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「一番が何かと聞かれると困っちゃうわ。あたしは身分差の恋物語なら何でも好きよ」
ハウスメイドのローリーが口に含んだティーケーキを急いで飲み込んで言った。
アメリアよりも一つ歳下の彼女は、いつも町や出入りの業者の男性の話題には興味を示さないが、恋愛小説の話となると真っ先に飛びつく。
「あたしは最近はそればっかりで飽きてきたよ。この前読んだ恋人が実は莫大な資産の相続者だったってわかる話はよかったね」
女性としては少し大柄なランドリーメイドのメグが思案顔で言った。
「それって結局、身分差の恋とおんなじじゃない」
不満そうにローリーが口を尖らせる。
「同じじゃないわよ。身分っていう色眼鏡で相手を見ているのと、内面を好きになった相手がたまたまお金持ちだったっていうのは」
ローリーよりも三つ歳上でメグと同い年のハウスメイドのファニーがメグを援護した。
「でも結果はおんなじよ」
「わかってないわね、あんたは。結果に行きつくまでが大事なのよ」
「そうそう。そーいうこと」
先輩二人に子供扱いされたローリーは納得がいかないように尚も反論しようとする。
自分から話題を振ったにも関わらず、置いてきぼりにされそうなアメリアは焦って割り込んだ。
「その話わたしも読んでみたいわ。何ていうタイトルなの?」
「えーと、何だったかな」
メグは目を瞑って記憶をたぐろうとする。しかし何かに気がついたかのように困った顔をした。
「でもあたしたちが読んでいるのはストーリー・ペーパーだよ。あんたが読んでいたようなきちんと装丁された本じゃないの」
するとローリーやファニーまで同意するような困り顔になった。
「ストーリー・ペーパーって?」
何気なく尋ねたアメリアは微かに気まずげな空気が流れたのを察知してしまった。彼女たちはお互いに目配せをし合って、誰も答えてくれようとはしない。
やってしまった。アメリアはこれがどういう状況なのかは理解できなかったが、彼女たちを黙らせたのが自分だということはわかる。
どうすればいいのかわからなくなっていると、背後から声がかけられた。
「何の話をしているの?」
ジェーンだった。彼女は今からティータイムに入るらしく、エプロンを外しながらこちらにやってくる。
「……恋愛小説の話をしていたのよ。それで、あの、ストーリー・ペーパーって……」
「ああ、安物の雑誌のことよ」
しどろもどろになりながら説明するアメリアに対して、その単語だけでアメリアが知らないのだと理解したジェーンがさらりと答えた。
「半ペニーか高くても1ペニーで買えるから、あたしたちでも気軽に手が出せるってわけ。読み捨て本って言われたりもするけどね」
ジェーンは近くの椅子を引きずってアメリアの隣に置いてからトンと座った。
「なあに? アメリア、読みたいの?」
「ええ、読みたいわ」
アメリアはコクコクと頷いた。
「じゃあ、貸してあげるわよ。短編が多いものはいくつか残してあるから」
「いいの?!」
「貸すくらいいいに決まってるじゃない。そんなに驚かないでよ」
ジェーンはアメリアの反応にはもう慣れたとでもいうように落ち着いて言い返す。
「あ……じゃあ、あたしも貸してあげるよ。さっき言っていた話が載っているやつ」
少しぎこちない笑顔でメグが言った。
ジェーンだけではなくメグまでそう言ってくれたことで、アメリアは内心で少なからず感激した。私物の貸し借りというのは、親しい間柄だからこそやる行為のように思える。
「ありがとう……」
「じゃあ、次はあたしに貸してちょうだい、それ」
「あたしも貸してあげるわ! たくさん置いてあるから、オススメのものを見繕っておいてあげる」
対抗意識を燃やしたのか、ローリーが身を乗り出して言った。
「ちょっと、ローリー。あんまり押し付けるんじゃないわよ。ほどほどにしておきなさい。アメリア、気を付けてね。この子、仲間に引き入れようとしているわ」
「あたしは面白いものを読んでほしいだけよ!」
ファニーに嗜められたローリーは憤慨した。
「でもローリーがそれほど嵌まっているなら興味あるわ」
宥めるようにアメリアが言うと、ローリーは目を輝かせた。がしりとアメリアの手を掴む。
「そうよね! きっとアメリアはあの面白さを理解してくれると思うわ」
予想以上の反応にたじろいているアメリアの向かいで、ファニーがあーあ、というように肩を竦めた。迂闊な一言であったらしい。
「でもアメリアってほんとに元お嬢様っていう感じがあんまりしないよね」
頬杖をついて、しみじみというようにメグが口にした。
「あー、そうよね」
「そうなのよ」
ファニーとジェーンが同意する。
「あっ、仕草とかはちゃんとお嬢様っぽいよ。でもお高くとまっていないっていうかさ。あたしが以前働いていたところはお屋敷じゃなくて、役人の家でメイドも二人しかいなかったんだけど、その家の奥様やお嬢様とは全然違うんだよ。その家はお金持ちってほどじゃなかったし着ているドレスも大したことなかったのに、二人ともまるで貴婦人みたいに振る舞ってんの。おまけにあたしたちのことを野良猫を見るみたいな目で見ているしさ。あのお嬢様は絶対に父親がいなくなって働きに出なくちゃいけなくなっても、絶対にメイドじゃなくて家庭教師になるね。たとえメイドよりも待遇が悪くてもさ。ストーリー・ペーパーなんて死んでも読まないに違いないよ」
「だいたいそんなものよね。アメリアとこのお屋敷の方々が変わっているのよ」
うんうん、とファニーが頷く。
「ああ、そうそう。旦那様とレディ・シンシアも例外だったよね。そういう人たちって集まるのかな」
首を傾げるメグにアメリアは何と答えていいのかわからない。中流上位階級どころか上流階級の一般的な意識すらちゃんと理解しているわけではないのだ。
ただ、やはり階級という壁によってメグたちはアメリアを少なからず警戒していたのだろう。その警戒がなくなったからこそわかる。昨日よりは確実に自分がこの場になじんでいると実感できた。
これはエディとジェーンのおかげだ。アメリアは隣にいるジェーンの顔を見た。視線に気づいた彼女がこちらを向いたので、表情を弛めるように笑うと、彼女も同じように笑ってくれた。
とても気分が上昇していたのだが、そこへ硬い声が飛んできた。
「静かになさい」
びくりとしたアメリアは部屋の入口を見る。腰に手を当てたハウスメイド頭のサミーが、神経質そうな顔をしかめて立っていた。
「いくらティータイムでも騒ぎすぎよ。廊下にまで響いているわ」
まだ若くともハウスメイドの中では一番地位が高い彼女に、ローリーやファニーは逆らえない。姿勢を正して、二人は即座に謝った。
「すみません」
他の屋敷と同様ではないにしろ、弛そうに見えてそれなりに上下関係は厳しい。続いてアメリアも謝ろうとしたのだが、それをジェーンの場違いなくらいのんびりとした声が遮った。
「悪かったわ、サミー。今度から気を付けるわね」
その瞬間、サミーの眉間に皺が寄り、鋭い目つきがジェーンに向かう。アメリアは二人の間に冷たい空気が流れたような気がした。
「ちょっと、ジェーン」
メグが焦って止めようとするが、ジェーンはのんびりした顔のまま、サミーは厳しい顔つきのまま、お互いに見つめ合っている。
やがてサミーがため息とともに言った。
「……そうしてちょうだい」
それからなぜかアメリアをじっと見たかと思うと、踵を返して使用人ホールを出ていく。アメリアとジェーン以外の三人がほうっと息を吐いた。
「相変わらず真面目ねぇ」
「もう、ジェーン、やめてよ」
ファニーが文句を言う。
「ちゃんと謝ったじゃない。いくら何でもあれくらいでサミーも怒ったりはしないでしょ。それに怒ったところで、サミーがキッチンメイドのあたしに、明日までにナプキンを十枚縫えなんて命令はできないんだし」
「でもあんた彼女が神経質なのわかっていて、逆なでするようなこと言ってるでしょ」
「違うわよ。神経質でもないし」
否定するジェーンにファニーは疑わしそうな目を向ける。
ティータイムが終わり、使用人ホールを出ようとした時、アメリアはジェーンに呼び止められた。
「アメリア、気にしちゃ駄目よ」
「え?」
「あんた、さっきサミーに睨まれてたでしょ」
思い当たることがあり、アメリアは落ち込んだ。
「やっぱりあれは睨まれてたのね……」
実は先程のことが初めてでもない。アメリアは初対面の時から、彼女には悪意ではなさそうなものの冷たい態度を取られているように感じていたのだ。
直接何かした覚えがあるわけではないし、関わり自体も少ないので、きっと仕事ぶりがよくないとか、性格が嫌いだとかそういったことだろうと思っている。
「だから気にしちゃ駄目だって。サミーは単にスティルルームメイドが気に食わないだけだから」
「……え?」
「サミーはミセス・キャボットのことが大好きで尊敬してるの。だから一番ミセス・キャボットの近くで働けるアメリアに嫉妬してるのよ。それだけ」
ジェーンは笑いながら耳打ちした。
「彼女、ミセス・キャボットに似ているでしょう?」
確かに似ていた。仕事中は無表情でいることが多いし、いつも冷静に振る舞っているところや口調なども。
「だからまあ、ちょっと我慢してやって。突っかかったりはしないでしょうし、そのうち収まるだろうから」
アメリアは目を丸くしながら頷いた。ジェーンがサミーの擁護をするなんて意外だった。
さっきのような二人のやり取りは、まだこの屋敷に来て日の浅いアメリアですら初めて見るわけではない。だからてっきり仲が悪いのだと思っていたのだ。
しかしジェーンのこの口振りは、サミーに対する好意が窺える。だとしたらジェーンは本当にサミーの神経を逆なでしたいわけではないのだ。
人間関係は複雑だとアメリアは思った。




