第62話 『活動開始』
『こちらが都内で本日から販売されている異地の野菜です』
日本と異地、双方にとって新時代を迎える日イ国交調印式を執り行ってから四日後。
エルテミア暦二百十年十二月十五日。
早朝の報道番組では、女性リポーターが朝早くから開店している都内のスーパーへと向かい、つい先日前までは店頭に並んだこともない野菜の報道をしていた。
映し出される野菜はキャベツやレタスのような包皮野菜の見た目で、違うと言えば縦に細長いところだ。色はやや黄色くも瑞々しく、日焼けや色褪せではなく従来の色合いだ。
『このキャベツのような野菜は、農林水産省によりますとカルツと呼称され、栄養素はキャベツで感触はレタスとのことです。一つ食べてみたいと思います』
画面の外から塩で味付けして茹でられた、カルツが乗った小皿が出される。
そのカルツを恐れることなく女性リポーターは口にした。
『……キャベツと少しキュウリが混ざったような味です』
店頭に並んでいる時点で、味と栄養面で問題ないことは農水省はもちろんのこと、各大学や企業も問題ないことを証明している。
貿易の段階に来たところから日本とイルリハランは専門家を交えて協議を行い、比較的日本人の口に合いやすい物を見繕って輸入している。
『カルツの他にも大根と同等の太さと栄養素を持つ巨大なキノコのローソ。ナス科に近いミロト等、十種類の魚介類と十五種類の作物がイルリハラン王国より接続地域を通り、日本に輸入されています』
異地で栽培されている農産物の特徴として、土中で育つ物がない。
飢饉に対して救世主とも言えるジャガイモや、大根やニンジンと言った土の中で育つ作物は、リーアンの習性から育てる考え自体がない。
グイボラが絶滅しても農作物は浮遊島にて行われているが、確実に危険性がないとしても本能からそうした農作物は作ろうともしないし、品種改良や発見をしようともしない。
ゆえに、異地の農作物は全て最低でも土の上に出来るものでしかないのだった。
リーアンの主食であるケアは、高さ二百メートルもある尋常ではない巨木に生えているキノコで、ローソも他の巨木や木に生え、野菜の収穫も可能な限り機械で行うようにしている。
そうして土との関わりを最小限にして、異地の農業は成り立っているのだ。
魚介類に関しては日本とは勝手が少々違い、漁業もまた専用の浮遊島によって行われる。
網による漁獲は同じだが、浮遊島への回収はホースで吸い上げる方法を取って傷つきを防いでいるらしい。
『それでは異地の食材を取り扱うにあたってお聞きしたいと思います』
女性リポーターは、店内で商品整理をしている店長へと近づいてマイクを向けた。
『本日から初めて、異星で育った農作物を販売しますがどう思われますか?』
『正直なところ売れるかどうか心配ですね。いくら食べても問題ないと言われても、今まで誰も見たことがない物を売るので』
初めて国内に入る物でも、他国の農作物と異星の農作物では捉え方が全く違う。
いくら安全と言われようと、受け入れるには時間は必要だ。
それでも人口が最も多く、消費量も多い関東から浸透させる必要があるから、抵抗をしてもいずれは食べていかないとならない。
とはいえ悲観するばかりでもない。政府が真っ先に食べて安全性をアピールしているし、職人として異星の食材を調理してみたいと名高いシェフたちも、率先して創作料理に挑戦したりしている。
そしてテレビではタレント、ネットでは先行して渡された著名な動画配信者が異地の食材の食レポをしてくれているのもあり、決して売れないわけではなかった。
証拠にテレビでは異地の食材を買い物かごに入れる人が少なからず映っている。
しばらくは抵抗しても、いずれは浸透していくだろう。
日本人は順応性が非常に高い。初めての事に最初こそ抵抗しても、時点を越えればそれが当たり前のように接するようになる。
『続いてのニュースです。異地産の食料と同時に輸入を開始した、異地産の石油の加工が本日より開始されます』
石油は国家の血液と言えるほどになくてはならない資源の一つだ。
かつての日本も、石油を求めて戦争を仕掛けたことがあるほど、現代社会で石油無き活動は考えられない。転移する少々前から石油の輸入が止まったことで、以後は必要に応じて備蓄を使用して行った。
制限だけでなく、イルリハランとの交流で輸入の光明が見え始めて来ると、経済の活性化を目的に民間への流通量を増やしていった。
ついに国交条約が結ばれ、地球時代で言えば三割程度なのだが安定的な原油の輸入が果たされ、今日化学工場で加工がされるのだ。
『これまでの研究により、異地で産出される石油の成分は地球の石油とほぼ同一のものと分かっています。不純物として微小な結晶フォロンやレヴィニウムが含まれるとのことですが、加工に際して問題ないと関係者は発言しています。加工された石油製品は来月より全国に流通する予定です』
国土転移した直後から日本はこれを見据えて動き続けた。現代的な文明を知った時から、資源の輸入を考え、異星での差異を検証して互換性があるのかを不眠不休で調べ、国交を結び合法的に異星の資源を得られればすぐさま動けるようにして来た。
その結果が今現れている。
何事も準備は欠かせない。
元々日本は潜在的に対応力を持っていたこと、転移してすぐさま輸入を考えて総力戦で行動したからこそ、大きなトラブルなく異地の資源は日本で活躍してくれている。
きっとここから日本の大躍進が起こるだろう。
異星人との意思疎通を速やかに行うために、不眠不休で動き続けた羽熊の役目もこれにて終わりだ。
国防のために建設を続けている接続地域の須田駐屯地も、来年には日本初の国境検問所として法務省の所管として移譲される。
寂しい気もするが、次に進むには仕方のないことだ。
*
ハウアー国王の閉じた瞳が、ゆっくりと開いたのはイルリハランとニホンが国交樹立をしてから十日後。昏睡をしてから三十四日と過ぎていた頃だった。
死には至らずとも解毒をしない限り永久に昏睡を続け、解毒をしても四週間は後遺症として昏睡が続く混合毒。
結局のところ実行犯は分かっても首謀者は分からずじまいのテロ事件。
実際はウィスラーが手引きしていたのだが、表向きは過労による昏睡なので責任追及は出来ない。せっかくニホンを巡る政治的決着がついたのに、そこで秘密を明かして世界の闇を表に出すことはなかった。
国家レベルの泣き寝入りだが、ハウアー国王は生きているのに加えて話をぶり返すことは決して得策ではない。
よってリクト国王代理も、このことで責任追及はしないことにした。
そして訪れた日。予定より一週間と延びてしまったが、ハウアー国王は目を覚ましたのだった。
「おはよう。あなた」
昏睡以来、常にそばに居続けたミアラ王妃は笑顔でそう声を掛けた。
「……ミ、アラ」
一ヶ月以上眠り続けたためか、呂律ははっきりとはせず目の焦点も合わない。
それでもハウアー国王は目を覚ました。
本人からすれば最後の記憶は調印式の最中だろう。今では全てが終わり、新時代を迎えていることをどこまで信じるだろうか。
ミアラにとってはどうでもいいことだ。
生涯共に過ごすことを誓った、最愛の人が目を覚まし、名前を呼んでくれたのだ。
それ以外に望むことはないし、喜びもない。
ミアラは涙を流しながら、管が通る左手を優しく手にした。
「わ、たし……は」
「ゆっくり。ゆっくりでいいのよ。何も心配いらないわ」
出来ればいつまでも二人っきりでいたいミアラだが、目を覚ました以上はそうはいかない。
ミアラはハウアーの目を優しく、慈愛の眼差しで見ながらナースコールを探して押した。
このナースコールは、事情を知るラッサロン浮遊基地の衛生兵とラッサロン幹部、エルマに伝わるようになっている。
場所こそ日本大使館内で法律も日本の法が適応されるが、特例によって管理自体はイルリハラン人で行われてニホン人は一切関与していない。
ニホン人が手を出す心配ではなく、王の健康管理を他国の人に任せられない常識的見地からだ。
そしてナースコールは、日本大使館に運ばれて以来一度も鳴らされておらず、初めて鳴ったことで歓喜より恐怖が対象者を襲った。
押してから十秒後には当直の衛生兵が駆けつけ、その直後には司令官であるホルサー大将やエルマから連絡が来る。
健康面に関しては衛生兵の診断を待たなければならないため、ミアラは連絡に対して目を覚ましたと簡潔にして明瞭な返事だけをした。
混合毒は解毒から平均四週間で目を覚ますのだが、個人差があって最長では五十日間目を覚まさず、逆に投与から十日で目を覚ますこともある。
三十四日は決して的外れとは言えなかったのだが、王ゆえに一日一日と延びては生きた心地はしなかっただろう。
それは関与していたウィスラーも同様だったはずだ。
しかし目を覚まし、衛生兵の診断によって健康面で問題ないことが確認された。
一ヶ月以上と昏睡していたため、筋力が落ちて浮遊に必要な熱量が生み出しにくくなったが、科学的熱供給用スーツを着用すれば普段通り空に立つことは可能だ。
地に付くニホン人であれば苦労するだろうが、重力の縛りのないリーアンの介護はあまり苦労しない。
まずは応急的にスーツで空に立ち、少しずつ自身の筋肉を付けて必要量の熱を生み出せるようリハビリをしていく。
職務復帰は一般的な食事を自力で取れるようになってが理想だが、時期と立場だけに職務復帰は一日でも早くしなければならない。
そのため、ハウアー国王が目を覚ました一時間後には速報で全世界に伝えられた。
ただし、ニホン大使館内から姿を放送は出来ないので、映像による声明はしないで秘密裏にイルフォルンへと帰国してから行う予定となっている。
時間にして一週間と言ったところだろう。
元々目を覚ましてからどうするかは予定を立てていたとはいえ、時間はあっという間に過ぎて行った。
「――そうか。ご苦労だったな」
目を覚ましてから半日が過ぎ、やや落ち着いたところでハウアー国王はこの一ヶ月間の出来事をテレビ通信を利用として、国王代理をしているリクト王太弟から聞いていた。
もちろん出来事にはウィスラーがハーフであることも含まれている。さすがに国王代理は知っていて国王が知らないわけにはいかない。
ちなみに民衆の前やテレビで姿を見せられずとも、現国王であるハウアーの意識が戻れば代理としての職務は終わる。よって王位継承権法に則り、リクト国王代理が持っていた王権は速やかにハウアー国王へと返還された。
ただし、王権は戻ってもすぐに仕事には取り掛かれないため、公務だけはリクトが引き続き行っている。
『見事道化となりましたがね。ここまで読んでおられたのなら、私は兄上に敵いそうもない』
画面の中でリクトは苦笑顔を見せる。
「いや、私もそこまでは読んではいなかった。私の予想では、ニホンの軍事力とラッサロンとバスタトリア、ユーストルの地下資源をカードに交渉して乗り切ると思っていたからな」
ハウアーが倒れた場合のリクトの行動は予想できたため、万が一倒れたらラッサロンを独立させてイルリハランとニホンが分裂することを防ごうとした。それがもとで戦争になる可能性はあっても、フォロン結晶石が眠るユーストルを戦場として良しとはしないし、殺人物質もあって対立関係のまま進むと考えたのだが、まさか融和にまで持っていくとは思わなかった。
『しかし実際はそれよりも良い結果で終わった』
「これ以上ない成果だ。大団円とはこういうのを言うのだろうな」
そうハウアーは言うが、先の戦闘で大勢の兵士を戦死させている。
その兵士たちが報われる形で終われたものの、民衆の前では不謹慎で言えない。
『褒めるのであればエルマに』
「お前もだリクト。一ヶ月とはいえ、よく国を守ってくれた」
『もし似たような状況で王権を持っても、断固としてお断りするでしょう』
言ってリクトは苦笑する。
「それが分かっただけでも、王の職務を引き継いだ価値があると言うものだ」
『やはり兄上には敵いそうもない』
「だが、融和にしろ対立にしろ、ユーストルを開発するとなれば仕事は山積みだ」
まだ目を覚まして十二時間と経っていなくても、特区案を聞かされてから湧き水の如くやらなければならない仕事が思い浮かぶ。
今度はイルリハランとニホンだけではなく、全世界を巻き込むのだ。生半可な覚悟ではすぐさま潰れてしまうだろう。
「リクト、国内の不穏分子の情報はあるか?」
ここで一番懸念しなければならないのは、効率的に特区案を進めるのではなく、いかにして妨害工作を未然に防ぐかだ。
政府や国際組織が異星国家を容認しようと、民衆の思想まで容認に向けさせることは出来ない。同じく容認や、無関係として中立を保ったり、はたまたレーゲンのように排除しようと動くグループが必ず生まれる。
厄介なのが、排除派のグループが過激になりテロ組織になることだ。
『情報省からの情報では四組がネットや集会で、反異星国家団体としてメンバーを招集している。一組はデモ行進の申請を警察に出したらしい』
「穏便に進めるならやめさせるわけにはいかないな」
デモ行進含め、イルリハラン王国は結社の自由を認めている。武力を主眼に置いた過激派は検挙出来ても、平和的で公序良俗を守る団体ならば国として傍観するしかない。
「リクト、私は来週まで職務復帰は出来ない。復帰するまでの間、くれぐれも排除団体を過激派にしないよう注視してくれ。我が軍も含めてな」
『我が軍が反旗を翻すと?』
「もちろんそんなことはないと確信している。しかしこの世に絶対はない。絶対があれば『今』はないからな」
治安が不安な国であれば、自国軍でもクーデターを警戒する。イルリハランは先進国に分類して治安も安定している。そんな国の軍がクーデターを起こすことはありえないし、それは軍に対する最大級の侮辱だ。
だが、ニホンが来た。
絶対に来ないとされていた異星人が、国土ごと宇宙からではなく地上に現れた。
そう考えると、ニホンを排除することを目的として軍の一部が離反することはありえないと誰が言える。
『各国の利害が一致してこの状況にしたんだ。注視しよう』
介護スーツを使えばすぐに復帰は出来る。それでも首都イルフォルン戻るまで時間が掛かる。その間の見張りは必要だ。
リクトは画面越しでハウアーの目を見て答えた。
「頼む」
こうしたことが言えるのも家族ゆえだ。防務長官や他の閣僚には言えないことも言える。
これ以上は体に障るとして通話は終わり、ハウアーはふぅと息を漏らす。
「思いのほか疲れるな」
生まれて以来入院と言うことをしたことがないハウアーは、一ヶ月昏睡したことによる自身の体の衰えを如実に痛感する。
こうも体が重く、喋っているだけで心拍が上昇するとは思いもしない経験だ。
外部熱供給を受ければ改善するとはいえ、生身で空に立つのが普通のリーアンにしては屈辱に近い措置だ。
これから新時代をこの国から始まるというのに、介護スーツなど着てはいられない。
新時代を率いる国の長だからこそ、威厳を保つ必要があるのだ。
ノックが部屋に響き、ドアが少しだけ開く。
「あなた、終わりました?」
知る人は少なくなければならないため、妻ミアラは部屋の外で待ってもらっていた。
一切合図を送ることなく、終わった直後にノックをするとはさすがと言うべきか。
「ああ、終わったよ」
そう聞いてミアラは静かに入ってくる。
「すまないな。妻とはいえ誰にも話せない内容だったのでな」
「いいのよ。もう何年の付き合いと思っているの」
「それもそうか。 おいで」
ハウアーは自分の横を手で叩き、ミアラを座らせる。
「……ミアラ、ありがとう。眠っている間側にいてくれて」
「妻だもの。当たり前のことをしているだけだわ」
言ってミアラはハウアーに軽く寄りかかる。
「今まで苦労をかけたね」
少し怠く感じる腕を上げ、優しくミアラの頭をなでる。
「まったくよ。ニホンが来てからこうしていられることほとんどなかったんだから」
ニホンが転移する以前は山ほどの国内問題と一般的な外交、レーゲンとの軋轢であり、夫婦の時間はそれなりに確保できていた。
それでも一般と比べては休日は少ないが、なくはなかった。
だがニホンが転移してからは、その数少ない休日もなく常にニホンを中心とした派生する国内問題と外交対策に追われていた。
睡眠時間も普段の半分以下になり、安らぎの一つである食事も書類に目を通しながらだ。
ミアラが不満を抱えていたことは知っている。しかし、この四ヶ月――ハウアーからすれば三ヶ月だが、ここを乗り切らなければ一生安息の時間が来ることもなくなる。
王の妻として覚悟をしても、世継ぎもおらず親族もいないミアラにとって拠り所はハウアーだけだ。そう考えると寂しい思いをさせてしまった。
「でも、ひと月の間ずっとあなたの寝顔を見ていられたわ」
「はは、嬉しいことを言ってくれる」
「……でも、もういやよ? 眠り続けるあなたを見続けるのは」
「厳重に注意させるよ。もうお前にさみしい思いはさせない」
「もし辛かったら、リクトに任せてもいいんじゃないかしら」
「それは出来ない。辛いからと簡単に公務を任せてしまったら、唯一無二の王としての威厳が無くなってしまう」
王としての公務は原則王が執り行うのだ。今回のように、すぐに出来ない場合は次期王が代理として勤めても、私情で任せては威厳と品位を疑われてしまう。
高齢や病気等で出来ない場合は退位の選択はあれ、重労働では理由にもならない。
「分かってるわ」
「最大の問題は終わったんだ。次第に落ち着いてくるさ」
少なくともこれまでの仕事よりは楽になるはずだ。それでも激務には違いないが。
「けど、イルフォルンに戻るまではすることがない。リクトには悪いが、戻るまでの一週間は休暇としよう」
「一週間どころか一ヶ月だけれどね」
「一ヶ月の間寝ていたんだ。休んだとは言わないさ」
「まあ、王様が言う言葉じゃないわね」
「今くらいは王ではなく、お前の夫として言わせてくれ。長い間寂しい思いをさせたからな。一週間夫婦二人で過ごしても、誰にも文句は言わないさ」
急変の不安はあっても一ヶ月と政府は維持したし、最大の問題だった戦争も回避したのだ。
一週間程度は周囲が維持してくれる。
王として失格だろうと、現時点で出来ることはないのだ。
これまでの褒美で、ささやかな日々を過ごして誰が文句を言う。
「少し横にさせてくれ」
「あ、気づかなくてごめんなさい」
一ヶ月以上の昏睡から目を覚まして半日。昏睡前と同じことは到底できはしない。
介護スーツは身に着けていないので、体を動かすに必要な熱も弱く疲れやすくなっていた。
ミアラはハウアーの背中に手を回し、ゆっくりとベッドへと上半身を倒す。
「今日はもうお休みになって。また明日ゆっくりとお話をしましょう」
「そうだな」
ミアラも普段から同室で眠っているらしく、介護ベッドの隣には普通のベッドが並べられている。
ミアラは一度ドアに向かって外に声を掛け、再び戻ってくると寝間着へと着替え始めた。
「それじゃあ、明かり落とすわね」
「ああ」
照明が落ちて部屋は暗くなる。
「おやすみなさい。ふふ、すごく久しぶりね。おやすみなさいって言うの」
「これからは毎日言えるさ。おやすみ。ミアラ」
ハウアーの手にミアラの手が触れて握り合う。
顔を横に向けると、はっきりとはしないが目を開いてハウアーを見ているのが分かる。
二人はしばらくの間無言で見つめ合い、目を閉じて眠った。
国としては十日前に終わったニホン問題だが、眠り続けていたハウアーにとっては今日で終わり、昏睡とは別に深い眠りへと落ちていった。
*
『アーク』
日本に残留することを決めた元外国人で構成される利益団体だ。
日本政府が打ち出した事実上の無国籍問題のため、帰化しない外国人は全員限定的日本人扱いとなり、特別在住や在留カードは不要となり、パスポートも各国仕様から日本仕様へと移行することとなった。
変わったことは、国籍が日本と併記する形であらゆる書類で記載される。名前の表記も母国語ではなくカタカナ表記となる。
もちろん書類上だけの話で、当人たちに日本語を強要するつもりはないし、日本人として愛国心を持つようなこともしない。扱いとしては従来の在日外国人と同じだ。
この措置は入管や戸籍等の問題解決のためで、元外国人たちの思想は一切変えるつもりはなかった。
しかし多くの元外国人たちは、自分たちのアイデンティティが奪われたと感じてしまった。
元々は日本を好み、最期のひと時を母国ではなく日本で過ごそうと決めた人々だ。
なので内心日本人に扱われることに不満はそう強くはないはずだが、母国が消滅し、一方的に免許のAT限定のような扱いで日本人とされれば、心外だし人権もあって快く思えないのは当然だ。
そしてなにより、一億二千万人いるなかで百万人しかいない共通の感情を持つ同士である。
結託することはそう難しくなく、最初は外国人用コミュニティサイトだけで思想を語り合うだけだったが、ノアと呼称する人物の書き込みから外国人団体『アーク』は発足した。
発足当初は同サイト内での書き込みだけだったが、次第に外国人同士で集会をするようになった。
発足から三ヶ月もなるとアークは大分組織化される。
国ごとでは全国で分散されているので、都道府県ごとに支部を設置し、居住人数によってより小分ける分部が設置している。
特に大阪と東京が多いので、分部の数は多い。
突如誕生して急速に勢力を拡大させているため、テレビ報道もされて多くの人が知る団体となった。
ここで外国人団体と聞くと、転移前で悩まされた過激派組織を連想してしまうが、至って平和なままだ。
元々日本を好んで普通に入国し、永住権を確保した人々だから武力テロを起こそうとする過激な考えがない。
転移以前でも日本は一度としてテロ被害は受けないし、宗教にしても寛容だ。そうしたこともあって外国人が団体を組んでも、不安はあるが解散運動までは至っていない。
むしろ、こうした境遇だから繋がりをしっかりしたいと言う理解の方が強いほどだ。
アークにしても、日本政府が警戒する外国人参政権は考えてはおらず、平和的な活動をしたいとコメントを発している。
組織図でいえば会社に似ている。
会長枠にノアが入り、社長枠に東京在住のアメリカ人のトム・K・サージャンが入る。さらに専務に中国人の王浩然、常務にドイツ人のノーマン・アレンス、以下様々な能力に合わせて役職が与えられた。
アメリカ人、中国人、ドイツ人は今現在でも会社の社長をしているほどの人達で、二足の草鞋を履いて活動をしている。
そして気になるノアの正体だが、どういうわけか頑なに正体を隠している。
基本的にアークの活動は基本的に代表のトム以下の人々達によって行われ、ノアはコミュニケーションサイト『アーク』からコメントを発するだけだ。
担いだ以上は表舞台に出て来るべきとの意見は山のように出ても、ノアはそれを断固拒否して謎の存在を堅持しようとする。その代わりに報酬や権限については一切求めず、組織レベルのトラブルがあった場合はすべて責任を押し付けろと言ってきた。
自分の情報を一切明かさないのに、責任を押し付けろとは矛盾にもほどがある。もちろん警察が動けば所在地を探ることは造作もないが、刑事事件レベルでなければ調べないだろう。
なのにノアは会長職としてアークのトップに位置している。
一体なぜそうなったのか、知っているのは上層部だけで一般会員や支部長らは知られていない。
だからこそ、ノアの正体には何かしらの意味があるのだと思い、深く考えない人も何割かいた。様々な憶測が飛び交い、脱会や入会を繰り返して今に至る。
ちなみにアークの活動は、大雑把に分けて三つある。
・日本全国にいる元外国人の健全な生活を維持するための互助活動。
・母国の文化の存続、発展。及び各国の人々のみによる自治体化。
・日本の暴走を防ぐため、国連相当の組織と権限を手にすること。
一つ目はまだ分かるが、二つ目と三つ目は完全に政治に主眼を置いた目的だ。
外国人参政権は日本政府内部への関与なので考えないが、逆に外部からの圧力を目的として、日本政府とは別の政府組織を作るのだ。
新たな国際連合として機能し、この星で限度を超えた活動をさせないよう監視をする。
そのため、土地確保として天空島の獲得を狙っている。
日本との対立を防ぐため独立はせず自治体として活動し、いずれは新たな国連を発足させるのが最終目的だ。
外国人から見れば第二の母国が出来るとして悪くないが、日本から見れば困った問題である。
日本は原則、地球の国は日本以外認めない。自治体のみであれば新時代を迎えるにあたって容認はありえても、国連相当組織はまず認可しないだろう。
なぜなら国連本部がない今、地球の国際条約は意味を成さず、今後はフィリア側の国際条約を批准していくからだ。
二重の国際組織など無意味でしかない。
そうした意味を込め、日本政府はまだ活発化する以前だった頃からアークを警戒をし、公安も慎重に監視を続けてきた。
日本が気にするのは、全体または一部でも過激派となって活動されることを未然に防ぐためだ。これから新時代を迎えるのに、内乱状態にするわけにはいかない。
ここで内乱状態にして、安全上の理由からイルリハランからの輸入が途絶えてしまうと大打撃どころではないからだ。
アーク上層部もまた公安に見張られていることは知っているから、日本の逆鱗に触れないよう慎重に活動を続けている。
ただ、その『慎重』には違いがある。
アークの活動は国内が主だったところ、国防軍撤退への準備がもうすぐ始まろうとしている接続地域へと向かい出していた。




