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陸上の渚 ~異星国家日本の外交~  作者: 龍乃光輝
第三章 新時代編 全41話
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第74話 『イルリハラン観光事前協議』

 イルリハラン政府から正式にイルリハラン王国首都であるイルフォルンへの訪問許可が日本政府へと伝えられたのは、年越しをする一週間前のことだった。


 日本にとっては僥倖で、以前に訪問は出来ないと言われたため許可が下りたのは喜ばしい事であった。

 イルリハラン政府の希望では一月中旬から二月上旬で、期間は往復含めて十日間。往復で四日間を費やすので首都を見て回るのは六日間となる予定だ。

 異星国家として異星の国の首都はぜひとも見たいだろうと言う考えであるが、日本側は待ってほしいと難色を示した。


 行きたくないわけではなく、最短半月では準備が間に合わないためだ。

 単なる旅行ならまだしも、国を代表して行く以上は綿密な調整が不可欠で、出来れば二ヶ月近くは調整の時間が欲しい。

 さらにイルフォルンへの訪問は一般人も参加を求めてもいる。

 よって兵士だけが来た前回のイルリハランから日本と違い、安全管理を徹底するため協議が行われることとなった。

 その第一回目の協議は、政治的宣伝性を兼ねて官僚ではなくテレビで著名な人物を揃えて開催された。


 日本側は異地に精通しているお馴染みの羽熊博士に若井異地交流担当大臣、外務省の木宮外交官。イルリハラン側はエルマ駐日大使に案内兼警護担当のルィル上級曹長、リィア少佐(・・)

 日本がイルフォルンに行くことは早々に公表されたため、第一回の協議はメディア用に映像と写真撮影が行われる。

 場所は国境検問所の二階で天地生活圏共有スペース。複数あった交流所は無くなり、その交流所の経験から互いにストレスなく対話ができる場所が作られた。

 基本的にそのスペース内の家具は宙に浮いており、日本人側が土台を宙に浮かす形でリーアンと同じ目線になるようにしてある。

 地に近づけないリーアンが日本側に合わせるのはストレスが大きいため、合わせるなら空に抵抗のない日本人が浮くべきだからだ。


 今までそうしてきて、これからもそうしていく。


 若井大臣とエルマ大使は笑顔で握手を交わし、それを日イの報道陣が撮影する。

 最初のようなテロを徹底的に警戒していた頃と比べて随分と簡易になったものだ。

 それだけ日本が受け入れられている証でもある。

 メディアが撮影をするのはここまでで、報道陣が退室して静寂が訪れる。


「これで静かになりましたね」

 最初に口を開くのは若井大臣。

「少々過剰に反応しすぎな気もしますね」

「仕方ありませんよ。私たちにとっては親しくとも両国の代表ですからね。しかもイルフォルン訪問関連ともなれば注目はされます」

 このメンバーは転移初期からの付き合いだ。それなりに腹を割って見せ合っており、砕けすぎてはいけないが気を張るほどではない。


「そうそう申し遅れていました。リィア少佐、ルィル上級曹長。昇格おめでとうございます」

 しかし礼儀だけはしっかりこなす。若井大臣は同席する日本に精通しているリィアとルィルに顔を向けて挨拶をした。

 リィアとルィルを始め、初めて羽熊たちと邂逅したイルリハラン軍の班は全員功績を認められて一階級昇格したそうだ。

 大尉であったリィアは少佐となり、曹長であったルィルも士官一つ手前の上級曹長となった。


「ありがとうございます。大臣にお言葉をいただけでうれしく思います」

「身に余る身分ですが。恥じないよう日々精進する決意です」

「では始めるとしましょう」

 エルマ大使の宣言で協議が始まった。

「イルフォルン訪問の日程は十日間。ここからイルフォルンまでは二日ほどかかるため、イルフォルン内での活動は六日間となります。この六日間は官民でそれぞれ分かれての活動となります」

「佐々木首相を含む政府関係者はイ日首脳会談を行い、民間人は可能な限り自由にイルフォルン内を観光してもらいます。護衛はイルリハラン警察とラッサロン浮遊基地から兵士が担当する予定です」

「聞き及んでいます。しかしながら民間人を招待するとは大胆な決定ですね。それも五十人もとは……」


 イルリハラン政府が日本政府に提案した人数は百人。その半数を民間人で満たしてほしいと言うものだった。

 これを聞いた佐々木総理含め政府関係者は唖然としたらしい。

 大抵は初訪問は首脳級政府関係者だけで済ますところ、民間人も加えるのは異例と言える。それも異星国家を相手にだから尚更だ。


「元々は政府関係者のみだったのですが、それでは見聞が限定的になるということと、ハーフ問題で入国が厳しくなる意見を受けまして、安全を絶対として民間人の受け入れが決定しました」


 ここでハーフの天才性を知る羽熊と若井は日本人拉致を考えてしまう。

 ハーフの天才性は絶対的な機密に指定され、例え知っている者同士であっても喋らないようにしている。

 ハーフ自体は身体的特徴が何世代にも渡って遺伝することは伝えられているから、ハーフの発生を防止する策はもうユーストルを中心に対策が練られている。

 しかしまだ法的拘束力を有するまでは至っていないから、大勢が押しかけて一人でも『異星人』を理由に拉致が起きる可能性はないと言えない。

 民間人を招待するのに難色を示す理由の一つだ。


「日本側が心配をするのは分かります。人数が増えれば護衛が疎かになって拉致など事件に巻き込まれる可能性が高まりますからね」

「我が国では未解決の拉致問題があります。もし今回のことで再び拉致被害が起きてしまえば、この星で最も信頼を寄せる貴国でも国民は信用しなくなるでしょう。貴国のことですから何重もの警戒をしているでしょうが、不安は決してぬぐえません」

「安全対策はそれこそ過剰なほど徹底するつもりです。それでも起きた場合を想定して、腕時計型の追跡機を滞在期間中は身に着けていただくことも考えています」


 アメリカなどで施行しているGPS追跡機をとりつけて、範囲外に出たら知らせるものだ。

 事前に公表していなければ、拉致されても身に着けたまま移動をするだろう。


「でしたら滞在期間中の身分証明書と肩書きを持たせられれば、まず外すことはないでしょうね」


 日本側としては別に民間人をイルフォルンに連れて行きたくないわけではない。安全が確実に保証できるのなら特に文句はなかった。

 国内でもイルリハラン王国への出国を希望する人は多い。


「ただ、民間人の中で一つ条件があります」

「条件?」

 それは事前に聞かされていないことで、日本側は耳を傾ける。

「日本には日本国籍以外の人も住んでいますよね? その方々も任意を前提として我が国に招待をしたいのです」

「在日外国人を?」

「それはどのような理由でしょうか?」


 今までイルリハランから在日外国人に関することは一度も出ておらず、突然出てきたことに日本側は警戒をする。

「羽熊博士は察しているのではありませんか?」

 エルマは羽熊を見て尋ね、若井と木宮も視線を向けた。

「……人種、ですか?」


 そう聞かれたことでアタリがつき、疑問形で返答するとエルマは頷いた。

「そうです。地球では大別で三系統の人種がいるそうですが、リーアンは一種しかいません。そして日本の方々はこの星を知っていても他の外国人はまだ知りませんよね? ですので日本人や他の外国人の方々にも我が国を体験してほしいのです」

 地球の人種の起源はアフリカから始まり、その後数万年かけて全世界に渡ったと言われるのが定説だ。逆にリーアンは、数百年で世界に分布したとされている。

 長年かけて移動して風土によって進化してきた地球人と、短期間で移動して風土ごとの進化をしていないリーアンでは、人種の概念が大きく違うのだ。

 地球人で人種で言えば、白人、黄色人、黒人と言う認識だが、リーアンはリーアンで他がない。民族などの違いはあっても人種とはイコールではないのである。


「まあ……ここで日本人だけしか認めなければ差別と言われかねないので、外国籍の人を同行させるのは問題ないでしょうが……」

 いずれは日本領ユーストルには進出するだろうが、ラッサロン浮遊基地に行けるとは限らないし、浮遊都市にはもっと行けるか分からない。

 若井はエルマの言うイルリハラン政府の案に肯定的でも、どこか腑に落ちない語調だ。


「前もって言いますが政治的な裏はありません。今後一般の方がユーストルを出ることが可能か不明なので、一度の機会に幅広い人に見てもらいたいのがイルリハラン政府の希望です」

 国賓並みに過剰な警備を日本人が来る度にしては完全な赤字だ。今回だけであれば特例として予算は通るだろうが、毎回であればまず通りはしない。

 かと言って日本人が個別にボディガードを雇うことも出来ないから、一度に多様性を持たせたいのがイルリハラン政府の考えなのだろう。

 だから一度に百人を招待したのだ。

 政府関係者以外は二度と呼べないかもしれないから。


「そういう旨を総理にお伝えしましょう」

 少なくとも羽熊の知る限り、日本に住む外国人がイルリハラン政府に忖度をさせるようなことはなかった。

 接続地域に報道関係者が比較的楽に来るようにはなっても一般人はまだまだ立ち入れられず、外国人が来たこともない。

 いくら国内で接続地域や異地に出させろと言っていたとしても、それがイルリハラン政府に伝わることはないはずだ。

 裏の取引が無ければ純粋に日本の事情を知った上で提案したのだろうが、その真意は分からない。


「半数とはいかないでしょうが、十人ほどでしたら日本国籍以外の方もお連れできるとは思います」

「それはよかった。ちなみにどのような形で選定を?」

「任意な上で特殊詐欺を防止する方法として、転移以前に使用した方法を取りたいと思います」

 その方法とは最後の大会となった東京オリンピックで使われた手法だ。

 応募サイトで名義登録をした上での応募をし、当選したら当人以外使用が出来ない方法だ。応募していなければ偽の応募通知が届いたところで詐欺と分かり、当選番号を添付すれば自分で照合して偽物かどうか判断ができる。


「特殊詐欺とはどういったものなんですか?」

「事実と異なることを話して人を騙し、現金を奪う詐欺です。例えば起きてもいない事故の示談金として見知らぬ老人に電話で騙し、特定の口座に振り込ませるなどですね」

「なるほど。それだと抽選に当選したから手数料を支払うと詐欺をする輩が出るわけですね」


 いくら啓蒙活動をして撲滅を計ろうとしても、次から次へと新たな手法が出てきて完全なイタチごっことかしている。今回のことでもまず間違いなく起きるというのが日本側の見立てだ。


「ただ、世帯での応募か個人での応募かで変わりますね。世帯では大体二人から四人。応募当人ではご家族が同行できませんし、世帯で計算すると数百人と膨れ上がります」

「ああなるほど、世帯までは考えていませんでしたね。んー……さすがに百人以上に増やすことは今からでは困難ですので、丸投げになりますが調整を願えませんか?」

「分かりました。天地生活圏の違いがありますが、宿泊施設はイルフォルン内ですか?」

「いえ、警護上からイルフォルン内ではなく、日本用に改修した宿泊用民間浮遊艦を利用します。浮遊都市内では警護が不十分になりかねないので、警察所有の浮遊警察船と軍所有の浮遊駆逐艦の二隻が滞在期間中の警戒と護衛を行います」


 日本でも国賓にそこまでの警護はしない。エルマの言う通り過剰な警護だ。

 エルマの話では、民間の浮遊艦は今後日本政府専用としてイルリハランが運用すると言う。今までは日本の航空機だったが、天地生活圏の違いから異地側の艦を渡す方が合理的と判断したのだろう。

「……エルマ大使、そこまでおもてなしをしていただいてうれしいのですが、費用と効果を考えたらそこまでする必要はないと思うのですが……」

 民間人を受け入れなければ費用は半額以下にまで下がる。さらに拉致事件の可能性も低くできることを考えれば、民間は別の機会にするべきだ。

 外交官である木宮は、職業上の勘から気を許さず尋ねた。


「一言で言えば、次の機会があるか分からないからです」

 今回のイルフォルン観光はムルートが深く関わっている。

 宗教上関与してはならない聖なる動物に対して政治的抜け穴を突いて解決したことで世論が動き、今回の観光の容認につながった。

 だがそれ以前ではユーストルから出ることはおろか、最悪隔離・農奴政策が成されていたかもしれない。明日何が起きるか分からない情勢の今、数少ない機会に最大限詰め込もうと言うのは合理的な判断だ。


「理解しました。失礼な物言い申し訳ありません」

 エルマの説明で合点が言ったらしく、木宮は深く頭を下げた。

「日本が心配することは分かりますので謝罪は不要です」

「滞在費用については前回を参考にさせてもらいます。一人に付き二十万セムまでは自由に買い物が出来るようにして、その購入した物に関して特に条件は付けません。日本国内に持ち込まれた物は日本政府の判断に委ねます」


 つまりイルリハランは自由を保障する代わりに日本が責任を取れということだ。

 転売に関することも日本政府が歯止めを掛けなければならない。異地の本などは読めはしなくとも高値で売れるだろう。動画配信しても視聴回数を稼ぎそうだ。

 そうしたことも日本政府は考慮しなければならない。


「分かりました。イルフォルンの近くには居住用浮遊都市が二島ありますが、希望があればそちらにも?」

「いえ、警護からイルフォルンに限定させていただきます。ですが観光スポットは豊富にあるので、六日だけで全てを見るのは困難でしょう。イルリハラン王国の文化が全てあるといっても過言ではありませんから」

「であればイルフォルンにある観光スポットの一覧を貰えませんか? 別紙で近寄ってはいけない裏スポットも頂きたいです」


 観光と銘打っても異星国家の首都だ。個人の自由な移動は許されず、自室以外のいかなる場所でも付き添いが来るだろう。

 それでも目的地は自由が名目だから、治安が低い場所はあらかじめ知っておく必要があった。


「それでしたらこちらにご用意してあります」

 日本側の考えを読んでいたのか、エルマは新たに書類をテーブルの上に広げた。

「治安が低い場所、公序良俗に反する場所などの地名に店名、避けなければならない理由のリストです」

「もう用意してありましたか。ではイルリハラン側も我々と同じことを考えていると言うことですね?」

「観光、ですからね。好奇心から少し危ないところに行きたい心理は理解しています。私は不参加でしたが、前回でも夜の店に行きたがる兵士がいたとも聞いています」


 前回のイルリハラン兵による日本観光でもそうした問題は数件だけあったらしい。

 さすがに風俗レベルの店に行くことはなかったが、酒場には数人の兵士が言ったとのことだ。もちろん付き添いもいたため酒のトラブルはなかったのだが、最終日近くには酒場で知った日本の独自の文化であるキャバクラやホストクラブに行きたいと言いだして、担当官らは頭を悩ませたらしい。

 観光である以上、そうした場所も一環と言えば一環だ。

 ボッタクリのない健全な店は多数にあるし、貸し切りにして安全第一で済ますことも出来た。


 しかし史上初の異星人による日本観光に、そうした場所に連れて行くのは日本政府として承諾は出来ず、結局は断ることとなった。

 イルリハラン王国の首都でもそうした店は少なくなく、もし日本人が行ってトラブルにあったら問題だ。無知で行ったとしても六日間で知ることは出来るし、一度知ったことを忘れることはできない。

 そうした問題を事前に防ぐためにもこのリストは重宝されるのだ。

 話は訪問時期へと変わる。


「若井大臣、先日の返答で来月の訪問は厳しいと頂きました。日本側としてはいつ頃が理想ですか?」

「少なくとも三ヶ月は欲しい所です。民間の方の選考もありますし、政府内での調整も必要です」

「三ヶ月ですか。先ほども申しましたが、国土転移から今日までの間で日本を取り巻く環境は目まぐるしく変わります。三ヶ月後もこうして平和的な交渉が出来るか不明ですので、なるべく早くが理想ですね」


 転移した時は正体不明の異星人で、数か月後には隔離・農奴の瀬戸際まで来て、ムルートによって世界を敵に回しかけた。そして今は平和的な対話へと来ている。

 なんとか妙案を見出すことで解決して来た外交だが、刻々と日本に対する扱いが変わることを考えれば、平和的な今のうちにしたほうが良いのは確かだ。


「農奴政策級のことが起きれば諦めるしかありませんが、それ以下であれば行いたいですね」

「ええ。では来年三月を目標で、さらに細かいことについては次回としましょうか」

 日本の都合もあればイルリハランの都合もある。協議の都度互いの意見を合わせて摺り合わせを行い、両国が同意する計画が出来上がる。

 メディア向け第一回協議としては十分であろう。

 最後に若井とエルマが握手をして、一回目の協議は終了した。


      *


「だんだんと私が前線に立つ意味合いは薄くなってきましたね」

 そう呟くのは、エルマたちを見送った直後のことだった。

 言葉のままで言えば羽熊はお払い箱であるが、イントネーションとしては役目を終えた達成感的なものである。

「いえ、そんなことありませんよ」

「いやいや、本当にそう思います」

 若井大臣は即座に否定するも、その否定を羽熊はやんわりとした口調で否定する。


「もう私がここにいるのはファーストコンダクターと第一人者という肩書きだけですし、通訳ももう不要なくらい会話が成立しています。異地に対して熱が冷めたわけではありませんが、もう無条件に前線に立つ必要はないと思うんですよ」

「それはみな博士を信頼しているからです。失礼な言い方ですが、困ったときの博士がいるからこそみな安心して接することができるんです。博士がいなければこうしてスムーズな交渉が出来るかどうか……」

「買い被りですよ。逆を言えば私がいなければ日イの外交が成り立たないって組織としてダメじゃないですか」

「……少し歩きましょうか」

 若井大臣は日本領ユーストルを指さし、二人は舗装された日本とユーストルの境界線上を歩く。


「博士、もしかして博士は自分は不要と卑下していません?」

「思ってますよ? 小規模なグループで自分以外にいないなら必要不可欠ですけど、日本と言う組織が動いているんです。私以外にも動ける人は大勢いますし並行で動けば、私だけが率先して前線に立つ必要はないじゃないですか。今回の会談もほとんどしゃべりませんでしたし、以前のロマン会議も誰かがレヴィロン機関の可能性を言っていましたよ」

「博士は良くも悪くも謙虚な方ですね。欲がない」


「まあ、あの転移前の終末期でも預金はあまり使ってはいませんでしたからね」

「じゃあ他の謙虚な人が同じように前線にいたとして、今みたいになったと思います?」

「分かりませんよ。〝もし〟なんて人の頭の数だけあるんですから、上手くいったかもしれないしダメだったかもしれません。私だってほんの少し何かが違うだけで今とは違う結果になってましたよ」


「でもなりましたね。博士、確かに〝言語学者〟としてはもう前線に立ち続ける意味はあまりないかもしれませんが、もう一つの肩書きである〝内閣官房参与〟はまた別ではありませんか?」

「……あえて前線に立ち続けて異地の情報を収集する、ですか」

「ええ。間違いなく今後も異地絡みの問題は出ます。もしかしたら博士がいなくても私や駐イ大使、政府内で解決できる問題も多いでしょう。でもアルタランやムルートと言った法のすり抜けを駆使しなければ解決できない問題もあります。そうした難問には博士の力が欠かせません。なにも最初に異地の探査をしたから今ここにいるわけではなく、ここにいることが国益につながるからいてもらっているんです。いる意味がなければそもそも税金を使ってまで国家の最重要拠点に置き続けたりはしませんよ。博士からすれば本業から外れて不本意かもしれませんが、転移したことでみんな違う仕事をしていたりします。博士だけが特別ではないことは分かってください」


「国としてはそれでいいとしても世論はどう思いますかね。日イの懸け橋は十分果たしたのに、しつこく前線に立ち続けて税金を貪る。そうして税金泥棒とネットとかで批判が出るのが今の……いえ転移前の世論の動きじゃないですか」

「ネットの批判なんて真の世論とは言えませんよ。匿名だから本音を語る場ではよくても本音と本質は違いますし、ネットの声なんてネットをしない人や読むだけで書きこまない人を含め、全体で言えば数パーセント程度です。博士はたったの無責任な数パーセントの炎上のために、自分の人生を決めるんですか?」


「でも政治家とか著名な人は、一言の失言で炎上して辞任をしてますよね」

「本質の違いですよ。言ってはいけない立場の人が言えば責任を取りますが、必要なのに周りが要らないと言われても外す理由にはなりません。そもそもそうした炎上は起きているんですか?」

「いえ、そうした掲示板は見てないですね」

「博士は今の仕事を続けたいですか? やめたいですか?」


 その質問に、羽熊は即答せず逡巡する。

 元々は異地の言葉を速やかに得るためにここに来て、気づけば異地第一人者とされ内閣官房参与となってここにいる。

 羽熊自身着地地点が見えず、目の前の仕事を懸命にやっている感じだ。

 誇りはもっているし遣り甲斐もある。なのに、何かが足りない。


「分かりません。目的がフアフアしてるとでも言うんですかね。最初は言語を知るとはっきりした目的があっても、今は異地と関わって異地を知ると曖昧な目的ですから」

「日本を守ると言う不動で分かりやすい目的があるではありませんか。接続地域で働く人も全員そうですよ? 手段はどうあれ目的は日本を守る一員です。少なくともずっとそれで博士は仕事をして来たのでは?」

「そうですが……」

「批判したら言ってやればいいんです。じゃあお前らが俺の代わりに責任含めて全部やれと。ただ文句を言うのは誰だって出来ても、責任を持って文句を言える人は組織の中でしかいません。無責任な文句に耳を傾ける必要はなく、自信を持って必要とされる限り前線に立っていいんです」

「……分かりました。とりあえず官房参与をクビになるまでは頑張ります」


 若いとはいえ大臣にここまで言われて意固地にもなれない。

「まあ、その官房参与もひょっとしたらあと数ヶ月で終わるかもしれませんが」

「どういうことです?」

「早ければ来年四月ごろ、佐々木総理は辞任を表明するそうです」

「えっ!?」

 唐突な情報に、羽熊は今日一番の声を上げた。

 若井は周囲を一瞥して羽熊を見る。


「元々党の総裁としての任期は転移してなければ過ぎているんです。ただグレゴリオ暦とエルテミア暦は四ヶ月のズレと三十五日の延長でうやむやとなり、情勢が落ち着くまでは総裁の任期を延長する形で今日まで総理をしていました。まだ国内問題は多く残ってますが外交が一段落したので、イルフォルン訪問を最後に総理だけでなく議員としても辞任をするつもりなんです」

「議員も!?」

「転移してからこれまでのことの責任を取る意味合いも込めてのことで、数ヶ月前から考えているみたいです。それに新時代を迎えているのですから、新時代に合わせての政策を国民に選んで貰うのも目的ですね」

「……そうなんですか」


 羽熊にとって佐々木総理はテレビの中の存在で、実際に会って異地関連で仕事をしたのはここ数ヶ月だけだ。それでも辞めるとなると妙な寂しさを覚える。

「これはここだけで、他言はしないでくださいね」

「さすがに言えませんよ」

 羽熊は何もないユーストルの地平線から、須田駐屯地越しの東京方面を見る。

 佐々木総理の辞任の意向を聞いて、羽熊もあることの区切りをここにしようと決めた。


「それで博士、官房参与として聞きたいんですが、在日外国人をイルフォルンに招待することについて思うところはありますか?」

 場の空気が穏やかになったところで、若井大臣は話を大分前へと引き戻した。合わせて須田駐屯地の方へと歩く方向を変える。


「一気に話を戻しましたね。んー、さすがにイルリハランがあったこともない在日外国人に忖度するとは思えませんね」

「他の誰かが入れ知恵をしたとか」

「それだと入れ知恵をした理由ですね。なぜ外国人をイルリハラン観光させる必要があるのか。もちろん差別や平等を言えば対象になりますけど、わざわざイルリハランが言う必要はありません。アークにしろ人権団体にしろ国内からの声で十分でしょう」


 こうした問題は、実際に選定して外国人が一人もいなかったら国内から湧き出す差別問題として大きくなる。それをこれからしようとしている中で、外国人枠を固定しろと言うのだから違和感となるのだ。

 若井もだが羽熊もイルリハランの提案には素直には受け取れない。何かしらの裏があると考えてしまう。

 一見差別や平等を事前に考えられた白にも見えるが、見方を変えれば黒であり、現段階では灰色と言わざるを得ない。


「さすがに調べるのは難しいですね。調べると外国人を軽視していると言われかねません」

 百万人と言う膨大な数がいても、日本総人口からすれば百二十分の一しかない。

 百二十人のうち一人は少ないと言えばそうではないが、かといって排除をすれば少数を切り捨てると非難される。国としてその考えはしてはならないことだ。

「そもそも証拠もありませんからね。そこはホストの意向に沿うしかないかと」

「となると、アークの代表であるトムは応募が来れば確定でしょうね。外国人グループを纏めてもらう必要がありますから」


「ノアはどうなんです? 一応トップですよね?」

「正直なところノアの正体は知らないんです。掲示板アークは大分前に閉鎖されて、ノアはアーク内の独自のメッセージアプリでやり取りをしていて公安の調査も及ばないんですね」

「噂では公安が外国人を誘導するためにノアをやってるとかありましたが」

「さすがにそれはしてないですね。いくら象徴的な立ち振る舞いをしても、姿を見せずに文字だけでやり取りをする人を人は信用しません。何らかの手段で上層部だけでも顔は晒しているはずです」


 そうでなければノアは排除されていた。ミステリアスを演出するためであっても、上層部くらいは顔を見せていなければ続投は出来ないだろう。

「まあ警戒こそしてもイルリハランの言っていることは間違ってはいませんからね。外国人も受け入れる形で応募と行きましょう。ああ、博士は当然政府側で当確なので」

「ですよねー」

 羽熊は苦笑で答え、須田駐屯地へと戻ったのだった。

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