが状況を把握するよりも前に、体勢を崩していた彼女のもう片方の腕も掴んで、しっかりと立たせられた。


「大丈夫?」


 素早く手を離した伯爵が心配そうにアメリアを見ていた。


「は、はい。申し訳ありません」


 恥ずかしくなってアメリアは俯いた。


「いや、私が驚かせてしまったから」


 気まずそうな言葉が返されて、更にいたたまれなくなる。


「あの、ミスター・ショウに用事ができてしまったので、それで、代わりに来させていただいたのです」


責められているわけでもないのに、ショウではなく自分がここにいる理由を言い訳のように説明する。


「……もしかしてショウに代わりを頼まれた?」

「はい」

「あー」


 納得した。という意味が込められていそうな声だった。

 アメリアはショウが来れなくなった理由を、伯爵が勘づいたのだろうかとヒヤリとする。余計なことを言ってしまったかもしれない。

 そんな不安そうな顔をしていたからなのか、伯爵は少し慌てた様子を見せた。


「いや、別にショウじゃなくてもいいんだ。いつもそうだからてっきりショウが来たんだと勘違いしてしまっただけで、誰が来てくれても、あっ、いや、誰でもいいというのではなくて……」


 混乱してきたのか伯爵の言葉は途中で止まってしまった。

 どうして屋敷の主にこんなに気を使わせているのだろう。アメリアはやはり自分がメイドらしくないせいではないかと考えてしまう。


「あの……紅茶、すぐに召し上がられますか?」


 ポットを手で示すと伯爵の視線がそちらへ向いた。


「あ……ああ、そうだな。いただくよ」


 初めて紅茶の存在に気がついたような顔をして、伯爵は椅子に座り直した。

 アメリアがカップに注ぐためにポットを持ち上げると、くすりという声が漏れてきた。見れば伯爵が微笑んでいる。


「いや、茶漉しをセットしてくれていたんだな」


 彼はアメリアが茶葉入りの紅茶を飲まなくても済むようにとカップにあらかじめセットしておいた茶漉しを見ていた。


「えっと……はい」


 アメリアが予想した通り、伯爵はこんなことをしても余計な真似はするなと怒ったりはしなかった。


「ショウも毎回同じことをしてくれるんだ。よくやってしまうんだよ、あれ。だから一杯目は問題ないんだけど、二杯目を自分で入れるとやっぱり忘れてしまうんだ。あ、言っておくけど本や資料を読みながらやる時だけだよ」


 笑顔のまま伯爵が言ってくれたので、アメリアの緊張が少し溶けた。


「ティータイムくらい、ゆっくりなさってはいかがですか」

「言うことはやっぱりショウとは違うな。あいつは行儀が悪いって、まるで乳母ナニーみたいなことを言う。この前なんか、気にせず茶葉入り紅茶を飲んでいたら、あなたは紅茶に粒胡椒が入っていても気がつかなそうですねって呆れているんだ。別に茶漉しを忘れた挙げ句に、飲んだ後も茶葉が入っていることに気づいていないわけではないのに。酷いと思わないか」


 どちらもどちらでは。

 と、うっかり心の中で呟いてしまったアメリアは誤魔化すようにコホンと咳払いした。


「粒胡椒は砕かなければほとんど味がしませんから」


 何に対するフォローなのか自分でもよくわからないことを言ってしまう。

 びっくりしている伯爵の顔を見て、アメリアはなかったことにしたくなった。要点を変えるために真面目くさった表情をしてみる。


「茶葉は飲んでしまっても何の問題もありませんから、旦那様の行動はおかしくないと思います。多少、舌触りが悪いくらいですもの。小さい茶葉なら少しはましかもしれません。いえ、大きいほうがいいでしょうか。旦那様は飲んでしまうなら、小さい茶葉と大きい茶葉のどちらがいいですか?」


 アメリアは真剣に聞いていた。もちろん今後は伯爵が選んだほうの茶葉で紅茶を淹れるために。

 しかし彼は何ともいえない表情をしたかと思うと、口を手で押さえて首を半回転していた。見せられた背中が震えている。

 笑われている。

 隠す気があるのかないのかわからないくらいの堪えた笑い声が、呆然としているアメリアの耳に届いていた。

 冗談を言ったつもりなど更々ないアメリアは、伯爵の笑いの発作が収まるまで、ただじっと待っているしかなかった。

 

 





 

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