第63話 『モテ期』
茨城県神栖市にある須田浜。今現在は須田駐屯地として防衛省国防軍の管理下にあり、通称接続地域と呼称されている。
日本列島が約二千五百万年前に地殻変動でユーラシア大陸から切り離されて以来、陸続きになったことは一度もない。
それが国土転移により偶発的に異星の地と陸続きとなったことで、接続地域と言う通称が使われて広く認知されるようになった。
それに伴って平和的決着が日本と異地の間で成されたこと、須田駐屯地はそのまま日本初の国境検問所として機能することから、一気に観光スポットになった。
現場の人にとっては毎日のように接するから感覚が鈍ってしまうが、日本人の多くが異星人を生で見たことがない。
メディアでは毎日のように新たな情報を発信しているとはいえ、自分の目で見る人はほとんどいなかった。ルィルやエルマが東京に来た際に見ることはあれ、それ以外では日本の外であうのだから無理もない話だ。
だから生活に余裕を持つ人々は神栖市に来るようになった。
そうすると出てくるのが反戦団体だ。
国防軍が全面的に率先して活動しなければ、今頃どうなっていたのか考えるまでもないのに、何を勘違いしてか軍事活動の反対プラカードを持って施設の出入り口の前に立つ。
手のひら返しとはこのことで、国交が樹立する前まではおとなしくしていたのに、樹立をするや抗議活動をするのだから世間からは白い目で見られる。
ただ、抗議活動をするだけで妨害等はしないので放っておくことで炎上を避けている。いくら邪魔な人々であっても、その人達も守るのが国防軍の第一の使命だ。
接続地域で活動するリーアンたちも、自分たちが注目されていることは自覚されているので、駐屯地以外から見られていることに気づくと大きく手を振って反応したりしてくれている。
可能なら直接接触と行きたいが、安全と法整備がまだなため民間人がリーアンと接触するのは当分先だ。
ハーフ問題もあって両種族の接触は慎重になるしかないが、国境検問所が開始される頃には外国人と変わらない接触が果たされるだろう。
元々神栖市は重化学コンビナートの街として発展しているのもあり、潜在的にさらなる発展は不可能ではなく、市議会もこの機会をチャンスととらえて関係各所に働きかけている。
転移当時は日本で一番危険な街と思われ、国交樹立してからは日本で一番発展が約束された街となった。
そんな活気あふれ始める街に、一人の女性が来る。
「ここにいるのね。洋一」
女性は小さく呟いた。
*
国交樹立をするまで羽熊が所属していた須田駐屯地内にあった、言語学チームの業務内容は異地語の研究のみだった。
とにかくイルリハラン王国の母国語であるマルターニ語を可及的速やかに習得して、後進の人達に伝えられるようにすることが第一義であった。
その言語学チームも国交樹立後からは少し変わり、一つのチームだったのが二つのチームとなった。
元々の業務であった『マルターニ語の研究』は『異地言語の研究』へとシフトし、現在国防軍の自衛官が担当している通訳を民間に引き継がせるため、通訳できる人材を増やす学習チームが新設された。
接続地域にいる自衛官たちは、転移当初から交流に関わっていたので流暢に喋れる人は百人単位でいるものの、彼らには国防と言う重要な任務がある。
日イの通訳もある意味国防であるが、平和的な国交が成された今、国防軍が通訳をする必要はない。かと言って言語学者達はマルターニ語以外の研究もしなければならないから、官僚だけでなく民間からも排出する必要があるのだ。
学習チームのメンバーは、教員免許を持つ人を筆頭に翻訳の業務に就いている人、自衛官に政府職員と多種多様だ。
食料や資源が手に入ったことで最悪の大飢饉は防ぐことが出来ても、日本の最大の持前である経済を活かすには並列で数百以上もの交渉が欠かせず、ユーストル開発をするならば話せる人はどれだけいても足りないのだ。
だから一定の水準まで話せる人は教師に見立て、英会話ならぬマルターニ会話教室を連日開いている。
なら日本で一番マルターニ語を習得している羽熊も教師をしているのかと言えば違っていた。
「あ、羽熊博士だ」
「お疲れ様です」
通路を歩いていると、見るからに駐屯地には似つかわしくない若い人々とすれ違うことが多くなる。
日本を救った功労者の一人として連日メディアに映るようにもなれば、知らず知らずの内に自分の事を知られるようになり、知らない人から挨拶されることが良く起きる。
知人以外に自分の名前が知れ渡ると言うのは、正直なところ不気味だ。
羽熊は基本的にSNSは発信はせず見る側なので、その不気味さを助長していた。
ネットで自身を発信する人は、もちろん本名ではないとはいえ見知らぬ人に知られることを恐れないのだろうか。
「こんにちは」
その不気味さを押し隠して、羽熊は挨拶をして通路を歩く。
今挨拶をした若い人は、マルターニ語を学ぶためここに来た第一期生だ。
見た目からしておそらく大学院に通う学生だろう。
「わぁ、羽熊博士だ。握手してください!」
さらに一人の女性が近づいて、満面の笑顔を見せながら手を差し出してきた。
「あ、握手?」
世間一般からすれば羽熊は有名人かもしれないが、羽熊当人としては一般人の認識だ。
見ず知らずの人から握手を求められることに慣れておらず、ついつい聞き返してしまう。
「はい! 博士のご活躍は聞いてます。ですので握手してください」
こういうのをモテ期と言うのだろう。
男性からも挨拶は受けるが、女性の方が割合は多い。
独身で彼女無しからすると一時的なものであっても悪い気はしない。
羽熊は多少戸惑いつつも握手に応じる。握りと振る力が強い。
「ホントうれしいです。日本を救った人と会えるなんて」
「私だけが救ったわけじゃないよ。みんなが努力したからさ」
「そんな博士とお付き合いできる人は幸せでしょうね。羽熊博士はご結婚とか考えないんですか?」
「考えてないよ。付き合ってた人もレヴィアン騒動で別れたしね」
「そうだったんですか。勿体ないですね」
そうした地雷をズバっと言うあたり若いのが伺える。
「せっかくレヴィアンからも餓死からも生き残れて、しかも博士は日本の救世主ですよ? そんな人をフるなんて見る目無いですね」
「……誰が救世主かなんてないよ」
羽熊は天狗にならないよう意識している。
実質日本を救ったきっかけを作ったのは自分と自覚をしても、調子に乗ったことで自滅した人は枚挙にいとまがない。
例え瞬発的に人気になって優雅な生活をしても、必ず相応の反発が来るものだ。
人々の意識は移りやすい。今は羽熊の話題が高まっても、すぐに別の話題が浮上して羽熊の名前は忘れ去られるだろう。
だから羽熊はリーアンのように空に浮くような生活ではなく、地を歩く生活を望む。
そして今言ったように、羽熊一人で日本を救ったのならまだしも、この国交樹立は日本人全員で勝ち取ったものだ。
それを忘れて奢れば強いしっぺ返しが来るだろう。
「博士って欲がないんですね」
「……君の名前は?」
「マルタ学習第一期の鍬田美子と言います。歳は二十三で東都大学の大学院で経済学部を専攻してます!」
「そこまで聞いてない。鍬田さん、君がどんな気持ちでここに来たのか知らないけど、俺は注目されたくて仕事をしたわけじゃないし、お金目的でもしているわけじゃない。純粋に死に掛けてる日本を助ける手伝いをしたくてしたんだ。それ目的で仕事をしていたら最初から接続地域には来てはないよ」
誇りや名誉のために仕事をするのと、金銭のために仕事をするのとでは意識が違う。
かつてレヴィアン問題で働く意味が薄くなると、金銭目的で働いていた人々は真っ先に辞めて、働いている人はほとんどが無給だった。
その無給で働いていた人がいたからこそ、日本国民は細々としながらも食い繋いで来れた。
もし羽熊が絶賛されるのなら、その無給で働いてくれた人々もされなければならない。
しかし、その無給で働いてくれた全国の人々は称賛しろとは言わないし、テレビも注目していない。ならば羽熊も静々と生活をする。ただそれだけだ。
「ホント、勿体ないですね」
その返事で、この娘になにを話しても無駄だと悟る。
「博士、もし今特定の人がいないなら、私なんてどうです?」
「いや、今は誰かと付き合うつもりはないよ。君のいまするべきことはマルターニ語を覚える事だろ? そこをまじめにしないと辞めさせられるぞ」
不真面目な人間をここは必要としていない。
第一の目的を忘れてしまっては迷惑以外になく、羽熊は四ヶ月との経験とこれまでの人生を込めて鍬田にお小言を投げかける。
「はい。失礼しました」
そう鍬田は頭を下げると駆け足で離れて行った。
「……これもある意味前進なのかな」
レヴィアン落下直前は全世界で絶望が蔓延していた。
それが国土転移によって絶滅を回避し、国交樹立によって大飢饉を防いだ。
だからこそ心にゆとりが生まれて、ああした話が出来るようになった。
内容について良いか悪いかは別として、笑みを持って話せれば確かな前進だろう。
と、羽熊は用事があって移動していたことを思い出し、腕時計を見て歩き出した。
向かう先は応接室。佐々木総理から羽熊に公式の話があるとアポを取っているのだ。
一応羽熊は佐々木総理の携帯番号は知っているが、公式ゆえに簡易的な通話は出来ないらしい。
応接室に入ると、以前と同じようにカメラ付きノートパソコンが置かれていて、自衛官が設定をしていた。
「羽熊博士、お待ちしてました。準備の方は終わっています」
「ありがとうございます」
時計を見ると約束の時間まで三分。
「それでは失礼します」
自衛官はお辞儀をして応接室を退室し、羽熊はパソコンの前に座る。
「……多分話はアレかな」
直通ではなく、公式のテレビ通話となると何を話したいのか大よその見当はつく。
そして羽熊がする返事も分かっているだろう。
羽熊は時間が来るまでの間にスマホで検索をする。
『閣僚 最年少』と。
時間が来るとパソコン画面に佐々木総理が映し出された。
「総理、お疲れ様です」
『羽熊博士、またこのような形での通話を取って申し訳ない』
「いえ、とんでもありません」
佐々木総理も羽熊も、アルタランによる農奴・隔離政策を回避しても仕事は山積みだ。
直に会うような時間は取れず、顔を見て話すならこうした形しか今は取れない。
『どうですかな? アルタランから戻っての生活は』
「忙しい限りです。さすがに睡眠時間は倍に増えましたけど」
倍に増えても、一般人よりは短い。
『私も似たようなものです』
「それで総理、私にお話は……新設する新しい省のことですか?」
『さすがに分かりますか』
「昨日のニュースで新省の設置を閣議決定したとして、その日の内にアポです。己惚れもありますがそう思ってしまいますよ」
昨日の朝、佐々木内閣は閣議決定で異地に関するすべての業務を一手に行う新省の設置することにした。名称などはまだ明かされていないが、各省庁がバラバラに動いては連携がしずらいため、復興庁のように異地に関することに対して強い権限が与えて指導的立場が取れる。
『羽熊博士、あなたに新省である〝星務省〟の大臣をお願いしたいのです』
「星務省……昨日の報道では名前は出てませんでしたが、それが新しい省の名前ですか」
『これは内密に願います。あなたほど異地に精通している人はいませんし、通訳とはいえアルタランの安保理と渡り合えた度量があれば十分大臣として活動できます』
「総理……」
『博士の気持ちは知っています。ですが、いま大臣として異地の国家と外交をするには知識と知名度、両方を持つ博士が適任なのです』
日本の大臣は民間からも任命されることがある。
憲法上、閣僚の半分までは民間人が大臣を務めることが出来る。現佐々木政権の閣僚の内、民間が何人かは知らないが、打診をするのなら問題ないのだろう。
ただ、調べて分かるが准教授でなった人は歴代で一人もいない。
「総理、いくら能力は相応しくても准教授の立場で大臣はお受けできません。仮に強引に就任したところで、史上最年少の大臣と准教授の身分を攻撃されます。それでは私だけでなく、佐々木政権まで攻撃を受けて総辞職となりかねません」
歴代で最年少は三十四歳で、三十二歳の羽熊が就任すると最年少を更新する。さらに政治的関与がここ四ヶ月に集中していることを考えると、政治経験がないこともまた攻撃対象になるはずだ。
能力の一点では相応しいのかもしれないが、それ以外が全て相応しくない。
しかも国の生命線に直結する大臣だ。羽熊が請け負うには責任が重すぎる。
なにより羽熊自身、大臣には何の興味もない。
「ですので、光栄なお誘いではありますが、大臣は辞退させていただきます」
『そうですか。分かってはいましたが残念です』
「私には似つかわしくない役職ですので、こればかりはお受けできません。通訳とかでしたら構わないのですが」
『……では今の羽熊博士に相応しいお仕事でしたらお願いできますか?』
断られることは分かっているから、総理は第二の案を出す。いや、こちらか本命か。
「内容によりますが」
『異地関連総括の相談役として、内閣官房参与として羽熊洋一さん、貴方を任命したい』
「内閣官房参与?」
名前こそ聞いてもいまいち具体的なことが脳裏をよぎらず、疑問形で復唱した。
『簡単に言えば相談役です。非常勤の国家公務員として官邸に来ていただき、異地に関する問題に対して相談や助言をしていただきます』
思い返せば、農奴・隔離政策の際に取った羽熊の行動は内閣官房参与に近いかもしれない。
ユーストルの秘密やウィスラーの正体に気づき、世界の闇を知って守秘義務を課せられている。そうした意味では資格がないだけで、仕事内容はそのままと言える。
『正直な話、大臣は周りの声もあって打診をしましたが、断ることは分かっていましたししてほしい気持ちもありました』
「そんなに周りは私が大臣をしたほうが良いと?」
『良い意味ではなく悪い意味としてですね。これ以上は話せませんが、断った以上はもう関係ない話です。それで羽熊さん、内閣官房参与は引き受けてもらえませんか?』
「……大臣よりはまだいいとは思います。ただ、私自身異地については日夜勉強をしている身分です。十分な相談役として果たせるかどうか……」
『それは承知しています。ですので羽熊博士は引き続き現地での研究を続けてください。そして必要な時に助言を貰えればと思っています』
つまるところいつも通りでいいと言うことだ。
「……それでしたら」
すると画面の奥で佐々木総理は安堵の色を見せた。
『よかった。ではそれで大学も絡めて話は進めさせてもらいます。一度はこちらに来ていただきますが、基本は普段通りで構いません』
「相談役として責務を果たせるよう、日々研究に励ませていただきます」
『ありがとうございます』
もう言語学者とは言ってはいられない。異地学者として活動するしかないのだ。もうそれだけの働きをしてしまっている。
実のところ、いまさら言語学に集中しますとしても周りが聞かないだろう。
大学に戻ろうとも同じだし、参与以外でも他分野から話が来ているくらいだ。
モテ期はモテ期でも、このモテ期はうれしくない。
佐々木総理との通話はこれで切れ、羽熊は深くソファーの背もたれに寄りかかった。
「うれしい悲鳴でいいのか……」
大臣だけは断固拒否であったが、まさかその下の内閣官房参与は来るとは思いもしなかった。
羽熊はスマホで内閣官房参与を検索する。
非常勤の国家公務員で、総理の諮問に応えたり助言を出したりし、首相官邸に専用の執務室が設けられる。給料は日勤で二万七千円。
権限等は簡易検索だと出ないが、国会答弁義務はなさそうだ。
「……まあ、今までの延長線ならいいか……」
とんでもないことを理解して呟いていることを理解しつつ、羽熊は現実を受け入れる。
なに、ユーストルを主戦場とする世界大戦回避したあの会談を考えると、日本の国会なんて楽なものだ。そう思うことにした。
なにより国会答弁がなく、総理の相談に返事をするだけならばまだ許せる。まだであるが。
「とりあえず、タバコ吸いたいな」
言いながら天井を見ていると、手に持つスマホが震えた。
メールとは違う震え方で、羽熊は天を見ながら手を持ち上げて画面を見る。
登録していない番号からの電話だった。
が、その番号には見覚えがあった。
先の内閣官房参与の話で頭がいっぱいだったが、一気にそれが吹き飛んで羽熊は画面を凝視する。
三度番号を見直して、間違っていないことを確認する。
今から一年近く前に別れ、番号もアドレスも消した元カノの携帯電話の番号だ。
「琴乃……なんで今更……」
大臣の話や内閣官房参与でも平然と聞けたのに、この番号を見たとたんに手が震え出した。
未練は断ち切ったはずなのに、交際していた頃の思い出がフラッシュバックする。
出るか出まいか、震えるスマホを見ながら考える。
内心はこのまま切れてほしいと願いつつ、画面を震える手でスライドを、した。
「も、もしもし?」




